2024年6月25日火曜日

デイヴィッド・ステュアート・デイヴィーズ作「シャーロック・ホームズの更なる冒険 / 殺しの操り人形」(The further adventures of Sherlock Holmes / The Instrument of Death by David Stuart Davies) - その2

英国の Titan Publishing Group Ltd. の Titan Books 部門から
2019年に出版された
デイヴィッド・ステュアート・デイヴィーズ作
「シャーロック・ホームズの更なる冒険 / 殺しの操り人形」の裏表紙


生まれてまもなく、母親を腸チフスで亡くしたグスタフ・カリガリ(Gustav Caligari)は、大学で外科手術を教えている父親のエメリック・カリガリ(Emeric Caligari)と2人で暮らしていた。

グスタフ・カリガリは、幼少期より身体が非常に大きい上に、陰気でサディスティックな性格で、同世代の子供達を虐めたり、小動物(猫等)や虫(蜘蛛等)を殺したりして、楽しんでいた。

その後、学校へ通い始めると、ひ弱で頭が良くない同級生達を陰で密かに虐め始めたが、陰湿な虐めが学校にばれて、グスタフ・カリガリは、放校される。父親のエメリック・カリガリは、息子のグスタフが人間の皮を被った「怪物」であることが判った。


放校後、グスタフ・カリガリの家庭教師として、数名が雇われたが、皆2ー3ヶ月で辞めてしまった。その中で、唯一残った家庭教師が、ハンス・ブルーナー(Hans Bruner)だった。

ハンス・ブルーナーが部屋に入って来た途端、グスタフ・カリガリは、「彼となら、うまくやっていける。」と感じた。ハンス・ブルーナーは、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe:1749年ー1832年)による詩「魔法使いの弟子(The Sorcerer’s Apprentice / ドイツ語:Der Zauberlehrling)」(1797年)に出てくる年老いた魔術師のようだった。


フランクフルトのゲーテハウス / ゲーテ博物館(Goethe Haus / Goethe Musem
→ 2017年11月18日 / 11月25日付ブログで紹介済)で購入した
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの絵葉書
「Goethe in Der Campagna」(1848) by Karl Bennert (1815 - 1885)


グスタフ・カリガリと家庭教師のハンス・ブルーナーは、勉学の方向性として、「魔術の歴史」に定めた。

ハンス・ブルーナーの教えを受ける中、グスタフ・カリガリは、他人を操り人形のようにコントロールする考えに、次第に取り憑かれていく。


グスタフ・カリガリがプラハ医学学校(Prague Medical School)の入学試験を受ける数ヶ月前に、家庭教師のハンス・ブルーナーに病が襲いかかった。医師によると、不治の病とのことだった。


ある年の秋の夕方、グスタフ・カリガリは、病んで床に就くハンス・ブルーナーの元を訪れた。

「旅立つ私、お別れをしに来たのかい?」と尋ねるハンス・ブルーナーに近寄ったグスタフ・カリガリは、ハンスの口を手で押さえると、老人の抵抗がなくなるまで抑え続けた。

これが、グスタフ・カリガリが犯した最初の殺人だった。


同じ年、グスタフ・カリガリは、プラハ医学学校を卒業するが、父親のエメリックが亡くなり、まとまった遺産を相続した。プラハに自分の診療所を開くのに、充分な資産だった。これで、彼は、医者になるとともに、殺人を続けることができるのである。


ところが、グスタフ・カリガリは、第2の殺人(老女)に失敗してしまう。

彼が今すべきことは、2つだった。

一つ目は、逮捕を免れるために、24時間以内にプラハを去ること。幸いなことに、「もしも」のために、以前から、彼は準備を進めていた。

二つ目は、次のステージへと進むこと。即ち、今後は、殺人を行う上で、自分と被害者の間に、別の人間を介在させること。つまり、家庭教師のハンス・ブルーナーから教えを受けた魔術の通り、他人を意のままに操って、殺人を犯させるのが、安全かつ確実な方法だと、グスタフ・カリガリは、理解したのである。


そして、グスタフ・カリガリは、プラハからロンドンへと向かった。 


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