2017年6月4日日曜日

ドーヴァー(Dover) ドーヴァー城(Dover Castle)

麓から見上げたドーヴァー城の全景

アガサ・クリスティー作「複数の時計(The Clocks)」(1963年)は、エルキュール・ポワロシリーズの長編で、今回、ポワロは殺人事件の現場へは赴かず、また、殺人事件の容疑者や証人への尋問も直接は行わないで、ロンドンにある自分のフラットに居ながらにして(=完全な安楽椅子探偵として)、事件の謎を解決するのである。

遠方から見たドーヴァー城の全景

キャサリン・マーティンデール(Miss Katherine Martindale)が所長を勤めるキャヴェンディッシュ秘書紹介所(Cavendish Secretarial Bureau)から派遣された速記タイピストのシーラ・ウェッブ(Sheila Webb)は、ウィルブラームクレッセント通り19番地(19 Wilbraham Crescent)へと急いでいた。シーラ・ウェッブが電話で指示された部屋(居間)へ入ると、彼女はそこで身なりの立派な男性の死体を発見する。男性の死体の周囲には、6つの時計が置かれており、そのうちの4つが何故か午後4時13分を指していた。鳩時計が午後3時を告げた時、ウィルブラームクレッセント19番地の住人で、目の不自由な女教師ミリセント・ペブマーシュ(Miss Millicent Pebmarsh)が帰宅する。自宅内の異変を感じたミリセント・ペブマーシュが男性の死体へと近づこうとした際、シーラ・ウェッブは悲鳴を上げながら、表へと飛び出した。そして、彼女は、ちょうどそこに通りかかった青年コリン・ラム(Colin Lamb)の腕の中に飛び込むことになった。
実は、コリン・ラム青年は、警察の公安部員(Special Branch agent)で、何者かに殺された同僚のポケット内にあったメモ用紙に書かれていた「M」という文字、「61」という数字、そして、「三日月」の絵から、ウィルブラームクレッセント19番地が何か関係して入るものと考え、付近を調査していたのである。「M」を逆さまにすると、「W」になり、「ウィルブラーム」の頭文字になる。「三日月」は「クレッセント」であり、「61」を逆さまにすると、「19」となる。3つを繋げると、「ウィルブラームクレッセント通り19番地」を意味する。


ドーヴァー城から見下ろすドーヴァー市内の町並み

クローディン警察署のディック・ハードキャッスル警部(Inspector Dick Hardcastle)が本事件を担当することになった。
シーラ・ウェッブは、ミリセント・ペブマーシュの家へ今までに一度も行ったことがないと言う。また、ミリセント・ペブマーシュは、キャヴェンディッシュ秘書紹介所に対して、シーラ・ウェッブを名指しで仕事を依頼する電話をかけた覚えはないと答える。更に、シーラ・ウェッブとミリセント・ペブマーシュの二人は、ウィルブラームクレッセント通り19番地の居間で死体となって発見された男性について、全く覚えがないと証言するのであった。
ミリセント・ペブマーシュの居間においてキッチンナイフで刺されて見つかった身元不明の死体は「R.・H・カリイ(R. H. Curry)」とされたが、スコットランドヤードの捜査の結果、全くの偽名であることが判明し、身元不明へと逆戻りする。彼が目の不自由な老婦人の居間で刺殺される理由について、スコットランドヤードも、そして、コリン・ラムも、皆目見当がつかなかった。途方に暮れたコリン・ラムは、ポワロに助けを求める。年若き友人からの頼みを受けて、ポワロの灰色の脳細胞が事件の真相を解き明かす。


ドーヴァー城の天守閣(keep)から見たローマ人が建てた灯台(右手)や
サクソン人が建てた教会 St. Mary in Castro (左手)等

英国のTV会社 ITV1 で放映されたポワロシリーズ「Agatha Christie’s Poirot」の「複数の時計」(2011年)では、アガサ・クリスティーの原作が第二次世界大戦(1939年ー1945年)後の米ソ冷戦状態を物語の時代背景としたことに対して、他のシリーズ作品と同様に、第一次世界大戦(1914年ー1918年)と第二次世界大戦の間に物語の時代設定を置いている関係上、第二次世界大戦前夜を時代背景として、英国の仮想敵国を原作のソビエト連邦からアドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツへと変更している。また、物語の舞台も、サセックス州(Sussex)のクロウディーン(Crowdean)からケント州(Kent)のドーヴァー(Dover)へと変更されている。更に、コリン・ラムの名前は、コリン・レイス大尉(Liteunant Colin Race)となり、警察の公安部員ではなく、MI6 の秘密情報部員(intelligence officer)という設定に変えられている。

第二次世界大戦の開戦前夜、ドーヴァー城(Dover Castle)の地下に設けられた MI6 のオフィスに置いて、コリン・レイス大尉が上官のハムリング副提督(Vice Admiral Hamlingーアガサ・クリスティーの原作では、ベック大佐(Colonel Beck))と話をしている頃、同じ地下でドイツ側のスパイが暗躍していた。MI6 の職員として潜入していたドイツ側のスパイであるアナベル・ラーキン(Annabel Larkin)が MI6 の機密書類を持ち出そうとしている現場を、コリン・レイス大尉の同僚で、彼の恋人でもあるフィオナ・ハンベリー(Fiona Hanbury)が見かける。アナベル・ラーキンの後を追ったフィオナ・ハンベリーは、アナベル・ラーキンと一緒に、ドーヴァーの街中で交通事故に会って、不運にも二人とも命を落としてしまう。本作品において、MI6 の地下オフィスが移る前に、ドーヴァー城が何度も画面に登場する。

ドーヴァー城は、ケント州のドーヴァー市(Dover)にある中世の城で、英国内では最大である。同城は、英国の歴史上、同国の防衛において非常に重要な役割を果たしてきた。

ドーヴァー城が現在建っている場所は、ローマ人が英国に入って来た頃(紀元後43年)よりも前の鉄器時代(Iron Age:紀元前800年ー紀元後43年)に、既に要塞化されていたようである。城内には、ローマ時代の灯台(lighthouse)が今も残っている。


ローマ時代に建てられた灯台越しに、ドーヴァー城の天守閣を望む

ヘースティングズの戦い(Battle of Hastings:1066年)を経て、イングランドに英国王室の開祖となるノルマン王朝を開いたウィリアム1世(William I:1027年ー1087年 在位期間:1066年ー1087年)が、サクソン人が同地に建てた教会 St. Mary in Castro を中心とする要塞をベースにして、城を建設した。


サクソン人が建てた教会 St. Mary in Castro

プランタジネット朝のヘンリー2世(Henry II:1133年ー1189年 在位期間:1154年ー1189年)が城の再建(1180年ー1189年)を開始し、同王朝のヘンリー3世(Henry III:1207年ー1272年 在位期間:1216年ー1272年)のと討ち死に、今も残る巨大なドーヴァー城が完成したのである。
テューダー朝に入ると、城の防衛は大砲や火薬に頼るようになり、ヘンリー8世(Henry VIII:1491年ー1547年 在位期間:1509年ー1547年)により城の防衛機能が強化された。


ドーヴァー城の天守閣

清教徒革命(Puritan Revolution:1642年ー1649年)時の1642年には、ステュアート朝のチャールズ1世(Charles I:1600年ー1649年 在位期間:1625年ー1649年)の国王派軍にドーヴァー城は占拠され、議会派軍との戦いを繰り広げた。

フランス第一帝政の皇帝ナポレオン・ボナパルト(Napoleon Bonaparte:1769年ー1821年 在位期間:1804年ー1814年+1815年)率いるフランスとその同盟国が英国、オーストリア、プロイセンやロシア等のヨーロッパ列強の対仏同盟国との間で行なったナポレオン戦争(Napoleonic Wars:1803年ー1815年)時、城を含むドーヴァーの街そのものを英国防衛の砦とするため、城の地下に兵舎や倉庫等が建設され、複雑なトンネルで繋がれた。ナポレオン戦争のピーク時には、約2千人の兵士がドーヴァー城の地下兵舎に上中下、とのこと。英国の歴史上、地下弊社が存在するのは、ドーヴァー城のみ。フランス帝政の皇帝ナポレオン3世(Napoleon III:1808年ー1873年 在位期間:1852年ー1870年)の統治時も、英国への侵攻の脅威に晒され、城の大改修が行われた。


ドーヴァー城から英仏海峡を望む

第二次世界大戦の勃発に伴い、ドーヴァー城の地下トンネルは、当初、英国が空襲を受けた際の防空壕として、その後、英国陸海軍の指令本部(+病院)として使用された。そのための蓄電器や充電器等を設置する部屋を確保すべく、城の地下に更にトンネルが削岩された。地下トンネルの総延長距離は、最終的に3マイル(約5Km)を超える、と言われている。

その後、キューバミサイル危機(Cuban Missile Crisis:1962年)を経て、ドーヴァー城の地下は、核戦争に備えた英国政府のシェルター(緊急避難施設)として改修されたが、現在、ドーヴァー城は「グレード I(Grade I listed building)」の指定を受けて、イングリッシュヘリテージ(English Heritage)によって管理され、一般に公開されている。

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