「孤独な自転車乗り」事件は、1895年4月23日(土)、音楽の家庭教師をしているヴァイオレット・スミス嬢(Miss Violet Smith)が、ベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)のシャーロック・ホームズの元を訪れるところから始まる。
ヴァイオレット・スミス嬢によると、彼女の父親であるジェイムズ・スミス(James Smith)は、旧帝国劇場(Imperial Theatre)において、オーケストラの指揮者を務めていたが、亡くなったため、彼女と彼女の母親は、身寄りのない上に、非常に貧しい状態となり、親類は、叔父のラルフ・スミス(Ralph Smith)ただ一人であった。ただし、ラルフ叔父は、25年前にアフリカへと行き、それ以降、消息不明のままだった。
昨年(1894年)12月のある日、彼女達は、タイムズ紙上に自分達の所在を尋ねる広告が掲載されているのを見て、誰かが自分達に遺産を残してくれたものと喜び、直ぐに弁護士のところへと出かけた。
彼女達は、弁護士の事務所において、南アフリカから英国へと戻ったカラザース氏(Mr. Carruthers)とウッドリー氏(Mr. Woodley)に会った。彼らは、ラルフ叔父の友人で、数ヶ月前に、ラルフ叔父は、ヨハネスブルグにおいて、貧しいまま亡くなったが、その際、ラルフ叔父から、「親類(=彼女達のこと)を探し出して、面倒をみてやってほしい。」と頼まれた、とのことだった。
自分に対して色目を使うウッドリー氏に対して、ヴァイオレット・スミス嬢は、非常な嫌悪感を抱いたが、年長のカラザース氏は、感じのよい人物で、好印象だった。
彼女達の懐状況を知ると、カラザース氏は、ヴァイオレット・スミス嬢に対して、サリー州(Surrey)ファーナム(Farnham)から約6マイルのところにあるチルタン屋敷(Chiltern Grange)に住み込んで、彼の一人娘(10歳)に音楽を教えてほしいと提案してきた。カラザース氏は、妻に先立たれていたので、ディクスン夫人(Mrs. Dixon)という年配の女性を家政婦として雇っていた。
ヴァイオレット・スミス嬢は、「母親を一人にはしたくない。」と言うと、
カラザース氏は、「毎週末、家へ戻れば、問題ないのでは?」と答え、更に、「年に100ポンドを払う。」と申し出た。カラザース氏の申し出は、素晴らしい内容だったので、ヴァイオレット・スミス嬢は、それを了承して、話がまとまった。
早速、ヴァイオレット・スミス嬢は、チルタン屋敷に住み込んで、カラザース氏の一人娘に音楽を教えるとともに、毎週土曜日、住み込みの屋敷からロンドンの母親の元へ帰り、翌週の月曜日に屋敷へ戻って来る生活を始めた。彼女が住み込みの音楽の家庭教師を始めてから、数ヶ月が経過したが、基本的には、問題はなかった。
ただし、ヴァイオレット・スミス嬢には、気にかかることが、2つあった。
一つは、カラザース氏は申し分のない紳士であったが、チルタン屋敷に客人としてやって来るウッドリー氏は、下品な男の上に、彼女に対して、露骨に色目を使ってくるので、非常に不快であった。
もう一つは、彼女は、毎週土曜日の午前中、12時22分発の上り列車に乗るために、チルタン屋敷からファーナム駅(Farnham Station)まで、自転車で向かい、翌週の月曜日に、ファーナム駅からチルタン屋敷まで、自転車で戻って来る。
チルタン屋敷からファーナム駅までの行き帰りは寂しい道であった。片側がチャーリントン荒野(Charlington Heath)で、もう一方の側のチャーリントン屋敷(Charlington Hall)を森が取り囲む場所は、1マイル以上続く特に寂しいところで、彼女は、駅までの行き帰り、短い顎鬚を生やした黒ずくめの男が、自転車で彼女の後をつけていることに気付き、非常に不安だった。
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