2016年2月14日日曜日

ロンドン ジェンキンスホテル(Jenkins Hotel)

ジェンキンスホテルの全景

アガサ・クリスティー作「イタリア貴族殺害事件(The Adventure of the Italian Noble Man)」(「ポワロ登場(Poirot Investigates)」(1924年)に収録)は、エルキュール・ポワロとアーサー・ヘイスティングス大尉が、自分達のフラットで隣人のホーカー医師(Dr Hawker)と話をしているところから始まる。そこにホーカー医師の家政婦が飛び込んで来る。彼女によると、患者であるフォスカティーニ伯爵(Count Foscatini)から助けを求める変な電話があったと言う。そこで、ポワロ、ヘイスティングス大尉とホーカー医師の3人は、リージェンツコート(Regent's Court)にあるフォスカティーニ伯爵のフラットへと駆け付ける。
フォスカティーニ伯爵のフラットのドアが施錠されていたため、彼らはフラットの管理人に事情を説明して、フラットのドアを開けてもらう。そして、彼らがフラット内に入ると、フォスカティーニ伯爵が大理石の像で頭を撲られて殺されているのを発見する。テーブルの上には、3人分の食事の席が整えられていたが、既に食事は終わった後のようである。


警察が到着する最中、フォスカティーニ伯爵の従者グレーヴス(Graves)が戻って来る。グレーヴスによると、前日、アスカニオ伯爵(Count Ascanio)ともう1人の男性が夕食に招待された際、フォスカティーニ伯爵と彼らの間に何か脅迫めいた会話が交わされたのを耳にしたと言う。今夜も、フォスカティーニ伯爵は同じ2人を夕食に招待し、食事が終わると、グレーヴスは急に休みを与えられたと彼は証言した。警察は、フォスカティーニ伯爵の殺害犯として、アスカニオ伯爵を逮捕する。

カートライトガーデンズとバートンプレイス通りの角に
ジェンキンスホテルは建っている

ポワロが建物のキッチンスタッフに確認すると、メインコースのサラは3人分ともきれいになくなっていたが、サイドメニューは少ししか手がつけられておらず、更にデザートに至っては全く手がつけられていなかったことが判る。そこにポワロは違和感を抱く。ポートワインに加えて、食後のコーヒーが出されているが、撲殺されたフォスカティーニ伯爵の歯は全く汚れておらず、真っ白だった。その上、ホーカー医師に電話で助けを求めた際に撲殺されたにもかかわらず、フォスカティーニ伯爵は普通に受話器を元に戻しているのである。果たして、警察が疑う通り、脅迫行為が嵩じて、フォスカティーニ伯爵はアスカニオ伯爵に撲殺されたのか?そして、ポワロの灰色の脳細胞が真実を導き出すのであった。

ジェンキンスホテルの入口はバートンプレイス通りに面している―
奥に見えるのは、バートンストリート(Burton Street)

英国の TV 会社 ITV1 が製作し、英国内での人気があるポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」の「イタリア貴族殺害事件」(1993年)の回では、物語の中盤、フォスカティーニ伯爵の殺害犯として警察に追われているアスカニオ伯爵は、あるホテルに身を隠す。しかし、アスカニオ伯爵の行方を追うスコットランドヤードのジャップ主任警部(Chief Inspector Japp)は、アスカニオ伯爵の潜伏先についてポワロから連絡を受け、潜伏先のホテルで彼を逮捕するに至る。また、ジャップ主任警部に同行したポワロとヘイスティングス大尉は、アスカニオ伯爵が身を隠していたホテルの部屋で、彼の所持品等を調べるのであった。そのホテルは、原作では「グローヴナーホテル(Grosvenor Hotel)」となっているが、TV版では「ジェンキンスホテル(Jenkins Hotel)」である。

スコットランドヤードはアスカニオ伯爵を逮捕した後、
ジェンキンスホテル入口から連行した

なお、ジェンキンスホテルは実在するホテルで、ロンドンの中心部セントパンクラス地区(St. Pancras)内に所在している。
セントパンクラス地区内には、セントパンクラス駅(St. Pancras Station)とキングスクロス駅(King's Cross Station)という二つの大きな鉄道駅があり、両駅の南側には、東西に走るユーストンロード(Euston Road)という幹線道路があり、いつも車の往来が激しい。セントパンクラス駅の西側に建つ大英図書館(British Library)を出て、前を走るユーストンロードを横断して、向かい側にあるメーブルドンプレイス(Mabledon Place)を少し南下すると、カートライトガーデンズ(Cartwright Gardens)と呼ばれる広場に出る。この広場を囲む建物のうち、45番地がジェンキンスホテルである。

同じホテルグループに属しているジュッドホテル―
住所はカートライトガーデンズ46番地

ジェンキンスホテルは小ホテルで、客室は13部屋しかない、とのこと。
バートンプレイス通り(Burton Place)を挟んで、隣りの46番地に建つ「ジュッドホテル(Judd Hotel)」は、同じホテルグループに属している。
ポワロシリーズ「イタリア貴族殺害事件」が撮影されたのは、20年以上前であるが、ジェンキンスホテルは当時とほぼ同じ姿のままで、宿泊客を迎えている。ジェンキンスホテルのホームページを検索すると、ポワロシリーズ「イタリア貴族殺害事件」の舞台として、このホテルが撮影に使用された旨の説明がされている。
TV版放映当時、ジェンキンスホテル入口の両側にある柱にホテル名が表示されていたが、現在はペンキで白く塗り直されていて、ホテル名の表示は建物の外壁上部にある。

カートライトガーデンズの広場内にある
ジョン・カートライトのブロンズ像

カートライトガーデンズは1809年から1811年にかけて開発され、当初は、ここを開発した建設業者/不動産開発業者であるジェイムズ・バートン(James Burton:1761年ー1837年)と三日月型をした場所に因んで、「バートンクレッセント(Burton Crescent)」と呼ばれていたが、国会の改革者で、ここの住民でもあったジョン・カートライト(John Cartwright:1740年ー1824年)を名前を採って、「カートライトガーデンズ」という呼び名に変更された。カートライトガーデンズの広場内には、ジョン・カートライトのブロンズ像が1831年に設置されている。

広場を囲うように、ジョージ王朝時代の建物が建ち並んでいる。なお、ジョージ王朝時代は、ハノーヴァー朝のジョージ1世(George Ⅰ)からジョージ4世(George Ⅳ)までが英国を統治した年代(1714年ー1830年)を指す。

2016年2月13日土曜日

ロンドン ヘイマーケット劇場(Haymarket Theatre)

闇夜に浮かぶヘイマーケット劇場の建物

サー・アーサー・コナン・ドイル作「隠居絵具屋(The Retired Colourman)」では、ジョサイア・アンバリー(Josiah Amberley)がベイカーストリート221B(221B Baker Street  → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)のシャーロック・ホームズの元を相談に訪れる。
彼は画材製造業ブリックホール&アンバリー(Brickhall & Amberley)の経営者の一人であったが、1896年に61歳になった時に引退し、ルイシャム(Lewisham)に家を購入した。そして、翌年の1897年初め、自分より20歳も年下の女性と結婚して、落ち着いた生活を送るはずだった。ところが、近所に住む彼のチェス仲間である若い医師レイ・アーネスト(Dr Ray Ernest)が自分の妻と親密になり、先週、二人は自分の財産を持って逃げ出した、と言うのだ。ジョサイア・アンバリーは、「二人の行方を見つけ出してほしい。」と、ホームズのところへ依頼に来たのであった。別の事件に謀殺されていたホームズは、代わりにジョン・ワトスンに事件の調査を頼む。
調査から戻って来たワトスンは、次のようにホームズに結果を報告した。


「問題の晩、アンバリー老人は妻を楽しませようと思い、ヘイマーケット劇場のアッパーサークル席の入場券を2枚購入していた。ところが、出かける直前になって、彼女は頭痛がすると言い出し、行くのを渋った。そのため、彼は一人で劇場へと出かけたんだ。この点に関しては、疑わしいところは無さそうに思えた。と言うのも、妻のために購入したものの、使用しなかった入場券を彼が見せてくれたからだ。」
「それは注目すべき点だ。ー非常に注目すべきだ。」と、ホームズは言った。この事件に対する彼の興味が増しているように思えた。「ワトスン、続けてくれ。君の話は非常に興味深いね。君は自分でその入場券を調べたりしたかい?もしかして、君はその入場券の番号を覚えていないかい?」
「覚えているさ。」と、私は少しばかり自慢気味に答えた。「偶然だが、私のかつての学生番号と同じ31番だった・だから、私の記憶に残っているんだ。」
「ワトスン、素晴らしいよ!とすると、彼の席は30番か、あるいは、32番ということになるな。」
「そうだな。」と、私は幾分秘密めかして答えた。「そして、それはB列だ。」
「上出来だ。申し分ない。」

ヘイマーケット通りの北側から見た
ヘイマーケット劇場

'On that particular evening Old Amberley, wishing to give his wife a treat, had taken two upper circle seats at the Haymarket Theatre. At the last moment she had complained of a headache and had refused to go. He had gone alone. There seemed to be no doubt about the fact, for he produced the unused ticket which he had taken for his wife.'
'That is remarkable - most remarkable,' said Holmes, whose interest in the case seemed to be rising. 'Pray continue, Watson. I find your narrative most interesting. Did you personally examine this ticket? You did not, perchance, take the number?'
'It so happens that I did,' I answered with some pride. 'It chanced to be my old school number, thirty-one, and so it struck in my mind.'
'Excellent, Watson! His seat, then, was either thirty or thirty-two.'
'Quite so,' I answered with some mystification. 'And on B row.'
'That is most satisfactory.'

ヘイマーケット劇場は「ロイヤル」の称号を得ている

ヘイマーケット劇場(Haymarket Theatre)の正式名は、現在、ロイヤル・ヘイマーケット劇場(Theatre Royal Haymarket)で、シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のセントジェイムズ地区(St. James's )内に所在している。ピカデリーサーカス(Piccadilly Circus)とナショナルギャラリー(National Gallery)/トラファルガースクエア(Trafalgar Square)を結び、南北に延びるヘイマーケット通り(The Haymarket)に面して建っている。

ヘイマーケット劇場の入口

ヘイマーケット劇場は、元々、1720年にヘイマーケット通り沿いの違う場所建設されて、同年12月29日にオープンした。同劇場はウェストミンスターエンド(West End)内にオープンした3番目の劇場で、「リトル劇場(Little Theatre)」と呼ばれていた。
その後、1766年に「ロイヤル」の称号を得て、改装後、同年5月14日に再オープンを果たす。

地下鉄チャリングクロス駅(Charing Cross Tube Station)へ向かう
地下道の壁に描かれている建築家/都市計画家のジョン・ナッシュ

ヘイマーケット劇場が現在の場所に移ったのは1821年で、英国を代表する建築家/都市計画家であるジョン・ナッシュ(John Nash:1752年ー1835年)が、リージェントストリート(Regent Street)やリージェンツパーク(Regent's Park)等の開発(1813年ー1825年)を手掛けるのに並行して、1820年から1821年にかけて、現在のヘイマーケット劇場の建設を担当した。そして、1821年7月4日に新劇場はオープンを迎えた。
その後、1873年にはロンドンでは最初となる午後2時からの昼興行(マチネー)を導入し、ウェストエンド内の他の劇場もこれに追随することになった。

入口真下から見上げたヘイマーケット劇場

「隠退した絵の具屋」において、ジョサイア・アンバリー老人が「観劇に出かけた」とワトスンに話したヘイマーケット劇場は、既に現在の地に移った後のところである。

2016年2月7日日曜日

ロンドン アディスランドコート(Addisland Court)

アッパーアディソンガーデンズから見たアディスランドコート

アガサ・クリスティー作「イタリア貴族殺害事件(The Adventure of the Italian Noble Man)」(「ポワロ登場(Poirot Investigates)」(1924年)に収録)は、エルキュール・ポワロとアーサー・ヘイスティングス大尉が、自分達のフラットで隣人のホーカー医師(Dr Hawker)と話をしているところから始まる。そこにホーカー医師の家政婦が飛び込んで来る。彼女によると、患者であるフォスカティーニ伯爵(Count Foscatini)から助けを求める変な電話があったと言う。そこで、ポワロ、ヘイスティングス大尉とホーカー医師の3人は、リージェンツコート(Regent's Court)にあるフォスカティーニ伯爵のフラットへと駆け付ける。
フォスカティーニ伯爵のフラットのドアが施錠されていたため、彼らはフラットの管理人に事情を説明して、フラットのドアを開けてもらう。そして、彼らがフラット内に入ると、フォスカティーニ伯爵が大理石の像で頭を撲られて殺されているのを発見する。テーブルの上には、3人分の食事の席が整えられていたが、既に食事は終わった後のようである。

アディソンロード沿いに掲げられているフラットの表示

警察が到着する最中、フォスカティーニ伯爵の従者グレーヴス(Graves)が戻って来る。グレーヴスによると、前日、アスカニオ伯爵(Count Ascanio)ともう1人の男性が夕食に招待された際、フォスカティーニ伯爵と彼らの間に何か脅迫めいた会話が交わされたのを耳にしたと言う。今夜も、フォスカティーニ伯爵は同じ2人を夕食に招待し、食事が終わると、グレーヴスは急に休みを与えられたと彼は証言した。警察は、フォスカティーニ伯爵の殺害犯として、アスカニオ伯爵を逮捕する。


アッパーアディソンガーデンズから
ホーランドヴィラスロードを望む

ポワロが建物のキッチンスタッフに確認すると、メインコースのサラは3人分ともきれいになくなっていたが、サイドメニューは少ししか手がつけられておらず、更にデザートに至っては全く手がつけられていなかったことが判る。そこにポワロは違和感を抱く。ポートワインに加えて、食後のコーヒーが出されているが、撲殺されたフォスカティーニ伯爵の歯は全く汚れておらず、真っ白だった。その上、ホーカー医師に電話で助けを求めた際に撲殺されたにもかかわらず、フォスカティーニ伯爵は普通に受話器を元に戻しているのである。果たして、警察が疑う通り、脅迫行為が嵩じて、フォスカティーニ伯爵はアスカニオ伯爵に撲殺されたのか?そして、ポワロの灰色の脳細胞が真実を導き出すのであった。

ホーランドヴィラスロードから見たアディスランドコートの建物正面

英国の TV 会社 ITV1 が製作し、英国内での人気があるポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」の「イタリア貴族殺害事件」(1993年)の回では、フォスカティーニ伯爵と思われる人物からの電話を受けたホーカー医師の家政婦の報告に基づいて、ポワロ、ヘイスティングス大尉とホーカー医師の三人は、早速フォスカティーニ伯爵の安否確認に向かう。
原作では、フォスカティーニ伯爵はリージェンツコート(リージェンツパーク(Regent's Park)の近くにあるフラットと思われるが、実在しない)に住んでいたが、TV版では、アディスランドコート(Addisland Court)に住んでいる設定に変更されている。なお、アディスランドコートは、現在の住所表記上、実在している。

アディスランドコートの入口

ロンドンの中心部マーブルアーチ(Marble Arch)からノッティングヒルゲート(Notting Hill Gate)を経て、シェファーズブッシュ(Shepherd's Bush)へ向かって西に延びるホーランドパークアベニュー(Holland Park Avenue)を、シェファーズブッシュ手前のアディソンロード(Addison Road)で左へ曲がり、少し南下すると、北側のアッパーアディソンガーデンズ(Upper Addison Gardens)、東側のアディソンロード、そして、西側のホーランドヴィラスロード(Holland Villas Road)に囲まれた一角に、アディスランドコートは位置している。

アディソンロードから見たアディスランドコートの建物裏側(その1)

アディスランドコートが位置する一帯は、ケンジントン&チェルシー王立区(Royal Borugh of Kensington and Chelsea)のケンジントン地区(Kensington)の高級住宅街内にあり、メインの幹線道路から少し内側に入っただけではあるが、日中でも一通りは少なく、非常に閑静な場所である。

アディスランドコート自体、最初のTV放映から20年以上が経過しているものの、流石は英国で、当時とほとんど変わらない姿を見せている。


アディソンロードから見たアディスランドコートの建物裏側(その2)

なお、アディスランドコートは、「エッジウェア卿の死(Lord Edgware Dies)」(2000年)の回でも、主要な登場人物の一人である女優カーロッタ・アダムズ(Carlotta Adams)が住むフラットとして、撮影に使用されている。

2016年2月6日土曜日

ロンドン ウォータールーロード(Waterloo Road)

ウォータールーロードとサンデルストリートが
交差する角に建つホテル/パブ

サー・アーサー・コナン・ドイル作「三人のガリデブ(The Three Garridebs)」では、ロンドンに長期滞在している米国人の法廷弁護士ジョン・ガリデブ(John Garrideb)が、ベイカーストリート221B(221B Baker Street  → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)のシャーロック・ホームズの元を訪れる。彼によると、「ガリデブ」という名前が自慢だった米国人の大地主アレグザンダー・ハミルトン・ガリデブ(Alexander Hamilton Garrideb)が、自分の全財産を「ガリデブ」という姓を持つ成人男性の三人に遺すと明記した遺言書を残したらしい。ジョン・ガリデブは。同姓の二人を米国中で探し回ったが、残念ながら、一人も見つからなかった。そこで、彼はロンドンへやって来て、幸いにして、リトルライダーストリート156番地(156 Little Ryder Street)に住むネイサン・ガリデブ(Nathan Garrideb)を見つけ出したのであった。本来であれば、ネイサン・ガリデブがホームズの元を相談に訪れる予定であったが、彼からその話を聞いたジョン・ガリデブが探偵の関与を良しとせず、彼の代わりにホームズのところに来た次第であった。


ジョン・ガリデブが帰った後、このうまい話を怪しんだホームズは、ネイサン・ガリデブに連絡をとり、彼が住むエッジウェアロード(Edgware Road)に近いリトルライダーストリート156番地を、ジョン・ワトスンと一緒に訪問する。そこへジョン・ガリデブが興奮の体で飛び込んで来た。バーミンガム(Birmingham)で農業機械の製作をしているハワード・ガリデブ(Howard Garrideb)、つまり、三人目のガリデブ氏を見つけたと言うのだ。ジョン・ガリデブは、(1)自分は米国人なので、ハワード・ガリデブには身元がはっきりした英国人が話をした方が良いこと、また、(2)明日、自分には別の予定が入っていることを理由に、ネイサン・ガリデブに対して、自分の代わりにバーミンガムへ出かけてほしいと依頼する。ジョン・ガリデブの話を聞いたホームズもネイサン・ガリデブに、バーミンガムのハワード・ガリデブに会いに行くよう、進めるのであった。

ザ・カット通りからウォータールーロード(北側)を望む

翌朝、スコットランドヤードのレストレイド警部(Inspector Lestrade)のところへ出かけたホームズは、昼食の頃に帰って来ると、ワトスンに「ジョン・ガリデブの正体は殺し屋エヴァンズ(Killer Evans)ー本名:ジェイムズ・ウィンター(James Winter) 別名:モアクロフト(Morecroft)ーだと判明した。」と告げる。

画面左右に延びるのが、ウォータールーロード
(ザ・カット通りとの交差点)

ホームズはポケットから封筒を取り出した。「奴(殺し屋エヴァンズ)の調査ファイルから抜き書きしてきたんだ。年齢は46歳。シカゴ生まれ。米国内で三人の男を撃ったことが判っている。政治的圧力が働いて、服役を免れている。1895年、ロンドンに姿を見せる。同年1月、トランプによる諍いが原因で、ウォータールーロードにあるタイトクラブで男を撃った。男は死亡したが、口論は殺された男の方から仕掛けたことが判明。死んだ男はロジャー・プレスコットという名前で、シカゴでは贋金造りで有名であることが判った。殺し屋エヴァンズは、1901年に釈放された。それ以降、彼は警察の監視下に置かれているが、判っている限りでは、真っ当な生活を送っているようだ。非常に危険な男だ。いつも武器を携帯していて、いつでも撃ち放つ気でいる。ワトスン、僕達の鳥はそんな奴なんだ。ー君も分かる通り、危険な鳥なのさ。」

ザ・カット通りから見たウォータールーロード(南側)

Holmes drew an envelope from his pocket. 'I scribed down a few points from his dossier. Aged forty-six. Native of Chicago. Known to have shot three men in the states. Escaped from penitentiary through political influence. Came to London in 1895. Shot a man over cards in a night club in the Waterloo Road in January 1895. Man died, but he was shown to have been the aggressor in the row. Dead man was identified as Roger Prescott, famous as forger and coiner in Chicago. Killer Evans released in 1901. Has been under police supervision since, but so far as known has led an honest life. Very dangerous man, usually carries arms and is prepared to use them. That is our bird, Watson - a sporting bird, as you must admit.'

ウォータールー駅の正面玄関

殺し屋エヴァンズが贋金造りのロジャー・プレスコットを射殺したナイトクラブがあるウォータールーロード(Waterloo Road)は、テムズ河(River Thames)の南岸にあり、ランベス地区(Lambeth)とサザーク地区(Southwark)に跨がっている。
ウォータールーロードの北側は、テムズ河を渡ってくるウォータールーブリッジ通り(Waterloo Bridge)が終わるウォータールー駅(Waterloo Stationー2014年10月19日付ブログを御参照)前の環状交差点であるテニソンウェイ(Tenison Way)から始まり、南側はセントジョージズサーカス(St. George's Circus)まで続いている。

大きな環状交差点内に建つロンドン・アイマックス映画館

ウォータールーロードが始まるテニソンウェイと呼ばれる大きな環状交差点内には、英国映画協会(British Film Institute : BFI)のロンドン・アイマックス映画館(London IMAX Cinema)がその巨大な姿を鎮座している。

「ジェイムズ・クラーク・マックスウェル・ビルディング」の別名を有する
キングスカレッジ・ロンドン

ウォータールー駅を右手に南下すると、ロンドン・アイマックス映画館の近く(左手)には、キングスカレッジ・ロンドン(King's College London)の校舎が建っていて、1860年から当大学の教授を務めたスコットランド出身の物理学者ジェイムズ・クラーク・マックスウェル(James Clerk Maxwell:1831年ー1879年)の名を冠して、ジェイムズ・クラーク・マックスウェル・ビルディング(James Clerk Maxwell Building)と呼ばれている。

キングスカレッジ・ロンドンの隣りに建つ
セントジョンズ・ウォータールー教会

その隣りには、セントジョンズ・ウォータールー教会(St. John's Waterloo Church)がある。この教会は、フランス皇帝ナポレオン1世との戦いの勝利を記念して、英国の建築家フランシス・オクタヴィウス・ベッドフォード(Francis Octavius Bedford:1784年ー1858年)が1823年から1824年にかけて建設したものである。

画面右手奥に建っているのが、
ユニオンジャッククラブが入っているビル

もう少し南下すると、左手のウォータールーロードとサンデルストリート(Sandell Street)が交差した南東の角には、ユニオンジャッククラブ(Union Jack Club)という軍関係のプライベートクラブが建っている。

米国人の俳優ケヴィン・スペイシーが芸術監督を務めているザ・オールド・ヴィック劇場

更に南下して、ザ・カット通り(The Cut)と交差した南東の角には、ザ・オールド・ヴィック劇場(The Old Vic Theatre)があり、地元では非常に有名な劇場である。米国人の俳優や女優が英国内劇場へ進出する流れがあり、現在、米国人の俳優ケヴィン・スペイシー(Kevin Spacey:1959年ー)が同劇場の芸術監督を務めている。

2016年1月31日日曜日

ロンドン ロイドスクエア(Lloyd Square)

ロイドスクエアの北側に建つ住宅

本作品は、アガサ・クリスティーの商業デビュー作であり、そして、エルキュール・ポワロシリーズの長編第1作目、かつ、ポワロの初登場作品に該る。

なお、本作品は、第一次世界大戦(1914年ー1918年)中の1916年に執筆され、米国の Jane Lane 社から、1920年(10月)に発表されている。英国本国の場合、Jane Lane 社の英国会社である The Bodley Head 社から、1921年(1月)に出版された。



第一次世界大戦(1914年ー1918年)中に負傷したアーサー・ヘイスティングス大尉(Captain Arthur Hastings - 30歳)は、英国に帰還する。旧友であるジョン・キャヴェンディッシュ(John Cavendish - 45歳)の招きで、エセックス州(Essex)にあるスタイルズ荘(Styles Court)を訪れたヘイスティングス大尉であったが、到着早々、事件に巻き込まれるのであった。


アムウェルストリートからロイドスクエアを望む―
アムウェルストリートとロイドスクエアを結ぶ画面縦の通りが
ロイドベイカーストリート(Lloyd Baker Street)

ジョン・キャヴェンディッシュの義母で、スタイルズ荘の持ち主である老婦人エミリー・イングルソープ(Emily Inglethrop - 70歳を超えている)は、20歳も年下のアルフレッド・イングルソープ(Alfred Inglethrop)と再婚して、屋敷で暮らしていた。屋敷内には、他には、


(1)ジョン・キャヴェンディッシュ → エミリーの義理の息子(兄)

(2)メアリー・キャヴェンディッシュ(Mary Cavendish)→ ジョン・キャヴェンディッシュの妻

(3)ローレンス・キャヴェンディッシュ(Lawrence Cavendish - 40歳)→ エミリー・イングルソープの義理の息子(弟)

(4)シンシア・マードック(Cynthia Murdoch)→ エミリー・イングルソープの友人の孤児で、現在は、彼女の養子

(5)エヴリン・ハワード(Evelyn Howard - 40歳位)→ エミリー・イングルソープの話相手(住み込みの婦人)


が住んでいた。


ロイドベイカーストリーム経由、
アムウェルストリートからロイドスクエアへ入って来たところ

7月18日(水)の朝、エミリー・イングルソープがストリキニーネで毒殺されているのが発見された。


エミリー・イングルソープの前夫の遺言書によると、スタイルズ荘については、エミリー・イングルソープの死後、ジョン・キャヴェンディッシュが相続することになっていた。

一方、エミリー・イングルソープが保有する現金資産に関しては、彼女が毎年更新する遺言書の内容に従って分配されることになっており、彼女が作成した最新の遺言書によると、現在の夫であるアルフレッド・イングルソープが相続する内容だった。

前日の7月17日(火)、エミリー・イングルソープが、夫のアルフレッド・イングルソープか、義理の息子のジョン・キャヴェンディッシュとの間で、言い争いをしていたようだった。その後、彼女は遺言書を書き替えたが、その新しい遺言書は、どこにも見当らなかった。


エミリー・イングルソープの死により、最も大きな利益を得ることになる夫のアルフレッド・イングルソープが、まず容疑者として疑われる。

ただ、彼女が毒殺された日の夜、彼はスタイルズ荘を不在にしていたが、何故か、居所を明らかにしようとしない上に、村の薬局において、ストリキニーネを購入したしたのは、自分ではないと強く否定する。

エミリー・イングルソープの話相手であるエヴリン・ハワードは、アルフレッド・イングルソープの従妹であるにもかかわらず、以前から彼のことを憎んでいるようで、エミリー・イングルソープを毒殺した人物は、彼で間違いないと言う主張を崩さなかった。


スタイルズ荘の近くのスタイルズセントメアリー村(Styles St. Mary)にベルギーから戦火を避けて亡命していた旧友ポワロと再会したヘイスティングス大尉は、ポワロに対して、この難事件の捜査を依頼する。


スコットランドヤードのジェイムズ・ジャップ警部(Inspector James Japp)が、エミリー・イングルソープの毒殺犯人として、アルフレッド・イングルソープを逮捕しようとするが、ポワロは、ストリキニーネ購入時における薬局の記録上の署名が彼の筆跡ではないことを証明して、アルフレッド・イングルソープの逮捕を思いとどまらせた。


そのため、スコットランドヤードのジェイムズ・ジャップ警部が、アルフレッド・イングルソープの次に疑ったのは、エミリー・イングルソープの死により利益を得る上に、事件当夜のアリバイがないジョン・キャヴェンディッシュであった。

ストリキニーネ購入時における薬局の記録上の署名が彼の筆跡に酷似していること、また、アルフレッド・イングルソープとよく似た付け髭と鼻眼鏡が発見されたことが決め手となり、ジョン・キャヴェンディッシュは逮捕されてしまう。


果たして、スコットランドヤードのジェイムズ・ジャップ警部による捜査通り、ジョン・キャヴェンディッシュが、義理の母であるエミリー・イングルソープを、ストリキニーネで毒殺したのであろうか?

ポワロの灰色の脳細胞は、どのような結論を導き出すのか?


ロイドスクエア中央にある庭園(その1

ロイドスクエア中央にある庭園(その2

英国のTV会社ITV1で放映されたポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」の「スタイルズ荘の怪事件」(1990年)の回では、物語の最後、ロンドンにあるジョン・キャヴェンディッシュの家を辞去した後、ポワロとヘイスティングスが連れ立って歩いている場面があるが、このシーンはロイドスクエア(Lloyd Square)で撮影された。

ロイドスクエアの西側に建つ住宅

ロイドスクエアは、前回(2016年1月24日付ブログを御参照)紹介したミデルトンスクエア(Myddelton Square)と同様に、ロンドン・イズリントン区(London Borough of Islington)のフィンスベリー地区(Finsbury)内にあり、セントパンクラス駅(St. Pancras Station)/キングスクロス駅(King's Cross Station)からリヴァプールストリート駅(Liverpool Street Station)へ向かうペントンヴィルロード(Pentonville Road)の中間辺りに位置している。ペントンヴィルロードからそれて、アムウェルストリート(Amwell Street)を少し南下した西側にロイドスクエアはある。なお、ミデルトンスクエアは、アムウェルストリートを挟んで、ロイドスクエアの反対側にある。最寄駅は、ノーザンライン(Northern Line)が通る地下鉄エンジェル駅(Angel Tube Station)。

ロイドスクエアの南側に建つ住宅

南北に延びるアムウェルストリート沿いには、パブ、カフェ、花屋、雑貨屋や不動産エージェント等が建ち並び、ハイストリートのようになっているが、ロイドスクエアの場合、ミデルトンスクエアと同じように、中央にある小振りの庭園を囲むように、四方が住宅街になっていて、外観が統一された建物が並んでいる。日中でも人通りはあまりない閑静な場所である。ポワロシリーズの「スタイルズ荘の怪事件」の時代設定である第一次世界大戦時(1914年ー1918年)と比べても、通りに駐車してある車を除けば、大きくは変わっていないのではないかと思われる。

2016年1月30日土曜日

ロンドン エッジウェアロード(Edgware Road)

エッジウェアロードが始まるマーブルアーチの角に建つビル―
地上階には映画館オデオン(Odeon)やカフェ等が入居しているが、
現在、再開発の対象となっている

サー・アーサー・コナン・ドイル作「三人のガリデブ(The Three Garridebs)」では、ロンドンに長期滞在している米国人の法廷弁護士ジョン・ガリデブ(John Garrideb)が、ベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日  / 6月29日付ブログで紹介済)のシャーロック・ホームズの元を訪れる。彼によると、「ガリデブ」という名前が自慢だった米国人の大地主アレグザンダー・ハミルトン・ガリデブ(Alexander Hamilton Garrideb)が、自分の全財産を「ガリデブ」という姓を持つ成人男性の三人に遺すと明記した遺言書を残したらしい。ジョン・ガリデブは。同姓の二人を米国中で探し回ったが、残念ながら、一人も見つからなかった。そこで、彼はロンドンへやって来て、幸いにして、リトルライダーストリート156番地(156 Little Ryder Street → 2015年5月2日付ブログを御参照)に住むネイサン・ガリデブ(Nathan Garrideb)を見つけ出したのであった。本来であれば、ネイサン・ガリデブがホームズの元を相談に訪れる予定であったが、彼からその話を聞いたジョン・ガリデブが探偵の関与を良しとせず、彼の代わりにホームズのところに来た次第であった。


ジョン・ガリデブが帰った後、このうまい話を怪しんだホームズは、ネイサン・ガリデブに連絡をとり、彼が住むエッジウェアロード(Edgware Road)に近いリトルライダーストリート156番地を、ジョン・ワトスンと一緒に訪問する。そこへジョン・ガリデブが興奮の体で飛び込んで来た。バーミンガム(Birmingham)で農業機械の製作をしているハワード・ガリデブ(Howard Garrideb)、つまり、三人目のガリデブ氏を見つけたと言うのだ。ジョン・ガリデブは、(1)自分は米国人なので、ハワード・ガリデブには身元がはっきりした英国人が話をした方が良いこと、また、(2)明日、自分には別の予定が入っていることを理由に、ネイサン・ガリデブに対して、自分の代わりにバーミンガムへ出かけてほしいと依頼する。ジョン・ガリデブの話を聞いたホームズもネイサン・ガリデブに、バーミンガムのハワード・ガリデブに会いに行くよう、進めるのであった。
ジョン・ガリデブが再度帰った後、ホームズは、小博物館とも言えるネイサン・ガリデブのコレクションの話を再開する。

ネイサン・ガリデブが住む
「リトルライダーストリート156番地」(架空の住所)の候補地である
コノートプレイス(Connaught Place)

「ガリデブさん、あなたのコレクションを見せていただけますか?」と、彼(ホームズ)は言った。
「職業柄、あらゆる種類の雑学が役に立ちますし、あなたのこの部屋は、正にその宝庫と言えます。」
私達の依頼人(ネイサン・ガリデブ)の顔が喜びに輝き、大きな眼鏡の奥で目がきらめいた。
「お噂では、あなたが大変聡明な方だと、いつも聞いております。」と、彼は言った。「もしお時間があれば、今から私のコレクションを御案内しますよ。」
「残念ながら、今日は時間が空いていないのです。しかし、これらの標本はきちんとラベル付けして分類されていますので、あなたに個別に御説明いただく必要はあまりないようです。もし明日時間ができて、ここに寄ることができれば、あなたのコレクションをゆっくり見せていただいても宜しいでしょうか?」
「全く問題ありません。大歓迎です。もちろん、この部屋には鍵がかかっていますが、サンダース夫人が午後4時まで地下に居ますので、彼女の鍵で開けて入れてくれますよ。」
「明日の午後、時間が空くかもしれません。もしあなたからサンダース夫人に一言声をかけておいてただければ、大変助かります。ところで、この家の管理事務所はどちらですか?」
ホームズの唐突な質問に、私達の依頼人は驚いた。
「エッジウェアロードにあるハロウェイ&スティールです。でも、どうしてですか?」
「建物に関して、私はちょっとした考古学者でして。」と、ホームズは笑いながら言った。「この家がクイーンアン王朝様式とジョージ王朝様式のどちらかと思いましてね。」
「間違いなく、ジョージ王朝様式です。」
「そうですか。もう少し前かと思ったのですが...でも、簡単に確かめられますね。ガリデブさん、それではおいとまします。バーミンガム行きがうまくいくことを祈っていますよ。」

マーブルアーチから北上するエッジウェアロードを望む

'I wish I could look over your collection, Mr Garrideb,' said he. 'In my profession all sorts of odd knowledge comes useful, and this room of yours is a storehouse of it.'
Our client shone with pleasure and his eyes gleamed from behind his big glasses.
'I had always heard, sir, that you were a very intelligent man,' said he. 'I could take you round now, if you have the time.'
'Unfortunately, I have not. But these specimens are so well labelled and classified that they hardly need your personal explanation. If I should be able to look in tomorrow, I presume that there would be no objection to my glancing over them?'
'None at all. You are most welcome. The place will, of course, be shut up, but Mrs Sanders is in the basement up to four o'clock and would let you in with her key.'
'Well, I happen to be clear tomorrow afternoon. If you would say a word to Mrs Sanders it would be quite in order. By the way, who is your house-agent?'
Our client was amazed at the sudden question.
'Holloway and Steele, in the Edgware Road, But why?'
'I am a bit of an archaeologist myself when it comes to houses,' said Holmes, laughing. 'I was wondering if this was Queen Anne or Georgian.'
'Georgian, beyond doubt.'
'Really. I should have thought a little earlier. However, it is easily ascertained. Well, goodbye, Mr Garrideb, and may you have every success in your Birmingham journey.'

最近再開発されたオフィスビル―
地上階には、各種店舗が入居している

マリルボーン・フライオーバー手前に建つホテル
「Hilton London Metropole」

エッジウェアロードは、ロンドン中心部のシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)内にある通りで、ハイドパーク(Hyde Park)の北東の角にあるマーブルアーチ(Marble Arch)から北西へ延びている。この通りは、地下鉄ベイカーストリート駅(Baker Street Tube Station)の前を通って西へ向かうマリルボーンロード(Marylebone Road)の高架(通称:「マリルボーン・フライオーバー(Marylebone flyover)」)下をくぐって、最終的には、ロンドン・バーネット区(London Borough of Barnet)内にあるエッジウェア地区(Edgware)へと至る。ただし、この通りがエッジウェアロードと呼ばれるのは、メイダヴェール地区(Maida Vale)までで、隣り合うセントジョンズウッド地区(St. John's Wood)からメイダヴェール地区へ向かって下りてくるセントジョンズウッドロード(St. John's Wood Road)と交差したところからは、メイダーヴェール通り(Maida Vale)、そして、キルバーン地区(Kilburn)に入ると、キルバーンハイロード(Kilburn High Road)と名前を変える。

中東系の薬局が地上階で営業しているビル

エッジウェアロードの起源は、ローマ時代まで遡り、当時はワトリングストリート(Watling Street)と呼ばれていた。前述の通り、エッジウェア地区までほぼ真っ直ぐに延びる通りであることから、エッジウェアロードと呼ばれるようになったものと思われる。
19世紀後半に入ると、アラブ系の移民がエッジウェアロード一帯に多数流入するようになり、1950年代にはエジプト系の移民も増え、1970年代には移民の居住地域が拡大していく。エッジウェアロード一帯は「リトルカイロ(Little Cairo)」や「リトルベイルート(Little Beirut)」という通称で呼ばれている。
現在も、エッジウェアロード沿いには、中東系のカフェ、レストランや薬局等が軒を並べているが、最近はビルの再開発が行われ、オフィスが上階に入居し、地上階には英国のチェーン店舗等が入っているので、中東色は若干弱まっている。ただ、マリルボーン・フライオーバーを通り過ぎたエッジウェアロードの北側部分の両側は、いまだに中東色が非常に強い。

サークルライン/ディストリクトライン/ハマースミス&シティーラインが
停車する地下鉄エッジウェアロード駅

地下鉄エッジウェアロード駅前に設置されている
ブロンズ像「窓拭き」(The Window Cleaner)

エッジウェアロード近辺には、地下鉄エッジウェアロード駅(Edgware Road Tube Station)が2つあい、マリルボーン・フライオーバーの南側にある駅には、サークルライン(Circle Line)、ディストリクトライン(District Line)とハマースミス&シティーライン(Hammersmith & City Line)の3線が停車し、マリルボーン・フライオーバーの北側にある駅には、ベイカールーライン(Bakerloo Line)のみが停車する。ただし、これらの両駅は地下通路等でつながっていないため、乗り換えの際には、一旦駅外へ出て、徒歩で移動する必要がある。あるいは、地下鉄パディントン駅(Paddington Tube Station)であれば、サークルライン / ディストリクトラインとベイカールーラインの乗り換えは可能である。