2022年7月17日日曜日

コナン・ドイル作「空き家の冒険」<小説版>(The Empty House by Conan Doyle ) - その4

英国のロイヤルメール(Royal Mail)が発行した
シャーロック・ホームズ生還100周年記念切手「最後の事件」が添付された絵葉書

1893年に入り、妻ルイーズ(Louise)が「結核(tuberculosis)」(当時、不治の病と考えられていた)に罹っていることが判明したこと、それに加えて、アルコール中毒のため、1879年以降、施設(治療院)に収容されていた父親のチャールズが亡くなったことの2つの悲劇が訪れたアーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年-1930年)は、「最後の事件(The Final Problem → 2022年5月1日 / 5月8日 / 5月11日付ブログで紹介済)」を書き上げた後、妻ルイーズの結核療養のために、ロンドン郊外に購入した家を引き払うと、ルイーズを伴い、スイスのダボス(アルプス山脈の海抜1,600メートルに位置する保養都市)にあるホテルへと転地した。


スイスのダボスへと転地した後、妻ルイーズは、小康状態を保っていたため、当面の危機は去ったと考えたコナン・ドイルは、転地から1年も経っていない1894年9月に、米国の講演旅行へと出かけ、同年12月中旬にスイスへと戻った。


当初の計画通り、シャーロック・ホームズを抹殺したコナン・ドイルは、ナポレオン戦争時代を舞台にして、「ジェラール准将」シリーズの発表を1894年12月から始めた。最初の8編については、1896年に短編集「ジェラール准将の功績(The Exploits of Brigadier Gerard)」として、また、残りの8編に関しては、1903年に短編集「ジェラールの冒険(The Adventures of Gerard)」として単行本化されている。コナン・ドイルの期待通り、ジェラール准将シリーズもそれなりの人気作品となったが、読者や出版社からは、ホームズシリーズの再開とホームズの復活を求める声が、依然として強かった。


1895年に入ると、コナン・ドイルは、米国の講演旅行に同行できなかった妻ルイーズを、エジプトのカイロへと転地療養に連れて行った。当時、エジプトは、結核保養地として、スイスに次ぐ人気の場所だったのである。

ロンドンの友人から、ロンドン南部の丘陵地帯であるサリー州(Surrey)ハインドヘッド(Hindehead)が結核療養に最適だと聞かされたコナン・ドイルは、エジプトへ出発する前に、土地を購入の上、建築業者も手配し、エジプトから帰国する頃には、完成している筈だったが、実際には、そうならなかった。最終的に、妻ルイーズの結核療養のための新居が完成したのは、1897年の秋だった。


一方で、同じ年に、コナン・ドイル(当時、38歳)は、裕福な実業家の娘であるジーン・レッキー(Jean Leckie / 当時、24歳)と出会い、大きな秘密を抱えることになった。彼の二重生活は、妻ルイーズが亡くなる1906年7月まで続いたのである。その後、彼は、1907年9月に、ジーン・レッキーと再婚している。


英国のロイヤルメール(Royal Mail)が発行した
シャーロック・ホームズ生還100周年記念切手「バスカヴィル家の犬」が添付された絵葉書


妻ルイーズ / 長女マリー・ルイーズ / 長男アーサー・アレイン・キングスレーとの生活とジーン・レッキーとの秘密という二重生活を抱えたコナン・ドイルであったが、彼の今後、それに加えて、彼が抹殺したホームズの運命を大きく変える事件が、1899年に勃発したのである。

帝国主義を積極的に推し進める大英帝国は、南アフリカ南部を狙い、ケープ植民地(Cape Colony)を既に占領していた。南アフリカ南部に、オランダ系移民の子孫であるボーア人が建設した「トランスヴァール共和国(Republic of Transvaal → 正式名:South African Republic)」に金の鉱山が、また、「オレンジ自由国(Orange Free State)」にダイヤモンドの鉱山が発見され、それらの利権を狙った大英帝国が、オレンジ自由国を領有化した後、トランスヴァール共和国の併合を宣言して、同国との間で戦争状態に突入した。1880年12月16日から1881年3月23日にかけて、第1次ボーア戦争(First Anglo-Boer War)が行われたが、大英帝国軍は、トランスヴァール共和国軍に大惨敗して、トランスヴァール共和国の独立を承認する破目となり、その面目は丸潰れとなっていた。

その後、トランスヴァール共和国内に、更に豊富な金の鉱脈が発見されたことに伴い、南アフリカ南部に対して、帝国主義的な野心を抱いていた保守党の党首で、当時、第3次内閣を組閣していた首相の第3代ソールズベリー侯爵ロバート・アーサー・タルボット・ガスコイン=セシル(Robert Arthur Talbot Gascoyne-Cecil, 3rd Marquess of Salisbury:1830年ー1903年)他が、これを好機と捉えて、1899年10月12日に、トランスヴァール共和国内に対して、戦端を開いた。


この第2次ボーア戦争(Second Anglo-Boer War)に、コナン・ドイルが関与した結果、「バスカヴィル家の犬(The Hound of the Baskervilles)」におけるホームズの一時的な復活、そして、「空き家の冒険(The Empty House)」におけるホームズの帰還 / 生還へと繋がっていくのである。


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