2017年7月8日土曜日

ロンドン リトルジョージストリート( Little George Street)ーその2

リトルジョージストリートの南側から北側を見たところ−
画面奥で左右に延びる通りがグレイトジョージストリート

「彼の部屋から直接ここへ来たところです。」と、レストレイドは言った。「私が事件の第一発見者です。」
「ちょうど、僕達は、この事件に関するグレッグスンの見解を拝聴していたところなんだ。」と、ホームズは言った。「君が見聞きして来たことを僕達に教えてくれないか?」
「構いませんがね。」と、レストレイドは椅子に座りながら答えた。「率直に申しますと、私はスタンガーソンがドレッバーの死に関係していると考えていました。今回の新たな展開で、私が完全に間違っていたことが判明しました。あることを思いついて、私は秘書がどうなったかを調べ始めました。ドレッバーとスタンガーソンの二人は、3日の午後8時半頃、ユーストン駅で一緒に居たのを目撃されています。そして、次の日の午前2時にドレッバーはブリクストンロードで死体となった発見されています。私が直面した問題は、スタンガーソンが午後8時半から翌日の午前2時までの間、どうしていたのか、そして、彼に何が起こったのかを突き止めることでした。そこで、私はリヴァプールへ電報を打って、スタンガーソンの人相を伝え、アメリカ汽船への警戒を怠らないように指示しました。それから、私はユーストン駅近辺のホテルや下宿屋を一軒ずつしらみつぶしに訪ねたんです。いいですか、もしドレッバーとスタンガーソンの二人が別行動をとったとしたら、スタンガーソンはユーストン駅近辺で一泊して、次の朝、駅でドレッバーを待つというのが、自然な行動ではないかと、私は考えたんです。」
「彼らは前もって待ち合わせ場所を決めておいた可能性はあるね。」と、ホームズは言った。
「正にその通りでした。私は昨夜一晩かけてユーストン駅近辺を調べましたが、全く成果なしでした。今朝も早朝から調査を始め、そして、午前8時に私はリトルジョージストリートにあるハリデー・プラーヴェート・ホテルへ行きました。私がスタンガーソンという男はここに宿泊しているかと尋ねると、ホテル側は直ぐにそうだと答えたんです。
『スタンガーソンさんは2日間お待ちになられていました。』
『彼は今どこに居るんだ?』と、私は尋ねました。
『スタンガーソンさんは上の階でお休みになられております。午前9時に起こしてほしい、とおっしゃられていました。』
『直ぐに上へ行って、彼に会おう。』と、私は答えました。


“I have just come from his room,” said Lestrade. “I was the first to discover what had occurred.”
“We have been hearing Gregson’s view of the matter,” Holmes observed. “Would you mind letting us know what you have seen and done?”
“I have no objection,” Lestrade answered, seating himself. “I freely confess that I was of the opinion that Stangerson was concerned in the death of Drebber. This fresh development has shown me that I was completely mistaken. Full of the one idea, I set myself to find out what had become of the Secretary. They had been seen together at Euston Station about half-past eight on the evening of the third. At two in the morning Drebber had been found in the Brixton Road. The question which confronted me was to find out how Stangerson had been employed between 8:30 and the time of the crime, and what had become of him afterwards. I telegraphed to Liverpool, giving a description of the man, and warning them to keep a watch upon the American boats. I then set to work calling upon all the hotels and lodging-houses in the vicinity of Euston. You see, I argued that if Drebber and his companion had become separated, the natural course for the latter would be to put up somewhere in the vicinity for the night, and then to hang about the station again next morning.”
“They would be likely to agree on some meeting-place beforehand,” remarked Holmes.
“So it proved. I spent the whole of yesterday evening in making enquiries entirely without avail. This morning I began very early, and at eight o’clock I reached Halliday’s Private Hotel, in Little George Street. On my enquiry as to whether a Mr. Stangerson was living there, they at once answered me in the affirmative.
“‘No doubt you are the gentleman whom he was expecting,’ they said. ‘He has been waiting for a gentleman for two days.’
“‘Where is he now?’ I asked.
“‘He is upstairs in bed. He wished to be called at nine.’
“‘I will go up and see him at once,’ I said.

RICS が入居する建物外観(その1)

そして、レストレイド警部は上の階へ行って、ジョーゼフ・スタンガーソンの死体を部屋の中で発見するのであるが、スタンガーソンが宿泊していたハリデー・プライヴェート・ホテル(Halliday’s Private Hotel)があるリトルジョージストリート(Little Private Street)は、現在の表記上、ユーストン駅(Euston Stationー2015年10月31日付ブログで紹介済)近辺ではなく、国会議事堂(House of Parliament)や首相官邸(10 Downing Street)等が所在するシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のウェストミンスター地区(Westminster)内に所在している。

RICS = Royal Institute of Chartered Surveyors

RICS が入居する建物外観(その2)

国会議事堂前にあるパーラメントスクエア(Parliament Square)のすぐ西側で、ブロードサンクチュアリ通り(Broad sanctuaryー南側)とグレイトジョージストリート(Great George Streetー北側)を南北に結ぶ小道がリトルジョージストリートである。

パーラメントスクエア内にある
エイブラハム・リンカーン像(その1)

パーラメントスクエア内にある
エイブラハム・リンカーン像(その2)

リトルジョージストリートの東側には、米国第16代大統領エイブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln:1809年ー1865年 任期:1861年ー1865年)のブロンズ像が立っている。また、西側には、最高裁判所(Supreme Court)や RICS(Royal Institute of Chartered Surveyors)等が入居しているオフィスが建っているが、ハリデー・プライヴェート・ホテルは実在していない。

パーラメントスクエア内にある
エイブラハム・リンカーン像(その3)


2017年7月2日日曜日

ロンドン 地下鉄ヴィクトリア駅(Victoria Tube Station)

地下鉄ヴィクトリア駅ー
サークルライン / ディストリクトライン用プラットフォーム

アガサ・クリスティー作「複数の時計(The Clocks)」(1963年)は、エルキュール・ポワロシリーズの長編で、今回、ポワロは殺人事件の現場へは赴かず、また、殺人事件の容疑者や証人への尋問も直接は行わないで、ロンドンにある自分のフラットに居ながらにして(=完全な安楽椅子探偵として)、事件の謎を解決するのである。

サークルライン / ディストリクトライン用プラットフォームの壁

キャサリン・マーティンデール(Miss Katherine Martindale)が所長を勤めるキャヴェンディッシュ秘書紹介所(Cavendish Secretarial Bureau)から派遣された速記タイピストのシーラ・ウェッブ(Sheila Webb)は、ウィルブラームクレッセント通り19番地(19 Wilbraham Crescent)へと急いでいた。シーラ・ウェッブが電話で指示された部屋(居間)へ入ると、彼女はそこで身なりの立派な男性の死体を発見する。男性の死体の周囲には、6つの時計が置かれており、そのうちの4つが何故か午後4時13分を指していた。鳩時計が午後3時を告げた時、ウィルブラームクレッセント19番地の住人で、目の不自由な女教師ミリセント・ペブマーシュ(Miss Millicent Pebmarsh)が帰宅する。自宅内の異変を感じたミリセント・ペブマーシュが男性の死体へと近づこうとした際、シーラ・ウェッブは悲鳴を上げながら、表へと飛び出した。そして、彼女は、ちょうどそこに通りかかった青年コリン・ラム(Colin Lamb)の腕の中に飛び込むことになった。
実は、コリン・ラム青年は、警察の公安部員(Special Branch agent)で、何者かに殺された同僚のポケット内にあったメモ用紙に書かれていた「M」という文字、「61」という数字、そして、「三日月」の絵から、ウィルブラームクレッセント19番地が何か関係して入るものと考え、付近を調査していたのである。「M」を逆さまにすると、「W」になり、「ウィルブラーム」の頭文字になる。「三日月」は「クレッセント」であり、「61」を逆さまにすると、「19」となる。3つを繋げると、「ウィルブラームクレッセント通り19番地」を意味する。

地下鉄ヴィクトリア駅内のエスカレーター

クローディン警察署のディック・ハードキャッスル警部(Inspector Dick Hardcastle)が本事件を担当することになった。
シーラ・ウェッブは、ミリセント・ペブマーシュの家へ今までに一度も行ったことがないと言う。また、ミリセント・ペブマーシュは、キャヴェンディッシュ秘書紹介所に対して、シーラ・ウェッブを名指しで仕事を依頼する電話をかけた覚えはないと答える。更に、シーラ・ウェッブとミリセント・ペブマーシュの二人は、ウィルブラームクレッセント通り19番地の居間で死体となって発見された男性について、全く覚えがないと証言するのであった。
ミリセント・ペブマーシュの居間においてキッチンナイフで刺されて見つかった身元不明の死体は「R.・H・カリイ(R. H. Curry)」とされたが、スコットランドヤードの捜査の結果、全くの偽名であることが判明し、身元不明へと逆戻りする。彼が目の不自由な老婦人の居間で刺殺される理由について、スコットランドヤードも、そして、コリン・ラムも、皆目見当がつかなかった。途方に暮れたコリン・ラムは、ポワロに助けを求める。年若き友人からの頼みを受けて、ポワロの灰色の脳細胞が事件の真相を解き明かす。

地下鉄ヴィクトリア駅内の壁モザイク装飾

英国のTV会社 ITV1 で放映されたポワロシリーズ「Agatha Christie’s Poirot」の「複数の時計」(2011年)では、アガサ・クリスティーの原作が第二次世界大戦(1939年ー1945年)後の米ソ冷戦状態を物語の時代背景としたことに対して、他のシリーズ作品と同様に、第一次世界大戦(1914年ー1918年)と第二次世界大戦の間に物語の時代設定を置いている関係上、第二次世界大戦前夜を時代背景として、英国の仮想敵国を原作のソビエト連邦からアドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツへと変更している。また、物語の舞台も、サセックス州(Sussex)のクロウディーン(Crowdean)からケント州(Kent)のドーヴァー(Dover)へと変更されている。更に、コリン・ラムの名前は、コリン・レイス大尉(Liteunant Colin Race)となり、警察の公安部員ではなく、MI6 の秘密情報部員(intelligence officer)という設定に変えられている。

地下鉄ヴィクトリア駅ー
ヴィクトリアライン用プラットフォーム

TV版では、目の不自由な老婦人のミリセント・ペブマーシュが住むウィルブラームクレッセント19番地の居間において死体で見つかった身元不明の男性は、当初、保険会社(Metroploitan and Provincial Insurance Company)に勤務する R・H・カリイ氏と思われたが、後に偽名と判明。暫くして、15年前に行方が判らなくなった夫ハリー・キャッスルトン(Henry Castleton)だと、マリーナ・ライヴァル(Merina Rival)が警察へ名乗り出た。マリーナ・ライヴァルが言う通り、男性の左耳の後ろに傷跡はあったが、彼女の説明とは異なり、15年以上前のものではなく、数年前のものとの検死結果が出る。彼女の証言に疑問を感じたハードキャッスル警部とジェンキンス巡査(Constable Jenkinsーアガサ・クリスティーの原作では、クレイ巡査部長(Sergeant Cray))の二人が彼女の行方を追うが、彼女は刺殺死体となって発見されるのであった。

ヴィクトリアライン用プラットフォームの壁

TV版の場合、マリーナ・ライヴァルが何者かに刺殺される場所は、物語の設定上、英国の南東部にあるドーヴァーとなっている。一方、アガサ・クリスティーの原作では、マリーナ・ライヴァルは地下鉄ヴィクトリア駅(Victoria Tube Station)で殺害されるストーリー展開となっている。

ヴィクトリアライン用プラットフォームへと向かう構内通路

地下鉄ヴィクトリア駅は、ロンドンの中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のベルグラヴィア地区(Belgravia)内に所在している。

・1868年ー現在のディストリクトライン(District Line)が開業
・1872年ー現在のハマースミス&シティーライン(Hammersmith & City Line)が開業
・1949年ー現在のサークルライン(Circle Line)が開業
・1969年ー現在のヴィクトリアライン(Victoria Line)が開業(ただし、この時点では、地下鉄ヴィクトリア駅は終点であった)
・1971年ーヴィクトリアラインが地下鉄ブリクストン駅(Brixton Tube Station)まで南延

地下鉄ヴィクトリア駅内で
2018年完成に向けて、大改修工事が進められている

地下鉄ヴィクトリア駅は、ロンドンの地下鉄ネットワーク内において、現在、(1)地下鉄ウォータールー駅(Waterloo Tube Station)、(2)地下鉄オックスフォードサーカス駅(Oxford Circus Tube Station)、そして、(3)地下鉄キングスクロス / セントパンクラス駅(King’s Cross / St. Pancras Tube Station)に次いで、4番目に利用客が多い駅となっており、朝の通勤時や夕方の帰宅時に駅構内は大混雑に陥るため、駅の入口を封鎖の上、一時的に出口のみを開放して、大混雑を緩和する方策を行なっている。ただ、そういった措置も暫定的な対応であって、根本的な対応が求められており、現在、2018年の完成に向けて、駅の大改修工事が進行中で、駅の出入口を増やしたり、駅構内を拡げたり等が予定されている。

2017年7月1日土曜日

ロンドン リトルジョージストリート( Little George Street)ーその1

リトルジョージストリート沿いに建つ最高裁判所(Supreme Court)

サー・アーサー・コナン・ドイル作「緋色の研究(A Study in Scarlet)」(1887年)の冒頭、1878年にジョン・H・ワトスンはロンドン大学(University of London → 2016年8月6日付ブログで紹介済)で医学博士号を取得した後、ネトリー軍病院(Netley Hospital → 2016年8月13日付ブログで紹介済)で軍医になるために必要な研修を受けて、第二次アフガン戦争(Second Anglo-Afghan Wars:1878年ー1880年)に軍医補として従軍する。戦場において、ワトスンは銃で肩を撃たれて、重傷を負い、英国へと送還される。


英国に戻ったワトスンは、親類縁者が居ないため、ロンドンのストランド通り(Strandー2015年3月29日付ブログで紹介済)にあるホテルに滞在して、無意味な生活を送っていた。そんな最中、ワトスンは、ピカデリーサーカス(Piccadilly Circus)にあるクライテリオンバー(Criterion Bar → 2014年6月8日付ブログで紹介済)において、セントバーソロミュー病院(St. Bartholomew's Hospital → 2014年6月14日付ブログで紹介済)勤務時に外科助手をしていたスタンフォード(Stamford)青年に出会う。ワトスンがスタンフォード青年に「そこそこの家賃で住むことができる部屋を捜している。」という話をすると、同病院の化学実験室で働いているシャーロック・ホームズという一風変わった人物を紹介される。初対面にもかかわらず、ワトスンが負傷してアフガニスタンから帰って来たことを、ホームズは一目で言い当てて、ワトスンを驚かせた。

最高裁判所の正面外壁

こうして、ベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)において、ホームズとワトスンの共同生活が始まるのであった。彼らが共同生活を始めて間もなく、ホームズの元にスコットランドヤードのグレッグスン警部(Inspector Gregson)から事件発生を告げる手紙が届く。ホームズに誘われたワトスンは、ホームズと一緒に、ブリクストンロード(Brixton Road → 2017年5月20日付ブログで紹介済)近くの現場ローリストンガーデンズ3番地(3 Lauriston Gardens → 2017年3月4日付ブログで紹介済)へと向かった。ホームズ達が到着した現場には、グレッグスン警部とレストレイド警部(Inspector Lestrade)が二人を待っていた。現場で死亡していたのは、イーノック・J・ドレッバー(Enoch J. Drebber)の名刺を持つ、立派な服装をした中年の男性だった。

最高裁判所の入口

イーノック・J・ドレッバーの死体を発見したのは、ジョン・ランス巡査(Constable John Rance)であるという話をレストレイド警部から聞くと、ホームズとワトスンの二人は、早速、彼が住むケニントンパークゲート(Kennington Park Gate)のオードリーコート46番地(46 Audley Court → 2017年3月25日付ブログで紹介済)へと向かう。そこで、ジョン・ランス巡査から死体発見の経緯を聞いたホームズは、ワトスンに対して、「彼は犯人を捕まえられる絶好のチャンスをみすみすとふいにしたのさ。」と嘆くのであった。


イーノック・J・ドレッバーの死体を持ち上げた際、床に落ちた女性の結婚指輪に気付いたホームズは、この指輪が犯人に繋がるものだと考え、朝刊全紙に広告を掲載して、
(1)金の結婚指輪がブリクストンロード近くのパブ「ホワイトハート(White Hart)」とホーランドグローヴ通り(Holland Grove)の間の道路で見つかったこと
(2)落とし主は、今晩8時から9時までの間に、ベイカーストリート221B のワトスン博士を訪ねること
と告げるのであった。

最高裁判所の入口上の装飾

そして、ホームズの予想通り、午後8時を過ぎた頃、彼らの部屋を訪ねて来た人が居たが、ホームズの予想に反して、指輪を引き取りにやって来たのは、はハウンズディッチ(Houndsditch → 2017年6月3日付ブログで紹介済)のダンカンストリート13番地(13 Duncan Street)に住むソーヤー(Sawyer)と名乗る老婆だった。犯人に頼まれて、老婆が代わりに指輪を引き取りに来たと考えたホームズは、ワトスンを部屋に残して、彼女の後を尾行すべく、出かけて行った。ところが、敵側の方が一枚上手で、残念ながら、ホームズは尾行をまかれてしまった。そして、翌朝の新聞には、「ブリクストンの謎」という記事であふれていた。その最中、グレッグスン警部がホームズの元を訪れ、イーノック・J・ドレッバーが滞在していた下宿屋をキャンバーウェル地区(Camberwell → 2017年6月17日付ブログで紹介済)内で見つけたと話す。そこにレストレイド警部も姿を見せる。

リトルジョージストリートの北側から見た最高裁判所(その1)

私達が話をしている間に、階段を上がって部屋に入って来たのは、正にレストレイド警部だった。しかしながら、普段彼の物腰や服装に表れていた自信と気取りが消えていた。彼の顔は動揺して困り果てていて、彼の服装は乱れて、だらしがなかった。彼はシャーロック・ホームズに相談するつもりでやって来たことが明白だった。何故ならば、彼は同僚が居ることに気付いて、当惑し困ったような様子だったからだ。彼は神経質そうに帽子に触りながら、どうしたらよいのか判らないまま、部屋の中央に立ち尽くしていた。「本件は、非常に異常な事件です。」と、彼は遂に言った。「非常に理解し難い事件です。」
「レストレイド、君もそう思うか!」と、グレッグスンは勝ち誇ったように叫んだ。「君もその結論にいつか達すると思っていたぞ。イーノック・J・ドレッバーの秘書ジョーゼフ・スタンガーソンの居場所は判ったのか?」
「秘書のジョーゼフ・スタンガーソンは、」と、レストレイド警部は重々しい態度で言った。「今朝の6時頃、ハリデー・プラーベート・ホテルで殺害されていた。」

リトルジョージストリートの北側から見た最高裁判所(その2)

It was indeed Lestrade, who had ascended the stairs while we were talking, and who now entered the room. The assurance and jauntiness which generally marked his demeanor and dress were, however, wanting. His face was disturbed and troubled, while his clothes were disarranged and untidy. He had evidently come with the intention of consulting with Sherlock Holmes, for on perceiving his colleague he nervously with his hat and uncertain what to do. “This is a most extraordinary case,” he said at last - “a most incomprehensible affair.”
“Ah, you find it so, Mr. Lestrade!” Cried Gregson, triumphantly. “I thought you would come to that conclusion. Have you managed to find the Secretary, Mr. Joseph Stangerson?”
“The Secretary, Mr. Joseph Stangerson,” said Lestrade gravely, “was murdered at Halliday’s Private Hotel about six o’clock this morning.”

(その2)に続く。

2017年6月25日日曜日

T.S.エリオット(Thomas Stearns Eliot)

T.S.エリオットが住んでいた住居が、
ケンジントン&チェルシー王立区(Royal Borough of Kensington and Chelsea)内の
ケンジントンコートプレイス通り(Kensington Court Place)沿いに建っている。

アガサ・クリスティー作「複数の時計(The Clocks)」(1963年)は、エルキュール・ポワロシリーズの長編で、今回、ポワロは殺人事件の現場へは赴かず、また、殺人事件の容疑者や証人への尋問も直接は行わないで、ロンドンにある自分のフラットに居ながらにして(=完全な安楽椅子探偵として)、事件の謎を解決するのである。


キャサリン・マーティンデール(Miss Katherine Martindale)が所長を勤めるキャヴェンディッシュ秘書紹介所(Cavendish Secretarial Bureau)から派遣された速記タイピストのシーラ・ウェッブ(Sheila Webb)は、ウィルブラームクレッセント通り19番地(19 Wilbraham Crescent)へと急いでいた。シーラ・ウェッブが電話で指示された部屋(居間)へ入ると、彼女はそこで身なりの立派な男性の死体を発見する。男性の死体の周囲には、6つの時計が置かれており、そのうちの4つが何故か午後4時13分を指していた。鳩時計が午後3時を告げた時、ウィルブラームクレッセント19番地の住人で、目の不自由な女教師ミリセント・ペブマーシュ(Miss Millicent Pebmarsh)が帰宅する。自宅内の異変を感じたミリセント・ペブマーシュが男性の死体へと近づこうとした際、シーラ・ウェッブは悲鳴を上げながら、表へと飛び出した。そして、彼女は、ちょうどそこに通りかかった青年コリン・ラム(Colin Lamb)の腕の中に飛び込むことになった。
実は、コリン・ラム青年は、警察の公安部員(Special Branch agent)で、何者かに殺された同僚のポケット内にあったメモ用紙に書かれていた「M」という文字、「61」という数字、そして、「三日月」の絵から、ウィルブラームクレッセント19番地が何か関係して入るものと考え、付近を調査していたのである。「M」を逆さまにすると、「W」になり、「ウィルブラーム」の頭文字になる。「三日月」は「クレッセント」であり、「61」を逆さまにすると、「19」となる。3つを繋げると、「ウィルブラームクレッセント通り19番地」を意味する。

このフラットは、現在、
「ケンジントンコートガーデンズ
(Kensington Court Gardens)」と呼ばれている。

クローディン警察署のディック・ハードキャッスル警部(Inspector Dick Hardcastle)が本事件を担当することになった。
シーラ・ウェッブは、ミリセント・ペブマーシュの家へ今までに一度も行ったことがないと言う。また、ミリセント・ペブマーシュは、キャヴェンディッシュ秘書紹介所に対して、シーラ・ウェッブを名指しで仕事を依頼する電話をかけた覚えはないと答える。更に、シーラ・ウェッブとミリセント・ペブマーシュの二人は、ウィルブラームクレッセント通り19番地の居間で死体となって発見された男性について、全く覚えがないと証言するのであった。
ミリセント・ペブマーシュの居間においてキッチンナイフで刺されて見つかった身元不明の死体は「R.・H・カリイ(R. H. Curry)」とされたが、スコットランドヤードの捜査の結果、全くの偽名であることが判明し、身元不明へと逆戻りする。彼が目の不自由な老婦人の居間で刺殺される理由について、スコットランドヤードも、そして、コリン・ラムも、皆目見当がつかなかった。途方に暮れたコリン・ラムは、ポワロに助けを求める。年若き友人からの頼みを受けて、ポワロの灰色の脳細胞が事件の真相を解き明かす。

「ケンジントンコートガーデンズ」の入口

英国のTV会社 ITV1 で放映されたポワロシリーズ「Agatha Christie’s Poirot」の「複数の時計」(2011年)では、アガサ・クリスティーの原作が第二次世界大戦(1939年ー1945年)後の米ソ冷戦状態を物語の時代背景としたことに対して、他のシリーズ作品と同様に、第一次世界大戦(1914年ー1918年)と第二次世界大戦の間に物語の時代設定を置いている関係上、第二次世界大戦前夜を時代背景として、英国の仮想敵国を原作のソビエト連邦からアドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツへと変更している。また、物語の舞台も、サセックス州(Sussex)のクロウディーン(Crowdean)からケント州(Kent)のドーヴァー(Dover)へと変更されている。更に、コリン・ラムの名前は、コリン・レイス大尉(Liteunant Colin Race)となり、警察の公安部員ではなく、MI6 の秘密情報部員(intelligence officer)という設定に変えられている。

T.S.エリオットがここに住んでいたことを示す
ブループラークは、フラットの入口の左側の壁に掛けられている。

TV版では、目の不自由な老婦人のミリセント・ペブマーシュが住むウィルブラームクレッセント19番地の居間で身元不明の男性の死体が見つかったことについて、ポワロとMI6 のコリン・レイス大尉の二人は、右隣りのウィルブラームクレッセント20番地(20 Wilbraham Crescent)に住む老婦人のヘミング夫人(Mrs Hemmings)を訪れ、何か見たり聞いたりしたことはないかと尋ねる。
ヘミング夫人は非常な猫好きで、彼女と話をするポワロとコリン・レイス大尉の周りを数匹の猫がウロウロとする。猫の毛で鼻がムズムズとするポワロは、残念ながら、ヘミング夫人との話に集中することができない。
ヘミング夫人は二人に対して、「隣りのミリセント・ペブマーシュは目が不自由ではあるが、自分のことは自分で対処できている。」と語る。そして、ヘミング夫人は次のように評する。
「もしミリセント・ペブマーシュが猫だったら、きっと、彼女はT.S.エリオットの詩集に出てくる猫の一匹になれるわ。(I think if she were a cat, she’d be one of T. S. Eliot’s practical cats, don’t you?)」
更に、作者のT.S.エリオットについても、ヘミング夫人は次のような発言まで行った。
「(作者の)T.S.エリオットの名前を逆から書いたら、トイレの綴りになることを知っていましたか?(Have you realized that if you write ’T. S. Eliot’ backwards, it spells toilets?)」

T.S.エリオットは、1965年にこのフラットで死去した。

ヘミング夫人の話に出てくるトマス・スターンズ・エリオット(Thomas Stearns Eliot:1888年ー1965年)は、英国の詩人、劇作家で、かつ文芸批評家である。T.S.エリオットは、1888年9月26日に米国ミズーリ州セントルイスに誕生し、ハーバード大学を卒業した後、ソルボンヌ大学(フランス)、フィリップ大学マールブルク(ドイツ)やオックスフォード大学(英国)にも通った。彼は1917年から1925年までロイズ銀行の渉外部門で働いた後、1927年に英国に帰化し、英国国教会に入信。

ケンジントンコートプレイス通りを
北側から南方面へ見たところ

彼の作品は、主に以下の通り。
(1)評論「伝統と個人の才能(Tradition and the Individual Talent)」(1919年)
 →「4月は残酷極まる月(April is the cruellest month.)」で始まる。
(2)長詩「荒地(The Waste Land)」(1922年)
 →第一世界大戦後の荒廃した世界と救済への予兆を描き出した。
(3)詩劇「寺院の殺人(Murder in the Cathedral)」(1935年)
 →第2幕に登場する「誘惑者」と主人公の殉教者トマス・ベケット(Thomas Becket:1118年ー1170年 イングランドの聖職者で、カンタベリー大司教)の対話は、シャーロック・ホームズの「マスグレイヴ家の儀式書(The Musgrave Ritual)」(1893年)を真似たものとのこと。
(4)長詩「四つの四重奏」(1943年)
 →1935年から1942年にかけて発表した「Burnt Norton」、「East Coker」、「The Dry Salvages」と「Little Gidding」を一つにまとめたもの。
(5)詩劇「カクテルパーティー(Cocktail Party)」(1949年)
 →弁護士とその妻、映画脚本家と女性詩人の4人の恋愛関係を精神科医が解決するストーリーで、現代社会を喜劇的に描き出した。
(6)詩劇論「詩と劇(Poetry and Drama)」(1951年)

なお、T.S.エリオットは、1948年にノーベル文学賞を受賞している。

ケンジントンコートプレイスから眺めた
ケンジントンコートガーデンズ(Kensington Court Gardens)

TV版のポワロシリーズにおいて、ヘミング夫人がミリセント・ペブマーシュを猫に例えた話は、T.S.エリオットが1939年に発表した児童向けの詩「キャッツーポッサムおじさんの猫と付き合う方法(The Old Possum’s Book of Practical Cats)」がベースになっており、日本では他にも「おとぼけおじさんの猫行状記」、「袋鼠(ふくろねずみ)親爺の手練猫名簿」や「キャッツ ポッサムおじさんの実用猫百科」等の題名も使われている。
T.S.エリオットが1965年1月4日にロンドンのケンジントンにある自宅で死去した後、彼の詩「キャッツーポッサムおじさんの猫と付き合う方法」は英国の作曲家ロイド=ウェバー男爵アンドリュー・ロイド・ウェバー(Andrew Lloyd Webber, Baron Lloyd-Webber:1948年ー)によるミュージカル「キャッツ(Cats)」の原作となり、ロンドンのウェストエンドとニューヨークのブロードウェイでロングランを続け、大ヒットとなった。

そう考えると、英国のドラマは奥が深い。

2017年6月24日土曜日

ロンドン キャンバーウェルロード129番地(129 Camberwell Road)

キャンバーウェルニューロード(Camberwell New Road)沿いに建ち並ぶ住居

サー・アーサー・コナン・ドイル作「緋色の研究(A Study in Scarlet)」(1887年)の冒頭、1878年にジョン・H・ワトスンはロンドン大学(University of London → 2016年8月6日付ブログで紹介済)で医学博士号を取得した後、ネトリー軍病院(Netley Hospital → 2016年8月13日付ブログで紹介済)で軍医になるために必要な研修を受けて、第二次アフガン戦争(Second Anglo-Afghan Wars:1878年ー1880年)に軍医補として従軍する。戦場において、ワトスンは銃で肩を撃たれて、重傷を負い、英国へと送還される。

英国に戻ったワトスンは、親類縁者が居ないため、ロンドンのストランド通り(Strand → 2015年3月29日付ブログで紹介済)にあるホテルに滞在して、無意味な生活を送っていた。そんな最中、ワトスンは、ピカデリーサーカス(Piccadilly Circus)にあるクライテリオンバー(Criterion Bar → 2014年6月8日付ブログで紹介済)において、セントバーソロミュー病院(St. Bartholomew's Hospital → 2014年6月14日付ブログで紹介済)勤務時に外科助手をしていたスタンフォード(Stamford)青年に出会う。ワトスンがスタンフォード青年に「そこそこの家賃で住むことができる部屋を捜している。」という話をすると、同病院の化学実験室で働いているシャーロック・ホームズという一風変わった人物を紹介される。初対面にもかかわらず、ワトスンが負傷してアフガニスタンから帰って来たことを、ホームズは一目で言い当てて、ワトスンを驚かせた。


こうして、ベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)において、ホームズとワトスンの共同生活が始まるのであった。彼らが共同生活を始めて間もなく、ホームズの元にスコットランドヤードのグレッグスン警部(Inspector Gregson)から事件発生を告げる手紙が届く。ホームズに誘われたワトスンは、ホームズと一緒に、ブリクストンロード(Brixton Road → 2017年5月20日付ブログで紹介済)近くの現場ローリストンガーデンズ3番地(3 Lauriston Gardens → 2017年3月4日付ブログで紹介済)へと向かった。ホームズ達が到着した現場には、グレッグスン警部とレストレイド警部(Inspector Lestrade)が二人を待っていた。現場で死亡していたのは、イーノック・J・ドレッバー(Enoch J. Drebber)の名刺を持つ、立派な服装をした中年の男性だった。

イーノック・J・ドレッバーの死体を発見したのは、ジョン・ランス巡査(Constable John Rance)であるという話をレストレイド警部から聞くと、ホームズとワトスンの二人は、早速、彼が住むケニントンパークゲート(Kennington Park Gate)のオードリーコート46番地(46 Audley Court → 2017年3月25日付ブログで紹介済)へと向かう。そこで、ジョン・ランス巡査から死体発見の経緯を聞いたホームズは、ワトスンに対して、「彼は犯人を捕まえられる絶好のチャンスをみすみすとふいにしたのさ。」と嘆くのであった。


イーノック・J・ドレッバーの死体を持ち上げた際、床に落ちた女性の結婚指輪に気付いたホームズは、この指輪が犯人に繋がるものだと考え、朝刊全紙に広告を掲載して、
(1)金の結婚指輪がブリクストンロード近くのパブ「ホワイトハート(White Hart)」とホーランドグローヴ通り(Holland Grove)の間の道路で見つかったこと
(2)落とし主は、今晩8時から9時までの間に、ベイカーストリート221B のワトスン博士を訪ねること
と告げるのであった。

そして、ホームズの予想通り、午後8時を過ぎた頃、彼らの部屋を訪ねて来た人が居たが、ホームズの予想に反して、指輪を引き取りにやって来たのは、はハウンズディッチ(Houndsditch → 2017年6月3日付ブログで紹介済)のダンカンストリート13番地(13 Duncan Street)に住むソーヤー(Sawyer)と名乗る老婆だった。犯人に頼まれて、老婆が代わりに指輪を引き取りに来たと考えたホームズは、ワトスンを部屋に残して、彼女の後を尾行すべく、出かけて行った。ところが、敵側の方が一枚上手で、残念ながら、ホームズは尾行をまかれてしまった。そして、翌朝の新聞には、「ブリクストンの謎」という記事であふれていた。その最中、グレッグスン警部がホームズの元を訪れる。


「どうやって手掛かりをつかんだのかい?」
「ええ、全部お話します。ワトスン先生、もちろん、これは本当に内密でお願いしますよ。まず難しかったのは、この米国人の経歴をどうやって調べるかでした。こちらが出した広告に対して、問い合わせがあったり、あるいは、関係者が名乗り出て、自発的に情報を提供してくれるまで待つという人も居るでしょうが、それは、トビアス・グレッグスンのやり方じゃありません。あなたは、死んだ男の側に落ちていた帽子を覚えていますか?」
「ああ。」と、ホームズは言った。「キャンバーウェルロード129番地の帽子屋ジョン・アンダーウッド&サンズ製だね。」
グレッグスンがかなりがっかりしたように見えた。
「あなたも気付いていたとは思ってもいませんでした。」と、彼は言った。「あなたは、その帽子屋へもう行かれたんですか?」
「いいや。」
「そうですか!」と、グレッグスンはホッとしたような声で叫んだ。「例えどんなに小さく見えても、チャンスを逃すべきではないですね。」
「偉大な心にとって、小さなもの等、決してない。」と、ホームズは教訓めいたように話した。
「ええ、私は帽子屋のアンダーウッドのところへ行ってきました。そして、このサイズと種類の帽子屋を売ったことがあるかどうか、彼に尋ねました。彼はその帽子をトーキーテラスにあるシャーペンティエ夫人の下宿屋に住むドレッバーという男に配達していました。そうして、私は彼の住所を探し当てたのです。」
「見事だ。ー実に見事だ!」と、シャーロック・ホームズは呟いた。

キャンバーウェルニューロードと
バサルロード(Vassall Road)が交差する角

“And how did you get your clue?”
“Ah, I’ll tell you all about it. Of course, Doctor Watson, this is strictly between ourselves. The first difficulty which we had to contend with was the finding of this American’s antecedents. Some people would have waited until their advertisements were answered, or until parties came forward and volunteered information. That is not Tobias Gregson’s way of going to work. You remember the hat beside the dead man?”
“Yes,” said Holmes; “by John Underwood and Sons, 129 Camberwell Road.”
Gregson looked quite crest-fallen.
“I had no idea that you noticed that,” he said. “Have you been there?”
“No.”
“Ha!” Cried Gregson, in a relieved voice; “you should never neglect a chance, however small it may seem.”
“To a great mind, nothing is little,” remarked Holmes, sententiously.
“Well, I went to Underwood, and asked him if he had sold a hat of that size and description. He looked over his books, and came on it at once. He had sent the hat to a Mr. Drebber, residing at Charpentier’s Boarding Establishment, Torquay Terrace. Thus I got at his address.”
“Smart - very smart!” Murmured Sherlock Holmes.

キャンバーウェルニューロード沿いに建つパブ「The Kennington」

テムズ河(River Thames)の南岸にあり、地下鉄ベイカールーライン(Bakerloo Line)の南側の終着駅である地下鉄エレファント&キャッスル駅(Elephant & Castle Tube Station)の辺りからウォルワースロード(Walworth Road)がほぼ南へと延びているが、キャンバーウェル地区(Camberwell)内に入ると、キャンバーウェルロード(Camberwell Road)へと名前を変える。このキャンバーウェルロードがキャンバーウェル地区のほぼ中央を南北に縦断して、地区を東側と西側に分けている。そして、キャンバーウェルグリーン(Camberwell Green)と呼ばれる緑地帯の角で、東西に延びるキャンバーウェル ニューロード / 西側(Camberwell New Road)とペッカムロード / 東側(Peckam Road)に交差すると、デンマークヒル通り(Denmark Hill)へと再度名前が変わる。

ホームズとワトスンが活躍したヴィクトリア朝時代、特に1850年代以降、キャンバーウェルロード沿いにはミュージックホールが数多く建ち並び、非常に栄えたが、映画館やTVの登場により、次第に数が減っていき、最後のミュージックホールも1956年にその姿を消してしまった。

キャンバーウェルニューロード沿いに建つ
St. Mark's Church (その1)

イーノック・J・ドレッバーに帽子を配達した帽子屋ジョン・アンダーウッド&サンズの店があったとされるキャンバーウェルロード129番地は、キャンバーウェルロードとアディントンスクエア通り(Addington Square)が交差する北東の角に建っており、現在は住居になっている。

キャンバーウェルニューロード沿いに建つ
St. Mark's Church (その2)

ロンドン交通局(Transport for London)は、当初、地下鉄ベイカールーラインをキャンバーウェルロードの辺りまで延ばす計画であったが、第二次世界大戦(1939年ー1945年)のため、計画が頓挫。1950年代と1970年代にも延伸工事が一旦始まったものの、これらも途中で中止となっている。ロンドン交通局は未だに延伸を計画しているものの、具体的な日程は決まっていない、とのこと。