2022年10月21日金曜日

セオドア・ルーズヴェルト(Theodore Roosevelt)- その1

国の Titan Publishing Group Ltd. の Titan Books 部門から
2010年に出版された
H・ポール・ジェファーズ作
「シャーロック・ホームズの更なる冒険 / 不屈の仲間(The Stalwart Companions →
2022年10月2日 / 10月4日 / 10月17日付ブログで紹介済)」の表紙(部分)


米国ペンシルヴェニア州フェニックスヴィル出身の軍事史家 / 作家であるH・ポール・ジェファーズ(H. Paul Jeffers:1934年ー2009年)が1978年に発表した「不屈の仲間(The Stalwart Companions →2022年10月2日 / 10月4日 / 10月17日付ブログで紹介済)」において、1880年7月、若きシャーロック・ホームズとニューヨーク市警察のウィルスン・ハーグリーヴ(Wilson Hargreave)と一緒に、ニューヨークの閑静な住宅街グラマーシーパーク(Gramercy Park)の15番地で発生した殺人事件を解決した人物が、米国の軍人 / 政治家で、第25代副大統領、そして、ウィリアム・マッキンリー大統領の暗殺に伴い、第26代大統領に就任したセオドア・ルーズヴェルト(Theodore Roosevelt:1858年ー1919年)である。


セオドア・ルーズヴェルトは、1858年10月27日に、父セオドア・ルーズヴェルト・シニア(1831年ー1878年)と母マーサ・ブロック(1835年ー1884年)の下、裕福な家庭の長男(2番目の子供)として、ニューヨーク市の東20番街の28番地(現在のグラマーシーパークの一部)に出生した。

彼は、喘息持ちの虚弱な体質だったため、自宅で学習して、ハーバード大学(Harvard University)に入学した。


彼は、1880年6月末にハーバード大学を卒業すると、同年10月27日、ボストンでアリス・ハサウェイ・リー(Alice Hathaway Lee)と結婚。

なお、ポール・ジェファーズ作「不屈の仲間」における殺人事件は、上記の谷間で発生している。


翌年の1881年、彼は、ニューヨーク下院議員(Member of the New York State Assembly)に選任され、最年少議員(1882年ー1884年)として務めた。

ところが、1884年2月14日、母マーサを腸チフスで、そして、出産直後の妻アリスを腎臓病で、同じ日に失ったため、家を出奔し、人生をより直すべく、悲劇から立ち直るために、ノースダコタ州の牧場を旅した。

1886年10月、彼は、ニューヨーク市長選に出馬しているが、残念ながら、敗北している。

同年12月2日、彼は、ロンドンでエディス・カーミット・カーロウ(Edith Kermit Carow)と再婚。


数年後、彼は東部へと戻り、ニューヨーク市警察の公安委員長(President of the New York City Board of Police Commissioners:1895年-1897年)に就いて、市警察の腐敗と戦うことになり、名声を得た。


その後、共和党に入党したセオドア・ルーズヴェルトは、


・海軍次官(Assistant Secretary of the Navy:1897年ー1898年)

・第33代ニューヨーク州知事(33rd Governor of New York:1899年1月1日ー1900年12月31日)


を務めた後、ギャレット・A・ホーバート(任期:1897年ー1899年)の後、空席(1899年ー1901年)となっていたウィリアム・マッキンリー第25代大統領(William McKinley:1843年ー1901年 任期:1897年3月4日ー1901年9月14日)の第25代副大統領(1901年3月4日ー1901年9月14日)に選任された。


そして、1901年9月14日に、ウィリアム・マッキンリー大統領が暗殺されたことに伴い、セオドア・ルーズヴェルトは、42歳という若さで、第26代大統領(1901年9月14日ー1909年3月4日)に就任した。米国史上最年少の大統領の誕生であった。 

2022年10月20日木曜日

グレアム・ムーア作「シャーロック・ホームズ殺人事件」(The Holmes Affair by Graham Moore)- その2

Arrow Books から2011年に出版されている
グレアム・ムーア作「シャーロック・ホームズ殺人事件」の裏表紙
(Cover image : Arcangel Images)


時代が現代へと移った2010年1月の初め、シャーロック・ホームズの研究を行う世界的な団体「ベイカーストリート不正規隊(The Baker Street Irregulars)」の総会が、ホームズの誕生日と言われている1月6日を挟む4日間、ニューヨークにおいて開催されていた。ロサンゼルスに住む29歳のハロルド・ホワイト(Harold White)も、ホームズの熱狂的なファンで、この総会に出席していた。


1月5日の夜、44番街(Forty-fourth Street)沿いに建つアルゴンクィンホテル(Algonquin Hotel)のロビーにおいて、ハロルド・ホワイトは、友人のジェフリー・エンゲルス(Jeffrey Engels)に再会する。彼らのホームズ談議は尽きることがなく、最後には、行方不明になっているサー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)の日記帳の話に行き着いた。


コナン・ドイルは、生涯、自分の行動を日記帳に全て記録していたのだが、彼が亡くなった際、彼の妻と子供達が調べたところ、1900年10月11日から同年12月23日までのことを記した日記帳1冊だけが、どこを探しても、見つからなかった。コナン・ドイルが、生前、何らかの理由で、この日記帳を隠したか、あるいは、処分したのだろうか?

今や、世界中のシャーロキアン達が、血眼になって、この日記帳を探していた。シャーロキアン達にとって、この日記帳は「聖杯(Holy Grail)」に匹敵し、サザビーズ(Sotheby’s)のオークションに出品された場合、1千万ドルの値がつくのではないかと言われていた。


そんな最中、総会の3ヶ月前に、「ベイカーストリート不正規隊」の有名人であるアレックス・ケール(Alex Cale)から会員全員に対して、「自分がその日記帳を保有している。今度の総会において、自分が日記帳の詳細な内容を明らかにする。」という連絡が、Eメールで届いたのである。このEメールが会員全員を非常に驚かせたが、それ以降、彼はEメール、電話や手紙等、全ての連絡を断ってしまい、そのまま総会の日を迎えた。

ちょうどその時、アレックス・ケールがチェックインしているのを見かけたハロルド・ホワイトとジェフリー・エンゲルスの二人は、彼に対して、「秘密の一端だけでも、今教えてほしい。」と頼み込んだが、「コナン・ドイルの日記帳に書かれていることを本当に知りたいか?明日になれば、全て判る。」と二人に告げると、彼はエレベーターの中に姿を消した。


翌日、アレックス・ケールが講演を行う会場は、数百人もの会員で一杯だった。

ところが、彼はなかなか姿を現さなかった。ある会員の説明によると、「彼の部屋に電話したが、受話器が外されているようだ。彼の行方が判らない。」とのことだった。

依然として姿を見せないアレックス・ケールのことが心配になったハロルド・ホワイトは、ジェフリー・エンゲルスと会場で知り合った記者のサラ・リンゼイ(Sarah Lindsay)と一緒に、ホテルのマネージャーに頼んで、アレックス・ケールの部屋の中へ入った。彼の部屋の中は、衣装棚の引き出しが散乱する等、荒らされた状態だった。更に、彼らが寝室へ入ってみると、床の上にアレックス・ケールの遺体を発見したのである。


アレックス・ケールが持っていたコナン・ドイルの日記帳は、どうなったのか?彼の死は、その日記帳と何か関係しているのか?


時間を超えて、ロンドンのイーストエンド(East End)におけるコナン・ドイルと友人のブラム・ストーカー(Bram Stoker)こと、エイブラハム・ストーカー(Abraham Stoker:1847年ー1912年)による若い女性の連続殺人事件の捜査と、ニューヨークのホテルでのアレックス・ケールの死が、深く交錯するのであった。


2022年10月19日水曜日

サラサーテ(パブロ・マルティン・メリトン・デ・サラサーテ・イ・ナバスクエス Pablo Martin Meliton de Sarasate y Navascuez)

英国で出版された「ストランドマガジン」
1891年8月号に掲載された挿絵(その7) -

シャーロック・ホームズは、昼食後、
ジョン・H・ワトスンと一緒に、
セントジェイムズホールにおいて、
サラサーテのヴァイオリン演奏会を楽しむ。
挿絵:シドニー・エドワード・パジェット
(Sidney Edward Paget 1860年 - 1908年)

1890年の秋、シャーロック・ホームズとジョン・H・ワトスンの二人は、ロンドンの経済活動の中心地であるシティー(City → 2018年8月4日 / 8月11日付ブログで紹介済)近くにあるザクセンーコーブルクスクエア(Saxe-Coburg Square → 2016年1月1日付ブログで紹介済)において質屋(pawnbroker)を営むジェイベス・ウィルスン(Jabez Wilson)から、「赤毛組合(The Red-Headed League)」に纏わる非常に奇妙な体験話を聞いた。


ジェイベス・ウィルスンの話に興味を覚えたホームズはワトスンを誘って、地下鉄でシティー近くのアルダースゲイト駅(Aldersgate → 2017年1月1日付ブログで紹介済)まで行き、ジェイベス・ウィルスンが営む質屋へと向かった。ホームズは質屋のドアをノックし、応対に出て来たヴィンセント・スポールディングに対して、ストランド通り(Strand → 2015年3月29日付ブログで紹介済)への道を尋ねると、その場を立ち去った。質屋の前の敷石をステッキで数回叩き、そして、ヴィンセント・スポールディング(Vincent Spaulding)の膝の汚れを確認したホームズがワトスンに告げた内容は、「あの男(ヴィンセント・スポールディング)は、ロンドンで4番目に狡賢く、3番目に大胆な奴だ。」だった。

ホームズとワトスンの二人が質屋の裏の大通りへ出ると、そこには、タバコ屋、新聞販売所、レストランや馬車製造会社の倉庫等の他に、銀行(City and Surburban Bank)の支店(City branch)が建ち並んでいた。


その後、ホームズとワトスンは、ピカデリー(Piccadilly)方面へと向かい、セントジェイムズホール(St. James's Hallー2014年10月4日付ブログで紹介済)において、サラサーテ(Sarasate)の演奏会を楽しむのであった。


演奏会へ出かける前に、ホームズは、ワトスンに対して、「今日のプログラムは、ドイツの曲が多い。イタリアやフランスの曲よりも、ドイツの曲の方が、僕の趣味に合うんだ。ドイツの曲は内省的で、僕は今、内に向かいたい気分なんだ。(I observe that there is a good deal of German music on the programme, which is rather more to my taste than Italian or French. It is introspective, and I want to introspect.)」と発言している。


夕闇に浮かぶル・メリディアン・ピカデリー・ホテル
(Le Meridien Piccadilly Hotel)-
残念ながら、セントジェイムズホールは現存しておらず、
現在は、ホテルに様変わりしている。
現在の住所表記では、「21 Piccadilly, Mayfair, London W1J 0BH」である。


サラサーテとは、スペイン出身(バスク人)の作曲家兼ヴァイオリン奏者であるパブロ・マルティン・メリトン・デ・サラサーテ・イ・ナバスクエス Pablo Martin Meliton de Sarasate y Navascuez:1844年ー1908年)のことである。


サラサーテは、地方の砲兵隊の楽団指揮者(local artillery bandnaster)である父ドン・ミゲル(Don Miguel)からヴァイオリンの演奏を学び、幼い頃から、ヴァイオリン演奏の才能を開花させると、8歳の時に、初めてのヴァイオリン公演を行うと、10歳の時には、スペイン女王のイサベル2世(Queen Isabella II)の前で、ヴァイオリン演奏を披露した。

そして、12歳の時に、パリ音楽院(Paris Conservatoire)へ入学し、17歳の時に、パリ音楽院における最高の賞に該るヴァイオリン科の一等賞を得た。なお、この賞を得たスペイン人は、サラサーテが最初の人物である。


華麗なヴァイオリン演奏が評判となったサラサーテは、1860年、パリにおいて、ヴァイオリニストとしてのデビューを飾ると、翌年の1861年には、ロンドンで演奏会を行った。

その後、サラサーテは、欧州、北アメリカや南アメリカ等の世界各地へ演奏旅行に赴いた。


なお、サラサーテが、1890年10月に、ロンドンのセントジェイムズホールにおいて、演奏会を行ったかどうかは、定かではない。


作曲家としての彼は、スペインの民謡や舞曲の要素を盛り込んだ国民楽派に位置付けられており、特に、ヴァイオリンと管弦楽のために、彼が1878年に作曲した「ツィゴイネルワイゼン(Zigeunerweisen)」が有名である。


1908年9月20日、サラサーテは、フランス領バスクのビアリッツ(Biarritz)において、慢性気管支炎(chronic bronchitis)のために、64歳で死去した。


2022年10月18日火曜日

グレアム・ムーア作「シャーロック・ホームズ殺人事件」(The Holmes Affair by Graham Moore)- その1

Arrow Books から2011年に出版されている
グレアム・ムーア作「シャーロック・ホームズ殺人事件」の表紙
(Cover image : Arcangel Images)

アンドリュー・ホッジスによる伝記「Alan Turing:The Enigma」を基にして、第二次世界大戦(1939年ー1945年)中、ブレッチリーパーク(Bletchley Park)にある英国の暗号解読センターの政府暗号学校において、ドイツ軍が使用したエニグマ暗号機による通信の解読に成功した英国の数学者、論理学者、暗号解読者兼コンピューター科学者であるアラン・マシソン・チューリング(Alan Mathison Turing:1912年ー1954年)を主人公にした歴史ドラマ映画「イミテーションゲーム / エニグマと天才数学者の秘密(The Imitation Game)」が、2014年に公開された。なお、主人公のアラン・マシソン・チューリングを、BBC1 で放映された推理ドラマ「シャーロック(Sherlock)」(2010年ー)において、シャーロック・ホームズを演じた英国の俳優であるベネディクト・ティモシー・カールトン・カンバーバッチ(Benedict Timothy Carlton Cumberbatch:1976年ー)が演じている。

「イミテーションゲーム / エニグマと天才数学者の秘密」で第87回アカデミー脚色賞を受賞した米国の脚本家 / 作家であるグレアム・ムーア(Graham Moore)が、サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年-1930年)を主人公の一人に据えた小説「シャーロック・ホームズ殺人事件(The Holmes Affair)」を2011年に発表している。

サー・アーサー・コナン・ドイルが
「ストランドマガジン」の1893年12月号に発表した
「最後の事件」


アーサー・コナン・ドイルは、毎月シャーロック・ホームズシリーズの読み切り連載を続けるのに、非常に苦労していた。元々、長編歴史小説の分野で身を立て、名を上げようとしていた彼にとって、ホームズシリーズは、あくまでも副業であった。

ホームズシリーズの原稿締め切りに追いまくられた彼は、遂に「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の1893年12月号に掲載した「最後の事件(The Final Problem → 2022年5月1日 / 5月8日 / 5月11日付ブログで紹介済)」において、ホームズを、「犯罪界のナポレオン(Napoleon of crime)」と呼ばれるジェイムズ・モリアーティー教授(Professor James Moriarty)と一緒に、スイスのマイリンゲン(Meiringen)にあるライヘンバッハの滝壺(Reichenbach Falls)に葬ってしまった。「ストランドマガジン」を読んだロンドンの読者は、大騒ぎに陥った。


ストランド通りに面しているチャリングクロス駅の正面


12月のある日、コナン・ドイルがチャリングクロス駅(Charing Cross Station → 2014年9月20日付ブログで紹介済)を出て、ストランド通り(Strand → 2015年3月29日付ブログで紹介済)を歩いていると、タイムズ紙の見出しには、ホームズの死を伝える記事が踊っていた。

彼は、突然、60歳位の老婦人に、彼女が持っていたバッグで、力一杯殴られる。老婦人は、彼に告げる。「あなたが、シャーロック・ホームズを殺した。」と。

2ヶ月前に父親のチャールズ・ドイル(Charles Doyle)を亡くし、また、妻の肺の病気が治癒する可能性がないことを最近知ったコナン・ドイルにとっては、重荷でしかなかったホームズの死に対して、世間がこれ程の反応をするとは、とても思えなかった。警官が二人の仲裁に入るまで、彼は茫然とするしかなかったのである。


ストランド通り沿いに建つストランドパレスホテル


ホームズの死から約7年が経過した1900年10月中旬、コナン・ドイルが、自宅の書斎において、朝届いた郵便物を開封していた際、ある小包に入っていた爆発物によって、彼の書斎机が粉々になってしまう。危うく難を逃れ、命拾いをしたコナン・ドイルであった。

ホームズを殺したため、作者のコナン・ドイルを恨む者が、彼宛に爆発物を入れた郵便を送ってきたのだろうか?


ナショナルポートレイトギャラリー(National Portrait Gallery)の横の広場に設置されている
サー・ヘンリー・アーヴィングのブロンズ像


スコットランドヤードを訪れたコナン・ドイルであったが、埒が明かないため、彼は友人のブラム・ストーカー(Bram Stoker)こと、エイブラハム・ストーカー(Abraham Stoker:1847年ー1912年)に相談する。ブラム・ストーカーは、俳優ヘンリー・アーヴィング(Henry Irving)が監督に就任したライシアム劇場(Lyceum Theatre → 2014年7月12日付ブログで紹介済)において、彼の劇団の秘書を務めていた。


ライシアム劇場の外壁(裏手)に刻まれている
ブラム・ストーカーの名前


コナン・ドイル宛に送られてきた爆発物の下には、封筒が入っていて、その表面には「初歩的(Elementary)」とのみ記されていた。彼が封筒を開けると、その中には、手紙ではなく、2週間前のタイムズ紙に載っていた新聞記事が入っていた。

その記事は、ロンドンのイーストエンド(East End)のステップニー地区(Stepney)にあるサルモンストリート(Salmon Street)沿いに建つある家の浴室において、若い女性が溺死しているのが見つかったことを伝えるものだった。女性の遺体の横には、ウェディングドレスが置かれていた。女性の身元や彼女の結婚相手等、手掛かりとなるものは、全くなかった。女性の遺体に彫られた三つの頭を持つ黒い鴉(カラス)のタトゥー以外は。


コナン・ドイルは、友人のブラム・ストーカーをワトスン役にして、この新聞記事となった殺人事件と思われる詳細を調査し始める。それは、コナン・ドイルとブラム・ストーカーの二人を、悪夢のような連続殺人事件への捜査へと導いていくのであった・・・ 


2022年10月17日月曜日

H・ポール・ジェファーズ作「シャーロック・ホームズの更なる冒険 / 不屈の仲間」(The further adventures of Sherlock Holmes / The Stalwart Companions by H. Paul Jeffers)- その3

英国の Titan Publishing Group Ltd. の Titan Books 部門から
2010年に出版された
H・ポール・ジェファーズ作
「シャーロック・ホームズの更なる冒険 / 不屈の仲間」の表紙(部分)

読後の私的評価(満点=5.0)


(1)事件や背景の設定について ☆☆☆半(3.5)


1879年12月、マイケル・ササノフ氏(Mr. Michael Sasanoff)が率いるササノフ・シェイクスピア・カンパニー(Sasanoff Shakespearen Company)のメンバーとして、米国の地を踏んだ26歳のシャーロック・ホームズ(本名:ウィリアム・シャーロック・スコット(William Sherlock Scott))が、1880年7月、ニューヨークの閑静な住宅街グラマーシーパーク(Gramercy Park)において発生した殺人事件の解明にあたる。

ホームズの相棒を務めるのは、1880年1月の事件で行動を共にしたニューヨーク市警察のウィルスン・ハーグリーヴ(Wilson Hargreave - 架空の人物)と米国の軍人 / 政治家で、第25代副大統領(1901年3月4日ー1901年9月14日)そして、ウィリアム・マッキンリー大統領の暗殺に伴い、第26代大統領(1901年9月14日ー1909年3月4日)に就任したセオドア・ルーズヴェルト(Theodore Roosevelt:1858年ー1919年)である。

本作品では、セオドア・ルーズヴェルトが、ニューヨーク市警察の公安委員長(President of the New York City Board of Police Commissioners:1895年-1897年)に就いて、市警察の腐敗と戦うことになる15年前の1880年の夏に発生した事件という設定になっている。


(2)物語の展開について ☆☆☆半(3.5)


本作品は、長編ではなく、全体で約150ページの中編である。「序文(Foreword)」、「前置き(Introduction)」と「後書き(Afterword)」を除くと、全部で16章に分かれており、1章毎のページ数があまり長くない上に、展開が割合と早いので、結構直ぐに読めてしまう。

「序文」、「前置き」と「後書き」の3つに40ページ近くが割かれているため、実質的には、本編の内容は110ページ位しかない。ホームズ達が事件現場に到着するのが、本編の30ページ目辺りなので、残りが80ページ位でしかない。

読んでいて、なかなか面白かったが、もう少し長めの作品にして、ホームズによる事件解明の部分をじっくりと見せてほしかった。


(3)ホームズ / セオドア・ルーズヴェルト / ウィルスン・ハーグリーヴの活躍について ☆☆☆半(3.5)


ホームズ、セオドア・ルーズヴェルトとウィルスン・ハーグリーヴの3人は、1880年1月の事件で既に顔見知りの上、ホームズの実績が判っているので、良いトリオを組んでいると言える。

物語の展開が割合と早いこともあって、米国特有の話の躍動感も感じられる。

ただ、前項において既に述べたように、ホームズによる事件解明の部分がじっくりと展開されていないところが、やや残念である。


(4)総合評価 ☆☆☆半(3.5)


ホームズ、セオドア・ルーズヴェルトとウィルスン・ハーグリーヴの3人が今回捜査するのは、グラマーシーパーク15番地の建物の前で発生した殺人事件である。この建物には、サミュエル・ジョーンズ・ティルデン(Samuel Jones Tilden:1814年ー1886年 / 実在の人物)が住んでいた。


サミュエル・ジョーンズ・ティルデンは、米国の弁護士 / 政治家で、ニューヨーク市知事を務めた後、1876年の大統領選挙に民主党候補として出馬したものの、19世紀の米国で最も多くの論争を巻き起こした選挙となり、選挙人投票において、僅か1票差で敗北した人物であった。その結果、共和党の候補者であるラザフォード・バーチャード・ヘイズ(Rutherford Birchard Hayes:1822年ー1893年)が、第19代大統領に就任したのである。なお、米国大統領選挙の歴史の中で、1票差で敗れた候補者は、サミュエル・ジョーンズ・ティルデンの他には居ない。


犯人達は、最終的には、大統領の殺害を計画しており、米国お得意の政治的な意図が背後にあった。

ただ、本編自体のページ数があまり長くない上に、物語の展開が割合と早いので、ホームズによる事件解明や殺人事件の動機等がじっくりと描かれていないため、もう少し長めの作品にしてほしい。非常に読みやすくて、なかなか面白かったので、その点がマイナス要因である。



2022年10月16日日曜日

コナン・ドイル作「赤毛組合」<小説版>(The Red-Headed League by Conan Doyle ) - その4

英国で出版された「ストランドマガジン」
1891年8月号に掲載された挿絵(その6) -

フリートストリートにある「赤毛組合」の事務所が突然解散した件について、
ザクセンーコーブルクスクエアにおいて質屋を営むジェイベス・ウィルスンが
相談を持ち込んだ後、
シャーロック・ホームズは、
「この問題を解明するには、優にパイプ三服分は必要だ。」と言うと、
椅子の上で身体を丸めると、考え込んだ。
挿絵:シドニー・エドワード・パジェット
(Sidney Edward Paget 1860年 - 1908年)

1890年の秋、ジョン・H・ワトスンがベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)のシャーロック・ホームズの元を訪れると、彼は燃えるような赤毛の初老の男性ジェイベス・ウィルスン(Jabez Wilson)から相談を受けている最中であった。

ジェイベス・ウィルスンは、ロンドンの経済活動の中心地であるシティー(City → 2018年8月4日 / 8月11日付ブログで紹介済)近くにあるザクセンーコーブルクスクエア(Saxe-Coburg Square → 2016年1月1日付ブログで紹介済)において質屋(pawnbroker)を営んでおり、非常に奇妙な体験をしたと言うので、ホームズとワトスンの二人は彼から詳しい事情を聞くことになった。


ジェイベス・ウィルスンが、フリートストリート(Fleet Street → 2014年9月21日付ブログで紹介済)の「Pope’s Court 7号室」にある「赤毛組合」の事務所において、毎日午前10時から午後2時までの4時間の間、「大英百科事典(Encyclopedia Britannica)」を書写する高給の仕事(週4ポンド)を始めてから、8週間が順調に過ぎて行ったが、1890年10月9日の朝、ジェイベス・ウィルスンが、いつも通り、「赤毛組合」の事務所にやって来ると、入口のドアには鍵が掛かっている上に、ドアには貼り紙があり、そこには、「1890年10月9日 赤毛組合は解散した。(The Red-Headed League is Dissolved 9 October 1890)」と書かれていたのである。


どうすればよいのか、途方に暮れたジェイベス・ウィルスンは、ホームズのところへ、赤毛組合がなぜ突然解散してしまったのか、その理由の調査依頼にやって来たのである。


ジェイベス・ウィルスンの話に興味を覚えたホームズは、彼が約3ヶ月前から質屋の店員として雇っているヴィンセント・スポールディング(Vincent Spaulding)のことについて質問した。彼の説明を聞いたホームズには、何か思い当たる節があるようだった。


ジェイベス・ウィルスンが辞去した後、ワトスンは、ホームズに尋ねた。すると、ホームズは、あの有名なセリフの一つを発する。


「これから、どうするつもりなんだ?」と、私は尋ねた。

「パイプさ。」と、ホームズは答えた。「この問題を解き明かすには、優に三服分は必要だ。だから、50分は、僕に話し掛けないでほしい。」彼は、痩せた両膝を鷹のような鼻に近づけるように、椅子の上で身体を丸めた。そして、彼は、目を閉じ、黒いクレーパイプをある種の奇妙な鳥の嘴のように突き出して、座っていた。私は、彼が眠ってしまったものと思った。実際のところ、私自身も、うとうとしていたのだが、ホームズが突然椅子から跳び下りると、意を決したような態度で、パイプを暖炉の上に置いたのである。


‘What are you going to do, then?’ I asked.

’To smoke,’ he answered. ‘It is quite a three-pipe problem, and I beg that you won’t speak to me for fifty minutes.’ He curled himself up in his chair, with his thin knees drawn up to his hawk-like nose, and there he sat with his eyes closed and his black clay pipe thrusting out like the bill of some strange bird. I had come to the conclusion that he had dropped asleep, and indeed was nodding myself, when he suddenly sprang out of his chair, with the gesture of a man who has made up his mind, and put his pipe down upon the mantelpiece.


そして、ホームズはワトスンを誘って、地下鉄でシティー近くのアルダースゲイト駅(Aldersgate → 2017年1月1日付ブログで紹介済)まで行き、ジェイベス・ウィルスンが営む質屋へと向かった。ホームズは質屋のドアをノックし、応対に出て来たヴィンセント・スポールディングに対して、ストランド通り(Strand → 2015年3月29日付ブログで紹介済)への道を尋ねると、その場を立ち去った。

質屋の前の敷石をステッキで数回叩き、そして、ヴィンセント・スポールディングの膝の汚れを確認したホームズがワトスンに告げた内容は、「あの男(ヴィンセント・スポールディング)は、ロンドンで4番目に狡賢く、3番目に大胆な奴だ。」だった。

ホームズとワトスンの二人が質屋の裏の大通りへ出ると、そこには、タバコ屋、新聞販売所、レストランや馬車製造会社の倉庫等の他に、銀行(City and Surburban Bank)の支店(City branch)が建ち並んでいた。


セントジェイムズホール(St. James's Hallー2014年10月4日付ブログで紹介済)でサラサーテ(パブロ・マルティン・メリトン・デ・サラサーテ・イ・ナバスクエス Pablo Martin Meliton de Sarasate y Navascuez:1844年ー1908年 スペイン出身の作曲家兼ヴァイオリン奏者)の演奏会を楽しんだ後、ホームズは、ワトスンに対して、「今夜仕事を手伝ってほしい。」と頼む。

一旦自宅に戻ったワトスンが夜再度ベイカーストリート221Bを訪れると、そこには、ホームズの他に、スコットランドヤードのピーター・ジョーンズ(Peter Jones)とザクセンーコーブルクスクエアに支店がある銀行の頭取であるメリーウェザー氏(Mr Merryweather)が居た。

ホームズは、「自分とワトスンを含めた4人で、これからジョン・クレイ(John Clay)という犯罪者を捕まえるんだ。」と言う。また、ピーター・ジョーンズによると、ジョン・クレイは、彼が以前から追っている重罪犯とのこと。ホームズも、ジョン・クレイとは1~2度関わりを持ったことがあるらしい。ホームズ達4人は、2台の馬車に分かれて、ベイカーストリート221B からザクセンーコーブルクスクエアの質屋の裏側にある銀行へと向かった。


2022年10月15日土曜日

オスカー・ワイルド作「ドリアン・グレイの肖像」<映画版>(The Picture of Dorian Gray by Oscar Wilde )

英国で発売されている
映画「ドリアン・グレイ」のDVD版の表紙 -
ベン・バーンズが演じるドリアン・グレイが、画面中央に置かれている。

英国の作家であるオスカー・フィンガル・オフラハティ・ウィルス・ワイルド(Oscar Fingal O’Flahertie Wills Wilde:1854年ー1900年)が、「リピンコット・マンスリー・マガジン(Lippincott’s Monthly Magazine)」の1890年7月号に発表した後、1891年に刊行された唯一の長編小説「ドリアン・グレイの肖像(The Picture of Dorian Gray → 2022年9月18日 / 10月8日付ブログで紹介済)」の映画版が、


・「ドリアン・グレイの肖像(The Picture of Dorian Grey)」(1945年 / 制作:米国)

・「ドリアン・グレイ / 美しき肖像(The Secret of Dorian Gray)」)1970年 / 制作:英国)


に続いて、オリヴァー・パーカー(Oliver Parker)監督による「ドリアン・グレイ(Dorian Gray)」(2009年 / 制作:英国)が公開されている。

ナショナルポートレイトギャラリー
(National Portrait Gallery)で販売されている
オスカー・ワイルドの写真の葉書
(Napoleon Sarony / 1882年 / Albumen panel card
305 mm x 184 mm) 


本映画版の主要な配役は、以下の通り。


(1)ドリアン・グレイ(Dorian Gray): ベン・バーンズ(Ben Barnes:1981年ー)

(2)ヘンリー・ウォットン卿(Lord Henry Wotton): コリン・ファース(Colin Firth:1960年ー)

(3)バジル・ホールウォード(Basil Hallward): ベン・チャップリン(Ben Chaplin:1970年ー)

(4)エミリー・ウォットン(Emily Wotton): レベッカ・ホール(Rebecca Hall:1982年ー)

(5)アラン・キャンベル(Alan Campbell): ダグラス・ヘンシャル(Douglas Henshall:1965年ー)

(6)シヴィル・ヴェイン(Sibyl Vane): レイチェル・ハード=ウッド(Rachel Hurd-Wood:1990年ー)

(7)アガサ(Agatha): フィオナ・ショウ(Fiona Shaw:1958年ー)

(8)レディー・ヴィクトリア・ウォットン(Lady Victoria Wotton): エミリア・フォックス(Emilia Fox:1974年ー)


英国で発売されている
映画「ドリアン・グレイ」のDVD版の裏表紙 -
画面上部の左側の人物は、コリン・ファースが演じるヘンリー・ウォットン卿で、
その右側の人物は、レイチェル・ハード=ウッドが演じるシヴィル・ヴェイン
。


オスカー・ワイルドによる原作に比べると、映画版では、ヘンリー・ウォットン卿の娘として、エミリー・ウォットンが新たに設定されている。原作では、ドリアン・グレイに婚約を破棄された上、捨てられた舞台女優のシヴィル・ヴェインが自殺した後、彼が惹かれたシヴィル・ヴェインによく似たヘティー(Hetty)が居るが、映画版では、エミリー・ウォットンが、へティーの代わりとなっていると思われる。

また、映画版では、ドリアン・グレイのお人好しな伯母として、アガサが新たに設定されている。原作では、ドリアン・グレイは、レディー・ブランドン(Lady Brandon)から、画家のバジル・ホールウォードを紹介されるが、映画版では、伯母のアガサが、ドリアン・グレイに、バジル・ホールウォードを紹介する。


原作には全くない部分ですが、映画版は、亡き祖父の遺産である屋敷を相続するために、ドリアン・グレイが、地方からロンドンへとやって来る場面から、始まる。つまり、ドリアン・グレイは、ロンドン到着時、正に右も左も判らない純真無垢な美青年であるという設定で、ここが、オスカー・ワイルドの原作とは、大きく異なる。


そして、伯母のアガサから紹介された画家のバジル・ホールウォードを介して、ドリアン・グレイは、ヘンリー・ウォットン卿と知り合う。原作では、ヘンリー・ウォットン卿は、粋で退廃的な人物であったが、映画版では、風采の上がらない皮肉屋の不良貴族という設定で、自らが置かれた状況に対して、ささやかに反抗するように、自分の意のままに操れる純真無垢なドリアン・グレイに対して、享楽的な生き方を啓蒙して、悪行の数々を実践させていく。ヘンリー・ウォットン卿の言葉に感化されたドリアン・グレイは、愛するシヴィル・ヴェインを捨てて、麻薬を嗜み、娼窟へと足を踏み入れ、欲望と快楽の世界へと突き進んで行く。それとともに、バジル・ホールウォードが描いた肖像画の中のドリアン・グレイは、醜悪な姿となっていくのである。


一般の観客には、上記のような筋立てにした方が、物語を理解しやすいのかもしれないが、オスカー・ワイルドの原作が体現している「若さと美しさを純粋に保ちたいが故に、次第に人としての道を踏み外していく」という当時の退廃的な生き方という観念が、映画版では、うまく表現しきれておらず、ドリアン・グレイが、あまりにも生々しいというか、直接的な道の踏み外しの生き方を送っているに過ぎないため、正直ベース、高評価はできない。

原作では、ドリアン・グレイは、確かに、ヘンリー・ウォットン卿の言葉に感化されるものの、自分の意思で、自分の若さと美しさを維持するべく、人としての道を踏み外していく。一方、映画版では、ドリアン・グレイは、自分お置かれた状況に対して大きな不満を感じているヘンリー・ウォットン卿によって、その腹いせのように、操られ、人としての道を踏み外していく訳で、原作が有する概念を体現できていないと言える。

特に、原作に比べると、映画版のヘンリー・ウォットン卿は、上っ面ばかりを気にする無責任な人物に仕立てあげられていている。この非常に小さな人物像は、原作とは、大きく乖離していて、とても残念である。


映画版の見所としては、地方から出て来たばかりの純粋無垢な美青年であるドリアン・グレイが、数々の悪行を経て、美貌の青年紳士へと変貌していく映像美に尽きると思う。


なお、本映画の場合、日本において、劇場公開はされていないが、 DVD版は発売されている。