2022年8月31日水曜日

コナン・ドイル作「ぶな屋敷」<グラフィックノベル版>(The Copper Beeches by Conan Doyle

米国ウィスコンシン州の Eureka Productions 社が2005年に発行した
「Graphic Classics : Arthur Conan Doyle (Revised Second Edition)」の表紙

「ぶな屋敷(The Copper Beeches → 2022年7月31日 / 8月15日 / 8月21日 / 8月25日付ブログで紹介済)」は、作者のサー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年-1930年)により、シャーロック・ホームズシリーズの56ある短編小説のうち、12番目に発表された作品で、「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の1892年6月号に掲載された。そして、ホームズシリーズの第1短編集である「シャーロック・ホームズの冒険(The Adventures of Sherlock Holmes)」(1892年)に収録された。


米国の漫画家でイラストレーターでもあるリック・ギアリーによる
「ぶな屋敷」のグラフィックノベル版の扉絵


「ぶな屋敷」には、グラフィックノベル版が存在している。「ぶな屋敷」のグラフィックノベル版は、米国ウィスコンシン州の Eureka Productions 社が2005年に発行した「Graphic Classics : Arthur Conan Doyle (Revised Second Edition)」の中に収録されている。


家庭教師のヴァイオレット・ハンターが、相談のために、
ベイカーストリート221B221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)のシャーロック・ホームズの元を訪れる。


ヴァイオレット・ハンターは、職探しのために、
ウェストエンドにある家庭教師紹介所「ウェストアウェイ」を訪れ、
経営者のミス・ストーパーとの面接を受ける。
その場に、ジェフロ・ルーカッスル氏も同席していた。


「Graphic Classics : Arthur Conan Doyle」に収録されている「ぶな屋敷」のグラフィックノベル版については、米国の漫画家でイラストレーターでもあるリック・ギアリー(Rick Geary:1946年ー)が構成と作画の両方を担当している。

リック・ギアリーは、米国ミズーリ州カンサスシティーの出身で、全米漫画家協会(National Cartoonist Society)から、1994年に「Magazine and Book Illustration Award」を、そして、2017年に「Graphic Novel Award」を受賞している。


ジェフロ・ルーカッスル氏は、ヴァイオレット・ハンターに対して、
給料を「年額100ポンド」から「年額120ポンド」へと引き上げ、
破格の条件を提示してきた。


リック・ギアリーによる「ぶな屋敷」のグラフィックノベル版は、「Graphic Classics : Arthur Conan Doyle」の表紙と冒頭ページの両方を飾っており、扉絵ページを含めて、全部で23ページである。


「ぶな屋敷」において、ジェフロ・ルーカッスル氏の話を聞いていた
ヴァイオレット・ハンターは、割れた鏡をハンカチの中に隠して、屋敷の外を観察したところ、
大通りの手摺りに凭れて、こちらの方を覗いている男性の姿を見かけた。

ヴァイオレット・ハンターは、自分の部屋にある整理戸棚を調べたところ、
鍵が掛かっている一番下の引き出しの中に、
自分のものではない切られた髪の束を見つけた。


「ぶな屋敷」のグラフィックノベル版は、リック・ギアリーによって、コナン・ドイルの原作通り、23ページの中に、非常に手堅くまとめられている。


2022年8月30日火曜日

ロンドン カールトンハウステラス11番地(11 Carlton House Terrace)

カールトンハウステラスから
10番地と11番地を含む東側の棟を見たところ

スウェーデンに住む英国出身の作家兼編集者であるスティーヴン・サヴィル(Steven Savile:1969年ー)と米国の作家兼編集者であるロバート・グリーンバーガー(Robert Greenberger:1958年ー)が合作して、2016年に発表した「シャーロック・ホームズの更なる冒険 / ソローズクラウンでの殺人(The further adventures of Sherlock Holmes / Murder at Sorrow’s Crown)」において、英国政府の中に潜む犯人達が言及していた英国の政治家で、ヴィクトリア朝の中期から後期にかけて、自由党の党首として、英国首相を4回務めたウィリアム・ユワート・グラッドストン(William Ewart Gladstone:1809年ー1898年 → 2022年8月22日 / 8月24日付ブログで紹介済)が住んでいた建物が、ロンドンの中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のセントジェイムズ地区(St. James’s)内に、もう1つ所在している。



トラファルガースクエア(Trafalgar Square)からセントジェイムズ宮殿(St. James’s Palace)へ向かって西に延びるパル・マル通り(Pall Mall → 2016年4月30日付ブログで紹介済)の南側にあり、パル・マル通りに並行して東西に延びるカールトンハウステラス(Carlton House Terrace → 2015年10月24日付ブログで紹介済)の11番地の建物(11 Carlton House Terrace)が、それである。


カールトンハウステラス10番地 / 11番地の建物を見上げたところ


カールトンハウステラスは、ウォーターループレイス(Waterloo Place)を間に挟んで、東側の棟の建物と西側の棟の建物の二つに分かれており、カールトンハウステラス11番地は、東側の棟内にあり、東側の棟では、西から2番目の建物である。なお、東側の棟の一番西は、10番地となっている。

ウィリアム・ユワート・グラッドストンがここに住んでいたことを示すブラークが、
街灯の向こう側に、カールトンハウステラス11番地の地上階の外壁に架けられているのが見える。


カールトンハウステラス10番地(10 Carlton House Terrace → 2016年5月7日付ブログで紹介済)の建物は、俳優のベネディクト・カンバーバッチ(Benedict Cumberbatch)がシャーロック・ホームズ役を演じて、世界中で大人気のBBCドラマ「シャーロック(Sherlock)」において、シャーロック・ホームズの兄であるマイクロフト・ホームズ(Mycroft Holmes)が創立発起人兼会員となっている「ディオゲネスクラブ(Diogenes Club)」が入っている場所として、撮影に使用されている。

カールトンハウステラス10番地の入口

カールトンハウステラス10番地には、
英国学士員が入居している。

カールトンハウステラス10番地には、現在、「英国学士院(British Academy)」が入居している。英国学士院は、人文社会科学の研究者による自治組織であり、そのため、通常は同建物内に入館することはできないものの、(1)講演会の時と(2)毎年9月の週末にロンドン内の建築物が一般公開されるオープンハウス(Open House)の際には、見学が可能である。


セントジェイムズスクエア10番地に加えて、
カールトンハウステラス11番地にも、
ウィリアム・ユワート・グラッドストンは住んでいた。


カールトンハウステラス10番地に隣接するカールトンハウステラス11番地の建物の地上階(Ground Floor)の外壁に、ウィリアム・ユワート・グラッドストンがここに住んでいたことを示すロンドン・カウンティー・カウンシル(London County Council)管理のプラークが架けられている。

2022年8月29日月曜日

初代ミルナー子爵アルフレッド・ミルナー(Alfred Milner, 1st Viscount Milner) - その1

初代ミルナー子爵アルフレッド・ミルナーが住んでいた建物が、
シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)の
マリルボーン地区(Marylebone)内にある。


英国出身のティム・シモンズ(Tim Symonds)が2012年に発表した「シャーロック・ホームズとスコットニー城のボーア人の死体(Sherlock Holmes and the Dead Boer at Scotney Castle → 2022年8月17日 / 8月19日 / 8月23日付ブログで紹介済)」において、キップリング連盟(Kipling League:1889年に設立され、当初は、ジョーゼフ・ラドヤード・キップリング(Joseph Rudyard Kipling:1865年ー1936年 → 2018年12月16日 / 12月22日 / 12月30日付ブログで紹介済)の著作品を崇拝する読書サークルのような集まりであったが、1902年頃までに、キップリングが唱える「帝国主義による植民地支配(Conservative colonial agenda)」を宣伝する団体へと、その性格を変えていた)に属するメンバーの一人で、事件の背景となった第二次ボーア戦争(Second Anglo-Boer War:1899年-1902年 → 2022年8月8日付ブログで紹介済)を起こした人物として、スタンリー・ヴァン・ビール子爵(Visocunt Stanley Van Beers)が物語に登場する。実際のところ、彼は架空の人物であって、実在しないが、作者のティム・シモンズは、初代ミルナー子爵アルフレッド・ミルナー(Alfred Milner, 1st Viscount Milner:1854年ー1925年)をモデルにして、スタンリー・ヴァン・ビール子爵を創り上げていると思われる。


初代ミルナー子爵アルフレッド・ミルナーが住んでいた建物の具体的な住所は、
「マンチェスタースクエア14番地(14 Manchester Square, Marylebone, London W1U 3PP)」。


実際、スタンリー・ヴァン・ビール子爵と初代ミルナー子爵アルフレッド・ミルナーの間では、以下の通り、両者の経歴が非常に似通うように設定されているのである。


2022年8月28日日曜日

サム・シチリアーノ作「シャーロック・ホームズの更なる冒険 / 月長石の呪い」(The further adventures of Sherlock Holmes / The Moonstone’s Curse by Sam Siciliano) - その1

英国の Titan Publishing Group Ltd. の Titan Books 部門から
2017年に出版された
サム・シチリアーノ作
「シャーロック・ホームズの更なる冒険 / 月長石の呪い」の表紙

本作品「月長石の呪い(The Moonstone’s Curse)」は、米国ユタ州ソルトレークシティー出身の作家であるサム・シチリアーノ(Sam Siciliano:1947年ー)によって、2017年に発表された。

本作品は、(1)1994年に発表された「オペラ座の天使(The Angel of the Opera → 2015年1月24日付ブログで紹介済)」、(2)2012年に発表された「陰謀の糸を紡ぐ者(The Web Weaver → 2016年11月13日付ブログで紹介済)」、(3)2013年に発表された「グリムスウェルの呪い(The Grimswell Curse → 2021年9月12日 / 9月19日 / 9月26日付ブログで紹介済))」および(4)2016年に発表された「白蛇伝説(The White Worm → 2021年10月17日 / 10月21日付ブログで紹介済))」の続編に該り、シャーロック・ホームズの相棒を務めるのは、彼の従兄弟で、友人でもあるヘンリー・ヴェルニール医師(Dr. Henry Vernier)で、本来の事件記録者であるジョン・H・ワトスンは、前4作と同様に、本作品には登場しない。


ある年の7月の水曜日の午後、ヘンリー・ヴェルニール医師が、ベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)に住む従兄弟のシャーロック・ホームズの元を訪れると、そこには、従者のホッジェス(Hodges)を伴った貴族のチャールズ・ブロムリー(Charles Bromley - 1839年生まれ)が、事件の相談にやって来ていた。

チャールズ・ブロムリーは、男爵(Baron)であるロバート・ブロムリー(Robert Bromley)の次男で、イートン校(Eton)とケンブリッジ大学(Cambridge University)で教育を受けており、現在、27歳の青年だった(このことから、「ある年」は、1866年であることが判る)。彼は、2年程前に、アリス・ブレイク(Alice Blake - 現在、25歳)と結婚しており、今回、彼がホームズの元に来たのは、彼の妻アリスの手元にある先祖代々伝わるダイヤモンド「月長石(Monnstone)」と彼女の身に迫る危険について相談するためであった。


チャールズ・ブロムリーによると、アリス・ブレイクの曽祖伯父で、インドに進出した英国軍の将校であるジョン・ハーンキャッスル大佐(Colonel John Herncastle)が、1799年にバラモン教徒の寺院に長く秘蔵されていた秘宝のダイヤモンド「月長石」を奪い、その際、「月長石」を警部していた人達を皆殺しにしたらしい。

その後、ジョン・ハーンキャッスル大佐は「月長石」を英国に持ち帰るが、以降、彼は不遇の時を過ごし、1840年に彼が亡くなった際、「月長石」は彼の姪に該る18歳のレイチェル・ヴェリンダー(Rachel Verinder)に遺贈された。その時、「月長石」の盗難事件が発生し、謎のインド人達も事件に関与していた、とのこと。

その後、レイチェル・ヴェリンダーは、従兄弟のフランクリン・ブレイク(Franklin Blake)と結婚し、長男であるネヴィル・ブレイク(Neville Blake)が出生し、「月長石」を相続。このネヴィル・ブレイクが、チャールズ・ブロムリーの妻アリス・ブレイクの父親に該るのであった。父親ネヴィル・ブレイクの死去に伴い、長女のアリス・ブレイクが「月長石」を相続し、現在に至っていた。

チャールズとアリスのブロムリー夫妻の間には、現在、子供が居ないため、アリスが何らかの理由で子供のないまま亡くなった場合、彼女の妹であるレディー・ノーラ・バートラム(Lady Norah Bartram - ジェイムズ(James)という2歳の息子が一人あり)が、「月長石」を受け継ぐことになっている。


アリス・ブロムリーは、自分の先祖代々伝わる「月長石」の呪いについて、次第に囚われるようになっていた。


実際、3年前の7月2日、チャールズの父親で、非常に短気なロバート・ブロムリーに指示されたため、アリスは已む無く「月長石」を身に付けたのだが、その夜、彼は卒中(apoplexy)で亡くなってしまった。なお、男爵の爵位は、ロバートの兄である長男ロナルド(Ronald)が継いでいた。

それ以来、アリスは、決して「月長石」を身に付けようとはしなかった。


アリスの心配は、まだ続く。


(1)6ヶ月前、図書室の窓から、白いターバンを巻き、暗い顔をしたインド人が中を覗き込んでいたと、アリスが訴えた。しかし、彼女の他に、インド人を見かけた者はいなかった。


(2)約2ヶ月前、ジェフリー・ティアブジ氏(Mr. Geoffrey Tyabji - インド人の父と英国人の母の間に出生。オックスフォード大学(Oxford University)で学び、現在、ロンドンに在住)が、チャールズ・ブロムリーを訪問。ジェフリー・ティアブジ氏は、チャールズに対して、アリスが保有しているダイヤモンド「月長石」をインド王族へ返却するよう、強く要請。


(3)約1ヶ月前、アリスが、窓から覗き込んでいるインド人を見かけたと、再度訴えた。


なお、「月長石」は、有名な宝飾品店ハーター&ベンジャミン(Harter and Benjamin)のハーター氏(Mr. Harter)の鑑定を受け、現在、自宅の金庫内に保管している、とのこと。


チャールズ・ブロムリーから相談を受けたホームズは、事件の捜査を引き受けることにした。


2022年8月27日土曜日

コナン・ドイル作「ぶな屋敷」<英国 TV 版>(The Copper Beeches by Conan Doyle

英国の俳優であるジェレミー・ブレットが主人公のシャーロック・ホームズを演じた
英国のグラナダテレビ制作の「シャーロック・ホームズの冒険」の
「ぶな屋敷」における1場面
(家庭教師のヴァイオレット・ハンターは、
ジェフロ・ルーカッスル氏から破格の給料の提示を受け、
已む無く自慢の長い髪を切ると、
ぶな屋敷における住み込みの家庭教師となる。
なお、グラナダテレビ版上、この場面はないので、
スチール写真だと思われる。)  -

シャーロック・ホームズ博物館(Sherlock Holmes Museum)において、
絵葉書として販売されていた。


サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)作「ぶな屋敷(The Copper Beeches → 2022年7月31日 / 8月15日 / 8月21日 / 8月25日付ブログで紹介済)」は、シャーロック・ホームズシリーズの短編小説56作のうち、12番目に発表された作品で、「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の1892年6月号に掲載された。そして、ホームズシリーズの第1短編集である「シャーロック・ホームズの冒険(The Adventures of Sherlock Holmes)」(1892年)に収録された。


本作品は、英国のグラナダテレビ(Granada Television Limited)が制作した「シャーロック・ホームズの冒険(The Adventures of Sherlock Holmes)」(1984年ー1994年)において、TV ドラマとして映像化された。具体的には、第2シリーズ(The Adventures of Sherlock Holmes)の第1エピソード(通算では第8話)として、英国では、1984年8月25日に放映されている。


画面手前の人物は、David Burke が演じるジョン・H・ワトスン(左側)と
Natasta Richardson が演じるヴァイオレット・ハンター(右側)の二人で、
画面奥は、Jeremy Brett が演じるシャーロック・ホームズ。


配役は、以下の通り。


(1)シャーロック・ホームズ → ジェレミー・ブレット(Jeremy Brett:1933年ー1995年)

(2)ジョン・ワトスン → デイヴィッド・バーク(David Burke:1934年ー)


(3)ジェフロ・ルーカッスル氏(Mr. Jephro Rucastle)→ Joss Ackland

(4)ヴァイオレット・ハンター(Violet Hunter)→ Natasha Richardson

(5)ルーカッスル夫人(Mrs. Rucastle:ルーカッスル氏の後妻)→ Lottie Ward

(6)ミス・ストーパー(Miss S. Stoper:ウェストエンド(West End)にある家庭教師紹介所ウェストアウェイ(Westaway)の経営者)→ Patience Collier

(7)トラー夫人(Mrs. Toller:ぶな屋敷の使用人であるトラーの妻)→ Angela Browne

(8)トラー(Mr. Toller:ぶな屋敷の使用人)→ Peter Jonfield

(9)ファウラー氏(Mr. Fowler:ルーカッスル氏と前妻の間の娘アリスの恋人)→ Michael Loney

(10)アリス嬢(Miss Alice:ルーカッスル氏と前妻の間の娘)→ Rachel Ambler

(11)エドワード・ルーカッスル(Edward Rucastle:ルーカッスル氏と後妻の間の息子)→ Stewart Shimberg


グラナダテレビ版の内容は、基本的に、コナン・ドイルの原作通りに制作されている。

なお、コナン・ドイルの原作上、ルーカッスル氏と後妻の間の息子の名前については、具体的に設定されていないが、グラナダテレビ版では、エドワード・ルーカッスルと具体的に設定されている。


2022年8月26日金曜日

ロンドン セントジェイムズスクエア10番地(10 St. James’s Square)

英国の政治家で、自由党の党首として、
英国首相を4回務めたウィリアム・ユワート・グラッドストンが住んでいた
セントジェイムズスクエア10番地は、
画面中央からやや左側に建つ外壁が煉瓦色の建物。


スウェーデンに住む英国出身の作家兼編集者であるスティーヴン・サヴィル(Steven Savile:1969年ー)と米国の作家兼編集者であるロバート・グリーンバーガー(Robert Greenberger:1958年ー)が合作して、2016年に発表した「シャーロック・ホームズの更なる冒険 / ソローズクラウンでの殺人(The further adventures of Sherlock Holmes / Murder at Sorrow’s Crown → 2022年8月2日 / 8月4日 / 8月9日付ブログで紹介済)」において、英国政府の中に潜む犯人達が言及していた英国の政治家で、ヴィクトリア朝の中期から後期にかけて、自由党の党首として、英国首相を4回務めたウィリアム・ユワート・グラッドストン(William Ewart Gladstone:1809年ー1898年 → 2022年8月22日 / 8月24日付ブログで紹介済)が住んでいた建物が、ロンドンの中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のセントジェイムズ地区(St. James’s)内に所在している。



(1)トラファルガースクエア(Trafalgar Square)からセントジェイムズ宮殿(St. James’s Palace)へ向かって西に延びるパル・マル通り(Pall Mall → 2016年4月30日付ブログで紹介済)と(2)ピカデリーサーカス(Piccadilly Circus)から、地下鉄グリーンパーク駅(Green Park Tube Station)の前を通って、ハイドパークコーナー(Hyde Park Corner)へ向かって西に延びるピカデリー通り(Piccadilly)に南北を挟まれたセントジェイムズスクエア(St. James’s Square → 2015年10月25日付ブログで紹介済)の10番地の建物(10 St. James’s Square)が、それである。



ピカデリー通りの南側にあり、ピカデリー通りに閉口して東西に延びるジャーミンストリート(Jermyn Street → 2016年7月24日付ブログで紹介済)から南下するデューク・オブ・ヨーク・ストリート(Duke of York Street)がセントジェイムズスクエアに突き当たった北西の角辺りに、セントジェイムズスクエア10番地の建物は位置している。

セントジェイムズスクエア10番地の建物の外壁には、
ウィリアム・ユワート・グラッドストンに加えて、
ホイッグ党の党首として、英国首相を務めた
初代チャタム伯爵ウィリアム・ピットが住んでいたことを示す
プラークが架けられている。


セントジェイムズスクエア10番地の建物の地上階(Ground Floor)の外壁に、ウィリアム・ユワート・グラッドストンがここに住んでいたことを示すロンドン・カウンティー・カウンシル(London County Council)管理のプラークが架けられている。


セントジェイムズスクエア10番地の建物には、ウィリアム・ユワート・グラッドストンの他に、ホイッグ党の党首として、1766年から1768年にかけて英国首相を務めた初代チャタム伯爵ウィリアム・ピット(William Pitt, 1st Earl of Chatham:1708年ー1778年)も住んでいた。

フランス革命 / ナポレオン戦争時に、保守党の党首として、英国首相を務めたウィリアム・ピット(William Pitt:1759年ー1806年)は、彼の次男である。

両者を区別するため、初代チャタム伯爵ウィリアム・ピットは「大ピット」と、そして、彼の次男のウィリアム・ピットは「小ピット」と呼ばれている。


2022年8月25日木曜日

コナン・ドイル作「ぶな屋敷」<小説版>(The Copper Beeches by Conan Doyle ) - その4

英国で出版された「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」
1892年6月号に掲載された挿絵(その10) -
家庭教師として、ぶな屋敷に住み込みを始めた
ヴァイオレット・ハンターの依頼に基づき、
調査を始めたシャーロック・ホームズは、
彼女の雇い主であるジェフロ・ルーカッスル氏が、
彼と前妻の間の娘であるアリスが亡き母親から受け継いだ莫大な遺産の
横取りを計画していることを突き止め、
ルーカッスル氏に対峙する。
画面左側から、
ジェフロ・ルーカッスル、ホームズ、
ヴァイオレット・ハンター、そして、ジョン・H・ワトスン
挿絵:シドニー・エドワード・パジェット

(Sidney Edward Paget 1860年 - 1908年)

若い家庭教師であるヴァイオレット・ハンター(Violet Hunter)が、ジェフロ・ルーカッスル氏(Mr. Jephro Rucastle)なる人物から、破格の給料(年額100ポンド → 後に、年額120ポンドへ値上げ)で、住み込みの家庭教師の申し出を受け、ハンプシャー州(Hampshire)のウィンチェスター(Winchester)から5マイル離れた「ぶな屋敷」へ向かってから、何事もなく、2週間が経過したある夜、彼女からシャーロック・ホームズ宛に、緊急を知らせる電報が届いた。


翌日の午前11時、ホームズとジョン・H・ワトスンの二人は、ウィンチェスターへと向かい、ヴァイオレット・ハンターに指定されたブラックスワンホテル(Black Swan Hotel)で、彼女に会った。

ヴァイオレット・ハンターによると、彼女がぶな屋敷に到着した最初の2日間は、何事もなく、平穏に過ぎたが、3日目に入ると、非常に奇妙なことが始まったと言う。


(1)ルーカッスル氏により、指定された青いドレスに着替えさせられた後、ぶな屋敷の前を通る幹線道路であるサザンプトンロード(Southampton Road)に面した応接室へと案内され、中央の窓の近くに置かれた椅子に座らされると、ルーカッスル氏から面白い話を聞かせられたり、別の日には、本を読ませられたりした。

(2)彼女がそうしている間、サザンプトンロードの垣根にもたれ、頬髭を生やして、灰色の背広を着た小柄な男が、こちらの方を見ていた。

(3)ヴァイオレット・ハンターの部屋には、古い整理箪笥があり、鍵が掛かっていた一番下の引き出しの中に、自分のと同じような切られた金髪が入っていた。

(4)ぶな屋敷の別棟の2階には、4つの窓が一列に並んでおり、その内の3つは汚れた窓だったが、4つ目の窓には、鎧戸が降りており、その部屋の中に、誰かが居る気配がした。

(5)ルーカッスル氏は、「カルロ(Carlo)」と呼ばれる大きなマスティフ犬を飼っていて、夜になると、マスティフ犬を屋敷の敷地内に放していた。


ヴァイオレット・ハンターから、ぶな屋敷における奇妙な話の数々を聞いたホームズが早速調査を始めると、ぶな屋敷の秘密が明らかになった。

ぶな屋敷の別棟の2階にある鎧戸が降りている部屋の中には、ルーカッスル氏と前妻の間に生まれた娘のアリス(Alice)が幽閉されていた。アリスは、亡き母親から莫大な遺産を受け継いでいたが、ルーカッスル氏は、再婚した夫人(Mrs. Rucastle)と一緒に、その莫大な遺産を横取りしようと狙っていたのである。そのために、彼らは、アリスの替え玉として、ヴァイオレット・ハンターの存在は必要だったのだ。


英国で出版された「ストランドマガジン」
1892年6月号に掲載された挿絵(その11) -
飼主であるジェフロ・ルーカッスル氏の喉元に噛み付いた
マスティフ犬のカルロに向かって、
ワトスンが銃を放つ。
挿絵:シドニー・エドワード・パジェット
(1860年 - 1908年)


作者であるサー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年-1930年)は、
1891年7月の「ボへミアの醜聞(A Scandal in Bohemia)」を皮切りにして、「ストランドマガジン(Strand Magazine)」に毎月ホームズ作品を連載していたが、毎回新しいストーリーを考え出して作品を創作することが、彼にはだんだん苦痛となってきていた。また、コナン・ドイルとしては、自分の文学的才能は長編歴史小説の分野において発揮/ 評価されるべきと考えており、ホームズ作品は彼にとってはあくまでも副業に過ぎなかったのである。ところが、「ストランドマガジン」を通じて、ホームズ作品が予想以上に爆発的な人気を得るに至ったため、コナン・ドイルは、ホームズ作品の原稿締め切りに毎回追われる始末で、自分が本来注力したい長編歴史小説に時間を全く割けない状況であった。


そのため、コナン・ドイルは、自分の母親に送った手紙の中で、ホームズシリーズを打ち切るつもりでいることを打ち明けた。その手紙を受け取った母親は、息子に対して、猛反対を唱えるとともに、彼女が少し前に送った粗筋(金髪の娘が誘拐された後、巻き毛を切られ、ある目的のために、他の娘に仕立て上げられるという筋)を使って見るように勧めたのである。母親の意見に反対したくなかったコナン・ドイルは、母親から得た物語のアイディアに基づき、「ぶな屋敷(The Copper Beeches)」を執筆したのである。


コナン・ドイルが打ち切りを予定していたホームズシリーズは存続することとなり、「ぶな屋敷」は、「ストランドマガジン」の1892年6月号に掲載され、「ボへミアの醜聞」から「ぶな屋敷」までの12短編作品は、ホームズシリーズの第1短編集である「シャーロック・ホームズの冒険(The Adventures of Sherlock Holmes)」(1892年)に収録された。


その後、コナン・ドイルは、「ストランドマガジン」の1892年10月号に「名馬シルヴァーブレイズ(The Silver Blaze)」を発表して、連載を再開させたが、当初の打ち切りの意思は固く、「ストランドマガジン」の1893年12月号に発表した「最後の事件(The Final Problem → 2022年5月1日 / 5月8日 / 5月11日付ブログで紹介済)」において、ホームズを、「犯罪界のナポレオン(Napoleon of crime)」と呼ばれるジェイムズ・モリアーティー教授(Professor James Moriarty)と一緒に、スイスのマイリンゲン(Meiringen)にあるライヘンバッハの滝(Reichenbach Falls)に葬ることになる。


2022年8月24日水曜日

ウィリアム・ユワート・グラッドストン(William Ewart Gladstone) - その2

ウィリアム・ユワート・グラッドストンの銅像 -
ストランド通り(Strand)がフリートストリート(Fleet Street)へと変わる道の中央の浮島にある
セント・クレメント・デーンズ教会(St. Clement Danes Church)の前に、
この銅像は建っている。

英国首相を4回務めたウィリアム・ユワート・グラッドストン(William Ewart Gladstone:1809年-1898年)であったが、彼にも南アフリカのトランスヴァール共和国(Republic of Transvaal → 正式名:South African Republic)が関わってくる。


大英帝国によるケープ占領に反発して、アフリカ大陸内陸部へ更なる植民を行なったオランダ系移民の子孫であるボーア人は、1839年にナタール共和国(Natal Republic)を設立するが、1843年に大英帝国の侵攻により潰えてしまう。

その後、ボーア人は、1852年にトランスヴァール共和国を、そして、1854年にオレンジ自由国(Orange Free State)を設立した。大英帝国は、一旦、両国の設立を承認した。



1876年にヴィクトリア女王(Queen Victoria:1819年ー1901年 在位期間:1837年-1901年 → 2017年12月10日 / 12月17日付ブログで紹介済)からビーコンズフィールド伯爵(Earl of Beaconsfield)の爵位を与えられたベンジャミン・ディズレーリ(Benjamin Disraeli:1804年-1881年 → 2022年8月14日 / 8月16日付ブログで紹介済)が組閣した第二次ディズレーリ内閣(1874年ー1880年)下の大英帝国は、南アフリカにあった英国植民地であるケープ植民地(Cape Colony)とナタール植民地(Natal Colony)に、上記のトランスヴァール共和国とオレンジ自由国を加えた計4つの白人植民者共同体を南アフリカ連邦としてまとめることで、好戦的なズールー族をはじめとする先住民の黒人部族に対抗すべく、1876年7月にトランスヴァール共和国と黒人部族ペディ族の間で争いが勃発したことを口実に介入して、1877年4月、(既に領有化していたオレンジ自由国を除くと、残った唯一の)トランスヴァール共和国を併合した。



自由党党首であるウィリアム・ユワート・グラッドストンは、自由主義を唱えるとともに、帝国主義に対して批判的だったため、第二次ディズレーリ内閣の後を受けて組閣された第二次グラッドストン内閣(1880年-1885年)下において、トランスヴァール共和国の再独立が認められるだろうと、独立派の期待が高まっていた。ところが、彼らの期待に反して、ウィリアム・グラッドストンは、政権に就くと、「大英帝国によるトランスヴァールへの統治は放棄しない。」と主張して、態度を翻したのである。

ウィリアム・グラッドストンの翻意に失望したトランスヴァール共和国独立派は、武装蜂起の上、トランスヴァール共和国の独立を宣言、1880年12月に大英帝国と戦争状態に突入した。

これが、第一次ボーア戦争(First Anglo-Boer War:1880年12月16日ー1881年3月23日)に該る。


ズールー戦争時に派遣されていた英国軍のほとんどが既に帰国済であることに加えて、歩兵が横隊陣形を組んで攻撃前進する英国軍に対して、ボーア軍は民兵部隊が主体で、特定の編制を持たず、ブッシュや地形の起伏を巧みに利用したライフル銃による狙撃を行ったため、ボーア軍に翻弄され、1881年2月27日の戦いにおいて、英国軍は大惨敗した。

英国軍の大惨敗を受け、ウィリアム・グラッドストンは、ヴィクトリア女王、保守党および陸軍省の強硬な姿勢をなんとか抑えて、同年3月23日のプレトリア協定に基づき、ヴィクトリア女王の宗主権付きという条件で、大英帝国はトランスヴァール共和国の再独立をやむを得ず承認することになり、その面目は丸潰れとなった。


その結果、トランスヴァール共和国は、次に勃発する第二次ボーア戦争(Second Anglo-Boer War:1899年10月12日ー1902年5月31日)まで、その独立を保つのである。


2022年8月23日火曜日

ティム・シモンズ作「シャーロック・ホームズとスコットニー城のボーア人の死体」(Sherlock Holmes and the Dead Boer at Scotney Castle by Tim Symonds) - その3

英国の MX Publishing 社から
2012年に出版されたティム・シモンズ作
「シャーロック・ホームズとスコットニー城のボーア人の死体」の表紙


読後の私的評価(満点=5.0)


(1)事件や背景の設定について ☆☆☆半(3.5)


大英帝国が推し進めた第二次ボーア戦争(Second Anglo-Boer War:1899年10月12日ー1902年5月31日)や人種差別・蔑視思想の持ち主であったとも言われ、当時、英国内において絶頂期を迎えていた小説家 / 詩人のジョーゼフ・ラドヤード・キップリング(Joseph Rudyard Kipling:1865年ー1936年 → 2018年12月16日 / 12月22日 / 12月30日付ブログで紹介済)等を背景にして、帝国主義の普及に務めるキップリング連盟(Kipling League)による犯罪を描いている。当時の英国の歴史をよく判った上で、本作品を読むと、なかなか興味深い。


実際のところ、ジョーゼフ・ラドヤード・キップリングは、1898年以降、1899年を除く毎年、冬期休暇で南アフリカを訪れて、第二次ボーア戦争を引き起こした南アフリカ長官(高等弁務官) / ケープ植民地総督の初代ミルナー子爵アルフレッド・ミルナー(Alfred Milner, 1st Viscount Milner:1854年ー1925年)等と親交を結び、大英帝国の立場を支持する詩作等を発表している。


(2)物語の展開について ☆☆(2.0)


キップリング連盟の会長で、で、本人も詩人 / 小説家 / ジャーナリスト / 評論家 / 歴史家でもあるデイヴィッド・ジョーゼフ・シヴィター(David Joseph Siviter)に招かれて、シャーロック・ホームズとジョン・H・ワトスンの二人が、サセックス州(Sussex)にある彼の自宅クリックスエンド(Crick’s End)へと出向いて、犯罪学の講義を行うが、これだけで物語の半分弱を使ってしまう。

そして、物語の肝心要である事件、即ち、スコットニー城(Scotney Castle)の湖でボーア人の男性が死体で発見されるのが、中間辺りで、前振りの話がやや長過ぎて、展開としては、かなり遅い。事件に興味を覚えたホームズは、ロンドンへ戻ることを取り止めて、ワトスンと一緒に、現場へと向かう。

物語の後半のほとんどは、現地へと向かう馬車の中でのホームズとワトスンの会話劇(+ホームズによる推理)で構成されているため、変化に乏しく、面白味が全く感じられない。


(3)ホームズ / ワトスンの活躍について ☆☆(2.0)


物語の前半は、デイヴィッド・ジョーゼフ・シヴィターの招待を受けて、ホームズとワトスンの二人が、サセックス州へと赴いて、犯罪学の講義を行う話が中心となり、事件の背景となる情報は語られるものの、ホームズによる目立った推理 / 活躍は、全くない。

スコットニー城の湖からボーア人の男性の死体が発見したされる中間辺りから、やっと物語が動き始める。ただし、物語の後半のほとんどが、現場へと向かう馬車の中でのシーンで占められ、ホームズによる推理というか、推論だけが語られ、証拠固めのプロセスが全然描かれていない。従って、事件の真相としては、なかなか興味深いが、最終的な説得性に欠けている。


(4)総合評価 ☆☆半(2.5)


事件そのものやその背景の設定としては、英国の歴史的になかなか興味深い。ただし、他の作品でもそうであるが、ホームズ達の相手方が英国王室、英国政府やそれらの関係者である場合、物語の筋そのものは面白いかもしれないが、物語の最後までうまく持って行くのは、正直、非常に難しい。当然のことながら、ホームズ達の相手方は強大な権力を有しており、ホームズ達に自分達の尻尾を捕ませるような証拠を残したりはしない上、握り潰すことも可能。結局のところ、推測はできるが、玉虫色の中途半端な解決、つまり、有耶無耶な結論にしか至らず、物語としてのカタルシスを全く得られない。


2022年8月22日月曜日

ウィリアム・ユワート・グラッドストン(William Ewart Gladstone) - その1

ウィリアム・ユワート・グラッドストンの銅像 -
ストランド通り(Strand)がフリートストリート(Fleet Street)へと変わる道の中央の浮島にある
セント・クレメント・デーンズ教会(St. Clement Danes Church)の前に、
この銅像は建っている。

スウェーデンに住む英国出身の作家兼編集者であるスティーヴン・サヴィル(Steven Savile:1969年ー)と米国の作家兼編集者であるロバート・グリーンバーガー(Robert Greenberger:1958年ー)が合作して、2016年に発表した「シャーロック・ホームズの更なる冒険 / ソローズクラウンでの殺人(The further adventures of Sherlock Holmes / Murder at Sorrow’s Crown → 2022年8月2日 / 8月4日 / 8月9日付ブログで紹介済)」において、英国政府の中に潜む犯人達が言及していたウィリアム・ユワート・グラッドストン(William Ewart Gladstone:1809年ー1898年)は、英国の政治家で、ヴィクトリア朝の中期から後期にかけて、自由党の党首として、英国首相を4回務めている。



ウィリアム・ユワート・グラッドストンは、スコットランド出身の大富豪である貿易商の四男として、リヴァプール(Liverpool)に出生した後、イートン校(Eaton)からオックスフォード大学(Oxford University)のクライストチャーチ(Christchurch)へと進学して、エリートコースを歩む。


1832年の総選挙において、23歳で初当選し、保守党所属の庶民院議員となり、その後、下級大蔵卿(1834年-1835年)、陸軍・植民地省政務次官(1835年)、商務庁副長官(1841年-1843年)、商務庁長官(1843年ー1845年:関税削減 / 廃止による自由貿易を推進)、そして、陸軍・植民地大臣(1845年ー1846年)を歴任して、順調に政治的キャリアを積んでいく。


穀物法廃止をめぐって発生した保守党分裂の際(1846年)、ウィリアム・ユワート・グラッドストンは、穀物自由貿易を唱うピール派に属していた他の議員とともに、保守党を離党。

ピール派とホイッグ党の連立政権であるアバディーン伯爵内閣において、彼は、大蔵大臣(1852年ー1855年)として入閣し、多くの品目の関税を廃止して、自らが信じる自由貿易を更に推進したが、次の内閣となるホイッグ党政権の第一次パーマストン子爵内閣において、首相の方針と食い違い、そのために大蔵大臣を辞任する。


保守党政権打倒のため、ホイッグ党、ピール派と急進派が団結して、1859年に自由党を結成し、これに伴い、ウィリアム・ユワート・グラッドストンも自由党議員となる。

保守党政権である第二次ダービー伯爵内閣を打倒した自由党は、第二次パーマストン子爵内閣を組閣し、彼も大蔵大臣(1859年ー1865年)として再入閣して、英仏通商条約の締結等、自由貿易体制の完成に努めた。続く第二次ラッセル伯爵内閣でも、大蔵大臣(1865年ー1866年)として留任するとともに、庶民院院内総務を兼務。



1867年末に、ウィリアム・ユワート・グラッドストンは、自由党党首となり、1868年11月の総選挙で勝利した後、

・第一次グラッドストン内閣(1868年-1874年)

・第二次グラッドストン内閣(1880年-1885年)

・第三次グラッドストン内閣(1886年)

・第四次グラッドストン内閣(1892年ー1894年)


と、首相を4回務め、特に、前半の2回に関しては、保守党の党首である初代ビーコンズフィールド伯爵ベンジャミン・ディズレーリ(Benjamin Disraeli, 1st Earl of Beaconsfield:1804年-1881年 → 2022年8月14日 / 8月16日付ブログで紹介済)と交互に首相に就任し、ヴィクトリア朝の政党政治を代表する人物となった。


2022年8月21日日曜日

コナン・ドイル作「ぶな屋敷」<小説版>(The Copper Beeches by Conan Doyle ) - その3

英国で出版された「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」
1892年6月号に掲載された挿絵(その7) -
家庭教師として、ぶな屋敷に住み込みを始めた
ヴァイオレット・ハンターは、
3日目の朝、非常に奇妙なことに、
雇い主であるジェフロ・ルーカッスル氏から、
指定された青いドレスに着替えさせられると、
応接室の中央の窓の近くに置かれた椅子に座らせられ、
ルーカッスル氏から面白い話を聞かせられたり、
本を読ませられたりした。
挿絵:シドニー・エドワード・パジェット

(Sidney Edward Paget 1860年 - 1908年)

若い家庭教師であるヴァイオレット・ハンター(Violet Hunter)が、ジェフロ・ルーカッスル氏(Mr. Jephro Rucastle)なる人物から、破格の給料(年額100ポンド → 後に、年額120ポンドへ値上げ)で、住み込みの家庭教師の申し出を受け、ハンプシャー州(Hampshire)のウィンチェスター(Winchester)から5マイル離れた「ぶな屋敷」へ向かってから、何事もなく、2週間が経過したある夜、彼女からシャーロック・ホームズ宛に、緊急を知らせる電報が届いた。


翌日の午前11時、ホームズとワトスンの二人は、ウィンチェスターへと向かい、ヴァイオレット・ハンターに指定されたブラックスワンホテル(Black Swan Hotel)で、彼女に会った。


英国で出版された「ストランドマガジン」
1892年6月号に掲載された挿絵(その8) -
ヴァイオレット・ハンターは、
ある夜、興味本位で、自分の部屋にある家具を調べ始めたところ、
古い整理箪笥の一番下の引き出しの中から、
自分と同じ金髪の切られた束を見つけてしまった。
挿絵:シドニー・エドワード・パジェット
(1860年 - 1908年)


ヴァイオレット・ハンターによると、彼女がぶな屋敷に到着した最初の2日間は、何事もなく、平穏に過ぎたが、3日目に入ると、非常に奇妙なことが始まったのである。


朝食の直ぐ後、ルーカッスル夫人(Mrs. Rucastle)が何事か囁くと、ルーカッスル氏により、ヴァイオレット・ハンターは、指定された青いドレスに着替えさせられた。そして、床まで届く程の窓が3つある応接室へと案内され、中央の窓の近くに置かれた椅子に座らされると、ヴァイオレット・ハンターは、ルーカッスル氏から面白い話を聞かせられたり、別の日には、本を読ませられたりしたのである。


ヴァイオレット・ハンターが注意して見ていると、ルーカッスル夫妻は、彼女が窓の方を向かないように、いつも細心の注意を払っていた。生憎と、椅子の背は、窓の方に向いており、彼女は窓に背を向けていたため、彼女は、外を見ることができなかった。


ある日、ヴァイオレット・ハンターは、割れた鏡の破片をハンカチの中に忍ばせると、ルーカッスル氏から面白い話を聞きながら、鏡の破片を隠したハンカチを顔の前に持ってきて、自分の後ろ、、即ち、窓の外を窺った

すると、ぶな屋敷の前を通る幹線道路であるサザンプトンロード(Southampton Road)の垣根にもたれて、頬髭を生やして、灰色の背広を着た小柄な男が、こちらの方を見ているのが判った。


ある夜、ヴァイオレット・ハンターは、興味本位で、自分の部屋の家具を調べ始めた。

部屋には、古い整理箪笥があり、上の2段の引き出しの中には、何も入っていなかったが、一番下の引き出しには、鍵が掛かっていた。彼女が自分の鍵束を使ってみると、不思議なことに、最初の鍵がうまい具合にピッタリと合って、一番下の引き出しが開いた。

そこには、切られた金髪が入っていたのである。彼女がロンドンにおいて切った金髪は、大きな輪にして、自分の鞄の底にしまってあった。よって、古い整理箪笥の一番下の引き出しの中に入っていた金髪は、一体、誰のものなのだろうか?


英国で出版された「ストランドマガジン」
1892年6月号に掲載された挿絵(その9) -
ヴァイオレット・ハンターは、
常に施錠されている屋敷の別棟の2階への入口の鍵を
トラーが偶々掛け忘れた際に、
興味本位で入って見たところ、
4つある窓のうち、鎧戸が降りた部屋の中に、
誰かが居る気配を感じたが、
その現場をルーカッスル氏に見つけられてしまった。
挿絵:シドニー・エドワード・パジェット
(1860年 - 1908年)


ぶな屋敷には、別棟があり、その入口は、
使用人のトラー(Toller)夫妻が住んでいる一角にあったが、常に施錠されており、ヴァイオレット・ハンターは、ルーカッスル氏が出入りするところを見かけると、怒りの表情を向けられた。

別棟の2階には、4つの窓が一列に並んでおり、その内の3つは汚れた窓だったが、4つ目の窓には、何故か、鎧戸が降りていた。

ある日、トラーが偶々鍵を掛け忘れた際に、彼女が、興味本位で、別棟に入ってみたところ、鎧戸が降りた部屋の中に、誰かが居る気配がしたのであった。


ルーカッスル氏は、「カルロ(Carlo)」と呼ばれる大きなマスティフ犬を飼っていて、トラーに飼育を任せていた。夜になると、マスティフ犬は、屋敷の敷地内に放されていた。

従って、ヴァイオレット・ハンターは、ルーカッスル氏から、「夜間は、建物の外へは、絶対でないこと。」と、厳重に注意されていた。

ルーカッスル氏は、侵入者を警戒しているのだろうか、いや、別棟の2階に居ると思われる誰が屋敷から逃げ出すことを警戒しているのではないだろうか?