ジョン・H・ワトスンに対して、「自分のところに持ち込まれる依頼の質が落ちた。」と嘆くシャーロック・ホームズの元に、若い家庭教師であるヴァイオレット・ハンター(Violet Hunter)から、奇妙な相談があった。
彼女は、現在、失業中で、次の仕事の目処が立っていなかった。そんな中、ウェストエンド(West End)にある家庭教師紹介所ウェストアウェイ(Westaway)において、彼女は、ジェフロ・ルーカッスル氏(Mr. Jephro Rucastle)なる人物から、破格の給料(年額100ポンド → 後に、年額120ポンドへ値上げ)で、住み込みの家庭教師の申し出を受けたのである。
しかしながら、このあまりに高額の報酬には、いくつかの条件があった。
(1)ハンプシャー州(Hampshire)のウィンチェスター(Winchester)から5マイル離れた「ぶな屋敷」に住み込むこと
(2)6歳の腕白坊主の面倒を見ること
(3)妻(ルーカッスル夫人)のちょっとした頼みをきくこと
(4)雇い主(ルーカッスル氏)が指定する服を着ること
(5)「ぶな屋敷」へ来る際に、髪を短く切ってくること
上記の条件を受け入れた場合、亡き母からも喜ばれていた長い髪を切ることになり、彼女としては、受け入れることができず、その場でルーカッスル氏の申し出を断ってしまった。
ルーカッスル氏の申し出を断ったヴァイオレット・ハンターであったが、生活が苦しくなってきたため、折角舞い込んだ高額の働き口を受けなかったことを後悔していた。そんな最中、ルーカッスル氏から、彼女宛に再考を求める手紙が届いた。その手紙の中で、報酬の年額が当初の100ポンドから120ポンドへと引き上げられていたのである。
生活が苦しい中、高額な報酬に未練があるものの、ルーカッスル氏から提示された不自然な条件に引き続き疑念を抱くヴァイオレット・ハンターは、ホームズに対して、助言を求める。
推理に必要なデータが不足しているホームズは、既に決心を固めているヴァイオレット・ハンターのことを考えて、「昼でも夜でもよいので、何かあれば、電報で連絡してもらえれば、直ぐに現地へ赴く。」と答えた。
ホームズの答えを頼りにして、ヴァイオレット・ハンターは、長い髪を切ると、翌日、ぶな屋敷へと向かった。
その後、何事もなく、2週間が経過したある夜、ヴァイオレット・ハンターより、電報が届いた。
「明日の正午、ウィンチェスターのブラックスワンホテルまで来て下さい。お願いします。途方に暮れています。 ハンター(Please be at the Black Swan Hotel at Winchester at midday tomorrow [it said]. Do come! I am at my wit’s end. Hunter)」
英国で出版された「ストランドマガジン」 1892年6月号に掲載された挿絵(その5) - ヴァイオレット・ハンターから急ぎの電報を受け取ったホームズは、 翌日の午前11時に、ジョン・H・ワトスンを伴い、 ウィンチェスターへと向かった。 挿絵:シドニー・エドワード・パジェット (1860年 - 1908年) |
翌日の午前11時、ホームズとワトスンの二人は、ウィンチェスターへと向かった。
ヴァイオレット・ハンターが指定したブラックスワンホテルは、ウィンチェスター駅(Winchester Station)からすぐ近くで、ハイストリートにある有名なホテルだった。そこで、ヴァイオレット・ハンターが、既に二人を待っていた。彼女は、部屋を予約していて、テーブルには、昼食も用意されていた。
英国で出版された「ストランドマガジン」 1892年6月号に掲載された挿絵(その6) - ヴァイオレット・ハンターから指定されたブラックスワンホテルは、 ウィンチェスター駅のすぐ近くで、 ホテルに到着したホームズとワトスンの二人を 既に待っていた彼女が出迎えた。 挿絵:シドニー・エドワード・パジェット (1860年 - 1908年) |
ヴァイオレット・ハンターの話は、以下の通りだった。
ウィンチェスター駅に着いた彼女は、ルーカッスル氏の出迎えを受け、彼の馬車でぶな屋敷へと向かった。
ぶな屋敷に到着すると、ルーカッスル氏は、愛想良く、夫人と子供を紹介した。
ルーカッスル夫人(Mrs. Rucastle)は、物静かで、顔色の悪い女性で、ルーカッスル氏よりもかなり若く、30歳を超えていないようだった。
ヴァイオレット・ハンターが、ルーカッスル氏とルーカッスル夫人の会話から、
(1)ルーカッスル氏は、前妻に先立たれた後、約7年前に再婚したこと
(2)ルーカッスル氏と前妻の間の子供は、娘だけで、現在、米国フィラデルフィアに居ること
(3)ルーカッスル氏と前妻の間の娘がぶな屋敷を出て行ったのは、彼女が義母に対して、謂れの無い反感を抱いていたからだということ
等が判った。
一方、ルーカッスル氏と後妻であるルーカッスル夫人の間の息子は、甘やかされた意地の悪い子で、毎日、激しい癇癪の発作を起こしたかと思うと、憂鬱で不機嫌になるということを繰り返す我儘放題だった。
また、使用人のトラー(Toller)夫妻のうち、夫の方は、荒っぽくがさつな男で、しょっちゅう酒の臭いを漂わせていた。妻の方は、非常に背が高くガッチリした女性で、いつも苦虫をかみつぶしたような顔をしていて、大人しいものの、親しみにくい人だった。ヴァイオレット・ハンターとしては、トラー夫妻を好ましく思わなかったが、幸いにして、彼女は、大部分の時間を育児室と自室(2つの部屋は隣り合わせになっている)で過ごしていたため、トラー夫妻と関わることは、ほとんどなかった。
ヴァイオレット・ハンターがぶな屋敷に到着した最初の2日間は、何事もなく、平穏に過ぎたが、3日目に入ると、非常に奇妙なことが始まったのである。
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