2023年2月13日月曜日

ツタンカーメン王墓発見100周年記念切手(Marking the centenary of Howard Carter’s remarkable discovery of Tutankhamun’s tomb)- その2

ツタンカーメン王墓発見100周年記念切手(その5)-
Lion Couch


今回は、古代エジプト第18王朝末期の最後の直系王族であるファラオであるツタンカーメン(Tutankhamun:紀元前1341年頃ー紀元前1323年頃 在位期間:紀元前1332年頃ー紀元前1323年頃)の王墓を発見した英国のエジプト考古学者であるハワード・カーター(Howard Carter:1874年ー1939年)について、紹介したい。


ツタンカーメン王墓発見100周年記念切手(その6)-
Throne


1891年5月9日、ロンドンのケンジントン地区(Kensington)に住む芸術家 / 挿絵画家である父親のサミュエル・ジョン・カーター(Samuel John Carter)と母親のマーサ・ジョイス・カーター(Martha Joyce Carter)の下に生まれたハワード・カーターは、エジプト考古学の大家であるサー・ウィリアム・マシュー・フリンダース・ピートリー(Sir William Matthew Flinders Petrie:1853年ー1942年)の下で学んだ。なお、サー・ウィリアム・マシュー・フリンダース・ピートリーによる最大の功績として、イスラエル石柱(メルエンプタハ碑文)の発見が挙げられる。

ツタンカーメン王墓発見100周年記念切手(その7)-
Boat Model

1891年、17歳のハワード・カーターは、遺跡発掘現場の助手として、エジプトへ渡った。

英国において、彼は高等教育を受けていなかったが、発掘品の精緻な模写ができること、また、考古学に対して、強い情熱を抱いていること等が高く評価されたため、1899年にエジプト考古局(Egyptian Antiquities Service)の遺跡監督官(Inspector of Monuments for Upper Egypt)に就任すると、1903年までの4年間にわたって務めた。

1904年、遺跡盗掘の件で現地の人達と揉めたことが原因となり、30歳のハワード・カーターは、別のエリアの遺跡監督官(Inspector of Lower Egypt)へと配置換えとなる。

1905年1月、遺跡のエジプト人警備達とそこへ入ろうとしたフランス人旅行者達との間で大きな揉め事が発生した際、ハワード・カーターは、エジプト人警備員達に味方し、正式なクレームを行ってきたフランス政府に対して、謝罪を全て拒否した。これが要因となり、同年、彼はエジプト考古局を去る羽目となった。


ツタンカーメン王墓発見100周年記念切手(その8)-
Guardian Statue


エジプト考古局を辞めたハワード・カーターは、それから3年近くの間、職に就くことができず、絵を描いたり、また、水彩画を旅行者達に売ったりして、生計を立てたのである。


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