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| セントジェイムズパークの園内(その1) <筆者撮影> |
アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)の長編第2作目で、かつ、トマス・ベレズフォード(Thomas Beresford - 愛称:トミー(Tommy))とプルーデンス・カウリー(Prudence Cowley - 愛称:タペンス(Tuppence))の記念すべきシリーズ第1作目に該る「秘密機関(The Secret Adversary → 2025年7月20日 / 10月1日付ブログで紹介済)」(1922年)は、英国の海運会社であるキュナードライン(Cunard Line)が所有する当時世界最大の旅客船で、米国ニューヨーク(New York)から英国リヴァプール(Liverpool)へと向かっていたルシタニア号(RMS Lusitania → 2025年7月22日 / 7月23日付ブログで紹介済)が、1915年5月7日の午後2時、アイルランド(Ireland)沖15㎞ の地点で、ドイツ帝国海軍(Imperial Germany Navy)の潜水艦 Uボート(U-boat)から2発の魚雷攻撃を受けて、沈没したところから、その物語が始まる。
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| 2015年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された アガサ・クリスティー作「秘密機関」の ペーパーバック版の表紙 (Cover design : HarperCollinsPublishers Ltd. / Agatha Christie Ltd. 2015) |
第一次世界大戦(1914年ー1918年)が終わり、世界が復興へと向かう中、ロンドンの地下鉄ドーヴァーストリート駅(Dover Street Tube Station → 2025年7月30日 / 8月5日付ブログで紹介済)のドーヴァーストリート(Dover Street → 2025年7月28日 / 7月29日付ブログで紹介済)出口において、昔馴染みのトミーとタペンスは、偶然出くわした。
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| ロンドンの地下鉄ドーヴァーストリート駅のドーヴァーストリート出口があった ドーヴァーストリート5−7番地(5-7 Dover Street → 2025年8月5日付ブログで紹介済)の建物外観 <筆者撮影> |
二人は、お互いに戦後の就職難に悩まされていた。トミーの方は、大戦中の1916年に負傷しており、一方、タペンスの方は、大戦中ずーっと、ボランティアとして、様々な形で働いていたのである。
久々の再会を果たしたトミーとタペンスは、ドーヴァーストリートを下って、ピカデリー通り(Piccadilly → 2025年7月31日付ブログで紹介済)へと向かう。
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| ドーヴァーストリート5−7番地の建物の右側には、現在、パブが建っている。 画面奥で左右に延びる通りが、ピカデリー通り。 <筆者撮影> |
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| ピカデリー通り - 画面中央奥に見える建物が、ホテル「リッツ ロンドン」。 <筆者撮影> |
カフェ「リオンズ(Lyons)」に腰を落ち着けた2人は、お互いの近況を語り合う。
日々のお金に困っていたトミーとタペンスは、「青年冒険家商会(The Young Adventurers, Ltd.)」を設立して、2人で報酬を獲得する術を話し合った。
その際、トミーは、タペンスに対して、「今日、通りで2人の男性がジェーン・フィン(Jane Finn)について話しているのを耳にした。」と言う少し変わったことを告げる。
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| 地下鉄ピカデリーサーカス駅の ベイカールーラインが停まるプラットフォームの壁にある駅表示 <筆者撮影> |
翌日の昼12時に、地下鉄ピカデリー駅(Piccadilly Tube Station → 2026年8月12日 / 8月23日付ブログで紹介済)で待ち合わせて、「青年冒険家商会」の内容を更に詰めることを約束した2人は、カフェ「リオンズ」を出る。
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| タペンスと別れた後、トミーが散策する予定だったホテル「リッツ ロンドン」 - ピカデリー通りを間に挟んで、通りの反対側から見上げたところ。 <筆者撮影> |
トミーは、ホテル「リッツ ロンドン(The Ritz London → 2025年7月2日 / 7月14日付ブログで紹介済)」辺りまで、ブラブラと散策するつもりだった。一方、タペンスの方は、サザンベルグレイヴィア(Southern Belgravia → 2026年8月29日 / 9月7日 / 9月14日付ブログで紹介済)の寄宿寮(hostel)へ真っ直ぐに帰ることにした。
| ベルグレイヴィア地区のノーザングレイヴィアとサザングレイヴィアの境にある イートンスクエアガーデンズ(Eaton Square Gardens) <筆者撮影> |
She was half-way across St James’s Park, when a man’s voice behind her made her start.
‘Excuse me,’ it said. ‘But may I speak to you for a moment?’
Tuppence turned sharply, but the words hovering on the tip of her tongue remained unspoken for the man’s appearance and manner did not bear out her first and most natural assumption. She hesitated. As if he read her thoughts, the man said quickly:
‘I can assure you I mean no disrespect.’
セント・ジェームズ公園を途中まで横切ったとき、後ろから男性に呼びとめられた。
「すみませんが、ちょっといいですか?」
タペンスは驚いてふりかえったが、声をかけた男性の風貌や態度が予想とあまりに違ったので、舌の先まで出かかった言葉をのみこんだ。ためらっていると、まるでその心を読みとったかのように、その賛成はすかさず言った。
「ご心配なく。けっして失礼なことをするつもりはありません」
(嵯峨 静江訳)
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| セントジェイムズパークの案内板 <筆者撮影> |
タペンスが謎の男性に呼び止められたセントジェイムズパーク(St. James’s Park)は、ロンドンの中心部であるシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のセントジェイムズ地区(St. James’s)の南端に位置する公園で、ロンドン最古の王立公園でもある。
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| 「Nicholson - Super Scale - London Atlas」から セントジェイムズパークの地図を抜粋。- 画面左側にバッキンガム宮殿が、画面左上にセントジェイムズ宮殿が、 そして、画面上には載っていないが、 右側にウェストミンスター宮殿(国会議事堂)があり、 セントジェイムズパークを3方から囲んでいる。 |
セントジェイムズパークは、ウェストミンスター宮殿(Palace of Westminster / 国会議事堂)、セントジェイムズ宮殿(St. James’s Palace → 2025年9月17日 / 9月24日 / 9月29日 / 10月6日付ブログで紹介済)とバッキンガム宮殿(Buckingham Palace)と言う3大宮殿に囲まれている。
| セントバーソロミュー病院(St. Bartholomew's Hospital → 2014年6月14日付ブログで紹介済)の 北翼(North Wing → 2025年12月15日 / 12月19日 / 12月21日 / 12月22日付ブログで紹介済)大広間の最奥の壁に掲げられている ヘンリー8世の肖像画 <筆者撮影> |
テューダー朝の第2代イングランド王であるヘンリー8世(Henry VIII:1491年ー1547年 在位期間:1509年ー1547年 → 2024年7月26日付ブログで紹介済)は、1530年にウェストミンスター寺院(Westminster Abbey)の北側にあるヨーク公館を接収した後、改築を行い、ホワイトホール宮殿(Palace of Whitehall)とした。
ヘンリー8世は、続いて、1532年にその北西部の土地を購入して、柵で囲み、開拓の上、狩猟場と整備。これが、セントジェイムズパークの始まりとなる。
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| セントジェイムズ宮殿の建物正面 <筆者撮影> |
元々、この土地には、女性ハンセン病患者のためのセントジェイムズ病院(St. James’s Hospital)が建っていたが、ヘンリー8世は、同病院の跡地に、狩猟客用の宿泊施設である狩猟小屋を建設。これが、後にセントジェイムズ宮殿となる。












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