2023年7月31日月曜日

ジョン・シンガー・サージェント作「マクベス夫人を演じるエレン・テリー」(Ellen Terry as Lady Macbeth painted by John Singer Sargent)- その1

テイト・ブリテン美術館で購入した
ジョン・シンガー・サージェント作
「マクベス夫人を演じるエレン・テリー」

(1889年)
Oil paint on canvas
221 cm x 114.3 cm
Purchased by Sir Joseph Duveen in 1906


英国のヨーク(York)出身の作家で、フリーランスの編集者でもあるティム・メージャー(Tim Major)が2021年に発表した「シャーロック・ホームズ / 背中合わせの殺人(Sherlock Holmes / The Back to Front Murder → 2023年7月11日 / 7月13日付ブログで紹介済)」において、National Gallery of British Art <テイト・ブリテン美術館(Tate Britain → 2018年2月18日付ブログで紹介済)>に展示されている絵画で、「two young girls in nightgowns lighting paper lanterns in an overgrown garden」と説明されているのは、実在のもので、米国人の画家であるジョン・シンガー・サージェント(John Singer Sargent:1856年ー1925年 → 2023年7月28日付ブログで紹介済)が描いた油絵の「カーネーション、リリー、リリー、ローズ(Carnation, Lily, Lily, Rose → 2023年7月15日付ブログで紹介済)」(1885年-1886年)である。


テイト・ブリテン美術館で購入した
ジョン・シンガー・サージェント作
「カーネーション、リリー、リリー、ローズ」
(1885年ー1886年)
Oil paint on canvas
174 cm x 153,7 cm
Presented by the Trustees of the Chantrey in 1887


ジョン・シンガー・サージェントは、イングランドの劇作家 / 詩人であるウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare:1564年ー1616年 → 2023年5月19日付ブログで紹介済)作の悲劇「マクベス(Macbeth → 2023年7月30日付ブログで紹介済)」(1606年)をテーマにした絵画も描いているので、今回、紹介したい。

それは、油絵の「マクベス夫人を演じるエレン・テリー(Ellen Terry as Lady Macbeth)」(1889年)である。


ライシアム劇場の建物正面を見上げたところ


ジョン・シンガー・サージェントは、1888年12月29日に、ライシアム劇場(Lyceum Theatre → 2014年7月12日付ブログで紹介済)において初演された「マクベス」を観劇した。その際、主役のマクベス(Macbeth)を演じたのは、シェイクスピア俳優のサー・ヘンリー・アーヴィング(Sir Henry Irving:1838年ー1905年)で、マクベス夫人(Lady Macbeth)を演じたのが、英国の舞台女優であるアリス・エレン・テリー(Alice Ellen Terry:1847年ー1928年)であった。


ポートレートギャラリー(Portrait Gallery)の横の広場に設置されている
サー・ヘンリー・アーヴィングのブロンズ像



観劇した「マクベス」に感銘を受けたジョン・シンガー・サージェントは、早速、アリス・エレン・テリーをモデルにして、絵画の制作に入った。それが、「マクベス夫人を演じるエレン・テリー」なのである。


2023年7月30日日曜日

シェイクスピアの世界<ジグソーパズル>(The World of Shakespeare )- その20

ウィリアム・シェイクスピア 作「マクベス」に登場する3人の魔女は、
グラミスの領主で、
スコットランドの将軍であるマクベスに対して、
「コーダーの領主」、そして、「いずれ、王となるお方」と呼びかける一方、
同じく、スコットランドの将軍であるバンクォーに対しては、
「あなたは王にはなれないが、あなたの子孫が王になる。」と予言すると、姿を消すのであった。

英国の Laurence King Publishing Group Ltd. より、2020年に発売されたジグソーパズル「シェイクスピアの世界(The World of Shakespeare)」には、のイラスト内には、イングランドの劇作家 / 詩人であるウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare:1564年ー1616年 → 2023年5月19日付ブログで紹介済)や彼が生きた時代の人物、彼の劇が上演されたグローブ座、そして、彼が発表した史劇、悲劇や喜劇に登場するキャラクター等が散りばめられているので、前回に続き、順番に紹介していきたい。


今回紹介するのは、ウィリアム・シェイクスピア作の悲劇「マクベス(Macbeth)」(1606年)で、全5幕で構成されている。

「マクベス」は、実在したスコットランド王のマクベス(Macbeth 在位期間:1040年-1057年)をモデルにしていると考えられている。


「マクベス」は、「ハムレット(Hamlet)」(1600年ー1601年)、「オセロー(Othello)」(1603年ー1604年)、そして、「リア王(King Lear)」(1605年ー1606年)と並ぶウィリアム・シェイクスピアの四大悲劇の一つで、その中では最も短い作品である。


「マクベス」については、1611年4月にグローブ座(Globe Theatre → 2023年5月8日付ブログで紹介済)で上演されたのが、現存する最古の記録となっている。


<第1幕>

スコットランド軍は、反乱軍とノルウェー軍の連合軍を打ち破り、大勝利を挙げる。

スコットランドの将軍であるマクベス(Macbeth - グラミスの領主(Thane of Glamis))とバンクォー(Banquo)が、スコットランド国王ダンカン(Duncan)の陣営へと戻る途中、荒野において、3人の魔女(Three Witches)に出会う。魔女達は、マクベスに対して、「コーダーの領主(Thane of Cawdor)」、そして、「いずれ、王となるお方」と呼びかける一方、バンクォーに対しては、「あなたは王にはなれないが、あなたの子孫が王になる。」と予言すると、姿を消す。

すると、そこにダンカン国王の使者が到着して、武勲により、マクベスがコーダーの領主に任ぜられたことを伝えた。マクベスとバンクォーの2人は、魔女の予言通りになったことに驚く。そして、マクベスは、心の中で、王となると言う予言も現実となるのではないかと、秘かに希望を膨らませる。

陣営へと戻ったマクベスとバンクォーに対して、ダンカン国王は、2人の功績を讃えるが、自分の長男である王子マルカム(Malcolm)を王位継承者に定める。それを聞いたマクベスは、魔女達の予言の実現を危ぶみ、ある決意をするのであった。


<第2幕>

夫から魔女達の予言の話を聞いたマクベス夫人(Lady Macbeth)に唆されたマクベスは、ダンカン国王の暗殺を企てる。

マクベス夫人が、ダンカン国王の部屋付きの従者達に対して、薬を入れた酒を飲ませて、眠らせた後、マクベスが、ダンカン国王を短剣で殺害する。

翌朝、ダンカン国王の死体が発見されると、その混乱に乗じて、マクベスは、部屋付きの従者達を斬殺し、その口を封じた上で、彼らをダンカン国王の殺害犯だと報告した。

父王を殺されて、自分の命も危ういと恐れた長男のマルカム王子はイングランドへ、そして、次男のドナルベイン王子(Dobalbain)はアイルランドへと逃亡する。その結果、ダンカン国王を殺害した真の犯人の嫌疑が逃亡した2人の王子にふりかかることになり、マクベスが次のスコットランド国王に指名されるのであった。


<第3幕>

魔女達の予言通り、スコットランド国王の座に就いたマクベスであったが、魔女達がバンクォーに告げた予言が実現することを恐れ、バンクォーと彼の息子であるフリーアンス(Fleance)に対して、暗殺者を放った。バンクォーは暗殺できたものの、フリーアンスは取り逃がしてしまう。

貴族達との宴会の席において、その報告を聞いたマクベスは、ふと見ると、バンクォーの亡霊も宴会に列席していることに気付き、恐怖する。そして、夫を唆して、ダンカン国王を殺害させたマクベス夫人も、次第に不安に苛まれて行くのであった。


こうして、グラミスの領主で、将軍のマクベスが、妻と謀り、主君であるダンカン国王を暗殺して、王位に就いたものの、魔女達による予言の内容を恐れ、次第に錯乱して、暴君化する。

そして、最後は、マクベスは、イングランドへと亡命したために、妻子を殺害されたファイフの領主(Thane of Fife)であるマクダフ(Macduff)と父王を殺害されたマルカム王子による復讐劇により、命を失うのである。


2023年7月29日土曜日

英国ロイヤルバレエ団初演「ロミオとジュリエット」(Romeo and Juliet performed by The Royal Ballet)- その3

ジュリエット役を踊る英国出身のバレエダンサーであるダーシー・バッセル
(Darcey Bussell:1969年ー)。
1987年にサドラーズウェルズロイヤルバレエ団(Sadler's Wells Royal Ballet -
 現在のバーミンガムロイヤルバレエ団(Birmingham Royal Ballet))に入団。
バレエ学校在籍時から、英国ロイヤルバレエ団の首席振付家だった
サー・ケネス・マクミランに才能を見出されていた彼女は、
1988年に英国ロイヤルバレエ団へ移籍すると、
1989年にプリンシパル(Principal)へ昇格。
2006年にプリンシパルから引退するものの、
ゲストプリンシパルとして、英国ロイヤルバレエ団に在籍。
2007年6月8日の舞台を以って、正式に引退。
<撮影:Mr. Bill Cooper>
(ロイヤルオペラハウスにおいて行われた
英国ロイヤルバレエ団による演目「ロミオとジュリエット」のプログラム
(筆者が購入)から抜粋)


1965年2月9日に、ロイヤルオペラハウス(Royal Opera House → 2015年8月29日付ブログで紹介済)において、英国ロイヤルバレエ団(The Royal Ballet)によって初演された英国のバレエ振付家であるサー・ケネス・マクミラン(Sir Kenneth MacMillan:1929年ー1992年)版「ロミオとジュリエット(Romeo and Juliet)」は、興行成績と批評の両面で、大成功を収めた。


ジュリエット・キャピュレット(Juliet Capulet)役のディム・マーゴ・フォンティン(Dame Margot Fonteyn:1919年ー1991年 / 英国のバレエダンサー)とロミオ・モンタギュー(Romeo Montague)役のルドルフ・ヌレエフ(Rudolf Nureyev:1938年ー1993年 / ソ連のバレエダンサー)は、カーテンコールに43回も呼び出された。いつまでも鳴り止まない拍手といつまでも帰らない観客に対処するために、最終的に、英国ロイヤル・バレエ団は、舞台の防火幕を降ろすことになった。

当時、マーゴ・フォンティンは、年齢的に、引退間近と見做されていたが、今回の大成功、そして、ルドルフ・ヌレエフとのパートナーシップにより、彼女は自分のキャリアを再出発させることができたのである。


当初、ケネス・マクミランがジュリエット役とロミオ役に据えていたリン・シーモア(Lynn Seymour:1939年ー2023年 / カナダのバレエダンサー、振付家)とロミオ・モンタギュー(Romeo Montague)役に同バレエ団のクリストファー・マイケル・ゲイブル(Christopher Michael Gable:1940年ー1998年 / 英国のバレエダンサー、振付家、俳優)のペアは、セカンドキャストとして、ケネス・マクミラン版「ロミオとジュリエット」に主演した。

リン・シーモアとクリストファー・マイケル・ゲイブルの2人も、批評家から好意的に評価されたことに加えて、観客からも非常に高い支持を得た。


ケネス・マクミラン版「ロミオとジュリエット」は、彼の大きな功績で、英国ロイヤルバレエ団の演目に素晴らしい一作が加えられたと、批評家により絶賛されたが、リン・シーモアとクリストファー・マイケル・ゲイブルの2人が初日の主役を踊れなかったことに、ケネス・マクミランは、非常に落胆した。また、英国ロイヤルバレエ団全体にも、大きな失望を与えた。


ジュリエット役を踊るルーマニア出身のバレエダンサーであるアリーナ・コジョカル
(Alina Cojocaru:1981年ー)。
英国ロイヤルバレエ学校へ入学後、キエフバレエ団において、17歳でプリンシパルに就任。
1999年に英国ロイヤルバレエ団へ移籍すると、2001年4月にプリンシパルへ昇格して、
2013年7月までの12年間、プリンシパルを務めた。
2013年秋に、英国ロイヤルバレエ団の元同僚で、
スペイン出身のバレエダンサーであるタマラ・ロッホ(Tamara Rojo:1974年ー)が
芸術監督兼リードプリンシパルを務めている
イングリッシュナショナルバレエ団(English National Ballet)へ移籍して、
リードプリンシパルに就任、現在に至っている。
<撮影:Mr. Bill Cooper>
(ロイヤルオペラハウスにおいて行われた
英国ロイヤルバレエ団による演目「ロミオとジュリエット」のプログラム(筆者が購入)から抜粋)

その結果、ケネス・マクミランは、西ベルリンを拠点とするドイツオペラバレエ団(Deutsche Oper Ballet)の芸術監督のオファーを受けて、英国ロイヤルバレエ団を去った。その際、彼は、リン・シーモアを連れて、ドイツオペラバレエ団へと移籍したのである。

一方、クリストファー・マイケル・ゲイブルは、バレエを離れて、他の活動へと向かうことになった。


ケネス・マクミランは、1966年から1969年の間、ドイツオペラバレエ団の芸術監督を務めたが、振付家で、1963年から1970年にかけて、英国ロイヤルバレエ団の芸術監督を務めていたサー・フレデリック・アシュトン(Sir Frederick Ashton:1904年ー1988年)の後を継いで、1970年に英国ロイヤルバレエ団の芸術監督に就任した。

彼は、1970年から1977年の間、英国ロイヤルバレエ団の芸術監督を務めた後、1977年に芸術監督から退いたが、1977年から1992年の長きにわたって、英国ロイヤルバレエ団の首席振付家(Principal Choreographer)として、引き続き、同団に貢献したのである。


ケネス・マクミラン版「ロミオとジュリエット」は、現在、英国ロイヤルバレエ団の定番演目の一つである。

また、ケネス・マクミランは、スウェーデンのストックホルムに拠点を置くスウェーデン王立バレエ団(Royal Swedish Ballet)、米国のニューヨークを拠点とするアメリカンバレエシアター(American Ballet Theatre)や英国のバーミンガムに拠点を置くバーミンガムロイヤルバレエ団(Birmingham Royal Ballet)等、世界中のバレエ団に同版を振り付けているので、世界中で定番演目になっていると言える。


2023年7月28日金曜日

ジョン・シンガー・サージェント(John Singer Sargent)- その1

テイト・ブリテン美術館に展示されている
ジョン・シンガー・サージェント作「カーネーション、リリー、リリー、ローズ」
(1885年-1886年)
<筆者が撮影>


英国のヨーク(York)出身の作家で、フリーランスの編集者でもあるティム・メージャー(Tim Major)が2021年に発表した「シャーロック・ホームズ / 背中合わせの殺人(Sherlock Holmes / The Back to Front Murder → 2023年7月11日 / 7月13日

付ブログで紹介済)」において、National Gallery of British Art <テイト・ブリテン美術館(Tate Britain → 2018年2月18日付ブログで紹介済)>に展示されている絵画「two young girls in nightgowns lighting paper lanterns in an overgrown garden」は、実在のもので、米国人の画家であるジョン・シンガー・サージェント(John Singer Sargent:1856年ー1925年)が描いた油絵の「カーネーション、リリー、リリー、ローズ(Carnation, Lily, Lily, Rose  → 2023年7月15日付ブログで紹介済)」(1885年-1886年)である。


ジョン・シンガー・サージェントは、19世紀後半から20世紀前半にかけて、主にパリとロンドンで活動した米国人の画家で、1856年1月12日、トスカーナ大公国のフィレンツェに、米国人医師である父フィッシウィリアム・サージェント(Fitzwilliam Sargent:1820年ー1889年)と母メアリー・サージェント(Mary Sargent:1826年ー1906年)の下に出生。


ジョン・シンガー・サージェントは、1868年から1869年にかけて、ローマにあるドイツ系米国人の画家カール・ヴェルシュのアトリエに通って、絵画を学んだ。

彼は、1870年にフィレンシェに戻り、美術学校へ通う。


ジョン・シンガー・サージェントは、1874年にパリへと出ると、同年から1879年にかけて、フランス人の画家カロリュス=デュラン(Carolus-Duran:1837年ー1917年)に師事する。なお、カロリュス=デュランは、パリの上流階級を描いた人物画で知られている。

彼は、カロリュス=デュランによる指導を受ける一方、1877年からサロン・ド・パリ(Salon de Paris - フランスの王立絵画彫刻アカデミーが開催する公式美術展覧会)への出品を始める。



ジョン・シンガー・サージェントは、カロリュス=デュランの下で修業した後、イタリアやスペインを旅行し、その際、スペインの画家であるディエゴ・ロドリゲス・デ・シルヴァ・イ・ベラスケス(Diego Rodriguez de Silva y Velazquez:1599年ー1660年)の影響を強く受けたのである。


2023年7月27日木曜日

アガサ・クリスティー作「青列車の秘密」<英国 TV ドラマ版>(The Mystery of the Blue Train by Agatha Christie )- その1

第54話「青列車の秘密」が収録された
エルキュール・ポワロシリーズの DVD コレクション No. 6 の表紙


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)作「青列車の秘密(The Mystery of the Blue Train)」(1928年)の TV ドラマ版が、英国の TV 会社 ITV 社による制作の下、「Agatha Christie’s Poirot」の第54話(第10シリーズ)として、2006年1月1日に放映されている。英国の俳優であるサー・デイヴィッド・スーシェ(Sir David Suchet:1946年ー)が、名探偵エルキュール・ポワロを演じている。ちなみに、日本における最初の放映日は、2006年12月5日である。


英国 TV ドラマ版における主な登場人物(エルキュール・ポワロを除く)と出演者は、以下の通り。


(1)ルーファス・ヴァン・オールディン(Rufus Van Aldin - 米国の大富豪):Elliot Gould

(2)ルース・ケタリング(Ruth Kettering - ルーファス・ヴァン・オールディンの娘):Jaime Murray

(3)デリク・ケタリング(Derek Kettering - ルースの夫):James D’Arcy

(4)リチャード・ナイトン少佐(Major Richard Knighton - ルーファス・ヴァン・オールディンの秘書):Nicholas Farrell

(5)エイダ・メイスン(Ada Mason - ルース・ケタリングのメイド):Bronagh Gallagher

(6)アルマン・ド・ラ・ローシュ伯爵(Armand, Comte de la Roche - ルース・ケタリングの愛人):Oliver Milburn

(7)ミレーユ・ミレジ(Mirelle Milesi - ルーファス・ヴァン・オールディンの愛人):Josette Simon

(8)キャサリン・グレイ(Katherine Grey - 遺産相続人):Georgina Rylance

(9)レディー・ロザリー・タンプリン(Lady Rosalie Tamplin - キャサリン・グレイの従姉妹):Lindsay Duncan

(10)コーキー(Corky - レディー・ロザリー・タンプリンの4番目の夫):Tom Harper

(11)レノックス・タンプリン(Lenox Tamplin - レディー・タンプリンの娘):Alice Eye

(12)青列車の車掌(Steward → 名前は付されていないが、アガサ・クリスティーの原作に登場するピエール・ミシェル(Pierre Michel)に該当するものと思われる):Samuel James

(13)ドロレス・ヴァン・オールディン(Dolores Van Aldin - ルーファス・ヴァン・オールディンの妻で、ルース・ケタリングの母):Etela Pardo

(14)シスター・ロザリア(Sister Rosalia - ニース(Nice)の教会において、ドロレス・ヴァン・オールディンを保護していた人物):Helen Lindsay

(15)コウ警部(Inspector Caux - フランス警察の警部):Roger Lloyd Pack


アガサ・クリスティーの原作に比べると、英国 TV ドラマ版における登場人物には、以下の違いが見受けられる。


*アガサ・クリスティーの原作に登場する以下の人物は、英国 TV ドラマ版の場合、割愛された結果、登場しない。


(A)キリオス・パポポラス(Kyrios Papopolous - パリの宝石商)

(B)ジア・パポポラス(Zia Papopolous - キリオス・パポポラスの娘)

(C)カレージュ氏(Monsieur Cattege - フランスの判事)


*以下の人物について、アガサ・クリスティーの原作と英国 TV ドラマ版の間では、人物設定上の差異が見受けられる。


(1)ルーファス・ヴァン・オールディン:原作の場合、デリク・ケタリングが、ミレーユ・ミレジを愛人にしているが、英国 TV ドラマ版の場合、ルーファス・ヴァン・オールディンが、ミレーユ・ミレジを愛人にしている。

(3)デリク・ケタリング:同上。

(4)リチャード・ナイトン少佐:原作の場合、リチャード・ナイトン少佐とキャサリン・グレイの間に、恋愛感情は芽生えないが、英国 TV ドラマ版の場合、リチャード・ナイトン少佐とキャサリン・グレイの間に、恋愛感情が芽生える。

(7)ミレーユ・ミレジ:原作の場合、デリク・ケタリングが、ミレーユ・ミレジを愛人にしているが、英国 TV ドラマ版の場合、ルーファス・ヴァン・オールディンが、ミレーユ・ミレジを愛人にしている。

(8)キャサリン・グレイ:原作の場合、キャサリン・グレイとリチャード・ナイトン少佐の間に、恋愛感情は芽生えないが、英国 TV ドラマ版の場合、キャサリン・グレイとリチャード・ナイトン少佐の間に、恋愛感情が芽生える。

(10)コーキー:原作の場合、レディー・ロザリー・タンプリンの若い夫は、チャールズ・エヴァンズ(Charles Evans)と言う名前で、「Chubby」と言う愛称で呼ばれているが、英国 TV ドラマ版の場合、「Corky」と言う愛称で呼ばれている。

(13)ドロレス・ヴァン・オールディン:原作の場合、ルーファス・ヴァン・オールディンの妻は登場しないが、英国 TV ドラマ版の場合、登場する。なお、彼女は、娘ルースの出産後に、精神を病んで、ニースの教会において、シスター・ロザリアに保護されていた。

(14)シスター・ロザリア:原作の場合、登場しないが、英国 TV ドラマ版の場合、登場して、娘ルースの出産後に、精神を病んだドロレス・ヴァン・オールディンを、ニースの教会において、保護していた。

(15)コウ警部:原作の場合、肩書きは「警視(Commissary)」であるが、英国 TV ドラマ版の場合、肩書きは「警部」となっている。


2023年7月26日水曜日

英国ロイヤルバレエ団初演「ロミオとジュリエット」(Romeo and Juliet performed by The Royal Ballet)- その2

ジュリエット役を踊る
スペイン出身のバレエダンサーであるタマラ・ロッホ
(Tamara Rojo:1974年ー)。
彼女は、2000年秋から2013年夏までの13年間、
英国ロイヤルバレエ団において、プリンシパル(Principal)を務めた後、
2012年8月に、イングリッシュナショナルバレエ団
(English National Ballet)の芸術監督兼リードプリンシパルに就任。
<撮影:Mr. Bill Cooper>
(ロイヤルオペラハウスにおいて行われた
英国ロイヤルバレエ団による演目「ロミオとジュリエット」のプログラム
(筆者が購入)から抜粋)


英国のバレエ振付家であるサー・ケネス・マクミラン(Sir Kenneth MacMillan:1929年ー1992年)は、1964年9月に、カナダのTV番組用に、ジュリエット・キャピュレット(Juliet Capulet)役に英国ロイヤルバレエ団(The Royal Ballet)のリン・シーモア(Lynn Seymour:1939年ー2023年 / カナダのバレエダンサー、振付家)を、そして、ロミオ・モンタギュー(Romeo Montague)役に同バレエ団のクリストファー・マイケル・ゲイブル(Christopher Michael Gable:1940年ー1998年 / 英国のバレエダンサー、振付家、俳優)を据えて、「ロミオとジュリエット(Romeo and Juliet)」のバルコニーシーンの振付を行なった。


当時、ソビエト連邦のバレエダンサー / 振付家であるレオニード・ラヴロフスキー(Leonid Lavrovsky:1905年ー1967年)版「ロミオとジュリエット」のロンドン公演について、ソビエト連邦の上演許可が出ず、同公演が断念されていた。

また、英国ロイヤルバレエ団は、予定されている米国公演において、「ロミオとジュリエット」を上演したいと考えていた。


ジュリエット役を踊る
フランス出身のバレエダンサーであるシルヴィー・ギエム
(Sylvie Guillem:1965年ー)。
彼女は、1981年にパリ・オペラ座バレエ団
(Ballet de l'Opera national de Paris)に入団した後、
1984年12月29日、初主演の「白鳥の湖(Le Lac des cygnes)」終演直後に、
19歳で最高位のエトワール(Etoile)に任命された。
1988年に
パリ・オペラ座バレエ団を電撃退団すると、
同年、英国ロイヤル・バレエ団へと移籍して、
同団のゲストプリンシパル(Guest Principal)として活躍した。
2015年末に、引退を表明。
<撮影:Ms. Leslie E. Spatt>
(ロイヤルオペラハウスにおいて行われた
英国ロイヤルバレエ団による演目「ロミオとジュリエット」のプログラム
(筆者が購入)から抜粋)

そこで、アイルランドのバレエダンサー / 振付家で、英国ロイヤルバレエ団の創設者であるディム・ニネット・ド・ヴァロワ(Dame Ninette de Valois:1898年ー2001年 / 本名:エドリス・スタナス(Edris Stannus))は、カナダのTV番組用振付の実績を考慮の上、ケネス・マクミランに対して、「ロミオとジュリエット」の全幕振付を依頼した。

当時、振付家で、1963年から1970年にかけて、英国ロイヤルバレエ団の芸術監督を務めていたサー・フレデリック・アシュトン(Sir Frederick Ashton:1904年ー1988年)の許可を得た後、ケネス・マクミランは、新たな「ロミオとジュリエット」を創作することになったのである。


ケネス・マクミランにとって、「ロミオとジュリエット」の全幕振付のために与えられた期間は、僅か5ヶ月だった。彼は、ジュリエット役のリン・シーモア / ロミオ役のクリストファー・マイケル・ゲイブルの2人と一緒に、新たな「ロミオとジュリエット」の構想を練り、同演目の制作を進めた。


そして、1965年2月9日に、ケネス・マクミラン版「ロミオとジュリエット」は、ロイヤルオペラハウス(Royal Opera House → 2015年8月29日付ブログで紹介済)において、英国ロイヤルバレエ団によって初演された。


ボウストリート(Bow Street)の南側から見たロイヤルオペラハウス
(筆者が撮影)


ケネス・マクミランは、ジュリエット役にリン・シーモアを、ロミオ役にクリストファー・マイケル・ゲイブルを据えて、振付を行なったにもかかわらず、興行上の理由から、初日(1965年2月9日)の主役は、ディム・マーゴ・フォンティン(Dame Margot Fonteyn:1919年ー1991年 / 英国のバレエダンサー)がジュリエット役に、そして、ルドルフ・ヌレエフ(Rudolf Nureyev:1938年ー1993年 / ソ連のバレエダンサー)がロミオ役に決まった。

マーゴ・フォンティンとルドルフ・ヌレエフの2人は、当時、英国ロイヤルバレエ団を代表するバレエダンサーであり、2人の名声を生かして、興行成績を上げることが、主な理由だったのである。


2023年7月25日火曜日

コナン・ドイル作「ボヘミアの醜聞」<英国 TV ドラマ版>(A Scandal in Bohemia by Conan Doyle )- その1

エッジウェアロード(Edgware Road → 2016年1月30日付ブログで紹介済)にある

セントモニカ教会(Church of St. Monica → 2014年8月24日付ブログで紹介済)における

(Ms. Gayle Hunnicutt が演じる)アイリーン・アドラー(画面右側の人物)と

(Mr. Michael Carter が演じる)ゴドフリー・ノートン(画面中央の人物)の結婚式に、

(Mr. Jeremy Brettが演じる)シャーロック・ホームズ(画面左側の人物)が、

変装した姿で同席する場面

(2015年に Dorling Kindersley Limited から出版された

「The Sherlock Holmes Book」から抜粋)


サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)作「ボヘミアの醜聞(A Scandal in Bohemia → 2022年12月18日付ブログで紹介済)」は、シャーロック・ホームズシリーズの短編小説56作のうち、最初(1番目)に発表された作品で、英国の「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の1891年7月号に掲載された。

同作品は、1892年に発行されたホームズシリーズの第1短編集「シャーロック・ホームズの冒険(The Adventures of Sherlock Holmes)」に収録されている。


本作品は、英国のグラナダテレビ(Granada Television Limited)が制作した「シャーロック・ホームズの冒険(The Adventures of Sherlock Holmes)」(1984年ー1994年)において、TV ドラマとして映像化された。具体的には、第1シリーズ(The Adventures of Sherlock Holmes)の第1エピソード(通算では第1話)として、英国では、1984年4月24日に放映された。なお、日本では、約1年後の1985年4月13日に放映されている。


配役は、以下の通り。


(1)シャーロック・ホームズ:ジェレミー・ブレット(Jeremy Brett:1933年ー1995年)

(2)ジョン・ワトスン:デイヴィッド・バーク(David Burke:1934年ー)


(3)アイリーン・アドラー(Irene Adler): Gayle Hunnicutt

(4)ボヘミア国王(King of Bohemia): Wolf Kahler


(5)ゴドフリー・ノートン(Godfrey Norton): Michael Carter

(6)ジョン(John): Max Faulkner

(7)辻馬車の御者(Cabby): Tim Pearce


(8)ハドスン夫人(Mrs. Hudson): Rosalie Williams

(9)ウィラード夫人(Mrs. Willard): Tessa Worsley

(10)牧師(Clergyman): Will Tacey


2023年7月24日月曜日

英国ロイヤルバレエ団初演「ロミオとジュリエット」(Romeo and Juliet performed by The Royal Ballet)- その1

今回は、イングランドの劇作家 / 詩人であるウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare:1564年ー1616年)作の悲劇「ロミオとジュリエット(Romeo and Juliet)」(1595年ー1596年)を題材にしたバレエ作品について、紹介したい。

それは、英国ロイヤルバレエ団(The Royal Ballet)が1965年に初演した「ロミオとジュリエット」である。


ロイヤルオペラハウスにおいて行われた
英国ロイヤルバレエ団による演目「ロミオとジュリエット」のプログラムの表紙
(筆者がロイヤルオペラハウスにおいて購入)-
写真は、アイルランドのバレエダンサー / 振付家で、
英国ロイヤルバレエ団の創設者である
ディム・ニネット・ド・ヴァロワ(Dame Ninette de Valois:1898年ー2001年 /
本名:エドリス・スタナス(Edris Stannus))。


「ロミオとジュリエット」は、英国ロイヤルバレエ団が、米国公演において上演するために企画したもので、


音楽:セルゲイ・セルゲーエヴィチ・プロコフィエフ(Sergei Sergeyevich Prokofiev:1891年ー1953年 / ロシアの作曲家、指揮者、ピアニスト、指揮者)


フランスの画家である
アンリ・マティス(Henri Matisse:1869年ー1954年)による
セルゲイ・セルゲーエヴィチ・プロコフィエフの自画像
(上記のプログラムから抜粋)

振付:サー・ケネス・マクミラン(Sir Kenneth MacMillan:1929年ー1992年 / 英国のバレエ振付家)


サー・ケネス・マクミランの写真
<撮影:Mr. Anthony Crickmay>
(上記のプログラムから抜粋)

舞台美術と衣装:ニコラス・ジョージアディス(Nicholas Georgiadis:1923年ー2001年 / ギリシアの画家、舞台美術家、衣装デザイナー)


の下、1965年2月9日に、ロイヤルオペラハウス(Royal Opera House → 2015年8月29日付ブログで紹介済)において、英国ロイヤルバレエ団によって初演された。


ボウストリート(Bow Street)の南側から見たロイヤルオペラハウス
(筆者が撮影)


英国ロイヤルバレエ団から「ロミオとジュリエット」の振付を依頼されたケネス・マクミランは、ジュリエット・キャピュレット(Juliet Capulet)役にリン・シーモア(Lynn Seymour:1939年ー2023年 / カナダのバレエダンサー、振付家)を、そして、ロミオ・モンタギュー(Romeo Montague)役にクリストファー・マイケル・ゲイブル(Christopher Michael Gable:1940年ー1998年 / 英国のバレエダンサー、振付家、俳優)を据えて、振付を行なった。

にもかかわらず、興行上の理由から、初日(1965年2月9日)の主役は、ディム・マーゴ・フォンティン(Dame Margot Fonteyn:1919年ー1991年 / 英国のバレエダンサー)がジュリエット役に、そして、ルドルフ・ヌレエフ(Rudolf Nureyev:1938年ー1993年 / ソ連のバレエダンサー)がロミオ役に決まった。マーゴ・フォンティンとルドルフ・ヌレエフの2人は、当時、英国ロイヤルバレエ団を代表するバレエダンサーであり、2人の名声を生かして、興行成績を上げることが、主な理由だったのである。

リン・シーモアとクリストファー・マイケル・ゲイブルの2人も、セカンドキャストとして、「ロミオとジュリエット」に主演したが、彼らが初日の主役を踊れなかったことに、ケネス・マクミランは、非常に落胆した。また、英国ロイヤルバレエ団全体にも、大きな失望を与えた。

その結果、後に、ケネス・マクミランとリン・シーモアは、英国ロイヤルバレエ団を去り、一方、クリストファー・マイケル・ゲイブルは、バレエを離れて、他の活動へと向かうことになったのである。


2023年7月22日土曜日

シェイクスピアの世界<ジグソーパズル>(The World of Shakespeare )- その19

英国の Laurence King Publishing Group Ltd. より、2020年に発売されたジグソーパズル「シェイクスピアの世界(The World of Shakespeare)」には、のイラスト内には、イングランドの劇作家 / 詩人であるウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare:1564年ー1616年 → 2023年5月19日付ブログで紹介済)や彼が生きた時代の人物、彼の劇が上演されたグローブ座、そして、彼が発表した史劇、悲劇や喜劇に登場するキャラクター等が散りばめられているので、前回に続き、順番に紹介していきたい。


今回紹介するのは、ウィリアム・シェイクスピア作の悲劇「ロミオとジュリエット(Romeo and Juliet)」(1595年ー1596年)である。

「ロミオとジュリエット」は、全5幕で構成されている。


ウィリアム・シェイクスピア作「ロミオとジュリエット」の中で、
一番有名なバルコニーのシーンが、
テムズ河(River Thames)の北岸に描かれている。
バルコニーに立っているのが、ジュリエット・キャピュレットで、
バルコニーの下に居るのが、ロミオ・モンタギュー。


イタリアの都市ヴェローナ(Verona)には、代々対立しているモンタギュー家(House of Montague)とキャピュレット家(House of Capulet)の両家があった。


モンタギュー公爵の一人息子であるロミオ・モンタギュー(Romeo Montague)は、キャピュレット公爵の姪に該るロザリン(Rosaline)に対して、片想いをしていた。

ロミオは、気晴らしのために、友人のマキューシオ(Mercutio)と従兄弟のベンヴォーリオ(Benvolio)を連れて、キャピュレット家のパーティーへと忍び込んだ。そこで、彼は、キャピュレット公爵の一人娘であるジュリエット・キャピュレット(Juliet Capulet)に出会い、2人は直ぐに恋におちる。ロミオとジュリエットの2人は、フランシスコ会の修道士ローレンス(Friar Laurence)の元を訪れて、密かに結婚した。


その直後、街頭において、ロミオは、マキューシオ / ベンヴォーリオと一緒に、キャピュレット家との喧嘩に巻き込まれ、マキューシオを殺されてしまう。友人を殺されて、逆上したロミオは、キャピュレット夫人(Lady Capulet)の甥 / ジュリエットの従兄弟であるティボルト(Tybalt)を殺してしまった。


ロミオ・モンタギューとジュリエット・キャピュレットのバルコニーシーンの左側で、
ティボルト(左側の人物)とマキューシオ(右側の人物)の2人が、
剣を抜いて戦っている。

その話を聞いたヴェローナ大公(Prince of Verona)のエスカラス(Escalus)は、ロミオに対して、ヴェローナからの追放を命じた。

また、キャピュレット公爵(Lord Capulet)は、娘のジュリエットに対して、エスカラスの親戚であるパリス伯爵(Count Paris)との結婚を命じるのであった。


父親の命令に困り果てたジュリエットは、修道士ローレンスに助けを求めると、ローレンスは、ジュリエットに対して、仮死の毒を使った計画を伝授するが、この計画は、ヴェローナから追放されたロミオには、うまく伝わっていなかった。そのため、ロミオは、ジュリエットが死んだものと勘違いしてしまった。


テムズ河(River Thames)南岸のウォータールーロード(Waterloo Road)沿いに建つ
ザ・オールド・ヴィック劇場(The Old Vic Theatre)


ザ・オールド・ヴィック劇場において、
1960年に上演されたウィリアム・シェイクスピア作「ロミオとジュリエット」
(英国のロイヤルメールから発行された記念切手の1枚)

仮死状態で眠るジュリエットの傍らで悲しみに暮れるロミオは、彼女の墓参りに訪れたパリス伯爵に対して、決闘を申し込み、殺害してしまう。そして、ロミオは、ジュリエットの傍らで、毒薬を飲んで、自殺を遂げる。

ロミオが亡くなった直後に、ジュリエットは、仮死状態から目覚める。ロミオが勘違いして自殺を遂げたことを知ったジュリエットは、ロミオが携えていた短剣を使って、自分の命を絶ち、後追い自殺をするのであった。


2023年7月21日金曜日

アガサ・クリスティーの世界<ジグソーパズル>(The World of Agatha Christie )- その26

英国の Orion Publishing Group Ltd. から出ている「アガサ・クリスティーの世界(The World of Agatha Christie)」と言うジグソーパズル内に散りばめられているアガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)の生涯や彼女が執筆した作品等に関連した90個の手掛かりについて、前回に続き、紹介していきたい。


今回も、アガサ・クリスティーが執筆した作品に関連する手掛かりの紹介となる。


(71)「H」のイニシャルが刺繍されたハンカチ(handkerchief with ‘H’)



本ジグソーパズル内において、アガサ・クリスティーが腰掛けている椅子の右側にある本棚の上から二番目の棚に、「H」のイニシャルが刺繍されたハンカチが置かれている。


(72)赤い着物(scarlet kimono)



本ジグソーパズル内において、左下のソファーの背もたれに、赤い着物がかけられている。


これから連想されるのは、アガサ・クリスティーが1934年に発表したエルキュール・ポワロシリーズ作品「オリエント急行の殺人(Murder on the Orient Express)」である。本作品は、アガサ・クリスティーが執筆した長編としては、第14作目に該り、エルキュール・ポワロシリーズの長編のうち、第8作目に該っている。


英国の Harper Collins Publishers 社から出版されている
アガサ・クリスティー作エルキュール・ポワロシリーズ
「オリエント急行の殺人」のペーパーバック版の表紙

中東のシリア(Syria)での仕事を終えて、イスタンブール(Istanbul)のホテル(The Tokatlian Hotel)に到着したエルキュール・ポワロは、そこで「直ぐにロンドンへ戻られたし。」という電報を受け取る。早速、ポワロはホテルにイスタンブール発カレー(Calais)行きのオリエント急行(Orient Express)の手配を依頼するが、通常、冬場(12月)は比較的空いている筈にもかかわらず、季節外れの満席だった。

とりあえず、駅へ向かったポワロであったが、ベルギー時代からの友人で、ホテルで再会した国際寝台車会社(Compagnie Internationale des Wagons Lits)の重役ブック氏(Mr. Bouc)が、ポワロのために、二等寝台席を確保してくれる。なお、ブック氏は、仕事の関係で、スイスのローザンヌ(Lausanne)へと向かう予定だった。

なんとかヨーロッパへの帰途についたポワロは、米国人のヘクター・ウィラード・マックイーン(Hector Willard MacQueen)と同室になる。


季節外れにもかかわらず、オリエント急行には、様々な国と職業の人達が乗り合わせていた。

その中の一人で、イスタンブールのホテルで既に見かけていた米国人の実業家であるサミュエル・エドワード・ラチェット(Samuel Edward Ratchett)が、ポワロに対して、話しかけてくる。彼は、最近脅迫状を数回受け取っていたため、身の危険を感じており、ポワロに自分の護衛を依頼してきたのであった。彼の狡猾な態度を不快に思ったポワロは、彼の依頼を即座に断る。


翌日の夜、ベオグラード(Belgrade - 現在のセルビア共和国の首都)において、アテネ(Athens)発パリ(Paris)行きの車輌が接続され、ブック氏はその車輛へと移り、自分の一等寝台席(1号室)をポワロに譲ったため、ポワロはカレーまでゆっくりと一人で過ごせる筈だった。ところが、ポワロの希望とは裏腹に、列車は、ヴィンコヴツィ(Vinkovciー現在のクロアチア(Croatia)共和国領内)近くで積雪による吹き溜まりに突っ込んで、立ち往生しつつあった。


その夜、隣室(2号室)のラチェットの部屋での出来事や廊下での騒ぎ等により、ポワロは、何度も安眠を邪魔された。そして、翌朝、車掌が、ポワロの隣室において、ラチェットが死んでいるのを発見する。彼は、刃物で全身を12箇所もメッタ刺しの上、殺害されていたのである。

ブック氏は、会社の代表者として、ポワロに対し、事件の解明を要請し、それを受諾したポワロは、別の車輛に乗っていたギリシア人の医師コンスタンティン博士(Dr. Constantine)と一緒に、ラチェットの検死を行う。ラチェットが殺害された現場には、燃やされた手紙が残っていて、ポワロは、その手紙からデイジー・アームストロング(Daisy Armstrong)という言葉を解読した。サミュエル・エドワード・ラチェットという名前は偽名であり、彼は、5年前に、米国において、幼いデイジー・アームストロングを誘拐して殺害した犯人カセッティ(Cassetti)で、身代金を持って海外へ逃亡していたのである。


2016年9月15日に、英国のロイヤルメール(Royal Mail)から発行された

アガサ・クリスティーの没後40周年の記念切手の一つである「オリエント急行の殺人」は、

米国人の実業家であるサミュエル・エドワード・ラチェットが殺害された深夜、

オリエント急行列車の廊下を外側から見た場面が描かれている。

画面左手には、フランス人で、車掌のピエール・ポール・ミシェルが立っており、

画面中央には、エルキュール・ポワロの部屋を突然ノックして、

彼の安眠を妨害し、立ち去って行く赤い着物を羽織った女性が描かれている。

そして、積雪による吹き溜まりの中に立ち往生したオリエント急行の煙突から立ち上った煙は、

帽子をかぶったポワロの形となって、ラチェットの殺害現場を見ているのである。

三日月が、ポワロの眼に該っている。

更に、画面の一番下には、ラチェットを殺害したと思われる

容疑者13名(12名の乗客と車掌)の名前が列挙されている。


ラチェットの正体を知ったポワロは、ブック氏/コンスタンティン博士と一緒に、列車の乗客の事情聴取を開始する。積雪のため、立ち往生した列車の周囲には足跡がなく、外部の人間が犯人とは思えなかった。列車には、


*1号室(一等寝台席):エルキュール・ポワロ

*2号室(一等寝台席):サミュエル・エドワード・ラチェット

*3号室(一等寝台席):キャロライン・マーサ・ハバード夫人(Mrs. Caroline Martha Hubbard)- 陽気でおしゃべりな中年女性(米国人)

*4号室(二等寝台席):エドワード・ヘンリー・マスターマン(Edward Henry Masterman)- ラチェットの執事(英国人)

*5号室(二等寝台席):アントニオ・フォスカレリ(Antonio Foscarelli)- 自動車のセールスマン(米国に帰化したイタリア人)

*6号室(二等寝台席):ヘクター・ウィラード・マックイーン - ラチェットの秘書(米国人)

*7号室(二等寝台席):空室(当初、ポワロが使用していた)

*8号室(二等寝台席):ヒルデガード・シュミット(Hildegarde Schmidt)- ドラゴミロフ公爵夫人に仕える女中(ドイツ人)

*9号室(二等寝台席):空室

*10号室(二等寝台席):グレタ・オルソン(Greta Ohisson)- 信仰心の強い中年女性(スウェーデン人)

*11号室(二等寝台席):メアリー・ハーマイオニー・デベナム(Mary Hermione Debenham)- 家庭教師(英国人)

*12号室(一等寝台席):エレナ・マリア・アンドレニ伯爵夫人(Countess Elena Maria Andrenyi / 旧姓:エレナ・マリア・ゴールデンベルク(Elena Maria Goldenberg))- ルドルフ・アンドレニ伯爵の妻(ハンガリー人)

*13号室(一等寝台席):ルドルフ・アンドレニ伯爵(Count Rudolf Andrenyi)- 外交官(ハンガリー人)

*14号室(一等寝台席):ナタリア・ドラゴミロフ公爵夫人(Princess Natalia Dragomiroff)- 亡命貴族の老婦人(フランスに帰化したロシア人)

*15号室(一等寝台席):アーバスノット大佐(Colonel Arbuthnot)- 軍人(英国人)

*16号室(一等寝台席):サイラス・ベスマン・ハードマン(Cyrus Bethman Hardman)- セールスマンと言っているが、実はラチェットの身辺を護衛する私立探偵(米国人)


ポワロと被害者のラチェット以外に、12名の乗客とオリエント急行の車掌で、フランス人のピエール・ポール・ミシェル(Pierre Paul Michel)が乗っていた。

果たして、ラチェットを惨殺した犯人は、誰なのか?ところが、何故か、乗客達のアリバイは、互いに補完されていて、容疑者と思われる者は、誰も居なかった。

捜査に難航するポワロであったが、最後には驚くべき真相を明らかにするのであった。


本作品において、犯行動機の重要なファクターとなるデイジー・アームストロング誘拐殺人事件については、初の大西洋単独無着陸飛行(1927年5月20日ー同年5月21日)を成功したことで有名な米国人飛行家チャールズ・オーガスタス・リンドバーグ(Charles Augustus Lindbergh:1902年ー1974年)の長男チャールズ・オーガスタス・リンドバーグ・ジュニア(当時1歳8ヶ月)が、1932年3月1日にニュージャージー州(New Jersey)の自宅から誘拐され、約2ヶ月後に邸宅付近で死亡しているのが発見されるという実際の事件があり、アガサ・クリスティーは、この事件から着想を得たものとされている。