東京創元社から、創元推理文庫として出版されている イーデン・フィルポッツ作「闇からの声」(旧カバー版)の表紙 カバーイラスト: 田中 一光 氏 |
ある年の11月の晩、引退した名刑事のジョン・リングローズ(John Ringrose:55歳)は、英国海峡を望む英国南部のドーセット州(Dorset)南端にあるポートランド岬の断崖の上に建つ旧領主邸(Old Manor House)ホテルを、ホテルの主人であるジェーコブ・ブレントの招待に応じて、暫くの間、逗留するために、訪れた。
夕食後、サロンにおいて、長逗留の客であるベレアズ夫人(84歳)と1時間ばかり話をしてから、バーにおいて、寝酒の水割りウイスキーを飲むと、ジョン・リングローズは、早めに寝室へと引き上げたが、その夜中(午前3時)、彼の耳に、闇をつん裂くような幼児の悲鳴、恐怖のドン底に慄く、いたいけな叫び声が聞こえてきたのである。
すっかりと眠気が吹っ飛んでしまったジョン・リングローズは、ベッド横の壁のボタンを押して、電灯を点けたが、彼の部屋の中には、誰も居なかった。その後、彼は、戸口へと向かい、ドアを開けてみたが、外の廊下にも、人影は全く見当たらなかった。更に、彼は窓へ駆け寄ったが、カーテンはひいたままの上、窓の掛け金もかかったままだった。彼は吊り箪笥の中も調べたが、そこには彼の衣類が入っているだけで、室内には、隠れ場所はどこにもなかった。
ジョン・リングローズが聞いた幼児の悲鳴 / 叫び声は、一体、なんだったのだろうか?
翌日の夕食後、ジョン・リングローズは、ベレアズ夫人とのおしゃべりを楽しんでいた際、昨夜の話を持ち出してみた。彼が経験した話を聞いたベレアズ夫人は、付添いのスーザン・マンリイを同席させた上で、彼に対して、恐るべき話をし始めたのである。
「リングローズさん、あなたのお聞きになったのは幽霊の声だったのですよ。それはもう間違いのないことなのです」
(中略)
「その子供は亡くなったのですよ。一年以上も前に」
(創元推理文庫 橋本福夫訳)
ベレアズ夫人によると、その少年は、ルドヴィク・ビューズという名前で、保養のために、旧領主邸ホテルへとやって来た時、13歳だったが、年の割には身体も小さく、いかにも弱々しそうだった。また、神経系の病気のようで、非常に神経質な少年でもあった。
彼は、貴族の子息で、当時、父親のブルーク卿は既に亡くなっていたため、爵位、そして、広大や地所や農園に囲まれた大邸宅(ブルーク・ノートン屋敷)を継いでいた。
ルドヴィク・ビューズ少年には、彼の叔父に該るバーゴイン・ビューズ(現在のブルーク卿)の侍僕を勤めていたアーサー・ビットン(50歳位)が一緒に付いて来ていた。アーサー・ビットンは、表面上、礼儀正しい物腰をしていたが、ベレアズ夫人が見た限り、どこか一癖ある人物のように感じられた。
ルドヴィク・ビューズ少年は、ジョン・リングローズが現在宿泊している部屋に逗留していたのだが、日中、風が唸りを上げたり、道路で喚き声がしたりすると、飛び上がる程怯え、顔が真っ青になったり、また、夜中には、彼の部屋から悲鳴が上がるのであった。
アーサー・ビットンが、主人であるバーゴイン・ビューズに会うために、ブルーク・ノートン屋敷へと出かけた際、ベレアズ夫人は、ルドヴィク・ビューズ少年を預かった。アーサー・ビットンの不在中に、ベレアズ夫人は、付添いのスーザン・マンリイに頼んで、彼の部屋を調べさせたところ、吊り箪笥の上の棚に置いてあった帽子箱の中に、赤い絹のきれで包んであったぞっとする不気味なものが入っているのを見つけたのである。それは、悪魔の手で作ったような、恐怖を具現したグロテスクな人形の首だった。どうやら、アーサー・ビットンは、夜中に、この人形の首を使って、ルドヴィク・ビューズ少年を怖がらせていたようだ。
アーサー・ビットンは、その日の午後に、旧領主邸ホテルに戻って来たが、翌日の夜明け直後に、ルドヴィク・ビューズ少年の症状が急に悪化して、危篤状態になり、その次の日の早朝、遂に意識を取り戻さないまま、亡くなってしまったのである。ルドヴィク・ビューズ少年を診察した医者によると、脳膜炎とのことで、他殺の疑いは全然抱いていなかった。
ベレアズ夫人から驚くべき話を聞いたジョン・リングローズは、アーサー・ビットン、そして、バーゴイン・ビューズの行動に不審の念を感じ、独自に捜査を進めるのであった。
「闇からの声」の前半は、英国デヴォン州において、 また、後半は、イタリアのコモ湖近辺において、 物語が展開する。 |
探偵(ジョン・リングローズ)と犯人(アーサー・ビットン+バーゴイン・ビューズ)の性格描写が非常に丁寧に示される上に、物語の筋自体にも無理がなく、最後まで、緊迫した物語を楽しめる。特に、物語の中盤以降、ジョン・リングローズとバーゴイン・ビューズの間では、お互いに相手の力量を判った上で、腹の探り合いとしのぎを削る対決が展開され、それが非常に真に迫っている。
作者のイーデン・フィルポッツの場合、純粋な謎解き型の推理小説もあるが、純粋な謎解きの形態を採らず、人間の悪意や犯罪心理の探求に重きを置いている作品も多く執筆している。
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