2022年8月18日木曜日

ロンドン カーゾンストリート19番地(19 Curzon Street)

画面中央の建物(カーゾンストリート19番地)が、
初代ビーコンズフィールド伯爵ベンジャミン・ディズレーリが住んでいた家である。

英国の政治家 / 小説家で、ヴィクトリア朝の中期に、保守党の党首として、英国首相を二度務めた初代ビーコンズフィールド伯爵ベンジャミン・ディズレーリ(Benjamin Disraeli, 1st Earl of Beaconsfield:1804年ー1881年)が住んでいた建物が、ロンドンの中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のメイフェア地区(Mayfair)内に所在している。



画面右奥がバークリースクエア

画面左奥がパークレーン


バークリースクエア(Berkeley Square → 2014年11月29日付ブログで紹介済)から、パークレーン(Park Lane → 2015年6月27日付ブログで紹介済)へと向かって、カーゾンストリート(Curzon Street → 2015年9月12日付ブログで紹介済)が西に延びているが、その19番地の建物(19 Curzon Street)が、それである。


カーゾンストリート19番地の建物を
正面から見上げたところ


より具体的に言うと、パークレーンの少し手前で、右手から南下してくるサウスオードリーストリート(South Audley Street)とカーゾンストリートが交差した辺りの進行方向左手(南側)に、カーゾンストリート19番地の建物は建っている。



カーゾンストリート19番地の建物の外壁には、
初代ビーコンズフィールド伯爵ベンジャミン・ディズレーリが
1881年にここで亡くなったことを示すプレークが架けられている。


カーゾンストリート19番地の建物の地上階(Ground Floor)の外壁に、「初代ビーコンズフィールド伯爵ベンジャミン・ディズレーリが1881年にこの家で亡くなった」ことを示すロンドン・カウンティー・カウンシル(London County Council)管理のプラークが架けられている。

カーゾンストリート19番地の建物を
右斜め下から見上げたところ


初代ビーコンズフィールド伯爵ベンジャミン・ディズレーリが、カーゾン19番地の建物において亡くなった経緯は、以下の通り。


1880年の総選挙で敗北して、自由党党首であるウィリアム・ユワート・グラッドストン(William Ewart Gladstone:1809年ー1898年)に政権を明け渡した初代ビーコンズフィールド伯爵ベンジャミン・ディズレーリは、以前から喘息と痛風に苦しんでいたものの、死を予期させるような病状や徴候はなかった。

亡くなる直前となる1881年3月1日に、ウィンザー城(Windsor Castle)において、彼はヴィクトリア女王(Queen Victoria:1819年ー1901年 在位期間:1837年-1901年 → 2017年12月10日 / 12月17日付ブログで紹介済)から引見を受けたり、2週間後の3月15日には、貴族院において、暗殺されたロシア皇帝アレクサンドル2世を悼み、ヴィクトリア女王が弔辞を送ることに賛成する演説を行っており、彼の健康状態に全く問題は見受けられなかった。

ところが、1週間後の3月22日、帰宅途中に雨に濡れて風邪をひき、その病状がなかなか回復しなかったため、心配したヴィクトリア女王が有名医をベンジャミン・ディズレーリのところへ派遣させた。3月29日、胸部疾患の権威が気管支炎と診断し、24時間体制での看護が行われたが、その甲斐もなく、4月19日に入った深夜に危篤状態に陥り、同日の午前4時半頃、意味を引き取ったのである。

ベンジャミン・ディズレーリの訃報を聞いたヴィクトリア女王は、悲しみのあまり、暫くは口をきけなかったと言われている。


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