2022年8月25日木曜日

コナン・ドイル作「ぶな屋敷」<小説版>(The Copper Beeches by Conan Doyle ) - その4

英国で出版された「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」
1892年6月号に掲載された挿絵(その10) -
家庭教師として、ぶな屋敷に住み込みを始めた
ヴァイオレット・ハンターの依頼に基づき、
調査を始めたシャーロック・ホームズは、
彼女の雇い主であるジェフロ・ルーカッスル氏が、
彼と前妻の間の娘であるアリスが亡き母親から受け継いだ莫大な遺産の
横取りを計画していることを突き止め、
ルーカッスル氏に対峙する。
画面左側から、
ジェフロ・ルーカッスル、ホームズ、
ヴァイオレット・ハンター、そして、ジョン・H・ワトスン
挿絵:シドニー・エドワード・パジェット

(Sidney Edward Paget 1860年 - 1908年)

若い家庭教師であるヴァイオレット・ハンター(Violet Hunter)が、ジェフロ・ルーカッスル氏(Mr. Jephro Rucastle)なる人物から、破格の給料(年額100ポンド → 後に、年額120ポンドへ値上げ)で、住み込みの家庭教師の申し出を受け、ハンプシャー州(Hampshire)のウィンチェスター(Winchester)から5マイル離れた「ぶな屋敷」へ向かってから、何事もなく、2週間が経過したある夜、彼女からシャーロック・ホームズ宛に、緊急を知らせる電報が届いた。


翌日の午前11時、ホームズとジョン・H・ワトスンの二人は、ウィンチェスターへと向かい、ヴァイオレット・ハンターに指定されたブラックスワンホテル(Black Swan Hotel)で、彼女に会った。

ヴァイオレット・ハンターによると、彼女がぶな屋敷に到着した最初の2日間は、何事もなく、平穏に過ぎたが、3日目に入ると、非常に奇妙なことが始まったと言う。


(1)ルーカッスル氏により、指定された青いドレスに着替えさせられた後、ぶな屋敷の前を通る幹線道路であるサザンプトンロード(Southampton Road)に面した応接室へと案内され、中央の窓の近くに置かれた椅子に座らされると、ルーカッスル氏から面白い話を聞かせられたり、別の日には、本を読ませられたりした。

(2)彼女がそうしている間、サザンプトンロードの垣根にもたれ、頬髭を生やして、灰色の背広を着た小柄な男が、こちらの方を見ていた。

(3)ヴァイオレット・ハンターの部屋には、古い整理箪笥があり、鍵が掛かっていた一番下の引き出しの中に、自分のと同じような切られた金髪が入っていた。

(4)ぶな屋敷の別棟の2階には、4つの窓が一列に並んでおり、その内の3つは汚れた窓だったが、4つ目の窓には、鎧戸が降りており、その部屋の中に、誰かが居る気配がした。

(5)ルーカッスル氏は、「カルロ(Carlo)」と呼ばれる大きなマスティフ犬を飼っていて、夜になると、マスティフ犬を屋敷の敷地内に放していた。


ヴァイオレット・ハンターから、ぶな屋敷における奇妙な話の数々を聞いたホームズが早速調査を始めると、ぶな屋敷の秘密が明らかになった。

ぶな屋敷の別棟の2階にある鎧戸が降りている部屋の中には、ルーカッスル氏と前妻の間に生まれた娘のアリス(Alice)が幽閉されていた。アリスは、亡き母親から莫大な遺産を受け継いでいたが、ルーカッスル氏は、再婚した夫人(Mrs. Rucastle)と一緒に、その莫大な遺産を横取りしようと狙っていたのである。そのために、彼らは、アリスの替え玉として、ヴァイオレット・ハンターの存在は必要だったのだ。


英国で出版された「ストランドマガジン」
1892年6月号に掲載された挿絵(その11) -
飼主であるジェフロ・ルーカッスル氏の喉元に噛み付いた
マスティフ犬のカルロに向かって、
ワトスンが銃を放つ。
挿絵:シドニー・エドワード・パジェット
(1860年 - 1908年)


作者であるサー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年-1930年)は、
1891年7月の「ボへミアの醜聞(A Scandal in Bohemia)」を皮切りにして、「ストランドマガジン(Strand Magazine)」に毎月ホームズ作品を連載していたが、毎回新しいストーリーを考え出して作品を創作することが、彼にはだんだん苦痛となってきていた。また、コナン・ドイルとしては、自分の文学的才能は長編歴史小説の分野において発揮/ 評価されるべきと考えており、ホームズ作品は彼にとってはあくまでも副業に過ぎなかったのである。ところが、「ストランドマガジン」を通じて、ホームズ作品が予想以上に爆発的な人気を得るに至ったため、コナン・ドイルは、ホームズ作品の原稿締め切りに毎回追われる始末で、自分が本来注力したい長編歴史小説に時間を全く割けない状況であった。


そのため、コナン・ドイルは、自分の母親に送った手紙の中で、ホームズシリーズを打ち切るつもりでいることを打ち明けた。その手紙を受け取った母親は、息子に対して、猛反対を唱えるとともに、彼女が少し前に送った粗筋(金髪の娘が誘拐された後、巻き毛を切られ、ある目的のために、他の娘に仕立て上げられるという筋)を使って見るように勧めたのである。母親の意見に反対したくなかったコナン・ドイルは、母親から得た物語のアイディアに基づき、「ぶな屋敷(The Copper Beeches)」を執筆したのである。


コナン・ドイルが打ち切りを予定していたホームズシリーズは存続することとなり、「ぶな屋敷」は、「ストランドマガジン」の1892年6月号に掲載され、「ボへミアの醜聞」から「ぶな屋敷」までの12短編作品は、ホームズシリーズの第1短編集である「シャーロック・ホームズの冒険(The Adventures of Sherlock Holmes)」(1892年)に収録された。


その後、コナン・ドイルは、「ストランドマガジン」の1892年10月号に「名馬シルヴァーブレイズ(The Silver Blaze)」を発表して、連載を再開させたが、当初の打ち切りの意思は固く、「ストランドマガジン」の1893年12月号に発表した「最後の事件(The Final Problem → 2022年5月1日 / 5月8日 / 5月11日付ブログで紹介済)」において、ホームズを、「犯罪界のナポレオン(Napoleon of crime)」と呼ばれるジェイムズ・モリアーティー教授(Professor James Moriarty)と一緒に、スイスのマイリンゲン(Meiringen)にあるライヘンバッハの滝(Reichenbach Falls)に葬ることになる。


0 件のコメント:

コメントを投稿