テンプルプレイス2番地の建物外観 |
英国の TV 会社 ITV 社による制作の下、「Agatha Christie’s Poirot」の第47話(第7シリーズ)として、2000年1月19日に放映されたアガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)作「エッジウェア卿の死(Lord Edgware Dies → 2025年3月19日 / 3月29日付ブログで紹介済)」(1933年)の TV ドラマ版(→ 2025年3月24日 / 3月26日 / 3月31日 / 4月1日 / 4月3日 / 4月5日付ブログで紹介済)の場合、エッジウェア卿(Lord Edgware - 第4代エッジウェア男爵ジョージ・アルフレッド・セント・ヴィンセント・マーシュ(George Alfred St. Vincent Marsh, 4th Baron Edgware)の邸宅について、以下の建物が撮影に使用されている。
テンプルプレイス2番地の入口横の鉄柵 |
<外観>
ロンドンの中心部ケンジントン&チェルシー王立区(Royal Borough of Kensington and Chelsea)のケンジントン地区(Kensington)内にあるアディソンロード(Addison Road)沿いに建つデベナムハウス(Debenham House → 2016年2月21日付ブログで紹介済)
デベナムハウス外観 - 青色や緑色のレンガが鮮やかに輝いている |
<内部>
テンプルプレイス2番地(2 Temple Place → 2016年4月24日付ブログで紹介済)の建物
吹き抜けの中央階段とギャラリー |
テンプルプレイス2番地は、ロンドンの中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のストランド地区(Strand)内にあり、テムズ河(River Thames)に沿って東西に延びるヴィクトリアエンバンクメント通り(Victoria Embankment)にある地下鉄テンプル駅(Temple Tube Station)を囲むテンプルプレイス(Temple Place)の一番東側に建っている。
ヴィクトリアエンバンクメントガーデンズ:テンプルガーデンズ (Victoria Embankment Gardens : Temple Gardens)から見た テンプルプレイス2番地の建物 |
テンプルプレイス2番地の建物(地上2階+地下1階)は、初代アスター子爵ウィリアム・ウォドルフ・アスター(William waldorf Astor, 1st Viscount Astor:1848年ー1919年)の依頼を受けて、ベルギー/ブリュッセル出身の建築家ジョン・ラフバラ・ピアソン(John Loughborugh Pearson:1817年ー1897年)が建設し、1895年に完成した。
テンプルプレイス2番地の建物入口へと至る階段 |
ウィリアム・ウォドルフ・アスターは、元々米国人で、弁護士、政治家、実業家、そして、新聞社主であり、また、ニューヨークにあるウォドルフ・アストリアホテル(Waldorf Astoria Hotel)を創業した人物としても有名。また、米国において、彼は、当時、ロックフェラーに次ぐ2番目の大富豪だった。
ウィリアム・ウォドルフ・アスターは、米国での生活に嫌気が差したため、1891年に家族を伴って英国に移住した。その後、1916年にアスター男爵(Baron Astor)、そして、1917年にアスター子爵(Viscount Astor)に叙せられている。
テンプルプレイス2番地の建物玄関ホール - 左側には、時計が、 また、右側には、ウィリアム・モリス(William Morris:1834年ー1896年)の 「いちご泥棒(Strawberry Thief)」のテキスタイルが掛けられている。 |
ウィリアム・ウォドルフ・アスターは、生活の場を他に有していたが、ロンドン中心部から少し距離があったので、仕事場として使用できるロンドンの家として、テンプルプレイス2番地の建を建設したのである。
そうは言っても、テンプルプレイス2番地の建物は、オフィス(1階)の他に、彼の家族が住むことができる住居部分(2階)も併せ持っていた。
また、彼が蒐集した芸術品、楽器や稀覯本等の膨大なコレクションを展示する場でもあり、一般には「アスターハウス(Astor House)」と呼ばれた。
中央階段では、 アレクサンドル・デュマ(Alexandre Dumas:1802年ー1870年)作 「三銃士(Les Trois Mousquetaires)」の登場人物達が出迎えてくれる。 |
大聖堂や教会等を主に手掛けた英国の彫刻家であるナサニエル・ヒッチ(Nathaniel Hitch:1845年ー1938年)が建物外壁の石細工を担当。
テンプルプレイス2番地の建物外壁 |
建物の上部にある風見/風向計(weather vane)は、英国の金属加工業者であるジョン・スターキー・ガードナー(John Starkie Gardner:1844年ー1930年)が担当し、ウィリアム・ウォドルフ・アスターの出身国である米国を意識して、クリストファー・コロンバス(Christopher Columbus:1451年ー1566年)がアメリカ大陸を発見した際に乗船していた小型軽快帆船(caravel)「サンタマリア(Santa Maria)」の形で制作され、設置されている。
建物の上部に設計されている風見/風向計の小型軽快帆船「サンタ・マリア」 |
また、大英博物館(British Museum)やナショナルギャラリー(National Gallery)等の内装を手掛けた英国の内装家であるジョン・ディブリー・クレース(John Dibblee Crace:1838年ー1919年)が内装を担当し、1892年から1895年にかけて施工している。
テンプルプレイス2番地の建物内装 |
1897年に建築家のジョン・ラフバラ・ピアソンが死去した後、彼の息子であるフランク・ラフバラ・ピアソン(Frank Loughborough Pearson:1864年ー1947年)が後を引き継いで、ナサニエル・ヒッチを含む施工業者を使って、建物の改築等を担当した。
グレートホール(2階)の東西に設置された休憩スペースのステンドグラス |
第二次世界大戦(1939年ー1945年)中の1944年7月24日、ドイツ軍による爆撃を受け、多大なる被害を蒙ったが、1949年から1951年にかけて復旧工事が行われた。
アスター家が売却した以降、テンプルプレイス2番地の建物は所有者を転々としてが、ブルドッグトラスト(Bulldog Trust)というチャリティー団体が購入され、2011年10月28日にギャラリーとしてオープンした。
グレートホールの壁には、 ウィリアム・シェイクスピア、アン・ブーリン、エリザベス1世、スコットランド女王メアリーや マリー・アントワネット等の歴史・文学上の人物の金属パネルが嵌め込まれている。 |
今回、エキシビション開催の関係で、テンプルプレイス2番地の建物内部を見学できる機会があり、内覧してきたので、御紹介したい。
中央階段の1階部分 |
エッジウェア卿が殺害される事件当夜、ジェーン・ウィルキンスン(Jane Wilkinson - 米国人の舞台女優 / エッジウェア卿の2番目の妻)が夫のエッジウェア卿を訪ねて来て、アルトン(Alton - エッジウェア卿の執事)が彼女をエッジウェア卿の書斎へと案内する場面に使用されている。
アルトンに案内されるジェーン・ウィルキンスンの姿を、ミス・キャロル(Miss Carroll - エッジウェア卿の秘書)が、階段の上から眺めている場面も追加されている。
中央階段の2階部分+ギャラリー |
<吹き抜けの中央階段(2階部分)>
エッジウェア卿が殺害される事件当夜、ジェラルディン・マーシュ(Geraldine Marsh - エッジウェア卿の先妻の娘)が、ロイヤルオペラハウス(Royal Opera House → 2015年8月29日付ブログで紹介済)のオペラ観劇に出かけるために、エッジウェア卿邸を出る際、エッジウェア卿に呼び止められて会話する場面に使用されている。
グレートホールの天井と壁 |
<グレートホール(2階)>
エッジウェア卿の書斎として使用されている。
TV ドラマ版的には、エッジウェア卿の書斎は、1階にあるように描かれているが、実際の撮影に使用されたグレートホールは、2階にある。

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