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| ベルグレイヴスクエアの東端に設置されている イタリアのジェノヴァ出身の探検家 / 航海者 / 奴隷商人である クリストファー・コロンブス(Christopher Columbus:1446年−1506年)のブロンズ像 - スペイン出身の彫刻家である Tomas Banuelos(1958年ー)が1992年に制作。 <筆者撮影> |
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| 2015年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された アガサ・クリスティー作「秘密機関」の ペーパーバック版の表紙 (Cover design : HarperCollinsPublishers Ltd. / Agatha Christie Ltd. 2015) |
第一次世界大戦(1914年ー1918年)が終わり、世界が復興へと向かう中、ロンドンの地下鉄ドーヴァーストリート駅(Dover Street Tube Station → 2025年7月30日 / 8月5日付ブログで紹介済)のドーヴァーストリート(Dover Street → 2025年7月28日 / 7月29日付ブログで紹介済)出口において、昔馴染みのトミーとタペンスは、久々の再会を果たした。
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| ロンドンの地下鉄ドーヴァーストリート駅のドーヴァーストリート出口があった ドーヴァーストリート5−7番地(5-7 Dover Street → 2025年8月5日付ブログで紹介済)の建物外観 <筆者撮影> |
二人は、お互いに戦後の就職難に悩まされており、かつ、日々のお金に困っていた。トミーの方は、大戦中の1916年に負傷しており、一方、タペンスの方は、大戦中ずーっと、ボランティアとして、様々な形で働いていたのである。
カフェ「リオンズ(Lyons)」に腰を落ち着けたトミーとタペンスの2人は、お互いの近況を語り合うとともに、「青年冒険家商会(The Young Adventurers, Ltd.)」を設立して、2人で報酬を獲得する術を話し合った。
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| 地下鉄ピカデリーサーカス駅の ベイカールーラインが停まるプラットフォームの壁にある駅表示 <筆者撮影> |
翌日の昼12時に、地下鉄ピカデリー駅(Piccadilly Tube Station → 2026年8月12日 / 8月23日付ブログで紹介済)で待ち合わせて、「青年冒険家商会」の内容を更に詰めることを約束した2人は、カフェ「リオンズ」を出る。
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| タペンスと別れた後、トミーが散策する予定だったホテル「リッツ ロンドン」 - ピカデリー通りを間に挟んで、通りの反対側から見上げたところ。 <筆者撮影> |
トミーは、ホテル「リッツ ロンドン(The Ritz London → 2025年7月2日 / 7月14日付ブログで紹介済)」辺りまで、ブラブラと散策するつもりだった。一方、タペンスの方は、サザンベルグレイヴィア(Southern Belgravia)の寄宿寮(hostel)へ真っ直ぐに帰ることにした。
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| 「Nicholson - Super Scale - London Atlas」から ベルグレイヴィア地区近辺の地図を抜粋。 |
タペンスが住む寄宿寮が所在したサザンベルグレイヴィアは、ロンドンの中心部であるシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)の高級住宅街ベルグレイヴィア地区(Belgravia)の南側に該る。
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| ベルグレイヴィア地区を開発した 初代ウェストミンスター侯爵サー・ロバート・グローヴナーのブロンズ像 - 現在、ベルグレイヴスクエアの北側に建っている。 <筆者撮影> |
1820年代、初代ウェストミンスター侯爵サー・ロバート・グローヴナー(Sir Robert Grosvenor, 1st Marquess of Westminster:1767年ー1845年)は、建設業者/不動産開発業者であるトマス・キュービット(Thomas Cubitt:1788年ー1855年)に対して、ウェストミンスター侯爵家が所有する同地区の開発を依頼。
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| シティー・オブ・ウェストミンスター区のピムリコ地区(Pimlico)内の Denbigh Street 沿いに設置されている トマス・キュービット像 (Sculptor : William Fawkes / Bronze / 1995) <筆者撮影> |
トマス・キュービットは、30年以上の歳月をかけて、ベルグレイヴィア地区やピムリコ地区(Pimlico)等を開発。
依頼主である初代ウェストミンスター侯爵サー・ロバート・グローヴナーは、両地区の開発完了を目にすることができなかったが、彼の長男である第2代ウェストミンスター侯爵リチャード・グローヴナー(Richard Grosvenor, 2nd Marquess of Westminster:1795年ー1869年)が、父親の事業を引き継ぎ、両地区の開発完了まで漕ぎ着けた。
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| ベルグレイヴスクエア内に設置されている イタリア生まれの英国人彫刻家である Enzo Plazzotta(1921年−1981年)作 「Homage to Leonardo, the Vitruvian Man」 - 1982年に完成の上、1984年に同地に設置。 <筆者撮影> |
トマス・キュービットにより開発された地区は、ウェストミンスター侯爵(現在は、公爵(Duke))家における別の称号であるベルグレイヴ子爵(Viscount Belgrave)に因んで、ベルグレイヴィア地区と命名された。
なお、ベルグレイヴ子爵の「ベルグレイヴ」は、ウェストミンスター侯爵家の本拠地であるイートンホール(Eaton Hall)の近くにあるチェシャー州(Cheshire)のベルグレイヴ村(Belgrave)に起因している。
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| ベルグレイヴスクエアから南東方向へ延びる アッパーベルグレイヴストリート(Upper Belgrave Street)沿いの建物(その1)- 画面奥に見えるのが、ベルグレイヴスクエア。 <筆者撮影> |
トマス・キュービットがテラスハウスを数多く建設したエリアは、ウェストミンスター侯爵家に因んで、「ベルグレイヴスクエア(Belgrave Square)」や「イートンスクエア(Eaton Square)」等と呼ばれるようになったのである。
トマス・キュービットがベルグレイヴスクエアやイートンスクエア等に建設したテラスハウスは、完成当初より、ロンドンにおける最も人気がある住宅街となり、貴族達や地方の地主達が挙って住み始めた。
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| ベルグレイヴスクエアから南東方向へ延びる アッパーベルグレイヴストリート沿いの建物(その2)- 画面奥に見えるのが、ホウバートプレイス(Hobart Place)。 <筆者撮影> |
第二次世界大戦(1939年-1945年)後、ベルグレイヴスクエアやイートンスクエア等の建物は、大使館 / 領事館、公的機関や慈善団体等に使用されるようになった。特に、ベルグレイヴスクエアには、数多くの大使館 / 領事館が集中した。
それに伴い、ベルグレイヴスクエアやイートンスクエア等の周辺に、近代的なオフィスビル、ホテルや高級店舗等が続々と建てられた。
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| ベルグレイヴスクエアから南東方向へ延びる アッパーベルグレイヴストリートがホウバートプレイスと交差した辺り(その1) <筆者撮影> |
その結果、ベルグレイヴスクエアやイートンスクエア等を初めとするベルグレイヴィア地区は、ロンドンにおける高級住宅街の一つとなり、不動産価格は異常に高騰。
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| ベルグレイヴスクエアから南東方向へ延びる アッパーベルグレイヴストリートがホウバートプレイスと交差した辺り(その2) <筆者撮影> |
現在、ベルグレイヴィア地区内の建物の多くは、海外に住む外国人の超富裕(スーパーリッチ)層に買い占められており、実際に住んで暮らしている人はほとんど居ないため、日中でも人気はあまりない。














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