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| テイト・ブリテン美術館に所蔵 / 展示されている ジョーゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー作「トラファルガーの海戦」(1806年ー1808年) Oil paint on canvas / 縦 : 172.7 cm x 横 : 238.8 cm <筆者撮影> |
一般的には、「J・M・W・ターナー(J. M. W. Turner)」として知られている英国のロマン主義の画家であるジョーゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(Joseph Mallord William Turner:1775年ー1851年 → 2018年7月1日 / 7月8日 / 7月15日付ブログで紹介済)が、「トラファルガーの海戦(Battle of Trafalgar → 2022年4月18日 / 4月22日付ブログで紹介済)」において、旗艦「ビクトリー(HMS Victory → 2022年1月16日付ブログで紹介済)」の船上で、英国海軍提督の初代ネルソン子爵ホレーショ・ネルソン(Horatio Nelson, 1st Viscount Nelson:1758年ー1805年)が戦死する場面を描いた歴史画「トラファルガーの海戦(The Battle of Trafalgar, as Seen from the Mizen Starboard Shrouds of the Victory)」(1806年ー1808年)が、テイト・ブリテン美術館(Tate Britain → 2018年2月18日付ブログで紹介済)に所蔵 / 展示されているので、今回、紹介したい。
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| テイト・ブリテン美術館の建物正面を階段下から見上げたところ <筆者撮影> |
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| テイト・ブリテン美術館に所蔵 / 展示されている ジョーゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー作 「自画像(Self-Portrait)」(1799年頃) <筆者撮影> |
トラファルガーの海戦は、1805年10月21日にスペインのトラファルガー岬(Cape Trafalgar)の沖で行われたナポレオン戦争(Napoleonic Wars:1803年ー1815年)における最大の海戦で、英国艦隊は、フランス / スペインの連合艦隊(当時、スペインは、フランスによる支配下にあった)を打ち破った。この海戦における勝利によって、英国は、フランス第一帝政の皇帝であるナポレオン・ボナパルト(Napoleon Bonaparte:1769年ー1821年 在位期間:1804年-1814年+1815年)が計画した英国本土上陸の野望を粉砕したのである。なお、英国海軍艦である「ビクトリー」は、トラファルガーの海戦において、ホレーショ・ネルソンが座乗して、旗艦となっている。
| 、1805年の「トラファルガーの海戦」において、 英国海軍提督の初代ネルソン子爵ホレーショ・ネルソンが座乗して、 旗艦を務めた「HMS ビクトリー」- 英国海軍の500周年を記念して、 2019年に英国のロイヤルメールが発行した8種類の記念切手のうちの1枚。 |
1805年当時、欧州大陸は、1804年に皇帝に即位したナポレオン・ボナパルトが率いるフランス帝国による支配下におかれていたが、海上は、英国による支配権の下にあった。英国は、海上封鎖を行うことで、フランスの海軍行動を抑止して、英国本土への侵攻を防いでいたのである。当時、地中海艦隊司令長官(Commander-in-Chief of the Mediterranean Fleet)であったホレーショ・ネルソンが率いる英国地中海艦隊は、トゥーロン(Touloon:フランス南東部に位置し、地中海に面する都市)の沖で、海上封鎖を行っていた。
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| 「トラファルガーの海戦」の200周年を記念して、 英国のロイヤルメール(Royal Mail)が2018年10月5日に発行した記念切手(その1)- 英国の芸術家であるウィリアム・ヒース(William Heath:1794年ー1840年)による 「Panorama of the Battle of Trafalgar」がベースとなっている。 |
そのため、ナポレオン1世(ナポレオン・ボナパルト)は、フランス陸軍による英国本土上陸作戦を援護させるべく、フランス海軍に対して、英国海軍による海上封鎖の突破を命令した。
ところが、トゥーロン艦隊司令長官であるラトゥーシュ・トレヴィル(Louis-Rene-Madeleine de Latouche-Treville:1745年ー1804年)の病死、荒天やスペインのフィニステレ岬(Cape Finisterre)の沖で行われたフィニステレ岬の海戦(Battle of Cape Finisterre - 1805年7月22日に、英国艦隊とフランス / スペイン連合艦隊の間で行われた海戦)における敗戦等により、ナポレオン1世は、英国本土上陸作戦を中止せざるを得ない状況に追い込まれた。
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| 「トラファルガーの海戦」の200周年を記念して、 英国のロイヤルメールが2018年10月5日に発行した記念切手(その2)- 英国の芸術家であるウィリアム・ヒースによる 「Panorama of the Battle of Trafalgar」がベースとなっている。 |
英国本土上陸作戦の中止を決断したナポレオン1世は、次の計画として、オーストリアへの侵攻を準備していた。そして、ナポレオン1世は、フィニステレ岬の海戦から撤退して、スペインのカディス(Cadiz:スペイン南西部に位置し、大西洋に面する港湾都市)に入り、整備を行っていたフランス / スペイン連合艦隊を率いる提督のピエール=シャルル=ジャン=バティスト=シルヴェストル・ド・ヴィルヌーヴ伯爵(Pierre-Charles-Jean-Baptiste-Silvestre de Villeneuve:1763年ー1806年 - ラトゥーシュ・トレヴィルの病死後、トゥーロン艦隊司令長官となった)に対して、命令を下した。
ナポレオン1世からの命令を受けたド・ヴィルヌーヴ提督は、1805年10月19日から20日にかけて、フランス / スペイン連合艦隊をカディスから出撃させた。一方、ホレーショ・ネルソンが率いる英国地中海艦隊は、出撃したフランス / スペイン連合艦隊をカディス沖で監視していた。
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| 「トラファルガーの海戦」の200周年を記念して、 英国のロイヤルメールが2018年10月5日に発行した記念切手(その3)- 英国の芸術家であるウィリアム・ヒースによる 「Panorama of the Battle of Trafalgar」がベースとなっている。 |
そして、カディス沖に布陣していた英国地中海艦隊とカディスを出撃したフランス / スペイン連合艦隊は、翌日の1805年10月21日に、スペインのトラファルガー岬の沖において、相見えることになる。







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