2024年3月8日金曜日

横溝正史作「獄門島」(Death on Gokumon Island by Seishi Yokomizo)- その3

英国のプーシキン出版(Pushkin Press)から
2022年に刊行されている
 Pushkin Vertigo シリーズの一つである

横溝正史作「獄門島」に付されている
獄門島の全体俯瞰図


第二次世界大戦(1939年ー1945年)/ 太平洋戦争(1941年ー1945年)が終わり、約1年が経過した1946年(昭和21年)9月中旬、戦友である鬼頭千万太(Chimata Kito)の訃報を本鬼頭家(Head Kito Family)に伝えるために、千万太の故郷である「獄門島(Gokumon Island)」と呼ばれる瀬戸内海に浮かぶ孤島にやって来た金田一耕助(Kosuke Kindaichi)は、本鬼頭家の当主である鬼頭与三松(Yosamatsu Kito - 女旅役者で、後妻のお小夜(Osayo)が亡くなった後、精神病を患い、現在、座敷牢に幽閉中)の後見人の1人である了然(Ryonen)が住職を務める千光寺(Senkoji Temple)に逗留していた。


金田一耕助が「獄門島」へ向かう船上、島に戻る島民達の会話から耳にした通り、太平洋戦争中に供出されたものの、最終的には鋳潰されなかった千光寺(Senkoji Temple)の釣鐘が「獄門島」に戻って来たその日に、鬼頭千万太の正式な戦病死の公報が本鬼頭家に届き、葬儀が営まれた。


本鬼頭家において、鬼頭千万太の葬儀が営まれた夜、三女の鬼頭花子(Hanako Kito)が行方不明となった。千光寺の住職である了然の指示に基づき、本鬼頭家に居た人達が鬼頭花子を捜索したが、残念ながら、彼女の姿はどこにも見つからなかった。


鬼頭花子は千光寺に居るのではないかと考えた了然は、一足先に寺へと戻ることにした。

暫くして、同じく寺へ戻ることにした金田一耕助が、本鬼頭家(Head Kito House)を出て、寺へと向かう坂を登っていると、了然の指示で鬼頭花子を捜索していた千光寺の典座(apprentice priest)である了沢(Ryotaku)と潮つくり(tide master)である竹蔵(Takezo)の2人が、彼に合流。一緒になった金田一耕助達3人が、提灯を持って、先を進む了然の後を追う。


金田一耕助達3人よりも先に千光寺の境内に入った了然が、突然、驚きの声をあげると、慌てて彼らを呼んだ。

金田一耕助達3人が、了然の指差す先に見たものは?千光寺の境内には、梅の古木があるが、その枝に、足を帯で縛られた鬼頭花子が、逆さまにぶら下げられて、死んでいるのを、彼らは発見したのである。

鬼頭花子が殺されているのを見て、呆然とする金田一耕助達3人であったが、その中、了然が念仏を唱えているのに、金田一耕助は気が付いた。念仏を唱える了然は、何故か、「きちがいじゃが仕方がない。」と呟いていたのである。了然は、精神を病んでいる鬼頭与三松が、自分の娘である鬼頭花子を殺害したと考えているのだろうか?仮にそうだとすると、「きちがいだから」と言うのであれば、理解できるが、何故、了然は「きちがいじゃが」と呟いたのか?了然の呟きを耳にして、金田一耕助は、疑問を感じた。


戦友である鬼頭千万太から「俺が獄門島に帰らないと、3人の妹達が殺される。自分の代わりに、獄門島へ行って、3人の妹達が殺されるのを、未然に防いでほしい。」と強く頼まれて、金田一耕助は、瀬戸内海に浮かぶ孤島「獄門島」へとやって来たにもかかわらず、残念ながら、鬼頭千万太の妹の一人である鬼頭花子が殺されるのを未然に防ぐことをできなかったのだ。


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