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兵隊島は、 ジグソーパズル「「そして誰もいなくなった」の世界」の左下の角に置かれている。 <筆者撮影> |
英国の Orion Publishing Group Ltd. から2025年に発行されている「「そして誰もいなくなった」の世界(The World of ‘And Then There Were None’)」と言うジグソーパズル内に散りばめられているアガサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)作「そして誰もいなくなった(And Then There Were None)」(1939年)の登場人物や同作品に関連した47個にわたる手掛かりについて、今回から順番に紹介していきたい。
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英国の Orion Publishing Group Ltd. から2025年に出ている ジグソーパズル「「そして誰もいなくなった」の世界」(1000ピース) |
一番最初は、兵隊島(Soldier Island)
兵隊島は、ジグソーパズルの左下の角にあり、赤枠で囲まれている。
(1)兵隊島
1930年代後半の8月のこと、英国デヴォン州(Devon)の沖合いに浮かぶ兵隊島に、年齢も職業も異なる8人の男女が招かれる。彼らを島で迎えた召使と料理人の夫婦は、エリック・ノーマン・オーウェン氏(Mr. Ulick Norman Owen)とユナ・ナンシー・オーウェン夫人(Mrs. Una Nancy Owen)に自分達は雇われていると招待客に告げる。しかし、彼らの招待主で、この島の所有者であるオーウェン夫妻は、いつまで待っても、姿を現さないままだった。
招待客が自分達の招待主や招待状の話をし始めると、皆の説明が全く噛み合なかった。その結果、招待状が虚偽のものであることが、彼らには判ってきた。招待客の不安がつのる中、晩餐会が始まるが、その最中、招待客8人と召使夫婦が過去に犯した罪を告発する謎の声が室内に響き渡る。謎の声による告発を聞いた以下の10人は戦慄する。
(1)ローレンス・ジョン・ウォーグレイヴ(Lawrence John Wargrave)
高名な元判事で、陪審員を誘導して、無実の被告を有罪として、死刑に処したと告発された。
(2)ヴェラ・エリザベス・クレイソーン(Vera Elizabeth Claythorne)
秘書や家庭教師を職業とする若い女性で、家庭教師をしていた子供に無理な距離を泳がせることを許可し、その結果、その子供を溺死させたと告発された。
(3)フィリップ・ロンバード(Philip Lombard)
元陸軍中尉で、東アフリカにおいて先住民族から食料を奪った後、彼ら21人を見捨てて死なせたと告発された。
(4)エミリー・キャロライン・ブレント(Emily Caroline Brent)
信仰心の厚い老婦人で、使用人の娘に厳しく接して、その結果、彼女を自殺させたと告発された。
(5)ジョン・ゴードン・マッカーサー(John Gordon MacArthur)
退役した老将軍で、妻の愛人だった部下を故意に死地へ追いやったと告発された。
(6)エドワード・ジョージ・アームストロング(Edward George Armstrong)
医師で、酔って酩酊したまま手術を行い、患者を死なせたと告発された。
(7)アンソニー・ジェイムズ・マーストン(Anthony James Marston)
遊び好きの上、生意気な青年で、自動車事故により二人の子供を死なせたと告発された。
(8)ウィリアム・ヘンリー・ブロア(William Henry Blore)
元警部で、偽証により無実の人間に銀行強盗の罪を負わせて、死に追いやったと告発された。
(9)トマス・ロジャーズ(Thomas Rogers)
(10)エセル・ロジャーズ(Ethel Rogers)
仕えていた老女が発作を起こした際、彼らは必要な薬を投与しないで、老女を死なせたと告発された。
アガサ・クリスティーが1939年に「そして誰もいなくなった」を発表した時点での英語の原題は「Ten Little Niggers(10人の小さな黒んぼ)」で、作品中、これは非常に重要なファクターを占める童謡を暗示している。
ただし、「Nigger」という単語がアフリカ系アメリカ人に対する差別用語だったため、米国版のタイトルは「Ten Little Indians(10人の子供のインディアン)」に改題された。それに伴い、
*島の名前: 黒人島(Nigger Island)→ インディアン島(Indian Island)
*童謡名: 10人の小さな黒んぼ(Ten Little Niggers)→ 10人の子供のインディアン(Ten Little Indians)
*人形名: 黒人人形 → インディアン人形
へと変更された。
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日本の株式会社 早川書房から出ている クリスティー文庫80「そして誰もいなくなった」の復刻版表紙 (装幀: 真鍋 博) |
近年、「インディアン」も差別用語と考えられているため、英米で発行されている「そして誰もいなくなった」のタイトルには、「And Then There Were None」が使用されている。「And Then There Were None」は、童謡の歌詞の最後の一文から採られている。その結果、
*島の名前: インディアン島 → 兵隊島(Soldier Island)
*童謡名: 10人の子供のインディアン → 10人の子供の兵隊(Ten Little Soldiers)
*人形名: インディアン人形 → 兵隊人形
へという変遷を辿っているのである。
「そして誰もいなくなった」の舞台となる「兵隊島」は、架空の場所であるが、デヴォンの南海岸に所在するビッグベリー・オン・シー(Bigbury-on-Sea)と言う小村の沖合いに浮かぶ「バーアイランド(Burgh Island → 2024年6月30日付ブログで紹介済)」と当該島に建つ「バーアイランドホテル(Burgh Island Hotel)」が、そのモデルになっていると言われている。
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以前、デヴォン州を訪問した際に、筆者が購入した デイヴィッド・ジェラード作「Expoloring Agatha Christie Country」 (Agatha Christie Ltd. / English Riviera Tourist Board が協力)の表紙 |
バーアイランドには、元々、修道院(monastry)が建っていたが、テューダー朝(House of Tudor)の第2代イングランド王であるヘンリー8世(Henry VIII:1491年ー1547年 在位期間:1509年ー1547年)による宗教改革の一環である修道院解散を以って、取り壊されてしまった。
その後、鰯(sardine = pilchard)を捕る漁師達が、島を使用するようになった。
島には、開業が1336年にまで遡るピルチャードイン(Pilchard Inn)と呼ばれるパブが、漁師達で繁盛した。一方で、パブは、密輸業者や海賊等で賑わった。
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ビッグバン・オン・シーと 沖合いに浮かぶバーアイランドについては、 画面の地図の一番左端に描かれている。 <以前、デヴォン州を訪問した際に、筆者が購入した デイヴィッド・ジェラード作「Expoloring Agatha Christie Country」 (Agatha Christie Ltd. / English Riviera Tourist Board が協力)から抜粋。> |
1890年代にミュージックホールのコメディアン / 歌手 / 演奏家であるジョージ・H・チルグウィン(George H. Chirgwin:1854年ー1922年)が島に家を建て、招待客と一緒に、週末のパーティーに使われた。
1929年になると、大富豪で、映画制作者でもあるアーチボルド・ネトルフォルド(Archibald Nettlefold)が島を買い取って、アール・デコ調(Art Deco)のホテルを建設した。
アーチボルド・ネトルフォルドは、ロンドンのウェストエンド(West End)で劇場も経営しており、当該劇場でアガサ・クリスティーによる戯曲が上演された関係で、アガサ・クリスティーも、ホテルに何度も宿泊している。
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筆者が所有している株式会社 昭文社発行の 「マップルマガジン イギリス」から抜粋。 |
1980年代に入ると、アーチボルド・ネトルフォルドが建てたアール・デコ調のホテルもかなり老朽化したため、売却に出され、これを購入したファッションコンサルタントであるトニー・ポーター(Tony Porter)とベアトリス・ポーター(Beatrice Porter)の夫妻が、ホテルを建設当時の状態に改装した。
バーアイランドは、英国本島から約250mの沖合いで、干潮時には、本島から島まで歩いて行くことが可能で、満了時には、シートラクター(Sea Tractor)と言う乗り物を使用することになる。
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満潮時に、英国本島にある小村であるビッグバン・オン・シーから 沖合いに浮かぶバーアイランドまで渡る際に使用するシートラクター <以前、デヴォン州を訪問した際に、筆者が購入した デイヴィッド・ジェラード作「Expoloring Agatha Christie Country」 (Agatha Christie Ltd. / English Riviera Tourist Board が協力)から抜粋。> |
バーアイランドは、2018年4月に、それまでの所有者だったデボラ・クラー(Deborah Clark)とトニー・オーチャード(Tony Orchard)から投資会社(Bluehone Capital / Marechale Capital)へ売却され、2023年5月には、再度、売却に出されている。
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