2017年6月25日日曜日

T.S.エリオット(Thomas Stearns Eliot)

T.S.エリオットが住んでいた住居が、
ケンジントン&チェルシー王立区(Royal Borough of Kensington and Chelsea)内の
ケンジントンコートプレイス通り(Kensington Court Place)沿いに建っている

アガサ・クリスティー作「複数の時計(The Clocks)」(1963年)は、エルキュール・ポワロシリーズの長編で、今回、ポワロは殺人事件の現場へは赴かず、また、殺人事件の容疑者や証人への尋問も直接は行わないで、ロンドンにある自分のフラットに居ながらにして(=完全な安楽椅子探偵として)、事件の謎を解決するのである。


キャサリン・マーティンデール(Miss Katherine Martindale)が所長を勤めるキャヴェンディッシュ秘書紹介所(Cavendish Secretarial Bureau)から派遣された速記タイピストのシーラ・ウェッブ(Sheila Webb)は、ウィルブラームクレッセント通り19番地(19 Wilbraham Crescent)へと急いでいた。シーラ・ウェッブが電話で指示された部屋(居間)へ入ると、彼女はそこで身なりの立派な男性の死体を発見する。男性の死体の周囲には、6つの時計が置かれており、そのうちの4つが何故か午後4時13分を指していた。鳩時計が午後3時を告げた時、ウィルブラームクレッセント19番地の住人で、目の不自由な女教師ミリセント・ペブマーシュ(Miss Millicent Pebmarsh)が帰宅する。自宅内の異変を感じたミリセント・ペブマーシュが男性の死体へと近づこうとした際、シーラ・ウェッブは悲鳴を上げながら、表へと飛び出した。そして、彼女は、ちょうどそこに通りかかった青年コリン・ラム(Colin Lamb)の腕の中に飛び込むことになった。
実は、コリン・ラム青年は、警察の公安部員(Special Branch agent)で、何者かに殺された同僚のポケット内にあったメモ用紙に書かれていた「M」という文字、「61」という数字、そして、「三日月」の絵から、ウィルブラームクレッセント19番地が何か関係して入るものと考え、付近を調査していたのである。「M」を逆さまにすると、「W」になり、「ウィルブラーム」の頭文字になる。「三日月」は「クレッセント」であり、「61」を逆さまにすると、「19」となる。3つを繋げると、「ウィルブラームクレッセント通り19番地」を意味する。

このフラットは、現在、
「ケンジントンコートガーデンズ
(Kensington Court Gardens)」と呼ばれている

クローディン警察署のディック・ハードキャッスル警部(Inspector Dick Hardcastle)が本事件を担当することになった。
シーラ・ウェッブは、ミリセント・ペブマーシュの家へ今までに一度も行ったことがないと言う。また、ミリセント・ペブマーシュは、キャヴェンディッシュ秘書紹介所に対して、シーラ・ウェッブを名指しで仕事を依頼する電話をかけた覚えはないと答える。更に、シーラ・ウェッブとミリセント・ペブマーシュの二人は、ウィルブラームクレッセント通り19番地の居間で死体となって発見された男性について、全く覚えがないと証言するのであった。
ミリセント・ペブマーシュの居間においてキッチンナイフで刺されて見つかった身元不明の死体は「R.・H・カリイ(R. H. Curry)」とされたが、スコットランドヤードの捜査の結果、全くの偽名であることが判明し、身元不明へと逆戻りする。彼が目の不自由な老婦人の居間で刺殺される理由について、スコットランドヤードも、そして、コリン・ラムも、皆目見当がつかなかった。途方に暮れたコリン・ラムは、ポワロに助けを求める。年若き友人からの頼みを受けて、ポワロの灰色の脳細胞が事件の真相を解き明かす。

「ケンジントンコートガーデンズ」の入口

英国のTV会社 ITV1 で放映されたポワロシリーズ「Agatha Christie’s Poirot」の「複数の時計」(2011年)では、アガサ・クリスティーの原作が第二次世界大戦(1939年ー1945年)後の米ソ冷戦状態を物語の時代背景としたことに対して、他のシリーズ作品と同様に、第一次世界大戦(1914年ー1918年)と第二次世界大戦の間に物語の時代設定を置いている関係上、第二次世界大戦前夜を時代背景として、英国の仮想敵国を原作のソビエト連邦からアドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツへと変更している。また、物語の舞台も、サセックス州(Sussex)のクロウディーン(Crowdean)からケント州(Kent)のドーヴァー(Dover)へと変更されている。更に、コリン・ラムの名前は、コリン・レイス大尉(Liteunant Colin Race)となり、警察の公安部員ではなく、MI6 の秘密情報部員(intelligence officer)という設定に変えられている。

T.S.エリオットがここに住んでいたことを示す
ブループラークは、フラットの入口の左側の壁に架けられている

TV版では、目の不自由な老婦人のミリセント・ペブマーシュが住むウィルブラームクレッセント19番地の居間で身元不明の男性の死体が見つかったことについて、ポワロとMI6 のコリン・レイス大尉の二人は、右隣りのウィルブラームクレッセント20番地(20 Wilbraham Crescent)に住む老婦人のヘミング夫人(Mrs Hemmings)を訪れ、何か見たり聞いたりしたことはないかと尋ねる。
ヘミング夫人は非常な猫好きで、彼女と話をするポワロとコリン・レイス大尉の周りを数匹の猫がウロウロとする。猫の毛で鼻がムズムズとするポワロは、残念ながら、ヘミング夫人との話に集中することができない。
ヘミング夫人は二人に対して、「隣りのミリセント・ペブマーシュは目が不自由ではあるが、自分のことは自分で対処できている。」と語る。そして、ヘミング夫人は次のように評する。
「もしミリセント・ペブマーシュが猫だったら、きっと、彼女はT.S.エリオットの詩集に出てくる猫の一匹になれるわ。(I think if she were a cat, she’d be one of T. S. Eliot’s practical cats, don’t you?)」
更に、作者のT.S.エリオットについても、ヘミング夫人は次のような発言まで行った。
「(作者の)T.S.エリオットの名前を逆から書いたら、トイレの綴りになることを知っていましたか?(Have you realized that if you write ’T. S. Eliot’ backwards, it spells toilets?)」

T.S.エリオットは、1965年にこのフラットで死去した

ヘミング夫人の話に出てくるトマス・スターンズ・エリオット(Thomas Stearns Eliot:1888年ー1965年)は、英国の詩人、劇作家で、かつ文芸批評家である。T.S.エリオットは、1888年9月26日に米国ミズーリ州セントルイスに誕生し、ハーバード大学を卒業した後、ソルボンヌ大学(フランス)、フィリップ大学マールブルク(ドイツ)やオックスフォード大学(英国)にも通った。彼は1917年から1925年までロイズ銀行の渉外部門で働いた後、1927年に英国に帰化し、英国国教会に入信。

ケンジントンコートプレイス通りを
北側から南方面へ見たところ

彼の作品は、主に以下の通り。
(1)評論「伝統と個人の才能(Tradition and the Individual Talent)」(1919年)
 →「4月は残酷極まる月(April is the cruellest month.)」で始まる。
(2)長詩「荒地(The Waste Land)」(1922年)
 →第一世界大戦後の荒廃した世界と救済への予兆を描き出した。
(3)詩劇「寺院の殺人(Murder in the Cathedral)」(1935年)
 →第2幕に登場する「誘惑者」と主人公の殉教者トマス・ベケット(Thomas Becket:1118年ー1170年 イングランドの聖職者で、カンタベリー大司教)の対話は、シャーロック・ホームズの「マスグレイヴ家の儀式書(The Musgrave Ritual)」(1893年)を真似たものとのこと。
(4)長詩「四つの四重奏」(1943年)
 →1935年から1942年にかけて発表した「Burnt Norton」、「East Coker」、「The Dry Salvages」と「Little Gidding」を一つにまとめたもの。
(5)詩劇「カクテルパーティー(Cocktail Party)」(1949年)
 →弁護士とその妻、映画脚本家と女性詩人の4人の恋愛関係を精神科医が解決するストーリーで、現代社会を喜劇的に描き出した。
(6)詩劇論「詩と劇(Poetry and Drama)」(1951年)

なお、T.S.エリオットは、1948年にノーベル文学賞を受賞している。

ケンジントンコートプレイスから眺めた
ケンジントンコートガーデンズ(Kensington Court Gardens)

TV版のポワロシリーズにおいて、ヘミング夫人がミリセント・ペブマーシュを猫に例えた話は、T.S.エリオットが1939年に発表した児童向けの詩「キャッツーポッサムおじさんの猫と付き合う方法(The Old Possum’s Book of Practical Cats)」がベースになっており、日本では他にも「おとぼけおじさんの猫行状記」、「袋鼠(ふくろねずみ)親爺の手練猫名簿」や「キャッツ ポッサムおじさんの実用猫百科」等の題名も使われている。
T.S.エリオットが1965年1月4日にロンドンのケンジントンにある自宅で死去した後、彼の詩「キャッツーポッサムおじさんの猫と付き合う方法」は英国の作曲家ロイド=ウェバー子爵アンドリュー・ロイド・ウェバー(Andrew Lloyd Webber, Baron Lloyd-Webber:1948年ー)によるミュージカル「キャッツ(Cats)」の原作となり、ロンドンのウェストエンドとニューヨークのブロードウェイでロングランを続け、大ヒットとなった。

そう考えると、英国のドラマは奥が深い。

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