2024年6月9日日曜日

ケンブリッジ大学創立800周年記念 / チャールズ・ダーウィン(800th Anniversary of the University of Cambridge / Charles Darwin)- その1

ケンブリッジ大学創立800周年を記念して、
英国の児童文学作家 / イラストレーターであるクェンティン・ブレイクが描いた
チャールズ・ダーウィンの絵葉書
<筆者がケンブリッジのフィッツウィリアム博物館(Fitzwilliam Museum)で購入>


2009年にケンブリッジ大学(University of Cambridge)が創立800周年を迎えたことを記念して、英国の児童文学作家 / イラストレーターであるクェンティン・ブレイク(Quentin Blake:1932年ー)が、ケンブリッジ大学に関係する人物を描いて、寄贈した。


ケンブリッジ大学の創立800周年を記念して、クェンティン・ブレイクが描いた人物達について、アイザック・ニュートン(Issac Newton:1642年―1727年 → 2024年5月26日 / 5月30日付ブログで紹介済)に続き、順番に紹介していきたい。

2番目に紹介するのは、チャールズ・ロバート・ダーウィン(Charles Robert Darwin)である。


(2)チャールズ・ロバート・ダーウィン(1809年ー1882年


チャールズ・ロバート・ダーウィン(以下、チャールズ・ダーウィン)は、英国の自然科学者、地質学者、そして、生物学者として有名である。


チャールズ・ダーウィンは、1809年2月12日、イングランド西部シュロップシャー州(Shropshire)シュルーズベリー(Shrewsbury)に、6人兄弟の5番目の子供(次男)として出生。

父親のロバート・ダーウィン(Robert Darwin:1766年ー1848年)は、裕福な医師 / 投資家で、父方の祖父であるエラズマス・ダーウィン(Erasmus Darwin:1731年ー1802年)は、高名な医師 / 詩人 / 自然哲学者 / 発明家だった。

一方、母親のスザンナ・ダーウィン(Susannah Darwin:1765年ー1817年)は、陶芸メーカーのウェッジウッド社を創始したジョサイア・ウェッジウッド(Josiah Wedgwood:1730年ー1795年)の娘であった。

父方の祖父であるエラズマス・ダーウィンは、母方の祖父であるジョサイア・ウェッジウッドとは親友の間柄で、発明家として、ウェッジウッド社の工場の近代化に寄与していた。また、父のロバート・ダーウィンと叔父のジョサイア・ウェッジウッド2世(Josiah Wedgwood II:1769年ー1843年 - 彼の母スザンナの弟)も、実業家として、親しく、ダーウィン家とウェッジウッド家は親密で、両親等、数組が婚姻しており、近しい姻戚関係にあった。

このように、チャールズ・ダーウィンは、非常に恵まれた一家の御曹司として生まれたのである。


チャールズ・ダーウィンは、幼少期より、植物、貝殻や鉱物等の収集に興味を示し、1817年から学校に通い始めた。ところが、同年7月に母親のスザンナが亡くなったため、キャロライン・サラ・ダーウィン(Caroline Sarah Darwin:1800年-1888年)を初めとする3人の姉が、彼の母親代わりを務めた。

彼は、1818年9月に、兄(長男)であるエラズマス・アルヴェイ・ダーウィン(Erasmus Alvey Darwin:1804年ー1881年)が既に学んでいた地元の寄宿学校に入学した。


医学エリートの家系に生まれたにもかかわらず、優等生タイプではなかったチャールズ・ダーウィンは、ギリシア語とラテン語の丸暗記が中心だった寄宿学校の方針が合わず、授業に全く入らなかったため、暇を見つけては、実家へと戻り、昆虫採集 / 標本作りや狩猟等に没頭しており、学業はそっちのけであった。


長男のエラズマスと次男のチャールズに実家の医業をつがせようと考えていた父親のロバートは、15歳になっても、昆虫採集や狩猟等にうつつをぬかし、学業が完全に疎かになっているチャールズ・ダーウィンの態度に業を煮やして、彼を地元の寄宿学校から引き離して、医学を勉強させるために、1825年10月、兄のエラズマスが当時学んでいたエディンバラ大学(University of Edinburgh)に入学させたのである。


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