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ナショナルポートレートギャラリーで販売されている チャールズ・ジョン・ハファム・ディケンズ (Charles John Huffam Dickens:1812年ー1870年)の写真の葉書 (George Herbert Watkins / 1858年 / albumen print, arched top / 190 mm x 152 mm) - チャールズ・ディケンズは、英国のヴィクトリア朝時代を代表する小説家で、 「クリスマスキャロル」、「大いなる遺産」、「オリヴァーツイスト」や 「二都物語」等で有名。 |
英国出身の推理作家であるステュアート・ダグラス(Stuart Douglas)が2015年に発表した「アルビノの財宝(The Albino’s Treasure → 2022年6月29日 / 7月2日 / 7月7日付ブログで紹介済)」では、1896年のある日の朝5時過ぎに、シャーロック・ホームズとジョン・H・ワトスンの二人が、スコットランドヤードのレストレード警部(Inspector Lestrade)の不意な訪問を受け、ベッドから起こされる破目になったところから、物語が始まる。
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画面の左手に建つのは、ナショナルギャラリーで、 ナショナルポートレートギャラリーは、画面左手奥を回り込んだところに所在。 |
レストレード警部によると、トラファルガースクエア(Trafalgar Square)の近くにあるセントマーティンズプレイス(St. Martin’s Place)に新しく建設されたナショナルポートレートギャラリー(National Portrait Gallery)において、午前2時過ぎに、警備員が館内を巡回していた際、政治家の肖像画が展示されている部屋で、英国首相を務めたソールズベリー卿(Lord Sailsbury)の肖像画をナイフで傷つけている男を発見し、警備員二人がかりで、その男を取り押さえた、とのこと。その男は、近くの壁に赤ペンキで「BOI」という謎の言葉を書いていた。
レストレード警部は、逮捕時に犯人の男が発した「次は、肖像画では済まないぞ!(Next time it wo’nt just a painting.)」という言葉に、共犯者の存在と次なる行動に危機感を抱いていたのである。
ホームズとワトスンがスコットランドヤードに到着すると、レストレード警部は、部下の巡査に指示して、犯人を取調室に連れて来させた。容疑者は、背が高く、痩せた30代の男で、口ひげを生やしていたが、左目の下から顎の辺りまで、傷跡があった。3人は、容疑者に対して、逮捕時の真意を尋ねるが、彼は一言も発しようとしなかった。そうこうするうちに、ホームズが、容疑者に対して、「チャールズ・オドネル伍長(Corporal Charles O’Donnell)」と呼びかけると、彼は驚いてホームズに摑みかかろうとするが、ホームズはすんでのところで身を躱し、彼の手首を折って、事無きを得る。
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ナショナルポートレートギャラリーで販売されている ウィリアム・ワーズワース (William Wordsworth:1770年ー1850年)の肖像画の葉書 (by Benjamin Robert Haydon / chalk / 1818年 / 546 mm x 419 mm) - ウィリアム・ワーズワースは、英国の代表的なロマン派詩人で、 湖水地方をこよなく愛した。 |
チャールズ・オドネル元伍長がソールズベリー卿の肖像画をナイフで傷つけていた場所は、「ナショナルポートレートギャラリー(国立肖像画美術館)」で、肖像画専門の美術館である。
ナショナルポートレートギャラリーは、1856年に設立され、収蔵している作品は約1,300点に及んでいる。
収蔵作品には、英国の歴史上の人物(国王、女王や政治家を含む)から最近の著名人(俳優 / 女優、音楽家や小説家等)までが含まれており、肖像画、写真、イラストや彫刻等、あらゆる形態のポートレートに渡っている。
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ナショナルポートレートギャラリーで販売されている ブロンテ3姉妹(The Bronte Sisters)の肖像画の葉書 (by Partick Branwell Bronte / oil on canvas / 1834年頃 / 902 mm x 746 mm) - 彼女達は、英国のヴィクトリア朝時代を代表する小説家で、 画面右側の長姉シャーロット・ブロンテ (Charlotte Bronte:1816年ー1855年)は、「ジェーン・エア」を、 画面中央の2番目の姉エミリー・ジェーン・ブロンテ (Emily Jane Bronte:1818年ー1848年)は、「嵐ヶ丘」を、 そして、画面左の末姉アン・ブロンテ (Anne Bronte:1820年−1849年)は、「ワイルドフェル屋敷の人々」を 執筆している。 なお、このポートレートは、 長男のパトリック・ブランウェル・ブロンテ(Patrick Branwell Bronte)が描いており、 元々、シャーロットとエミリーの間(画面中央)に 自分自身を描いていたが、後に塗りつぶされている。
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1856年に設立された後、収蔵作品数や来館者数が大幅に増えたことに伴い、ナショナルポートレートギャラリーは、いくつかの場所を転々とした。最終的には、英国政府によって提供された現在の住所(St. Martin’s Place, London WC2H 0HE - ナショナルギャラリー(National Gallery)の隣り)へと移転して、1896年4月4日に正式にオープンした。
ステュアート・ダグラス作「アルビノの財宝」において、事件が発生したのは、1896年なので、 ナショナルポートレートギャラリーが現在の住所へ移転した後のことである。
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