シャーロック・ホームズとジョン・H・ワトスンの二人は、旅を再開することにして、ストラスブール(Strasbourg)からジュネーヴ(Geneva)へと向かうことに決めた。彼らは旅を続け、1891年5月3日にスイスのマイリンゲン(Meiringen)に到着して、ピーター・ステイラー(Peter Steiler)という老人が経営する宿「イングリッシュホフ(Englischer Hof)」で一泊した。
そして、翌日の同年5月4日、運命の日を迎える。
その日の午後、ホームズとワトスンの二人は、丘を越えて、ローゼンラウイ(Rosenlaui)の村に泊まる予定で出発した。二人は、ローゼンラウイへ向かう途中、ライヘンバッハの滝(Reichenbach Falls)に寄って行くよう、宿の主人から念を押されていた。
滝を見物する二人の元へ、スイス人の若者が、ピーター・ステイラーからの手紙を携えて、やって来た。手紙によると、末期の結核を患っている英国人女性が宿に到着したが、喀血して非常に危険な状態で、同国人の医師であるワトスンに診察をお願いしたい、とのことだった。
ワトスンとしては、ホームズ一人を残していくことに躊躇したが、人命救助を優先して、マイリンゲンの村へと引き返すことに決めた。ワトスンは、英国人女性の診察後、ホームズを追いかけ、夕方、ローゼンラウイでホームズと合流することにした。
ワトスンがマイリンゲンの村へと引き返す途中で振り返ると、ホームズは、岩に寄り掛かって、腕組みをしながら、滝を眺めているのが見えた。実は、ピーター・ステイラーからワトスンへの手紙は、ホームズの宿敵で、「犯罪界のナポレオン(Napoleon of crime)」と呼ばれるジェイムズ・モリアーティー教授(Professor James Moriarty)が書いた偽物で、ホームズを一人にするためのものであることが、後で判明する。そして、ライヘンバッハの滝を眺める姿が、ワトスンが見たホームズの最後の姿となったのである。
ところが、「ストランドマガジン」を通じて、ホームズ作品が予想以上に爆発的な人気を得るに至ったため、ドイルは、ホームズ作品の原稿締め切りに毎回追われる始末で、自分が本来注力したい長編歴史小説に時間を全く割けない状況であった。
そこで、彼は、1893年12月の「最後の事件(The Final Problem)」において、モリアーティ教授と一緒に、ホームズをライヘンバッハの深い滝壺の中に葬ってしまったのである。
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しかしながら、ドイルの決意は固く変わらず、長期間に渡り、読者や出版社からの要望を拒否し続け、ホームズが復活することはなかったのである。
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