2025年4月24日木曜日

江戸川乱歩作「緑衣の鬼」- その1

日本の出版社である講談社から
江戸川乱歩推理文庫の1冊(第18巻)として

1989年に第1刷が発行された
江戸川乱歩作「緑衣の鬼」の表紙
<装画:天野 喜孝
  装幀:安彦 勝博>

「赤毛のレドメイン家(The Red Redmaynes → 2022年6月12日+2025年4月20日 / 4月21日 / 4月23日付ブログで紹介済)」は、主にデヴォン州(Devon)を舞台にした田園小説、戯曲や詩作で既に名を成した英国の作家であるイーデン・ヘンリー・フィルポッツ(Eden Henry Phillpotts:1862年ー1960年 → 2022年2月6日 / 2月13日付ブログで紹介済)が、1921年に発表した最初の推理小説である「灰色の部屋(The Grey Room → 2022年3月13日 / 3月27日付ブログで紹介済)」に続き、1922年に発表した推理小説である。

イーデン・フィルポッツは、上記の2作品の他に、「闇からの声(A Voice from the Dark → 2022年5月23日 / 5月29日付ブログで紹介済)」を1925年に発表している。


明智小五郎シリーズ等で有名な日本の推理作家 / 怪奇・恐怖小説家 / アンソロジストである江戸川乱歩(1894年ー1965年)が「赤毛のレドメイン家」を絶賛したこともあって、特に、「赤毛のレドメイン家」と「闇からの声」の2作品は、日本の推理小説ファンの間では、読むべき傑作として、非常に名高い。


江戸川乱歩は、「赤毛のレドメイン家」の読書体験を「万華鏡」に譬えて、探偵小説ベスト10の第1位に推している。以下に、江戸川乱歩のコメントを引用する。


「この小説の読者は、前後三段にわかれた万華鏡が、三回転するかのごとき鮮やかに異なった印象を受けることに一驚を喫するであろう。第一段は前半までの印象であって、そこには不思議な犯罪のほかに美しい風景もあり、恋愛の葛藤さえある。第二段は後半から読了までの印象であって、ここに至って読者はハッと目のさめるような生気に接する。そして二段返し、三段返し、底には底のあるプロットの妙に、おそらくは息をつく暇もないにちがいない。一ヵ年以上の月日を費やしてイタリアのコモ湖畔におわる三重四重の奇怪なる殺人事件が犯人の脳髄に描かれる緻密なる「犯罪設計図」にもとづいて、一分一厘の狂いなく、着実冷静に執行されていった跡は驚嘆のほかはない。そして読後日がたつにつれて、またしてもがらりと変わった第三段の印象が形づくられてくるのだ。万華鏡は最後のけんらんたる色彩を展開するのだ。」(江戸川乱歩)


1931年(昭和6年)9月18日に勃発した満州事変(Mukden incident)を機に、推理小説専門雑誌が続々と廃刊になり、推理作家への執筆依頼は減る一方であった。読者から熱烈な支持を得ていた江戸川乱歩だけは、大衆雑誌で活躍していたものの、大衆雑誌では本格推理小説を発表することはなかなかできないと言うジレンマに悩んでいた。

そんな最中、江戸川乱歩は、英国のジャーナリスト / 詩人 / 推理作家であるエドマンド・クレリヒュー・ベントリー(Edmund Clerihew Bentley:1875年ー1956年)が1913年に発表した「トレント最後の事件(Trent’s Last Case)」のトリックに刺激を受けて執筆した中編小説「石榴(ざくろ)」を1934年(昭和9年)9月に「中央公論」に発表したものの、残念ながら、期待した程の反響を得られなかった。

その結果、江戸川乱歩は、自分の時代が既に去ったものと思い込み、エッセー、編纂や監修等の仕事へと舵を切っていた。


創作に倦んでいた江戸川乱歩に、講談社から長編連載の依頼が入った。講談社からの依頼を断りかねていた江戸川乱歩は、1935年(昭和10年)に日本の探偵小説評論家 / 翻訳家である井上良夫(1908年ー1945年)から紹介されたイーデン・フィルポッツ作「赤毛のレドメイン家」に感銘を受けていたため、同作に着想を得て、その責を果たそうとした。

そして、江戸川乱歩は、同作の筋書きをベースにして、日本向けに翻案 / 脚色 / 再構成した作品を、「講談倶楽部」の1936年(昭和11年)1月号から12月号まで連載した。

その長編小説が、「緑衣の鬼」である。


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