2024年3月6日水曜日

横溝正史作「獄門島」(Death on Gokumon Island by Seishi Yokomizo)- その2

横溝正史作「獄門島」の2大網元である
本鬼頭家と分鬼頭家の家系図
<筆者作成>


日本の推理作家である横溝正史(Seishi Yokomizo:1902年ー1981年)による長編推理小説で、金田一耕助(Kosuke Kindaichi)シリーズの第2作目に該る「獄門島(Death on Gokumon Island)」は、次のようにはじまる。


第二次世界大戦(1939年ー1945年)/ 太平洋戦争(1941年ー1945年)が終わり、約1年が経過した1946年(昭和21年)9月中旬、金田一耕助は、本州から船に乗り、「獄門島(Gokumon Island)」と呼ばれる瀬戸内海に浮かぶ孤島へと向っていた。


「獄門島」は、金田一耕助の戦友である鬼頭千万太(Chimata Kito)の故郷であり、鬼頭千万太の訃報を鬼頭家に伝えることが、金田一耕助の今回の目的だった。

前年の1945年、金田一耕助と鬼頭千万太は、南方からの引き揚げ船で、日本への帰国の途についていたが、残念ながら、鬼頭千万太は、マラリアに罹患して、余命幾許もない状態だった。

自分が生きて、日本へ戻れる可能性がないことを悟った鬼頭千万太は、今際の際に、戦友の金田一耕助に対して、

「俺が獄門島に帰らないと、3人の妹達が殺される。」

と言う驚くような話を言い出すと、

「自分の代わりに、獄門島へ行って、3人の妹達が殺されるのを、未然に防いでほしい。」

と、強く頼んだのである。

鬼頭千万太は、戦友の金田一耕助が「本陣殺人事件(The Honjin Murders - 太平洋戦争前に発生)」を解決した探偵であることを知っていたのだ。

鬼頭千万太の故郷である「獄門島」において、一体、何が起きているのだろうか?


金田一耕助が「獄門島」へ向かう船上、彼は、島に戻る島民達の会話から、


(1)太平洋戦争中に供出されていた千光寺(Senkoji Temple)の釣鐘が、鋳潰されないまま、「獄門島」へと返還されること

(2)金田一耕助の戦友である鬼頭千万太の従兄弟で、同じく太平洋戦争に出征していた鬼頭一(Hitoshi Kito)が、無事「獄門島」に戻ること


等を耳にした。


「獄門島」に着いた金田一耕助は、島には、封建的な因習が残っていることに加えて、島の網元である鬼頭家は、本鬼頭家(Head Kito Family)と分鬼頭家(Branch Kito Famly)に分かれて、激しく対立していることを知る。


金田一耕助の戦友である鬼頭千万太は、本鬼頭家の本家で、鬼頭一は、本鬼頭家の分家の出身だった。

本鬼頭家の本家には、鬼頭千万太が「俺が獄門島に帰らない場合、殺される。」と懸念していた3人の妹達、彼の異母妹に該る長女の鬼頭月代(Tsukiyo Kito)、次女の鬼頭雪枝(Yukie Kito)、そして、三女の鬼頭花子(Hanako Kito)が居た。更に、本鬼頭家の分家出身で、鬼頭一の妹である鬼頭早苗(Sanae Kito)が、本鬼頭家をまとめていた。

実は、本鬼頭家には、当主である鬼頭与三松(Yosamatsu Kito)が居るが、女旅役者で、後妻のお小夜(Osayo)が亡くなった後、精神病を患い、座敷牢に幽閉されているため、


*千光寺の住職である了然(Ryonen)

*村長である荒木真喜平(Makihei Araki)

*医者である村瀬幸庵(Koan Murase)


の3人が、彼の後見人となっていた。


一方、分鬼頭家には、当主である鬼頭儀兵衛(Gihei Kito)と後妻である鬼頭志保(Shiho Kito)が居たが、現在は、本鬼頭家の後塵を拝していた。

また、分鬼頭家には、鵜飼章三(Shozo Ukai)と言う復員軍人が居候しており、本鬼頭家の月代、雪枝と花子の3人姉妹から纏わり付かれていた。


不穏な様子が立ち込める中、鬼頭千万太の正式な戦病死の公報が本鬼頭家に届き、葬儀が営まれた夜、世にも恐ろしい事件が発生したのである。


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