2025年4月14日月曜日

ロンドン カーライルストリート17番地(17 Carlyle Street)

トマス・カーライルが住んでいたチェイニーロウ24番地の建物―
現在、ナショナルトラストによって「カーライルハウス」として公開されている


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)作「エッジウェア卿の死(Lord Edgware Dies → 2025年3月19日 / 3月29日付ブログで紹介済)」(1933年)において、物語の中盤、エルキュール・ポワロとアーサー・ヘイスティングス大尉(Captain Arthur Hastings)が、女芸人であるカーロッタ・アダムズ(Carlotta Adams)が住むスローンスクエア(Sloane Square)のローズデューマンションに駆け付けたところ、ヴェロナール(Veronal)の過剰摂取により死亡している彼女を発見する。



カーロッタ・アダムズのメイドであるアリス・ベネットが、ポワロとヘイスティングス大尉の2人に対して、近くのカーライルストリート17番地(17 Carlyle Street)に住むヒース医師を呼んだことを告げた。


カーロッタ・アダムズが住むスローンスクエアは、ロンドンの中心部であるケンジントン&チェルシー王立区(Royal Borough of Kensington and Chelsea)のチェルシー地区(Chelsea)内に所在している。

アリス・ベネットによると、ヒース医師は近くに住んでいるとのことなので、カーロッタ・アダムズが住むスローンスクエアへ直ぐに駆け付けられる場所に住んでいることになる。


ただ、現在の住所表記上、ヒース医師が住んでいると言う「カーライルストリート17番地」は、架空の住所であり、存在していない。



カーロッタ・アダムズが住むスローンスクエアが所在するチェルシー地区と同じ地区内に、カーライルスクエア(Carlyle Square)があるので、作者であるアガサ・クリスティーは、カーライルスクエアの名前を流用して、カーライルストリートと言う名前に変更したものと思われる。


カーライルスクエアは、地下鉄スローンスクエア駅(Sloane Square Tube Station)から南西へ延びるキングスロード(King’s Road → 2025年3月8日 / 3月10日付ブログで紹介済)をかなり下ったところの右手にある広場である。


カーライルハウスの外壁に設置されているトマス・カーライルの肖像


キングスロードを挟んで、反対側には、スコットランド出身で、ヴィクトリア朝時代の大英帝国を代表する歴史家で、評論家でもあるトマス・カーライル(Thomas Carlyle:1795年ー1881年 → 2016年10月15日付ブログで紹介済)が住んでいたチェイニーロウ24番地(24 Cheyne Row → 2016年10月22日付ブログで紹介済)がある。

チェイニーロウ24番地も、チェルシー地区内に所在しており、テムズ河(River Thames)に沿って東西に延びるチェイニーウォーク(Cheyne Walk)から北へ入った所に位置している。


チェイニーウォーク沿いの広場内に設置されているトマス・カーライル像


トマス・カーライルは、「英雄崇拝論(On Heroes and Hero Worship and the Hero in History)」(1834年)、「フランス革命史(The French Revolution : A History)」(1837年)や「過去と現在(Past and Present)」(1843年)等の著作で知られている。


トマス・カーライル像は、チェイニーウォーク越しに、テムズ河を静かに見つめている


トマス・カーライルは、妻のジェーン・ウェルッシュ・カーライル(Jane Welsh Carlyle)と一緒に、チェイニーロウ24番地に住み始めたのは1834年で、当時の住所表記上は5番地であった。

建物の地下は台所、1階はトマス・カーライルの書斎、2階は居間、図書室や妻の寝室、そして、3階は本人の寝室として使用されていた、とのこと。

1881年2月5日にトマス・カーライルが亡くなった後、1895年にトマス・カーライル博物館として一般に公開された。

現在は、ナショナルトラスト(National Trust)により、「カーライルハウス(Carlyle's House)」として管理されている。


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