英国の Titan Publishing Group Ltd. から2014年に出ている ヴォーン・エントウィッスル作「スラックストンホールの亡霊」の表紙 (Images : Dreamstime / Funny Little Fish) |
本作品「スラックストンホールの亡霊 / サー・アーサー・コナン・ドイルの超常現象事件簿(The Revenant of Thraxton Hall / The Paranormal Casebook of Sir Arthur Conan Doyle)」は、英国の作家であるヴォーン・エントウィッスル(Vaughn Entwistle)により執筆され、Titan Publishing Group Ltd. から Titan Books シリーズの1冊として、2014年に出版された。
Sherlock Holmes is dead … and I have killed him.
アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年-1930年)は、「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の1893年12月号に「最後の事件(The Final Problem → 2022年5月1日 / 5月8日 / 5月11日付ブログで紹介済)」を発表して、シャーロック・ホームズを、「犯罪界のナポレオン(Napoleon of crime)」こと、ジェイムズ・モリアーティー教授(Professor Jame Moriarty)と一緒に、スイスのマイリンゲン(Meiringen)にあるライヘンバッハの滝(Reichenbach Falls)の底へと葬っていた。
1893年は、アーサー・コナン・ドイルにとって、最悪の年で、彼の父で、スコットランド労務局測量士補だったチャールズ・アルタモント・ドイル(Charles Altamont Doyle)が、長年にわたる鬱病とアルコール中毒を経て、精神病院において死去していた。また、彼の妻のルイーズ(Louise)が結核に感染していることが判明したのである。
1894年3月のある火曜日の午前10時、ロンドン郊外のサウスノーウッド(South Norwood)に住むアーサー・コナン・ドイルは、匿名の女性の手紙に呼び出されて、氷のように冷たい雨の中、ロンドンの高級住宅街メイフェア地区(Mayfair)内にある「xxxxx クレッセント42番地(42 xxxxx Crescent)」の建物(6階建)を訪れた。彼が受け取った手紙には、不死鳥(phoenix)の透し模様(watermark)が入った高級なものだった。
アーサー・コナン・ドイルが暗闇の部屋へと通されると、女性の声が聞こえてきた。
姿が見えない女性によると、
・自分は降霊術者(spiritualist medium)であること
・自分は、2週間後に開催される降霊術会(seance)において、銃で胸を2回撃たれて、殺される運命にあること
・残念ながら、自分を殺害する人物の顔については、判らないこと
・「ストランドマガジン」誌上で、アーサー・コナン・ドイルの写真を見て、彼こそが、自分の殺害を止めてくれる人物だと判ったこと(I believe you are the only one who can prevent my death.)
・アーサー・コナン・ドイルに、自分の殺害をなんとか止めてほしい。
とのことだった。
メイフェア地区を出たアーサー・コナン・ドイルは、ストランド地区(Strand)へと向かった。ストランド通り(Strand)で馬車を降りた彼は、「ストランドマガジン」の建物を訪れた。
ホームズの死に対する正式な喪のしるしとして、黒い腕章を付けたロンドン市民が、「ストランドマガジン」に対して、抗議のデモを行っており、アーサー・コナン・ドイルの姿に気付いた人々は、彼を捕まえたり、キャベツやトマト等を投げつけたりした。
なんとか、「ストランドマガジン」の建物内に入ったアーサー・コナン・ドイルが、編集者と一緒に、オフィス内で打ち合わせをしていると、窓ガラスを破って、石が投げ込まれた。投げ込まれた石には、赤インクで「殺人者(Murderer)」と書かれた紙がつけられていたのである。
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