2016年6月5日日曜日

ロンドン フリーメイソンズホール(Freemason's Hall)

フリーメイソンズホールの建物正面全景

アガサ・クリスティー作「愛国殺人(→英国での原題は、「One, Two, Buckle My Shoe」(いち、にい、私の靴の留め金を締めて)であるが、日本でのタイトルは米国版「The Patriotic Murders」をベースにしている)」(1940年)は、エルキュール・ポワロがクイーンシャーロットストリート58番地(58 Queen Charlotte Street)にある歯科医ヘンリー・モーリー(Henry Morley)の待合室に居るところから、物語が始まる。
流石の名探偵ポワロであっても、半年に一回の定期検診のために、歯科医の待合室で診療を待つのは、自分の自尊心を大いに傷つけられるのであった。ようやく診療を終えて、建物の外に出たポワロは、そこで女性の患者とすれ違った際、彼女が落とした靴の留め金(バックル)を拾って渡した。そして、フラットに戻ったポワロを待っていたのは、ついさっき自分を診療したモーリー歯科医が診療室で拳銃自殺をしたとのスコットランドヤードのジャップ主任警部(Chief Inspector Japp)からの連絡であった。

入口右手脇にあるライトと植栽

ポワロの後に、モーリー歯科医の待合室にやって来た患者は、以下の3名であることが判る。
(1)マーティン・アリステア・ブラント(Martin Alistair Blunt)/銀行頭取
(2)アムバライオティス氏(Mr Amberiotis)/インドから帰国したばかりのギリシア人→モーリー歯科医の患者で、元内務省官僚のレジナルド・バーンズ(Reginald Barnes)は、アムバライオティスがスパイである上に、恐喝者だとポワロに告げる。
(3)メイベル・セインズベリー・シール(Mabelle Sainsbury Seale)/アムバライオティス氏と同じく、インド帰りの元女優

入口右手脇から建物を見上げたところ

モーリー歯科医の死が自殺ではなく、他殺の可能性もあると考えて、捜査を開始したポワロであったが、その後、アムバライオティス氏が歯科医が使用する麻酔剤の過剰投与により死亡しているのが発見される。モーリー歯科医は、アムバライオティス氏の診療ミス(=注射する薬品量の間違い)を苦にして、拳銃自殺を遂げたのだろうか?
続いて、メイベル・セインズベリー・シールが行方不明となり、アルバート・チャップマン夫人(Mrs Albert Chapman)という女性のフラットにおいて、彼女の死体が発見される、しかも、彼女の顔は見分けがつかない程の有り様だった。チャップマン夫人がメイベル・セインズベリー・シールを殺害の上、逃亡したのだろうか?ところが、モーリー歯科医の診療記録によると、発見された死体はメイベル・セインズベリー・シールではなく、チャップマン夫人であることが判明する。
ポワロが診療を終えて去った後、モーリー歯科医の診療室において、一体何があったのであろうか?ポワロの灰色の脳細胞がフル回転し始める。

アムバライオティス氏の宿泊先であるアストリアホテルの入口外観として、
フリーメイソンズホールの入口が撮影に使用されている

英国のTV会社 ITV1 が放映したポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」の「愛国殺人」(1992年)の回において、歯科医が使用する麻酔剤の過剰投与により、アムバライオティス氏が死亡しているのが発見されるが、彼の宿泊先のホテルであるアストリアホテル(Astoria Hotel)の入口外観として、フリーメイソンズホール(Freemaison's Hall)が撮影に使用されている。なお、アガサ・クリスティーの原作では、アムバライオティス氏の宿泊先はサヴォイホテル(Savoy Hotel)と設定されている。

雨上がり後の青空を背にしたフリーメイソンズホール

フリーメイソンズホールは、ロンドン・カムデン区(London Borough of Camden)のホルボーン地区(Holborn)内にあり、シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)内にある地下鉄コヴェントガーデン駅(Covent Garden Tube Station)とロンドン・カムデン区内にある地下鉄ホルボーン駅(Holborn Tube Station)を結ぶグレイトクイーンストリート(Great Queen Street)とワイルドストリート(Wild Street)が交差する角(=グレイトクイーンストリート60番地)に建っている。

グレイトクイーンストリートは、
シティー・オブ・ウェストミンスター区とロンドン・カムデン区の
両方に跨がっている

友愛結社であるフリーメイソン組織のうち、イングランドのグランドロッジ(Grand Lodgeー国や州を単位とする本部)が1775年に当地(通りに面した建物+後ろ側の建物/庭園)を購入し、二つの建物を接続するため、設計コンペを行った。そして、製図工、水彩画家、建築家や教師と様々な顔を持つトマス・サンドバイ(Thomas Sandby:1721年ー1798年)の設計案が選ばれ、通りに面した建物は居酒屋/宿屋に、後ろの建物はオフィスと会議室に改装された。なお、トマス・サンドバイは、1768年に王立芸術院(Royal Academy of Arts)を設立したメンバーの一人である。
フリーメイソンズホールは1776年5月23日にオープンし、トマス・サンドバイはフリーメイソン組織から「偉大な建築家(Grand Architect)」と称えられた。

2代目のフリーメイソンズホールを建設した
英国の建築家ジョン・ソーン

その後、フリーメイソンズホールは、1820年代に英国の新古典主義を代表する建築家で、イングランド銀行(Bank of England)の大改修でも有名なジョン・ソーン(John Soane:1753年ー1837年)によって拡張されたが、1883年の火事で建物の構造部分に被害を蒙ったため、取り壊されてしまった。

このジョン・ソーン像は、現在、
イングランド銀行裏手の外壁に設置されている

現在、当地に建つアールデコ様式の建物は3代目で、英国の建築家であるヘンリー・ヴィクター・アシュリー(Henry Victor Ashley:1872年ー1945年)とフランシス・ウィントン・ニューマン(Francis Winton Newman:1878年ー1953年)の設計に基づき、1927年から1933年にかけて建設された。第一次世界大戦(1914年ー1918年)で命をおとした3千人を超えるフリーメイソンメンバーを悼むメモリアルとして建設されたため、当初、3代目の建物は「メーソン平和記念碑(Masonic Peace Memorial)」と呼ばれたが、第二次世界大戦(1939年ー1945年)の勃発に伴い、現在の「フリーメイソンズホール」という名前に変更された。

1933年7月19日に3代目の建物がオープンしたことを示す碑が
入口右手脇のライトの下に刻まれている

3代目の建物には、フリーメイソン組織のうち、イングランドのグランドロッジが入居する他、一般向けの図書館や博物館も併設されている。
建物は、現在、「グレードⅡ(Grade II)」の指定を受けている。

アールデコ様式で建設された
3代目のフリーメイソンズホール

英国のTV会社 ITV1 が放映したポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」は、基本的に、その時代設定を第一次世界大戦と第二次世界大戦の間としており、ちょうどその頃流行したアールデコ様式で建設されたフリーメイソンズホールが物語の舞台の一つとして選ばれたと思われる。

ちなみに、シャーロック・ホームズシリーズの作者であるサー・アーサー・コナン・ドイル(1859年ー1930年)もフリーメイソンのメンバーで、1887年(1月26日)に入会している。

また、「赤毛組合(The Red-Headed League)」(「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の1891年8月号に掲載)では、ロンドンのシティー(City)近くのザクセン-コーブルクスクエア(Saxe-Coburg Square)において、質屋(pawn broker)を営んでいるジェイベス・ウィルソン(Jabez Wilson)がベーカーストリート221Bのホームズの元を相談に訪れた際、ホームズは彼に対して、「フリーメイソンのメンバーですね。」という発言をしている。

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