英国の Laurence King Publishing Group Ltd. より、2020年に発売されたジグソーパズル「シェイクスピアの世界(The World of Shakespeare)」には、のイラスト内には、イングランドの劇作家 / 詩人であるウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare:1564年ー1616年 → 2023年5月19日付ブログで紹介済)や彼が生きた時代の人物、彼の劇が上演されたグローブ座、そして、彼が発表した史劇、悲劇や喜劇に登場するキャラクター等が散りばめられているので、前回に続き、順番に紹介していきたい。
今回、紹介するのは、ロンドン橋(London Bridge)である。
ウィリアム・シェイクスピアが活躍したエリザベス朝時代(Elizabethan era)、 ロンドン市内でテムズ河に架かる唯一の橋だったロンドン橋の上には、 建築物が立ち並んでいた。 |
ロンドン橋は、ロンドン市内を流れるテムズ河(River Thames)に架かる橋で、一番最初の橋として、紀元1世紀中頃に、ローマ人によって、木製のものが架けられた。
木製の橋は、嵐や火災等による崩壊を繰り返したため、12世紀後半から13世紀初めにかけて、石造りの橋が架けられた。竣工後、橋の上には、住宅、商店や礼拝堂が建てられた。
英国のロイヤルメール(Royal Mail)から、2002年9月10日に発行された 記念切手「ロンドン市内の橋(The Bridges of London)」の1枚である「ウェストミンスター橋」 |
1750年にウェストミンスター橋(Westminster Bridge)が架けられるまで、ロンドン橋が、ロンドン市内でテムズ河に架かる唯一の橋で、19の小さなアーチと南端に守衛所を備えた跳ね橋だった。
テムズ河南岸にあるロンドン橋の水門小屋には、 タール漬けにされた後、矛に刺した謀反人の生首が、 民衆への見せしめとして、晒されていた。 |
スコットランドの愛国者、騎士、軍事指導者だったサー・ウィリアム・ウォレス(Sir William Wallace:1270年頃ー1305年)の首が1305年に晒されたのが、一番最初である。
以降、テューダー朝(House of Tudor)の第2代イングランド王であるヘンリー8世(Henry VIII:1491年ー1547年 在位期間:1509年-1547年)の治世時には、彼の離婚 / 再婚問題に関連して、
(1)ジョン・フィッシャー(John Fisher:1469年ー1535年 / イングランドの聖職者)
(2)トマス・モア(Thomas More:1478年ー1535年 / イングランドの法律家、思想家で、人文学者)
(3)初代エセックス伯トマス・クロムウェル(Thomas Cromwell, 1st Earl of Essex:1485年ー1540年 / 政治家)
等が処刑され、彼らの首が晒されている。
この晒し首の慣行は、ステュアート朝(House of Stuart)の第3代イングランド / スコットランド / アイルランド王であるチャールズ2世(Charles II:1630年ー1685年 在位期間:1660年ー1685年)による王政復古(Restoration)時の1660年に、廃止された。
ソーホースクエアガーデンズ(Soho Square Gardens)内に設置されている チャールズ2世像 - デンマーク人の彫刻家 Caius Gabriel Cibber (1630年―1700年)が制作 |
英国のロイヤルメール(Royal Mail)から、2002年9月10日に発行された 記念切手「ロンドン市内の橋」の1枚である「ロンドン橋」 |
また、ロンドン橋上に建てられた住宅、商店や礼拝堂は、火災のリスクとアーチへの負荷を増大させていたので、1758年から1762年にかけて、水上交通の改善のために、橋の中心の2つのアーチをより広い梁間のものに変更した際、橋上の建築物も撤去されたのである。
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