画面中央の建物(カーゾンストリート19番地)が、 初代ビーコンズフィールド伯爵ベンジャミン・ディズレーリが住んでいた家である。 |
英国の政治家 / 小説家で、ヴィクトリア朝の中期に、保守党の党首として、英国首相を二度務めた初代ビーコンズフィールド伯爵ベンジャミン・ディズレーリ(Benjamin Disraeli, 1st Earl of Beaconsfield:1804年ー1881年)が住んでいた建物が、ロンドンの中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のメイフェア地区(Mayfair)内に所在している。
画面右奥がバークリースクエア |
画面左奥がパークレーン |
カーゾンストリート19番地の建物を 正面から見上げたところ |
カーゾンストリート19番地の建物の外壁には、 初代ビーコンズフィールド伯爵ベンジャミン・ディズレーリが 1881年にここで亡くなったことを示すプレークが架けられている。 |
カーゾンストリート19番地の建物を 右斜め下から見上げたところ |
1880年の総選挙で敗北して、自由党党首であるウィリアム・ユワート・グラッドストン(William Ewart Gladstone:1809年ー1898年)に政権を明け渡した初代ビーコンズフィールド伯爵ベンジャミン・ディズレーリは、以前から喘息と痛風に苦しんでいたものの、死を予期させるような病状や徴候はなかった。
亡くなる直前となる1881年3月1日に、ウィンザー城(Windsor Castle)において、彼はヴィクトリア女王(Queen Victoria:1819年ー1901年 在位期間:1837年-1901年 → 2017年12月10日 / 12月17日付ブログで紹介済)から引見を受けたり、2週間後の3月15日には、貴族院において、暗殺されたロシア皇帝アレクサンドル2世を悼み、ヴィクトリア女王が弔辞を送ることに賛成する演説を行っており、彼の健康状態に全く問題は見受けられなかった。
ところが、1週間後の3月22日、帰宅途中に雨に濡れて風邪をひき、その病状がなかなか回復しなかったため、心配したヴィクトリア女王が有名医をベンジャミン・ディズレーリのところへ派遣させた。3月29日、胸部疾患の権威が気管支炎と診断し、24時間体制での看護が行われたが、その甲斐もなく、4月19日に入った深夜に危篤状態に陥り、同日の午前4時半頃、意味を引き取ったのである。
ベンジャミン・ディズレーリの訃報を聞いたヴィクトリア女王は、悲しみのあまり、暫くは口をきけなかったと言われている。
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