英国の Orion Publishing Group Ltd. から出ている「アガサ・クリスティーの世界(The World of Agatha Christie)」と言うジグソーパズル内に散りばめられているアガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)の生涯や彼女が執筆した作品等に関連した90個の手掛かりについて、前回に続き、紹介していきたい。
(39)イソコンビルディング(Isokon Building)
2014年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された 「エルキュール・ポワロとグリーンショア屋敷の阿房宮」のハードカバー版内の グリーンウェイの挿絵 (By Mr. Tom Adams) |
第二次世界大戦の勃発以前に、アガサ・クリスティーとマックス・マローワンの二人は、彼女のデヴォン州(Devon)を流れるダート川(River Dart)を少し遡ったところにあるグリーンウェイ(Greenway)を購入したが、戦時中、米国海軍省に接収されたため、彼女達はグリーンウェイに住むことができなくなった。
アガサ・クリスティーが住んでいたシェフィールドテラス58番地の全景 |
ロンドンでは、彼女達は、基本的に、1934年に購入したシェフィールドテラス58番地(58 Sheffield Terrace - 地下鉄ノッティングヒルゲート駅(Notting Hill Gate Tube Station)の近くに所在 → 2015年2月14日付ブログで紹介済)に住んでいたが、ドイツ軍によるロンドン爆撃が続き、1940年10月にこの家も被弾し、地下室、3階と屋根に大きな被害を蒙ってしまった。幸いにして、アガサ・ーとマックス・マローワンの二人は、その時在宅していなかったため、命拾いをした。
ローンロード3番地に建つローンロードフラッツの全景写真 |
ドイツ軍によるロンドン爆撃が更に激しくなる中、戦火を避けるべく、彼女達は、エジプト学者スティーヴン・グランヴィルの勧めに従い、1941年に彼が住むロンドン北部ハムステッド地区(Hampstead → 2018年8月26日付ブログで紹介済)のローンロード3番地(3 Lawn Road)に建つローンロードフラッツ(Lawn Road Flats - イソコンビルディング (Isokon Building)とも呼ばれている → 2015年3月22日付ブログで紹介済)の17号室へ移り住んだ。
そして、彼女達は、第二次世界大戦が集結した後の1946年まで、ローンロードフラッツの17号室に住み続けたのである。
(40)ユニヴァーシティー・カレッジ病院(University College Hospital)
*エルキュール・ポワロシリーズ「杉の柩(Sad Cypress)」(1940年)
*エルキュール・ポワロシリーズ「愛国殺人(One, Two, Buckle My Shoe)」(1940年)
*エルキュール・ポワロシリーズ「白昼の悪魔(Evil Under the Sun)」(1941年)
*トミー&タペンスシリーズ「NかMか(N or M ?)」(1941年)
*ミス・ジェイン・マープルシリーズ「書斎の死体(The Body in the Library)」(1942年)
*ミス・ジェイン・マープルシリーズ「動く指(The Moving Finger)」(1942年)
*エルキュール・ポワロシリーズ「五匹の子豚(Five Little Pigs)」(1943年)
*ノンシリーズ「ゼロ時間へ(Towards Zero)」(1944年)
*ノンシリーズ「死が最後にやってくる(Death Comes As the End)」(1945年)
*ノンシリーズ「忘れられぬ死(Sparkling Cyanide)」(1945年)
と、意欲作が続いた。
ユニヴァーシティー・カレッジ・ロンドンの入口から見た 主要校舎ウィルキンスビル(Wilkins Building) |
アガサ・クリスティーは、執筆の傍ら、ロンドン中心部ブルームズベリー地区(Bloomsbury)に本部を置くユニヴァーシティー・カレッジ・ロンドン(University College London → 2015年8月6日付ブログで紹介済)のユニヴァーシティー・カレッジ病院の調剤室(dispensary)において、調剤作業を手伝ったのである。
(41)タイプライター(typewriter)
そして、アガサ・クリスティーも、夫に帯同して、中東での発掘作業を手伝う一方、発掘現場において、タイプライターで執筆作業を続けたのである。
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