2022年10月11日火曜日

コナン・ドイル作「赤毛組合」<小説版>(The Red-Headed League by Conan Doyle )- その3

英国で出版された「ストランドマガジン」
1891年8月号に掲載された挿絵(その5) -
ザクセンーコーブルクスクエアにおいて質屋を営むジェイベス・ウィルスンが、
フリートストリートにある「赤毛組合」の事務所において、
毎日午前10時から午後2時までの4時間の間、
大英百科事典」を書写する高給の仕事(週4ポンド)を始めてから、
8週間が順調に過ぎて行った。
ところが、1890年10月9日の朝、
ジェイベス・ウィルスンが、いつも通り、「赤毛組合」の事務所にやって来ると、
入口のドアには鍵が掛かっている上に、ドアには貼り紙があり、
そこには、「赤毛組合は解散した。」と書かれていたのである。

挿絵:シドニー・エドワード・パジェット
(Sidney Edward Paget 1860年 - 1908年)

1890年の秋、ジョン・H・ワトスンがベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)のシャーロック・ホームズの元を訪れると、彼は燃えるような赤毛の初老の男性ジェイベス・ウィルスン(Jabez Wilson)から相談を受けている最中であった。

ジェイベス・ウィルスンは、ロンドンの経済活動の中心地であるシティー(City → 2018年8月4日 / 8月11日付ブログで紹介済)近くにあるザクセンーコーブルクスクエア(Saxe-Coburg Square → 2016年1月1日付ブログで紹介済)において質屋(pawnbroker)を営んでおり、非常に奇妙な体験をしたと言うので、ホームズとワトスンの二人は彼から詳しい事情を聞くことになった。


ジェイベス・ウィルスンが、フリートストリート(Fleet Street → 2014年9月21日付ブログで紹介済)の「Pope’s Court 7号室」にある「赤毛組合」の事務所において、毎日午前10時から午後2時までの4時間の間、「大英百科事典(Encyclopedia Britannica)」を書写する高給の仕事(週4ポンド)を始めてから、8週間が順調に過ぎて行ったが、1890年10月9日の朝、ジェイベス・ウィルスンが、いつも通り、「赤毛組合」の事務所にやって来ると、入口のドアには鍵が掛かっている上に、ドアには貼り紙があり、そこには、「1890年10月9日 赤毛組合は解散した。(The Red-Headed League is Dissolved 9 October 1890)」と書かれていたのである。


突然の赤毛組合解散に驚いたジェイベス・ウィルスンは、赤毛組合が入居していた建物の家主(ー同じ建物の1階に住む会計士)のところへ行き、赤毛組合に何が起きたのかを尋ねた。ところが、家主は、ジェイベス・ウィルスンに対して、「赤毛組合については何も知らないし、赤毛組合を管理していたダンカン・ロス(Duncan Ross)という名前も初めて聞く名前だ。」と告げる。その上、家主は「(赤毛組合が入居していた)問題の部屋(「4号室」と書かれているが、当初の「Pope’s Court 7号室」と一致していない)を借りていたのは、事務弁護士(solicitor)のウィリアム・モリス(William Morris)で、新しいオフィスが出来るまでの一時的な賃借だ。」と付け加えた。

家主からウィリアム・モリスの移転先(17 King Edward Street near St. Paul's → 2014年9月28日付ブログで紹介済)を聞いたジェイベス・ウィルスンが早速そこを訪ねてみると、そこは膝当ての製造工場(manufactory of artificial kneecaps)で、ウィリアム・モリスのオフィスはどこにもなかったのである。


どうすればよいのか、途方に暮れたジェイベス・ウィルスンは、ホームズのところへ、赤毛組合がなぜ突然解散してしまったのか、その理由の調査依頼にやって来たのである。


本作品においては、日付の矛盾が発生していると言われている。

先ず最初に、物語の出だし部分で「去年の秋」と言っているにもかかわらず、ジェイベズ・ウィルスン氏が持ってきた新聞の日付は「1890年4月27日」になっており、その時新聞広告の切り抜きを見たワトスンが「それはちょうど2ヶ月前の広告だ。」と言っていることから、ジェイベス・ウィルソンがホームズとワトスンの元を訪ねて来たのは、1890年の6月末だということが分かる。

彼が赤毛組合で働き始めたのが、新聞広告の後の4月末頃だと考えると、赤毛組合が解散された日は、それから8週間後ということは、おそらく6月末なのである。

ところが、物語の中では、赤毛組合の事務所のドアに貼られた解散を知らせる貼り紙についても書かれており、その日付が1890年の10月9日なのである。

ということで、日付の辻褄が合わないのである。

更に言うと、1890年の4月27日は日曜日で、当時、ロンドン市内では、日曜日は新聞が発行されておらず、またその時点で「モーニングクロニクル(Morning Chronicle)」紙(実在していた新聞)は既に廃刊となっていた、という話もある。


・ワトスンの物語の出だしの記述       去年の秋

・赤毛組合の新聞広告の日付        1890年4月27日(日)

・ウィルスンが赤毛組合で面接を受ける   1890年4月28日(月)(?)

・ウィルスンが赤毛組合で働き始める    1890年4月29日(火)(?)

     ↓

   8週間後

・赤毛組合解散              1890年6月末(?)

・ウィルスンがホームズの元を訪ねた日付  1890年6月末(ワトスンの

                     「2ヶ月前の広告」の発言から推定)

・赤毛組合のドアに貼られた解散通知の日付   1890年10月9日


ワトスンの物語の出だしの記述と、赤毛組合のドアに貼られた解散通知の日付は合致しているので、新聞広告の日付が8月の10日前後となれば、全ての日付の整合性はとれると思う。


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