2016年6月11日土曜日

ロンドン ケニントンロード(Kennington Road)

地下鉄ランベスノース駅から始まるケニントンロード

サー・アーサー・コナン・ドイル作「六つのナポレオン像(The Six Napoleons)」は、ある夜、スコットランドヤードのレストレイド警部(Inspector Lestrade)がベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)のシャーロック・ホームズの元を訪れるところから、物語が始まる。
最近、ロンドンの街中で何者かが画廊や住居等に押し入って、ナポレオンの石膏胸像を壊してまわっていたのだ。そのため、レストレイド警部はホームズのところへ相談に来たのである。レストレイド警部が発した「強盗」という言葉に興味を覚えたホームズのために、彼は警察手帳を取り出して、事の経緯について説明を始めるのであった。


「最初の事件が報告されたのは、4日前です。」と、彼(レストレイド警部)は言った。「モース・ハドソンの店で発生しました。モース・ハドソンはケニントンロードで画廊を営んでいます。店員が店の売り場をちょっと離れた時、何かが砕ける音が聞こえました。それで、店員が急いで売り場に戻ってみると、カウンターの上に他の美術品と一緒に置いてあったナポレオンの石膏胸像が粉々に砕けて、破片が床の上に散らばっていたのです。店員が店から通りへ飛び出しましたが、『一人の男が店から駆け出して来るのに気付いた。』と証言する通行人が数名居たものの、店員はナポレオンの石膏胸像を壊した犯人を見つけることはできず、犯人の身元を特定する方法もありませんでした。これは散発する無差別の破壊行為と思われたので、付近を巡回中の巡査には、そのように被害が届けられたのです。壊された石膏像の値段は数シリングに過ぎず、特別な捜査を行うには、事件全体としてあまりにも子供じみているようでした。」

地下鉄ランベスノース駅の入口

通りを挟んで、
地下鉄ランベスノース駅の反対側に建つ教会

'The first case reported was four days ago,' said he. 'It was at the shop of Morse Hudson, who has a place for the sale of pictures and statues in the Kennington Road. The assistant had left the front shop for an instant when he heard a crash, and hurrying in he found a plaster bust of Napoleon, which stood with several other works of art upon the counter, lying shivered into fragments. He rushed out into the road, but although several passer-by declared that they had noticed a man run out of the shop, he could neither see anyone nor could he find any means of identifying the rascal. It seemed to be one of those senseless acts of hooliganism which occur from time to time, and it was reported to the constable on the beat as such. The plaster cast was not worth more than a few shillings, and the whole affair appeared to be too childish for any particular investigation.'

ケニントンロード(その1)

ケニントンロード(その2)

ケニントンロード(Kennington Road)はテムズ河(River Thames)の南岸にあるロンドン・ランベス区(London Borough of Lambeth)内の南北に走る約1マイルの大通りで、北は地下鉄ランベスノース駅(Lambeth North Tube Station)の前を通るウェストミンスターブリッジロード(Westminster Bridge Road)から始まり、南は地下鉄エレファント・アンド・キャッスル駅(Elephant and Castle Tube Station)から延びてくるケニントンパークロード(Kennington Park Road)に突き当たる。

ケニントンロード(その3)

ケニントンロード(その4)

元々、この一帯は開けた土地であったが、1750年にテムズ河に架かるウェストミンスターブリッジ(Westminster Bridge)が正式に開通した翌年の1751年、ウェストミンスターブリッジとテムズ河の南側の交通を改善するために、ケニントンロードは敷設された。18世紀後半に入り、リゾート地としてブライトン(Brighton)の人気が高まるとともに、多くのロンドン市民がこのケニントンロードを通って、英国南部の海岸へと出かけたのである。

ケニントンロード沿いに建つ戦争博物館

ケニントンロード沿いの地下鉄ランベスノース駅寄りのところに、戦争博物館(Imperial War Museum)がある。
「ひまわり」等の絵画で知られるオランダ出身で後期印象派の画家であるフィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh:1853年ー1890年)は、1874年の8月から10月までと1874年12月から1875年5月までの2回、ケニントンロード395番地にあるアイヴィーコテージ(Ivy Cottage)に滞在していた。

レスタースクエア(Leicester Square)に設置されている
チャーリー・チャップリンのブロンズ像ー
同像を制作したのは、
地下鉄ベイカーストリート駅前のホームズ像の作者でもある
ジョン・ダブルデイ(John Doubleday)

また、「黄金狂時代」、「街の灯」、「モダンタイムス」や「ライムライト」等で知られる英国の映画俳優/映画監督であるチャールズ・スペンサー・”チャーリー”・チャップリン("Charlie" Chaplin:1889年ー1977年)が、ケニントンロード287番地で子供時代を過ごしている。 

2016年6月5日日曜日

ロンドン フリーメイソンズホール(Freemason's Hall)

フリーメイソンズホールの建物正面全景

アガサ・クリスティー作「愛国殺人(→英国での原題は、「One, Two, Buckle My Shoe」(いち、にい、私の靴の留め金を締めて)であるが、日本でのタイトルは米国版「The Patriotic Murders」をベースにしている)」(1940年)は、エルキュール・ポワロがクイーンシャーロットストリート58番地(58 Queen Charlotte Street)にある歯科医ヘンリー・モーリー(Henry Morley)の待合室に居るところから、物語が始まる。
流石の名探偵ポワロであっても、半年に一回の定期検診のために、歯科医の待合室で診療を待つのは、自分の自尊心を大いに傷つけられるのであった。ようやく診療を終えて、建物の外に出たポワロは、そこで女性の患者とすれ違った際、彼女が落とした靴の留め金(バックル)を拾って渡した。そして、フラットに戻ったポワロを待っていたのは、ついさっき自分を診療したモーリー歯科医が診療室で拳銃自殺をしたとのスコットランドヤードのジャップ主任警部(Chief Inspector Japp)からの連絡であった。

入口右手脇にあるライトと植栽

ポワロの後に、モーリー歯科医の待合室にやって来た患者は、以下の3名であることが判る。
(1)マーティン・アリステア・ブラント(Martin Alistair Blunt)/銀行頭取
(2)アムバライオティス氏(Mr Amberiotis)/インドから帰国したばかりのギリシア人→モーリー歯科医の患者で、元内務省官僚のレジナルド・バーンズ(Reginald Barnes)は、アムバライオティスがスパイである上に、恐喝者だとポワロに告げる。
(3)メイベル・セインズベリー・シール(Mabelle Sainsbury Seale)/アムバライオティス氏と同じく、インド帰りの元女優

入口右手脇から建物を見上げたところ

モーリー歯科医の死が自殺ではなく、他殺の可能性もあると考えて、捜査を開始したポワロであったが、その後、アムバライオティス氏が歯科医が使用する麻酔剤の過剰投与により死亡しているのが発見される。モーリー歯科医は、アムバライオティス氏の診療ミス(=注射する薬品量の間違い)を苦にして、拳銃自殺を遂げたのだろうか?

続いて、メイベル・セインズベリー・シールが行方不明となり、バタシーパーク(Battersea Park - ロンドンの特別区の一つであるワンズワース区(London Borough of Wandsworth)のバタシー地区(Battersea)内に所在)近くにあるキングレオポルドマンションズ(King Leopold Mansions)のアルバート&シルヴィア・チャップマン(Albert & Sylvia Chapman)のフラットにおいて、彼女の死体が発見される、しかも、彼女の顔は見分けがつかない程の有り様だった。

チャップマン夫人がメイベル・セインズベリー・シールを殺害の上、逃亡したのだろうか?ところが、モーリー歯科医の診療記録によると、発見された死体は、メイベル・セインズベリー・シールではなく、チャップマン夫人であることが判明する。


ポワロが診療を終えて去った後、モーリー歯科医の診療室において、一体何があったのであろうか?ポワロの灰色の脳細胞がフル回転し始める。


アムバライオティス氏の宿泊先であるアストリアホテルの入口外観として、
フリーメイソンズホールの入口が撮影に使用されている

英国のTV会社 ITV1 が放映したポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」の「愛国殺人」(1992年)の回において、歯科医が使用する麻酔剤の過剰投与により、アムバライオティス氏が死亡しているのが発見されるが、彼の宿泊先のホテルであるアストリアホテル(Astoria Hotel)の入口外観として、フリーメイソンズホール(Freemaison's Hall)が撮影に使用されている。なお、アガサ・クリスティーの原作では、アムバライオティス氏の宿泊先はサヴォイホテル(Savoy Hotel)と設定されている。

雨上がり後の青空を背にしたフリーメイソンズホール

フリーメイソンズホールは、ロンドン・カムデン区(London Borough of Camden)のホルボーン地区(Holborn)内にあり、シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)内にある地下鉄コヴェントガーデン駅(Covent Garden Tube Station)とロンドン・カムデン区内にある地下鉄ホルボーン駅(Holborn Tube Station)を結ぶグレイトクイーンストリート(Great Queen Street)とワイルドストリート(Wild Street)が交差する角(=グレイトクイーンストリート60番地)に建っている。

グレイトクイーンストリートは、
シティー・オブ・ウェストミンスター区とロンドン・カムデン区の
両方に跨がっている

友愛結社であるフリーメイソン組織のうち、イングランドのグランドロッジ(Grand Lodgeー国や州を単位とする本部)が1775年に当地(通りに面した建物+後ろ側の建物/庭園)を購入し、二つの建物を接続するため、設計コンペを行った。そして、製図工、水彩画家、建築家や教師と様々な顔を持つトマス・サンドバイ(Thomas Sandby:1721年ー1798年)の設計案が選ばれ、通りに面した建物は居酒屋/宿屋に、後ろの建物はオフィスと会議室に改装された。なお、トマス・サンドバイは、1768年に王立芸術院(Royal Academy of Arts)を設立したメンバーの一人である。
フリーメイソンズホールは1776年5月23日にオープンし、トマス・サンドバイはフリーメイソン組織から「偉大な建築家(Grand Architect)」と称えられた。

2代目のフリーメイソンズホールを建設した
英国の建築家ジョン・ソーン

その後、フリーメイソンズホールは、1820年代に英国の新古典主義を代表する建築家で、イングランド銀行(Bank of England)の大改修でも有名なジョン・ソーン(John Soane:1753年ー1837年)によって拡張されたが、1883年の火事で建物の構造部分に被害を蒙ったため、取り壊されてしまった。

このジョン・ソーン像は、現在、
イングランド銀行裏手の外壁に設置されている

現在、当地に建つアールデコ様式の建物は3代目で、英国の建築家であるヘンリー・ヴィクター・アシュリー(Henry Victor Ashley:1872年ー1945年)とフランシス・ウィントン・ニューマン(Francis Winton Newman:1878年ー1953年)の設計に基づき、1927年から1933年にかけて建設された。第一次世界大戦(1914年ー1918年)で命をおとした3千人を超えるフリーメイソンメンバーを悼むメモリアルとして建設されたため、当初、3代目の建物は「メーソン平和記念碑(Masonic Peace Memorial)」と呼ばれたが、第二次世界大戦(1939年ー1945年)の勃発に伴い、現在の「フリーメイソンズホール」という名前に変更された。

1933年7月19日に3代目の建物がオープンしたことを示す碑が
入口右手脇のライトの下に刻まれている

3代目の建物には、フリーメイソン組織のうち、イングランドのグランドロッジが入居する他、一般向けの図書館や博物館も併設されている。
建物は、現在、「グレードⅡ(Grade II)」の指定を受けている。

アールデコ様式で建設された
3代目のフリーメイソンズホール

英国のTV会社 ITV1 が放映したポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」は、基本的に、その時代設定を第一次世界大戦と第二次世界大戦の間としており、ちょうどその頃流行したアールデコ様式で建設されたフリーメイソンズホールが物語の舞台の一つとして選ばれたと思われる。

ちなみに、シャーロック・ホームズシリーズの作者であるサー・アーサー・コナン・ドイル(1859年ー1930年)もフリーメイソンのメンバーで、1887年(1月26日)に入会している。

また、「赤毛組合(The Red-Headed League)」(「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の1891年8月号に掲載)では、ロンドンのシティー(City)近くのザクセン-コーブルクスクエア(Saxe-Coburg Square)において、質屋(pawn broker)を営んでいるジェイベス・ウィルソン(Jabez Wilson)がベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)のホームズの元を相談に訪れた際、ホームズは彼に対して、「フリーメイソンのメンバーですね。」という発言をしている。

2016年6月4日土曜日

ロンドン ワンズワースコモン/クラッパムジャンクション駅(Wandsworth Common / Clapham Junction Station)

クラッパムジャンクション駅の入口正面

サー・アーサー・コナン・ドイル作「ギリシア語通訳(The Greek Interpreter)」において、ある水曜日の夕刻、シャーロック・ホームズとジョン・ワトスンの二人は、パル・マル通り(Pall Mallー2016年4月30日付ブログで紹介済)にある「ディオゲネスクラブ(Diogenes Club)」を訪れる。そこで兄のマイクロフト・ホームズ(Mycroft Holmes)に会ったシャーロックは、兄の隣人で、主にギリシア語通訳を生活の糧にしているメラス氏(Mr Melas)を紹介された。メラス氏によると、2日前、つまり、月曜日の夜に非常に恐ろしい体験をして、その件でシャーロックに捜査をお願いしたいと言う。


メラス氏の説明によると、当夜、彼は上流階級風の身なりをした青年ラティマー氏(Mr Latimer)から通訳の依頼を受け、ラティマー氏が戸口に待たせていた辻馬車に一緒に乗って、パル・マル通りからケンジントン(Kensington)へと出発した。ところが、辻馬車はチャリングクロス交差点(Charing Crossー2016年5月25日付ブログで紹介済)を抜けて、シャフツベリーアヴェニュー(Shaftesbury Avenueー2016年5月15日付ブログで紹介済)経由、オックスフォードストリート(Oxford Streetー2016年5月28日付ブログで紹介済)へと達する。これでは、ロンドンの西部に位置するケンジントンとは反対方向へ、辻馬車は進んでいることになってしまう。

奥に見えるのが、クラッパムジャンクション駅ー
左手には、セキュリティーゲートで囲まれたフラットが建っている

メラス氏が胸の内で生じた疑念を吐露すると、ラティマー氏は鉛の入った棍棒を急に取り出し、メラス氏を脅すのであった。そして、メラス氏は、2時間近く馬車に乗せられたまま、秘密の場所へ連れて行かれた。そこで、メラス氏は、やせ衰えて口に大きな絆創膏を貼られたギリシア人紳士に対して、何かの書類へのサインを強要する通訳をさせられることになった。その途中、ドアが開いて、背の高い黒髪の女性が部屋に入って来た。お互いをポール・クラティデス(Paul Kratides)とソフィー(Sophy)と呼ぶ二人は、謎の青年ラティマー氏達に誘拐されて、身柄を拘束されているようである。その直後、全く事情が判らないメラス氏は再度馬車に乗せられ、見知らぬ場所で降ろされたのであった。

クラッパムジャンクション駅へと至る道(その1)

「『メラスさん、ここで馬車から降りて下さい。』と、ラティマー氏が言いました。『あなたの御宅からこんなに離れたところで降ろして申し訳ないが、仕方がありません。念の為言っておきますが、この馬車の後をつけようとされるのは、御自分の身の為になりませんよ。』」
「ラティマー氏はそう言って、馬車の扉を開けました。私が馬車から飛び降りると直ぐに、御者は馬に鞭を打つと、馬車はガタガタと走り去りました。私は驚いて辺りを見回してみると、そこはハリエニシダの暗い茂みが斑にあり、ヒース(常緑低木)に覆われた荒れ地のような場所でした。上階の窓のそこかしこに明かりが灯った家並みが遠くに広がっていました。そして、反対側には、鉄道の赤い信号が見えました。」
「私を乗せてきた馬車は、私の視界からは既に居なくなっていました。私が辺りを見回しながら考えていると、暗闇の中を私の方へ向かって来る人が居たのです。彼が近づいて来ると、鉄道のポーター(赤帽)であることが判りました。」
「『一体、ここはどこなのですか?』と、私は尋ねました。」
「『ワンスワースコモンですよ。』と、赤帽が答えました。」
「『ロンドン市内へ行く列車に乗れますか?』」
「『クラッパムジャンクション駅まで1マイル程歩かれるのであれば、ヴィクトリア駅行きの最終列車にちょうど間に合うでしょう。』と、彼は言いました。」

クラッパムジャンク駅へと至る道(その2)

' "You will get down here, Mr Melas," said my companion. "I am sorry to leave you so far from your house, but there is no alternative, Any attempt upon your part to follow the carriage can only end in injury to yourself."
'He opened the door as he spoke, and I had hardly time to spring out when the coachman lashed the horse and the carriage rattled away. I looked around me in astonishment. I was on some sort of a heathy common mottled over with dark clumps of furze bushes. Far away stretched a line of houses, with a light here and there in the upper windows. On the other side I saw the red signal-lamps of a railway.
'The carriage which had brought me was already out of sight. I stood gaging round and wondering where on earth I might be, when I saw someone coming towards me in the darkness. As he came up to me I made out that he was a railway porter.
' "Can you tell me what place this is?" I asked.
' "Wandsworth Common," said he,
' "Can I get a train into town?"
' "If you walk on a mile or so to Clapham Junction," said he, "you'll just be in time for the last to Victoria."

クラッパムジャンクション駅前にあるバス停

謎の青年ラティマー氏によってメラス氏が馬車を降ろされたワンズワースコモン(Wandsworth Common)は、テムズ河(River Thames)の南側にあり、ロンドン・ワンズワース区(London Borough of Wandsworth)に属した公有地で、ワンズワース区議会(Wandsworth Council)が管理している。
ワンズワースコモン内には、多くの池や湖等が点在していて、野鳥等が保護されている。
ワンズワースコモンの南側にあるワンズワースコモン駅(Wandsworth Common Station)と北側にあるクラッパムジャンクション駅(Clapham Junction Station)の間を結ぶ鉄道の線路がワンズワースコモン内を南北に縦断していて、コモンを東西に分けている。メラス氏がワンズワースコモン内で鉄道の赤い信号を見たのは、そのためである。

クラッパムジャンクション駅の入口

ロンドン市内へ戻る為に、メラス氏が徒歩でワンズワースコモンから向かった先のクラッパムジャンクション駅も、ロンドン・ワンズワース区に属している。「クラッパム」という名前が付いているが、当駅はバタシー地区(Battersea)とワンズワース地区(Wandsworth)の中間辺りに位置していて、一般にクラッパム地区(Clapham)と呼ばれている地域からは北西へやや離れたところにある。
当駅の名前は、「丘(hill)」を意味する「clap」と「家(home)」を意味する「ham」が合わさってできた地名に、「分岐点」を意味する「junction」が付く形で呼ばれている。何故ならば、このクラッパムジャンクション駅は、ロンドン中心部にあるターミナル駅のうち、ヴィクトリア駅(Victoria Stationーテムズ河の北側に所在)とウォータールー駅(London Waterloo Stationーテムズ河の南側に所在)へと向かう二つの大幹線がX状に交差する交点に位置しているからである。

クラッパムジャンクション駅前の通り―
画面奥を右へ曲がり、鉄道高架を潜った先に繁華街がある

1838年5月21日にロンドンとサザンプトン(Southampton)の間を結ぶ鉄道が開通した時点では、クラッパムジャンクション駅はまだ存在していなかった。その後、1863年3月2日にクラッパムジャンクション駅は正式にオープンして、以降、ロンドンから英国南部(ブライトン(Brighton)等)と英国南西部(サザンプトン等)へと向かう鉄道網の重要な交点という役割を果たしており、英国内で「最も忙しい駅(busiest UK station)」と言われている。

2016年5月29日日曜日

ロンドン ハーリーストリート84番地/クイーンシャーロットストリート58番地(84 Harley Street / 58 Queen Charlotte Street)

歯科医ヘンリー・モーリーの診療室として撮影に使用されたハーリーストリート84番地の入口

アガサ・クリスティー作「愛国殺人(→英国での原題は、「One, Two, Buckle My Shoe」(いち、にい、私の靴の留め金を締めて)であるが、日本でのタイトルは米国版「The Patriotic Murders」をベースにしている)」(1940年)は、エルキュール・ポワロがクイーンシャーロットストリート58番地(58 Queen Charlotte Street)にある歯科医ヘンリー・モーリー(Henry Morley)の待合室に居るところから、物語が始まる。
流石の名探偵ポワロであっても、半年に一回の定期検診のために、歯科医の待合室で診療を待つのは、自分の自尊心を大いに傷つけられるのであった。ようやく診療を終えて、建物の外に出たポワロは、そこで女性の患者とすれ違った際、彼女が落とした靴の留め金(バックル)を拾って渡した。そして、フラットに戻ったポワロを待っていたのは、ついさっき自分を診療したモーリー歯科医が診療室で拳銃自殺をしたとのスコットランドヤードのジャップ主任警部(Chief Inspector Japp)からの連絡であった。


ポワロの後に、モーリー歯科医の待合室にやって来た患者は、以下の3名であることが判る。
(1)マーティン・アリステア・ブラント(Martin Alistair Blunt)/銀行頭取
(2)アムバライオティス氏(Mr Amberiotis)/インドから帰国したばかりのギリシア人→モーリー歯科医の患者で、元内務省官僚のレジナルド・バーンズ(Reginald Barnes)は、アムバライオティスがスパイである上に、恐喝者だとポワロに告げる。
(3)メイベル・セインズベリー・シール(Mabelle Sainsbury Seale)/アムバライオティス氏と同じく、インド帰りの元女優

ハーリーストリート84番地の建物全景

モーリー歯科医の死が自殺ではなく、他殺の可能性もあると考えて、捜査を開始したポワロであったが、その後、アムバライオティス氏が歯科医が使用する麻酔剤の過剰投与により死亡しているのが発見される。モーリー歯科医は、アムバライオティス氏の診療ミス(=注射する薬品量の間違い)を苦にして、拳銃自殺を遂げたのだろうか?


続いて、メイベル・セインズベリー・シールが行方不明となり、バタシーパーク(Battersea Park - ロンドンの特別区の一つであるワンズワース区(London Borough of Wandsworth)のバタシー地区(Battersea)内に所在)近くにあるキングレオポルドマンションズ(King Leopold Mansions)のアルバート&シルヴィア・チャップマン(Albert & Sylvia Chapman)のフラットにおいて、彼女の死体が発見される、しかも、彼女の顔は見分けがつかない程の有り様だった。

チャップマン夫人がメイベル・セインズベリー・シールを殺害の上、逃亡したのだろうか?ところが、モーリー歯科医の診療記録によると、発見された死体は、メイベル・セインズベリー・シールではなく、チャップマン夫人であることが判明する。


ポワロが診療を終えて去った後、モーリー歯科医の診療室において、一体何があったのであろうか?ポワロの灰色の脳細胞がフル回転し始める。


ハーリーストリートを南側から北側へ見たところ―
右側中央にある白い建物がハーリーストリート84番地

英国のTV会社 ITV1 が放映したポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」の「愛国殺人」(1992年)の回において、モーリー歯科医の診療室の住所は、原作通りのクイーンシャーロットストリート58番地ではなく、ハーリーストリート168番地(168 Harley Street)として設定されているが、実際には、ハーリーストリート84番地(84 Harley Street)の建物が撮影に使用されている。なお、ロンドン市内には、クイーンシャーロットストリートは存在しておらず、スコットランドのエディンバラ(Edinburgh)や英国西部のブリストル(Bristol)等にはある。

ハーリーストリート84番地の1階(日本でいう2階)ベランダに設置されている植栽

ハーリーストリート(Harley Street → 2015年4月11日付ブログで紹介済)の場合、南側はキャヴェンディッシュスクエア(Cavendish Squareーデパートのジョン・ルイス(John Lewis)の裏手に該る → 2015年4月5日付ブログで紹介済)から始まり、北側は地下鉄ベイカーストリート駅(Baker Street Tube Station)の前を通るマリルボーンロード(Marylebone Road)へと至る約800mの通りで、18世紀前半にこの一帯を開発した第2代オックスフォード伯爵エドワード・ハーリー(Edward Harley, 2nd Earl of Oxford:1689年ー1741年)の名前に因んでいる。
19世紀以降、ハーリーストリート沿い、および、その周辺に医院、病院や医療機関等が集まるようになり、その数は1860年の20箇所から1914年の200箇所へと劇的に増加した。元々、医者は大きな駅の近くに開業する傾向があり、最初はパディントン駅(Paddinton Station)、キングスクロス駅(King's Cross Station)、セントパンクラス駅(St. Pancras Station)やユーストン駅(Euston Station)近辺が主流であったが、その後、マリルボーン駅(Marylebone Station)に比較的近いハーリーストリートが人気になったものと思われる。今は、ハーリーストリート沿い、および、その周辺には、フラットがかなり増えているものの、相変わらず、医療機関が入居している建物が非常に多い。

ハーリーストリート84番地の反対側に建つ建物―
右側から2つ目の建物がハーリーストリート87番地

ドラマの撮影時、建物(ハーリーストリート84番地)の玄関ドアの右脇にある番地表示の「84」の上に「Mr. H. Morley」の表札をかぶせたり、玄関ドア自体に番地表示の「168」を追加したりと、配慮が行われている。ただ、ポワロや他の患者がモーリー歯科医を訪ねて来る場面で、通りの反対側に85番地や87番地の表示が見えるため、ハーリーストリート84番地が撮影に使用されていることが判る。なお、ハーリーストリート168番地は、現在の住所表記上、存在していない。
なお、玄関ドアの脇に何も表示がないため、現在、ハーリーストリート84番地の建物が医療機関として使用されているのか、あるいは、フラットとして使用されているのか、外観からは窺い知ることはできないものの、ドラマの撮影時に比べると、建物外壁は白く綺麗に清掃されている。

ハーリーストリート84番地の建物全景(その2)

英国での原題「いち、にい、私の靴の留め金を締めて」は、米国版の「愛国殺人」とともに、アガサ・クリスティーの原作の重要な部分を良く捉えているが、ポワロが真犯人を突き止めるための非常に大事な手掛かりとなった点を考えると、個人的には、英国での原題の方に軍配を挙げたいと思う。元々、原題はマザーグース童謡の一節であり、日本ではあまり馴染みがなかったこと、また、日本語訳上、タイトルがやや長くなる上に、推理小説だとは判ってもらえない可能性があったこと等を考慮すると、米国版の「愛国殺人」が日本語版のタイトルとなったのはやむを得ないところである。

2016年5月28日土曜日

ロンドン オックスフォードストリート(Oxford Street)

オックスフォードサーカスからマーブルアーチへ向かうオックスフォードストリート(画面奥)を望む

サー・アーサー・コナン・ドイル作「ギリシア語通訳(The Greek Interpreter)」において、ある水曜日の夕刻、シャーロック・ホームズとジョン・ワトスンの二人は、パル・マル通り(Pall Mallー2016年4月30日付ブログで紹介済)にある「ディオゲネスクラブ(Diogenes Club)」を訪れる。そこで兄のマイクロフト・ホームズ(Mycroft Holmes)に会ったシャーロックは、兄の隣人で、主にギリシア語通訳を生活の糧にしているメラス氏(Mr Melas)を紹介された。メラス氏によると、2日前、つまり、月曜日の夜に非常に恐ろしい体験をして、その件でシャーロックに捜査をお願いしたいと言う。


メラス氏の説明によると、当夜、彼は上流階級風の身なりをした青年ラティマー氏(Mr Latimer)から通訳の依頼を受け、ラティマー氏が戸口に待たせていた辻馬車に一緒に乗って、パル・マル通りからケンジントン(Kensington)へと出発した。ところが、辻馬車はチャリングクロス交差点(Charing Crossー2016年5月25日付ブログで紹介済)を抜けて、シャフツベリーアヴェニュー(Shaftesbury Avenueー2016年5月15日付ブログで紹介済)経由、オックスフォードストリート(Oxford Street)へと達する。これでは、ロンドンの西部に位置するケンジントンとは反対方向へ、辻馬車は進んでいることになってしまう。メラス氏の胸の内では、ラティマー氏に対する疑念が生じ始めていた。

「ジョン・ルイス」デパートの外壁(通常時)
「ジョン・ルイス」デパートの外壁(クリスマス期間中)

「辻馬車がオックスフォードストリートまで来ました。私がラティマー氏に対して、「ケンジントンへ行くには、遠回りの道になるのでは?」と思い切って尋ねたところ、彼のとんでもない態度に私は言葉を失いました。」
「彼は鉛が入った物凄く恐ろしげな様子の棍棒をポケットから引っ張り出して、重さと強さを試すように数回前後に振りました。それから、彼は何も言わないまま、棍棒を自分の横の座席の上に置きました。その後、彼は辻馬車の両側の窓を引き上げました。驚いたことには、私が外を見ることができないように、両側の窓は紙で覆われていたのです。」

「ジョン・ルイス」デパート前のオックスフォードストリートは
買物客や観光客等でいつも賑わっている
「ジョン・ルイス」デパートの外壁には、英国の芸術家/彫刻家である
バーバラ・ヘップワース(Barbara Hepworth:1903年―1975年)による
作品「翼のある形(Winged Figure)」が設置されている

'We had come out upon Oxford Street and I had returned some remark as to this being a roundabout way to Kensington, when my words were arrested by the extraordinary conduct of my companion.
'He began by drawing a most formidable-looking bludgeon loaded with lead from his pocket, and switching it backward and forward several times, as if to test its weight and strength. Then he placed it without a word upon the seat beside him. Having done this, he drew up the windows on each side, and I found to my astonishment that they were covered with papers so as to prevent my seeing through them!'

リージェントストリート(Regent Street)から見た
オックスフォードサーカス

オックスフォードストリートはロンドンの中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)内にあり、東側はトッテナムコートロード(Tottenham Corut Road)から始まり、西側はマーブルアーチ(Marble Arch)に至る約 2.5 kmの長い通りである。オックスフォードストリートの下には地下鉄セントラルライン(Central Line)が走っていて、東側から順番にトッテナムコートロード駅(Tottenham Court Road Tube Station)、オックスフォードサーカス駅(Oxford Circus Tube Station)、ボンドストリート駅(Bond Street Tube Station)、そして、マーブルアーチ駅(Marble Arch Tube Station)の4駅が同ストリート沿いに位置している。

「ハウス・オブ・フレイザー」デパートの外壁(クリスマス期間中)

オックスフォードストリートの起源はローマ時代にまで遡る。それ以降、ストリートの南側にタイバーン川(River Tyburn)が流れていたことからタイバーンロード(Tyburn Road)と呼ばれたり、あるいは、オックスフォードロード(Oxford Road)と呼ばれたりしていたが、1729年にはオックスフォードストリートとしての名前が定着し始めた。
18世紀後半、ストリート一帯はオックスフォード伯爵(Earl of Oxford)によって購入された後、開発されて、19世紀に入ると、多くの店舗で賑わうようになった。第二次世界大戦(1939年ー1945年)時の1940年9月17日の夜から同年9月18日の未明にかけて、ドイツ軍による爆撃を受けて、オックスフォードストリート沿いも大打撃を被ったが、その後復興し、現在に至っている。

オックスフォードサーカスにある
地下鉄オックスフォードサーカス駅の出入口

メラス氏が乗った辻馬車がシャフツベリーアヴェニューを抜けて至ったオックスフォードストリートは、同ストリートの東端に該るトッテナムコートロードに接する辺りかと思われるが、そこからマーブルアーチに至る通りの両側には各種店舗やデパート等が建ち並び、いつも買物客や観光客等で一杯である。特に、オックスフォードストリートの中間点にある地下鉄オックスフォードサーカス駅周辺(渋谷のスクランブル交差点を取り入れた十字路)の人混みは物凄く、時間帯によっては、地下鉄の駅に入れない時があったりする位である。

「デベナムス」デパートの外壁(クリスマス期間中)
「デベナムス」デパートの外壁(通常時)―
奥に見えるのが、オックスフォードストリート

ちなみに、地下鉄オックスフォードサーカス駅からマーブルアーチにかけて、
(1)ジョン・ルイス(John Lewis)ー英国内では、3番目に大きいデパート
(2)ハウス・オブ・フレイザー(House of Fraser)
(3)デベナムス(Debenhams)
(4)セルフリッジズ(Selfridges)ー英国内では、2番目に大きいデパート
(5)マークス・アンド・スペンサー(Marks and Spencer)
といった有名なデパートが軒を並べるように建っている。