英国のプーシキン出版(Pushkin Press)から 2022年に刊行されている Pushkin Vertigo シリーズの一つである 横溝正史作「獄門島」の裏表紙 (Cover design by Anna Morrison) |
金田一耕助(Kosuke Kindaichi)の戦友である鬼頭千万太(Chimata Kito)の葬儀が営まれた夜、了然(Ryonen)が住職を務める千光寺(Senkoji Temple)の境内にある梅の古木の枝に、本鬼頭家(Head Kito Family)の三女である鬼頭花子(Hanako Kito)が、足を帯で縛られ、逆さまにぶら下げられて、殺されているのが、了然、千光寺の典座(apprentice priest)である了沢(Ryotaku)、潮つくり(tide master)である竹蔵(Takezo)、そして、金田一耕助の4人によって発見された。
その翌朝、了然の好意で逗留させてもらっている千光寺の部屋で寝覚めた金田一耕助は、室内に置かれている屏風に目を止めた。その屏風には、3つの俳句が書かれていた。これらの3句は、本鬼頭家の当主である鬼頭与三松(Yosamatsu Kito - 女旅役者で、後妻のお小夜(Osayo)が亡くなった後、精神病を患い、現在、座敷牢に幽閉中)の先代である鬼頭嘉右衛門(Kaemon Kito)が揮毫したものであった。鬼頭嘉右衛門の達筆過ぎる字体のため、金田一耕助は、
「むざんやな 冑の下の きりぎりす」(松尾芭蕉)
と
「一つ家に 遊女も寝たり 萩と月」(松尾芭蕉)
の2句については、なんとか読むことができたが、残りの1句に関しては、残念ながら、判読することは無理だった。この時、金田一耕助が残りの1句も読むことができていれば、鬼頭花子の後に続く殺人事件を未然に防ぐことができたのかもしれなかった。
残る2人の姉妹である長女の鬼頭月代(Tsukiyo Kito)と次女の鬼頭雪枝(Yukie Kito)も、鬼頭千万太の懸念通り、何者かに殺害されることを、金田一耕助は恐れたが、「獄門島(Gokumon Island)」の駐在である清水巡査(Sergeant Shimizu)に、挙動不審者として、そして、鬼頭花子の殺害犯として疑われ、留置場に入れられてしまった。
金田一耕助が留置場に入れられている間に、次の殺人事件が発生する。本鬼頭家の次女である鬼頭雪枝が絞殺された後、太平洋戦争中に供出されたものの、最終的には鋳潰されず、「獄門島」に戻って来た千光寺の釣鐘の中に押し込まれているのが見つかったのである。釣鐘は、千光寺へ運び込まれる前に、島の「天狗の鼻(Tengu’s Nose Lookout Point)」と呼ばれる場所に、とりあえず設置されていた。
留置場に入れられていた金田一耕助には、確固たるアリバイがあったため、清水巡査に釈放された後、慌てて現場へと駆け付ける。現場に到着した金田一耕助は、またもや、了然が「むざんやな 冑の下の きりぎりす」と呟くのを耳にした。
また、金田一耕助は、島民達が「天狗の鼻先にある釣鐘が移動した。」と話しているのも、聞き付けた。
鬼頭花子と鬼頭雪枝が殺害された日に、何者かが本鬼頭家の屋敷(Head Kito House)や千光寺に侵入した形跡が見つかり、復員兵の海賊、もしくは、鬼頭花子と鬼頭雪枝の殺害犯人による仕業ではないかと考えた島民達は、早速、山狩りを行う。
島民達が山狩りを行っているその夜、本鬼頭家において、鬼頭雪枝の通夜が行われていた。
白拍子姿となった長女の鬼頭月代は、祈祷所に立て籠もり、母親から伝授された祈祷を行っていたが、暫くして、皆が様子を見に行くと、なんと、彼女は絞殺されていた。祈祷の鈴は、途中から、猫の尻尾に結ばれていて、そのため、鬼頭月代は、ずーっと祈祷を続けているものと思われていたのである。鬼頭月代の死体の周りには、何故か、萩の花が撒かれていた。
金田一耕助は、
*鬼頭月代が立て籠もっていた祈祷所のことを、本鬼頭家の先代である鬼頭嘉右衛門が「一つ家」と呼んでいたこと
*判読できなかった屏風の残りの1句が「鶯の身を 逆さまに 初音かな」(宝井其角)であること
を聞かされて、長女の鬼頭月代、次女の鬼頭雪枝、そして、三女の鬼頭花子の3人姉妹は、全員、屏風に書かれた3句の見立てで殺されていることを知る。
更に、彼は、三女の鬼頭花子の死体を前にして、了然が呟いていた「きちがいじゃが仕方がない。」の本当の意味を理解した時、全ての謎が解けたのであった。
日本の推理作家である横溝正史(Seishi Yokomizo:1902年ー1981年)による長編推理小説「獄門島(Death on Gokumon Island)」(1947年ー1948年)は、横溝作品だけにとどまらず、日本国内のミステリー作品の中でも、最高峰と評価されており、戦後に頻繁に行われているミステリーランキングの国内部門において、何度も、ベスト1を獲得している。作者の横溝正史自身も、週刊誌のアンケートで、自作の代表作として、本作品を挙げている。
0 件のコメント:
コメントを投稿