2026年1月28日水曜日

ロンドン セントマーティンズレーン(St. Martin’s Lane)- その2

セントマーティンズレーンの北側からコロッセウム劇場を見たところ
<筆者撮影>


米国のペンシルヴェニア州(Pennsylvania)に出生して、英国人のクラリス・クルーヴス(Clarice Cleaves)との結婚後、1932年から1946年にかけて英国のブリストル(Bristol)に居を構えていた米国の推理作家で、「不可能犯罪の巨匠」とも呼ばれているジョン・ディクスン・カー(John Dickson Carr:1906年ー1977年)が、カーター・ディクスン(Carter Dickson)という別名義で1944年に発表した推理小説で、ヘンリー・メリヴェール卿(Sir Henry Merrivale)シリーズの長編第14作目に該る「爬虫類館の殺人He Wouldn’t Kill Patience → 2025年11月17日 / 11月19日付ブログで紹介済)」の舞台は、第2次世界大戦(1939年-1945年)下の首都ロンドンである。


京創元社が発行する創元推理文庫「爬虫類館の殺人」の表紙
    カバーイラスト:ヤマモト マサアキ
カバーデザイン:折原 若緒
  カバーフォーマット:本山 木犀


ケンジントンガーデンズ(Kensington Gardens)内にあるロイヤルアルバート動物園(Royal Albert Zoological Gardens)は、園長であるエドワード・ベントン(Edward Benton)によって運営されていた。ロイヤルアルバート動物園の中でも、世界の蛇、蜥蜴や毒蜘蛛等を集めた爬虫類館は、その名物で、人気を集めていた。


そんなロイヤルアルバート動物園であったが、ドイツ軍の爆撃による空襲の脅威下、閉園の危機を迎える。ドイツ軍の爆撃による空襲により、毒蛇、毒蜥蜴や毒蜘蛛、更に、毒のある昆虫等が逃げ出して、サウスケンジントン中を這い回るリスクを抱えていたからである。


セントマーティンズレーンの南端から西側を見たところ
<筆者撮影>


1940年9月6日(金)の午後、爬虫類館内において、長年にわたって反目している奇術師の両家に属するケアリー・クイント(Carey Quint - 奇術師の青年)とマッジ・パリサー(Madge Palliser - 奇術師の女性)の2人は、飼育員のマイク・パーソンズと一騒動を起こして、保管用のガラスケースを壊してしまい、大蜥蜴(ジャイアントグリーンアミーバ)とアメリカドクトカゲが逃げ出す要因をつくってしまった。そして、そこに偶々居合わせた陸軍省の御意見番であるヘンリー・メリヴェール卿は、危うく2匹の蜥蜴に噛まれるところだった。

こうして、「爬虫類館の殺人」の物語は始まる。


セントマーティンズレーンの南側から北側を見たところ
<筆者撮影>


マッジ・パリサーは、有名な奇術師である父サンドロス・パリサーから引き継いだ<パリサーの幻想の夕べ>と呼ばれる「イシス劇場」に住んでいた。


セントマーティンズレーンの南側からコロッセウム劇場を見上げたところ
<筆者撮影>


マッジ・パリサーが住むイシス劇場の所在地について、原作上、以下のような記述がある。


セントマーティンズレーンの北側から西側を見たところ
<筆者撮影>

ケアリ・クイントは、もう黙っていられなかった。

「ぼくたちはプロの奇術師なんです。馬鹿馬鹿しい!」彼はいった。「ぼくの名はクイント、この若い女性は、ミス・マッジ・パリサーです!」

ルイーズ・ベントン(エドワード・ベントンの娘)は、彼を見返した。

「クリント!」彼女はつぶやいた。「パリサー! まさか、あなたがたは…」

「そのまさかですよ! どちらの家も、この七十年間、自分の劇場を持っていました。ピカデリーの<クリントの神秘の殿堂>という名を聞いたことがありませんか? または、セント・マーティンズ・レーンの<パリサーの幻想の夕べ>は?」

(白須 清美訳)


セントマーティンズレーンの中間辺り(ヨーク公爵劇場が建っているところ)から北側を見たところ
<筆者撮影>


セント・トマス・ホールは大きな劇場ではなかった。

それはグリーン・パークの入口の、ほぼ真向かいに建っていた。殺風景な、狭い、三階建ての劇場は、ほとんど目立たない。セント・マーティンズ・レーンのイシス劇場のような、きらびやかな雰囲気はなかった。イシス劇場は<パリサーの幻想の夕べ>の会場であり、本当の幽霊が出ると信じられていた。

(白須 清美訳)



マッジ・パリサーが住むイシス劇場が建つセントマーティンズレーン(St. Martin’s Lane → 2015年12月20日付ブログで紹介済)は、シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のストランド地区(Strand)内にあり、南側はナショナルギャラリー(National Gallery)近くのウィリアム4世ストリート(William IV Street)から始まって、北側は地下鉄レスタースクエア駅(Leicester Square Tube Station)と地下鉄コヴェントガーデン駅(Covent Garden Tube Station)を結ぶロングエイカー通り(Long Acre)で終わる通りである。



セントマーティンズレーン沿いに建つヨーク公爵劇場
<筆者撮影>


女優ニコール・キッドマン(Nicole Kidman)主演の
舞台「Photograph 51」が上演されていたノエルコワード劇場 -
なお、舞台「Photograph 51」は、
英国の物理学者 / 結晶学者で、石炭、グラファイトやタバコモザイクウィルスの化学構造の解明に貢献し、
特に、DNA の二重螺旋構造の解明で知られている
ロザリンド・エルシー・フランクリン(Rosalind Elsie Franklin:1920年ー1958年
→ 2024年12月30日付ブログで紹介済)に焦点をあてた芝居である。<筆者撮影>


ケンブリッジ大学創立800周年を記念して、
英国の児童文学作家 / イラストレーターであるクェンティン・ブレイクが描いた
英国の物理学者 / 結晶学者である
ロザリンド・エルシー・フランクリン(一番左側の人物)の絵葉書
<筆者がケンブリッジのフィッツウィリアム博物館(Fitzwilliam Museum
→ 2024年7月20日 / 7月24日付ブログで紹介済)で購入>


セントマーティンズレーンの両側には、劇場が数多く集中している。

通りの西側には、ヨーク公爵劇場(Duke of York's Theatre)やノエルコワード劇場(Noel Coward Theatre)が、通りの東側には、イングリッシュナショナルオペラ(English National Opera)やイングリッシュナショナルバレエ(English National Ballet)が本拠地とするコロッセウム劇場(Coliseum Theatre)が建っていて、観劇客や観光客等で賑わっている。


セントマーティンズレーンの南側からコロッセウム劇場を望む
<筆者撮影>


マッジ・パリサーが住むイシス劇場も、上記の劇場と同様に、セントマーティンズレーン沿いにあり、1940年の時点で、既に70年間に渡って、観劇客や観光客等を楽しませていたのである。 


2026年1月27日火曜日

エルキュール・ポワロの世界 <ジグソーパズル>(The World of Hercule Poirot )- その21B

英国の HarperCollinsPublishers 社から現在出版されている
アガサ・クリスティー作「大空の死」の
ペーパーバック版の表紙 -

英国とフランスの間に横たわる大空と海を背景にした表紙が、

エルキュール・ポワロがパリからロンドンへと戻る飛行機の中で飛び回った

スズメバチの形に切り取られている。


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1935年に発表した「大空の死(Death in the Clouds)」の場合、エルキュール・ポワロ(Hercule Poirot → 2025年10月11日付ブログで紹介済)がパリ(Le Bourget Airfield)からロンドン(Croydon Airport)へと戻る飛行機の機上の人となるところから、物語が始まる。


エルキュール・ポワロは、
ジグソーパズル「エルキュール・ポワロの世界」の中央に立っている。
<筆者撮影>


ポワロは、飛行機の後部区画の座席に座っていたが、この後部区画には、彼以外に、10名の搭乗客が居た。


(1)ダニエル・クランシー(Daniel Clancy - 推理作家)

(2)アルマン・デュポン(Armand Dupont - 考古学者)

(3)ジャン・デュポン(Jean Dupont - 考古学者アルマン・デュポンの息子)

(4)ノーマン・ゲイル(Norman Gale - 歯科医)

(5)ブライアント医師(Dr. Bryant - 耳鼻咽喉科医)

(6)マダム・ジゼル(Madame Giselle - フランス人の金貸し / 本名:マリー・モリソー(Marie Morisot))

(7)ジェイムズ・ライダー(James Ryder - セメント会社の支配人)

(8)シシリー・ホーバリー(Cicely Horbury - 伯爵夫人)

(9)ヴェニーシャ・カー(Venetia Kerr - 貴族の令嬢)

(10)ジェーン・グレイ(Jane Grey - 美容院の助手)


機内では、ポワロは、ほとんどの時間、眠っていたが、飛行機が英国側に着陸する間近になると、後部区画内をスズメバチが飛び回り始めたため、スチュワードがそのスズメバチを捕まえようとしたところ、乗客の一人であるマダム・ジゼルが死んでいるのを発見する。


目が覚めたポワロは、マダム・ジゼルが亡くなっていることを聞くと、彼女がスズメバチに刺されたショックで死亡したとういう説を否定する。ポワロの指摘通り、亡くなったマダム・ジゼルが座っていた座席の近くの床の上に、毒が塗られた矢の先端が落ちており、その矢で首を刺されたことが、マダム・ジゼルの死亡原因であることが判明する。


更に、驚くことには、ポワロが座っていた座席の脇から、毒が塗られた矢の先端を発射したと思われる小さな吹き矢の筒が見つかった。

マダム・ジゼル殺害の容疑者とされたことに立腹したポワロは、汚名を返上するべく、事件を解決することを誓う。そして、ポワロは、ジェーン・グレイの協力を得ると、英国側のジャップ警部(Inspector Japp)/ フランス側のフルニエ警部(Inspector Fournier)と協力して、捜査を進めていくのであった。


(42)吹き矢の筒(blowpipe)



吹き矢の筒は、マダム・ジゼル殺害に使用された毒矢の先端を発射したものと考えられ、ポワロが座っていた座席の脇から発見された。


(43)飛行機 (airplane)



飛行機は、ポワロやマダム・ジゼル達がパリからロンドンへと向かう際に使った乗機である。


(44)コーヒースプーンが2本のった皿 (saucer with two spoons)



毒が塗られた矢で首を刺されて殺害されたマダム・ジゼルの席に、コーヒースプーンが2本のった皿があったことを奇異に感じたポワロは、彼女の毒殺方法を導き出す。


2026年1月26日月曜日

ロンドン メイフェアプレイス1番地 デヴォンシャーハウス(Devonshire House / 1 Mayfair Place)

グリーンパーク内から見たデヴォンシャーハウス
<筆者撮影>

米国のペンシルヴェニア州(Pennsylvania)に出生して、英国人のクラリス・クルーヴス(Clarice Cleaves)との結婚後、1932年から1946年にかけて英国のブリストル(Bristol)に居を構えていた米国の推理作家で、「不可能犯罪の巨匠」とも呼ばれているジョン・ディクスン・カー(John Dickson Carr:1906年ー1977年)が、カーター・ディクスン(Carter Dickson)という別名義で1944年に発表した推理小説で、ヘンリー・メリヴェール卿(Sir Henry Merrivale)シリーズの長編第14作目に該る「爬虫類館の殺人He Wouldn’t Kill Patience → 2025年11月17日 / 11月19日付ブログで紹介済)」の舞台は、第2次世界大戦(1939年-1945年)下の首都ロンドンである。


京創元社が発行する創元推理文庫「爬虫類館の殺人」の表紙
    カバーイラスト:ヤマモト マサアキ
カバーデザイン:折原 若緒
  カバーフォーマット:本山 木犀


ケンジントンガーデンズ(Kensington Gardens)内にあるロイヤルアルバート動物園(Royal Albert Zoological Gardens)は、園長であるエドワード・ベントン(Edward Benton)によって運営されていた。ロイヤルアルバート動物園の中でも、世界の蛇、蜥蜴や毒蜘蛛等を集めた爬虫類館は、その名物で、人気を集めていた。


そんなロイヤルアルバート動物園であったが、ドイツ軍の爆撃による空襲の脅威下、閉園の危機を迎える。ドイツ軍の爆撃による空襲により、毒蛇、毒蜥蜴や毒蜘蛛、更に、毒のある昆虫等が逃げ出して、サウスケンジントン中を這い回るリスクを抱えていたからである。


グリーンパークの出入口越しに見たデヴォンシャーハウス
<筆者撮影>


1940年9月6日(金)の午後、爬虫類館内において、長年にわたって反目している奇術師の両家に属するケアリー・クイント(Carey Quint - 奇術師の青年)とマッジ・パリサー(Madge Palliser - 奇術師の女性)の2人は、飼育員のマイク・パーソンズと一騒動を起こして、保管用のガラスケースを壊してしまい、大蜥蜴(ジャイアントグリーンアミーバ)とアメリカドクトカゲが逃げ出す要因をつくってしまった。そして、そこに偶々居合わせた陸軍省の御意見番であるヘンリー・メリヴェール卿は、危うく2匹の蜥蜴に噛まれるところだった。

こうして、「爬虫類館の殺人」の物語は始まる。


ピカデリー通りの南側から見たデヴォンシャーハウス(その1)
<筆者撮影>

ケアリー・クイントは、有名な奇術師であるユージン・クイント(1928年に死去)から引き継いだセントトマスホール(St. Thomas Hall - 劇場)の最上階にあるフラットに住んでいた。


ピカデリー通りの南側から見たデヴォンシャーハウス(その2)
<筆者撮影>


ケアリー・クイントが住むセントトマスホールの所在地について、原作上、以下のような記述がある。


新たな空襲警報は、その夜八時二十分に鳴り響いた。ちょうどケアリ・クイントが、ピカデリーのセント・トマス・ホールを出たところだった。


(中略)


セント・トマス・ホールは大きな劇場ではなかった。

それはグリーン・パークの入口の、ほぼ真向かいに建っていた。殺風景な、狭い、三階建ての劇場は、ほとんど目立たない。

(白須 清美訳)


ケアリは窓に近づき、外を見た。三階下では、スチールのヘルメットをかぶった警察官が、ホテル・リッツの前で話をしていた。通りからは色が失われ、灰色と白の色までもあせて見え、その向こうではグリーン・パークが荒野のように不気味に広がっていた。遠くで、車のギアがきしる音がした。

(白須 清美訳)


グリーンパークに隣接して建つホテルリッツ ロンドンは、
現在、横の外壁の改修工事中。
<筆者撮影>

ピカデリー通りの北側から見たホテルリッツ ロンドン
<筆者撮影>


これら2つの記述から、ケアリー・クイントが住むセントトマスホールは、グリーンパーク(Green Park)と公園に隣接して建つホテルリッツ ロンドン(The Ritz London → 2025年7月2日 / 7月14日付ブログで紹介済)のほぼ真向かいに建っていることが判る。



現在の住所表記上、この条件を満たす建物は、ピカデリーライン(Piccadilly Line)とベイカールーライン(Bakerloo Line)の2線が乗り入れる地下鉄ピカデリーサーカス駅(Piccadilly Circus Tube Station)とピカデリーラインが停まる地下鉄ハイドパークコーナー駅(Hyde Park Corner Tube Station → 2015年6月14日付ブログで紹介済)を東西に結ぶ約1マイルの幹線道路であるピカデリー通り(Piccadilly → 2025年7月31日付ブログで紹介済)を挟んで、グリーンパークとホテルリッツ ロンドンの真向かいに建つメイフェアプレイス1番地(1 Mayfair Place)の「デヴォンシャーハウス(Devonshire House)」と言うオフィスビルである。

従って、ケアリー・クイントが住んでいたセントトマスホールの面影は、全く残っていない。


「Nicholson - Super Scale - London Atlas」から
セントジェイムズ地区の地図を抜粋。-
デヴォンシャーハウスが建っているのは、
ピカデリー通りを挟んで、地下鉄グリーンパーク駅の表示の反対側にある
メイフェアプレイス1番地。


現在、「デヴォンシャーハウス」の入口は、ピカデリー通り側に面しておらず、同通りの裏側のメイフェアプレイス側に設けられている。


ストラットンストリート(Stratton Street)沿いにある
高級スーパーマーケットのマークス&スペンサーの出入口 -
マークス&スペンサーの上の建物が、デヴォンシャーハウス。
<筆者撮影>

デヴォンシャーハウスのピカデリー通り沿いの外壁にある
高級スーパーマーケットのマークス&スペンサーの看板
<筆者撮影>


また、「デヴォンシャーハウス」の地上階には、高級スーパーマーケットであるマークス&スペンサー(Marks & Spencer)を初めとする小売店が入居して営業しており、地下にはピカデリーライン、ジュビリーライン(Jubilee Line)とヴィクトリアライン(Victoria Line)の3線が停まる地下鉄グリーンパーク駅(Green Park Tube Station → 2025年7月30日付ブログで紹介済)が所在している。


ピカデリー通り沿いにある
地下鉄グリーンパーク駅の出入口 -
駅出入口の上の建物が、デヴォンシャーハウス。
<筆者撮影>

ストラットンストリート沿いにある
地下鉄グリーンパーク駅の出入口 -
駅出入口の上の建物が、デヴォンシャーハウス。
<筆者撮影>

2026年1月25日日曜日

アガサ・クリスティー 2026年オフィシャルカレンダー(Agatha Christie Official Calendar 2026)- その7

2025年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
「アガサ・クリスティー 2026年オフィシャルカレンダー」のうち、
2026年5月のカレンダーに描かれている
エルキュール・ポワロシリーズの長編第18作目「杉の柩」(1940年)-
本作品においてヒロインとなるエリノア・カーライルの叔母で、
金持ちの未亡人であるローラ・ウェルマンが住むハンターベリーの屋敷と庭園が描かれている。
こちらに背を向けている人物は、
ローラ・ウェルマンを看護していたジェシー・ホプキンズだと思われる。
また、事件における重要な手掛かりとなる薔薇が、画面右側に咲き誇っている。

アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)の作品を出版している英国の HarperCollinsPublishers 社から、2026年オフィシャルカレンダーが出ているので、前回に引き続き、順番に紹介したい。


2026年カレンダーの場合、カレンダー用に新たに描き起こされたエルキュール・ポワロシリーズのイラストが使用されており、デザインについては、Diahann Sturge-Cambell が、また、イラストに関しては、Mr. Stephen Millership / Central Illustration Agency が担当している。


6番目は、2026年5月のカレンダーに該る「杉の柩(Sad Cypress)」(1940年)である。


アガサ・クリスティーが執筆した長編としては、第27作目に該り、エルキュール・ポワロシリーズの長編のうち、第18作目に該っている。


婚約中のエリノア・カーライル(Elinor Carlisle)とロデリック・ウェルマン(Roderick Welman)の2人は、ロンドンで生活を送っていた。エリノア・カーライルは、金持ちの未亡人であるローラ・ウェルマン(Mrs. Laura Welman)の姪で、ロデリック・ウェルマンは、ローラ・ウェルマンの亡き夫の甥に該る。

裕福な叔母ローラ・ウェルマンは、現在、寝たきりの状態で、彼女が亡くなった場合、エリノア・カーライルとロデリック・ウェルマンの2人には、かなりの額の財産が入る予定で、彼らは、ローラ叔母の遺産が入り次第、結婚するつもりでいた。


そんな時、「寝たきりの未亡人の財産が、若い女に狙われている。」と言う匿名の手紙が、エリノア・カーライルの元に届く。

エリノア・カーライルとロデリック・ウェルマンの2人は、本気で心配した訳ではないが、見舞いのため、ローラ叔母が住むハンターベリー(Hunterbury)の屋敷へと向かった。

ローラ叔母は、発作の後遺症で左半身が麻痺しており、エリノア・カーライルが彼女と話をしていると、そこにローラ叔母を治療している若いピーター・ロード医師(Dr. Peter Lord)がやって来る。自分の患者の美しい姪に初めて会ったピーター・ロード医師は、思わず赤面する。

一方、その頃、外を散歩していたロデリック・ウェルマンは、ローラ叔母のお気に入りで、ウェルマン家の門番の娘であるメアリー・ジェラード(Mary Gerrard)に出会い、その美しさに心を奪われてしまう。


その翌週、エリノア・カーライルとロデリック・ウェルマンの2人は、ピーター・ロード医師より、ローラ叔母が再び発作に襲われたとの連絡を受け、ハンターベリーの屋敷へと急いだ。

死期が近いことを悟ったローラ叔母は、エリノア・カーライルに対して、「(お気に入りの)メアリー・ジェラードのために、遺言書に追加条項を加えたいので、翌朝、弁護士を呼んでほしい。」と強く希望した。

ピーター・ロード医師によると、その日、ローラ叔母の容態は大丈夫な筈であったが、翌朝、ローラ叔母は、眠ったまま、亡くなっていた。


ローラ・ウェルマンを看護していたジェシー・ホプキンズ(Nurse Jessie Hopkins)は、持って来た筈のモルヒネがないことに気付く。

また、ローラ・ウェルマンの弁護士であるセドン(Mr. Seddon)は、彼女が遺言書を作成していなかったことを告げる。

その結果、唯一の血縁者であるエリノア・カーライルが、ローラ叔母の全財産を相続することになった。その一方で、ロデリック・ウェルマンが、メアリー・ジェラードに対する想いを明らかにしたため、エリノア・カーライルとロデリック・ウェルマンの婚約は、白紙となってしまう。


ジェシー・ホプキンズ看護婦の助言を受けたメアリー・ジェラードは、ニュージーランドに居る伯母に財産を遺す遺言書を作成する。また、エリノア・カーライルも、ロデリック・ウェルマンに全財産を遺す遺言書を作成した。


ロデリック・ウェルマンが居ないハンターベリーの屋敷に住む気になれないエリノア・カーライルは、屋敷を売ることに決めた。

約1ヶ月後、ハンターベリーの屋敷の買い手がついたので、エリノア・カーライルは、引き渡しの準備と家具の整理のために、屋敷を訪れた。また、メアリー・ジェラードも、ジェシー・ホプキンズ看護婦と一緒に、門番小屋の片付けに来ていた。

エリノア・カーライルの心中には、メアリー・ジェラードに対する嫉妬と憎しみが渦巻いていたが、表向きは礼儀正しさを崩さず、メアリー・ジェラードとジェシー・ホプキンズ看護婦の2人を、昼食(お茶とサンドウィッチ)に誘った。ところが、エリノア・カーライルがつくった魚肉ペーストのサンドウィッチを食べたメアリー・ジェラードが、昼食後間もなく、急に苦しんで、息を引き取ってしまったのである。


エルキュール・ポワロは、
英国の Orion Publishing Group Ltd. から2023年に発行されている
「エルキュール・ポワロの世界」と言うジグソーパズルの中央に立っている。
<筆者撮影>


その結果、エリノア・カーライルは、メアリー・ジェラードに対して、モルヒネを盛った疑いで、警察に逮捕される。

ピーター・ロード医師は、エルキュール・ポワロ(Hercule Poirot → 2025年10月11日付ブログで紹介済)の元を訪れると、「エリノア・カーライルが無実であることを立証してほしい。」と依頼するのであった。


2026年1月24日土曜日

コナン・ドイル作「シャーロック・ホームズの冒険」<グラフィックノベル版>(The Adventures of Sherlock Holmes by Conan Doyle )- その4

2024年に英国の Guild of Master Craftsman Publishing Ltd. から
Button Books シリーズの1冊として、英訳版が刊行されている
Noh Yi-jeong 作「シャーロック・ホームズの冒険」に収録されている
「赤毛組合」から抜粋(その1)


韓国(South Korea)のイラストレーターである Noh Yi-jeong により制作の上、2022年に韓国の Blue Rabbit Publishing Co, Ltd. から Manga Classic Literature シリーズの1冊として出版された後、2024年に英国の Guild of Master Craftsman Publishing Ltd. から Button Books シリーズの1冊として、英訳版が刊行されているサー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)作「シャーロック・ホームズの冒険(The Adventures of Sherlock Holmes)」のグラフィックノベル版に収録されている短編5作のうち、2番目の作品は、「赤毛組合(The Red-Headed League → 2022年9月25日 / 10月9日 / 10月11日 / 10月16付ブログで紹介済)」である。


「赤毛組合」は、シャーロック・ホームズシリーズの短編小説56作のうち、2番目に発表された作品で、英国の「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の1891年8月号に掲載された後、ホームズシリーズの第1短編集「シャーロック・ホームズの冒険(The Adventures of Sherlock Holmes)」(1892年)に収録されている。


本ブログの場合、邦題として、「赤毛組合」(ちくま文庫 / 光文社文庫)を使用しているが、日本語版において、他には、「赤毛連盟」(早川文庫)、「赤髪組合」(新潮文庫)や「赤髪連盟」(創元推理文庫)等の邦題が使用されている。


「ストランドマガジン」の1927年3月号において、コナン・ドイルは、ホームズシリーズの自選12編の中で、本作品「赤毛組合」を、第1位の「まだらの紐(The Speckled Band)」に続いて、第2位に推している。


英国で出版された「ストランドマガジン」
1891年8月号に掲載された挿絵(その1) -
1890年の秋、ジョン・H・ワトスンが
ベイカーストリート221B のシャーロック・ホームズの元を訪れると、
彼は燃えるような赤毛の初老の男性ジェイベス・ウィルスンから相談を受けている最中であった。

挿絵:シドニー・エドワード・パジェット

(Sidney Edward Paget 1860年 - 1908年)


1890年の秋、ジョン・H・ワトスンがベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)のシャーロック・ホームズの元を訪れると、彼は燃えるような赤毛の初老の男性ジェイベス・ウィルスン(Jabez Wilson)から相談を受けている最中であった。

ジェイベス・ウィルスンは、ロンドンの経済活動の中心地であるシティー(City → 2018年8月4日 / 8月11日付ブログで紹介済)近くにあるザクセンーコーブルクスクエア(Saxe-Coburg Square → 2016年1月1日付ブログで紹介済)において質屋(pawnbroker)を営んでおり、非常に奇妙な体験をしたと言うので、ホームズとワトスンの二人は彼から詳しい事情を聞くことになった。


英国で出版された「ストランドマガジン」
1891年8月号に掲載された挿絵(その2) -
燃えるような赤毛の初老の男性ジェイベス・ウィルスンは、
ロンドンの経済活動の中心地であるシティー近くにあるザクセンーコーブルクスクエアにおいて
質屋を営んでおり、非常に奇妙な体験をしたと、ホームズ達に訴えた。
画面左側から、ホームズ、ワトスン、そして、ジェイベス・ウィルスンの3人が描かれている。


ジェイベズ・ウィルスンは、赤毛の男性を募集する広告が掲載された「モーニング・クロニクル(Morning Chronicle)」紙の切り抜き(1890年4月27日付)を持参していた。


ジェイベズ・ウィルスンは、現在、ヴィンセント・スポールディング(Vincent Spaulding)と言う若い男性を質屋の店員として雇っている。実際のところ、数名の候補者が居たものの、ヴィンセント・スポールディングが「通常の給料の半額で構わない。」と言ったため、それが彼を採用する根拠となった。通常の給料の半額にもかかわらず、彼は、気が効く上に、よく働くのだが、一つだけ欠点があった。それは、彼は、写真が趣味で、撮影した写真を現像するために、暗室代わりに使っている質屋の地下室へ頻繁に潜り込むことだった。しかし、ヴィンセント・スポールディングは、店員として非常に優秀なことに加えて、通常の半額の給料で済んでいるので、ジェイベズ・ウィルスンとしては、それ程問題視していなかった。


英国で出版された「ストランドマガジン」
1891年8月号に掲載された挿絵(その3) -
1890年の秋、相談のために、
ベイカーストリート221B
 シャーロック・ホームズの元を訪れた
赤毛の初老の男性ジェイベス・ウィルスンは、
ホームズとジョン・H・ワトスンに対して、
赤毛の男性を募集する広告が掲載された
1890年4月27日付「モーニングクロニクル」紙を見せる。
挿絵:シドニー・エドワード・パジェット(1860年 - 1908年)


8週間前、そのヴィンセント・スポールディングが、ジェイベズ・ウィルスンに対して、問題の新聞広告を見せたのである。その新聞広告は、「赤毛組合(The Red-Headed League)」に欠員が生じたため、組合員を1名新規募集するという内容だった。「赤毛組合」とは、米国ペンシルヴェニア州に住む赤毛の男性(百万長者)が、自分の遺産を、自分と同じ赤毛の人達に分配する目的で創立した団体、とのこと。ロンドンに住む健康な赤毛の成人男性であれば、誰でも「赤毛組合」の組合員に応募することが可能で、採用された場合、簡単な仕事をするだけで、高額の給料(週4ポンド)が得られるらしい。


英国で出版された「ストランドマガジン」
1891年8月号に掲載された挿絵(その4) -
ヴィンセント・スポールディングに付き添われて、
フリートストリートにある「赤毛組合」の事務所を訪れた
ジェイベス・ウィルスンは、
同じく赤毛のダンカン・ロスとの面接を受け、
「赤毛組合」の新たな組合員として採用された。
挿絵:シドニー・エドワード・パジェット(1860年 - 1908年)


ヴィンセント・スポールディングから、「赤毛組合」への応募を勧められたジェイベス・ウィルスンは、彼に伴われて、指定された日時に、フリートストリート(Fleet Street → 2014年9月21日付ブログで紹介済)の「Pope’s Court 7号室」にある「赤毛組合」の事務所を訪れた。

すると、そこには、組合員に応募する赤毛の男性が大勢集まっていたが、不思議なことに、彼らは皆、審査で不合格になり、次々と帰らされていた。更に、驚くことに、ジェイベス・ウィルスンの順番が来ると、応募者の審査を行っていた赤毛の小男ダンカン・ロス(Duncan Ross)は、、ジェイベス・ウィルスンのことをひと目で気に入り、彼を「赤毛組合」の新たな組合員として採用されたのである。


2024年に英国の Guild of Master Craftsman Publishing Ltd. から
Button Books シリーズの1冊として、英訳版が刊行されている
Noh Yi-jeong 作「シャーロック・ホームズの冒険」に収録されている
「赤毛組合」から抜粋(その2)


ダンカン・ロスから説明を受けた「赤毛組合」の組合員の仕事とは、毎日午前10時から午後2時までの4時間の間、事務所内で「大英百科事典(Encyclopedia Britannica)」を書写するというものだった。何故なのか判らないが、この4時間の間、どんな事情があっても、ジェイベス・ウィルスンは、絶対に事務所の外へ出ることを禁じられており、「仮にこれに違反した場合、彼は組合員の地位を失うことになる。」と、ダンカン・ロスから厳しく言い渡された。

幸いなことに、彼の質屋の場合、夕方は忙しいものの、昼間は来客があまりないので、ジェイベス・ウィルスンとしては、大きな問題ではなかった。そこで、ジェイベス・ウィルスンは、「赤毛組合」の組合員として採用された翌日から、ヴィンセント・スポールディングに昼間の店番を任せると、昼食持参で「赤毛組合」の事務所へと出かけ、ダンカン・ロスから指示された通り、毎日午前10時から午後2時までの4時間の間、事務所内において一人きりで一人きりの事務所で「大英百科事典」を書写する仕事を続けた。

最初のうち、ダンカン・ロスは、午前10時(ジェイベス・ウィルスンが仕事を始めるのを確認)と午後2時(ジェイベス・ウィルスンが仕事を終えたのを確認)の2回、そして、上記の4時間の間、時々、ジェイベス・ウィルスンの進捗具合を確認するために、事務所にやって来ていたが、やがて、彼が事務所に来るのは、午前10時のみとなり、そのうち、全く姿を見せないようになってしまった。それでも、土曜日には、給料の4ポンドが、ダンカン・ロスからジェイベス・ウィルスンに対してキチンと支払われたので、ジェイベス・ウィルスンとしては、何の不満もなかった。


英国で出版された「ストランドマガジン」
1891年8月号に掲載された挿絵(その5) -
ザクセンーコーブルクスクエアにおいて質屋を営むジェイベス・ウィルスンが、
フリートストリートにある「赤毛組合」の事務所において、
毎日午前10時から午後2時までの4時間の間、
大英百科事典」を書写する高給の仕事(週4ポンド)を始めてから、
8週間が順調に過ぎて行った。
ところが、1890年10月9日の朝、
ジェイベス・ウィルスンが、いつも通り、「赤毛組合」の事務所にやって来ると、
入口のドアには鍵が掛かっている上に、ドアには貼り紙があり、
そこには、「赤毛組合は解散した。」と書かれていたのである。

挿絵:シドニー・エドワード・パジェット(1860年 - 1908年)


こうして、8週間が順調に過ぎて行ったが、1890年10月9日の朝、ジェイベス・ウィルスンが、いつも通り、「赤毛組合」の事務所にやって来ると、入口のドアには鍵が掛かっている上に、ドアには貼り紙があり、そこには、「1890年10月9日 赤毛組合は解散した。(The Red-Headed League is Dissolved 9 October 1890)」と書かれていたのである。


突然の赤毛組合解散に驚いたジェイベス・ウィルスンは、赤毛組合が入居していた建物の家主(ー同じ建物の1階に住む会計士)のところへ行き、赤毛組合に何が起きたのかを尋ねた。ところが、家主は、ジェイベス・ウィルスンに対して、「赤毛組合については何も知らないし、赤毛組合を管理していたダンカン・ロス(Duncan Ross)という名前も初めて聞く名前だ。」と告げる。その上、家主は「(赤毛組合が入居していた)問題の部屋(「4号室」と書かれているが、当初の「Pope’s Court 7号室」と一致していない)を借りていたのは、事務弁護士(solicitor)のウィリアム・モリス(William Morris)で、新しいオフィスが出来るまでの一時的な賃借だ。」と付け加えた。

家主からウィリアム・モリスの移転先(17 King Edward Street near St. Paul's → 2014年9月28日付ブログで紹介済)を聞いたジェイベス・ウィルスンが早速そこを訪ねてみると、そこは膝当ての製造工場(manufactory of artificial kneecaps)で、ウィリアム・モリスのオフィスはどこにもなかったのである。


どうすればよいのか、途方に暮れたジェイベス・ウィルスンは、ホームズのところへ、赤毛組合がなぜ突然解散してしまったのか、その理由の調査依頼にやって来たのである。


Noh Yi-jeong によるグラフィックノベル版「赤毛組合」は、全部で34ページで、以下の2部構成になっている。


(1)「赤毛の依頼人(A red-headed client)」(14ページ)


ワトスンがベイカーストリート221B のホームズの元を訪れる冒頭から、シティー近くにあるザクセンーコーブルクスクエアにおいて質屋を営むジェイベス・ウィルスンが体験した奇妙な話を、ホームズとワトスンの2人が一通り聞くところまでが描かれている。


(2)「地下金庫の冒険(Underground adventure)」(20ページ)


2024年に英国の Guild of Master Craftsman Publishing Ltd. から
Button Books シリーズの1冊として、英訳版が刊行されている
Noh Yi-jeong 作「シャーロック・ホームズの冒険」に収録されている
「赤毛組合」から抜粋(その3)


ジェイベス・ウィルスンがベイカーストリート221B を辞去した後、ホームズとワトスンの2人が彼の質屋まで出向くところから、物語の最後までが描かれている。


2024年に英国の Guild of Master Craftsman Publishing Ltd. から
Button Books シリーズの1冊として、英訳版が刊行されている
Noh Yi-jeong 作「シャーロック・ホームズの冒険」に収録されている
「赤毛組合」から抜粋(その4)-
画面上段:ヴィンセント・スポールディング(Vincent Spalding)こと、
ジョン・クレイ(John Clay)と彼の相棒であるアーチー(Archie)
画面下段:左側から、City and Suburban Bank の頭取である
メリーウェザー氏(Mr. Merryweather)、
ジョン・H・ワトスン、シャーロック・ホームズ、そして、
スコットランドヤードのピーター・ジョーンズ(Peter Jones)が
並んでいる。


原作の場合、ホームズはワトスンをその日の午後セントジェイムズホール(St. James's Hall → 2014年10月4日付ブログで紹介済)で行われるサラサーテ(パブロ・マルティン・メリトン・デ・サラサーテ・イ・ナバスクエス Pablo Martin Meliton de Sarasate y Navascuez:1844年ー1908年 スペイン出身の作曲家兼ヴァイオリン奏者 → 2022年10月19日付ブログで紹介済)の演奏会に誘う。彼らは、シティー経由、セントジェイムズホールへ向かうことになった。彼らは、まず最初に、地下鉄でアルダースゲイトストリート駅(Aldersgate Street Tube Station / 現在の地下鉄バービカン駅(Barbican Tube Station → 2017年1月1日付ブログで紹介済))まで行き、そこから少し歩いて、ジェイベス・ウィルスンが営む質屋があるザクセンーコーブルクスクエアに立ち寄っている。

一方、本グラフィックノベル版の場合、ホームズとワトスンの2人は、馬車を使って、ベイカーストリート221B からザクセンーコーブルクスクエアまで直接赴いている。


イケメンのホームズ / ワトスンや彼らの年齢設定等については、読者によって好みが分かれると思われるが、「ボヘミアの醜聞(A Scandal in Bohemia → 2026年1月19日付ブログで紹介済)」と同様に、34ページの中に、物語がうまくまとめられている。