英国の Titan Publishing Group Ltd. の Titan Books 部門から 2010年に出版された H・ポール・ジェファーズ作 「シャーロック・ホームズの更なる冒険 / 不屈の仲間」の裏表紙 |
1880年7月2日(金)の夜、殺人事件の発生を聞いたニューヨーク市警察のウィルスン・ハーグリーヴ(Wilson Hargreave)は、シャーロック・ホームズとセオドア・ルーズヴェルト(Theodore Roosevelt:1858年ー1919年)を伴って、ニューヨークの閑静な住宅街グラマーシーパーク(Gramercy Park)の15番地へと馬車で向かった。
三人を乗せた馬車がグラマーシーパーク15番地で止まると、建物の外には、一人の男性が倒れていた。
現場検証を行っている警官達が、ウィルスン・ハーグリーヴに対して、
(1)男性は、背中を拳銃で打たれて、死亡。
(2)物取りの犯行ではないかと思われる。
(3)死亡した男性が所持していた財布の中にある書類によると、被害者の名前は、ナイジェル・テベル(Nigel Tebbel)。
(4)殺人現場周辺の住民によると、争う声と銃声を聞いたともに、被害者が地面に倒れるのを見た、とのこと。
と報告した。
被害者が所持していた財布が奪われていなかった点について、ホームズが疑問を呈する。
「被害者を銃で撃つ時間はあったにもかかわらず、財布を奪う時間がなかったと言うのは、不思議だ。」と。
ホームズが被害者の側にひざまづいて、ウィルスン・ハーグリーヴに被害者の背中の銃創を調べてもらったところ、火薬痕がなかったため、ウィルスン・ハーグリーヴは、「被害者は、至近距離で撃たれたのではない。」と断定した。
ホームズが辺りを見渡すと、街灯が目に入った。ホームズは、ウィルスン・ハーグリーヴに対して、「被害者は、街灯の側に立つ何者かから逃れようとして、背中を銃で撃たれたに違いない。」と語った。
その際、ホームズは、あの有名なセリフである「不可能な事柄を全て消去していった時、どんなにありそうもないことであっても、残ったもの、それこそが真実である。(When you have eliminated all which is impossible, then whatever remains, however improbable, must be the truth.)」に近い「When you eliminate the impossible, whatever you have left, no matter how improbable, is the truth.」という発言を行っている。
そして、ホームズは、断言した。「これは、計画的な殺人だ。」と。
ホームズは、グラマーシーパーク15番地の建物に目を向けた。
セオドア・ルーズヴェルトとウィルスン・ハーグリーヴの二人は、ホームズに対して、「ここには、サミュエル・ジョーンズ・ティルデン(Samuel Jones Tilden:1814年ー1886年)が住んでいる。」と告げた。
サミュエル・ジョーンズ・ティルデンは、米国の弁護士 / 政治家で、ニューヨーク市知事を務めた後、1876年の大統領選挙に民主党候補として出馬したものの、19世紀の米国で最も多くの論争を巻き起こした選挙となり、選挙人投票において、僅か1票差で敗北した人物であった。その結果、共和党の候補者であるラザフォード・バーチャード・ヘイズ(Rutherford Birchard Hayes:1822年ー1893年)が、第19代大統領に就任したのである。なお、米国大統領選挙の歴史の中で、1票差で敗れた候補者は、サミュエル・ジョーンズ・ティルデンの他には居ない。
ホームズは、二人に対して、「背中を撃たれた被害者がどこへ向かおうとしていたのかと考えると、グラマーシーパーク15番地が、その目的地だったと推測することは、決して不合理なことではない。」と話す。
1876年の大統領選挙のことをよく知る二人にとって、ホームズの発言は、あまりにも大きなことを含んでいたので、次の言葉を失ってしまうのであった。
一方、ラザフォード・バーチャード・ヘイズ大統領は、事件当夜、ドイツ汽船に招待され、ドイツ総領事と一緒に、食事をしていることが、二人は既に知っていた。
果たして、グラマーシーパーク15番地の前で、被害者のナイジェル・テビルは、どういった理由で殺害されたのだろうか?それは、セオドア・ルーズヴェルトとウィルスン・ハーグリーヴの二人が懸念するような政治的な要因なのか?
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