ウォータールーロードとサンデルストリートが 交差する角に建つホテル/パブ |
サー・アーサー・コナン・ドイル作「三人のガリデブ(The Three Garridebs)」では、ロンドンに長期滞在している米国人の法廷弁護士ジョン・ガリデブ(John Garrideb)が、ベーカーストリート221Bのシャーロック・ホームズの元を訪れる。彼によると、「ガリデブ」という名前が自慢だった米国人の大地主アレグザンダー・ハミルトン・ガリデブ(Alexander Hamilton Garrideb)が、自分の全財産を「ガリデブ」という姓を持つ成人男性の三人に遺すと明記した遺言書を残したらしい。ジョン・ガリデブは。同姓の二人を米国中で探し回ったが、残念ながら、一人も見つからなかった。そこで、彼はロンドンへやって来て、幸いにして、リトルライダーストリート156番地(156 Little Ryder Street)に住むネイサン・ガリデブ(Nathan Garrideb)を見つけ出したのであった。本来であれば、ネイサン・ガリデブがホームズの元を相談に訪れる予定であったが、彼からその話を聞いたジョン・ガリデブが探偵の関与を良しとせず、彼の代わりにホームズのところに来た次第であった。
ジョン・ガリデブが帰った後、このうまい話を怪しんだホームズは、ネイサン・ガリデブに連絡をとり、彼が住むエッジウェアロード(Edgware Road)に近いリトルライダーストリート156番地を、ジョン・ワトスンと一緒に訪問する。そこへジョン・ガリデブが興奮の体で飛び込んで来た。バーミンガム(Birmingham)で農業機械の製作をしているハワード・ガリデブ(Howard Garrideb)、つまり、三人目のガリデブ氏を見つけたと言うのだ。ジョン・ガリデブは、(1)自分は米国人なので、ハワード・ガリデブには身元がはっきりした英国人が話をした方が良いこと、また、(2)明日、自分には別の予定が入っていることを理由に、ネイサン・ガリデブに対して、自分の代わりにバーミンガムへ出かけてほしいと依頼する。ジョン・ガリデブの話を聞いたホームズもネイサン・ガリデブに、バーミンガムのハワード・ガリデブに会いに行くよう、進めるのであった。
ザ・カット通りからウォータールーロード(北側)を望む |
翌朝、スコットランドヤードのレストレード警部(Inspector Lestrade)のところへ出かけたホームズは、昼食の頃に帰って来ると、ワトスンに「ジョン・ガリデブの正体は殺し屋エヴァンズ(Killer Evans)ー本名:ジェイムズ・ウィンター(James Winter) 別名:モアクロフト(Morecroft)ーだと判明した。」と告げる。
画面左右に延びるのが、ウォータールーロード (ザ・カット通りとの交差点) |
ホームズはポケットから封筒を取り出した。「奴(殺し屋エヴァンズ)の調査ファイルから抜き書きしてきたんだ。年齢は46歳。シカゴ生まれ。米国内で三人の男を撃ったことが判っている。政治的圧力が働いて、服役を免れている。1895年、ロンドンに姿を見せる。同年1月、トランプによる諍いが原因で、ウォータールーロードにあるタイトクラブで男を撃った。男は死亡したが、口論は殺された男の方から仕掛けたことが判明。死んだ男はロジャー・プレスコットという名前で、シカゴでは贋金造りで有名であることが判った。殺し屋エヴァンズは、1901年に釈放された。それ以降、彼は警察の監視下に置かれているが、判っている限りでは、真っ当な生活を送っているようだ。非常に危険な男だ。いつも武器を携帯していて、いつでも撃ち放つ気でいる。ワトスン、僕達の鳥はそんな奴なんだ。ー君も分かる通り、危険な鳥なのさ。」
ザ・カット通りから見たウォータールーロード(南側) |
Holmes drew an envelope from his pocket. 'I scribed down a few points from his dossier. Aged forty-six. Native of Chicago. Known to have shot three men in the states. Escaped from penitentiary through political influence. Came to London in 1895. Shot a man over cards in a night club in the Waterloo Road in January 1895. Man died, but he was shown to have been the aggressor in the row. Dead man was identified as Roger Prescott, famous as forger and coiner in Chicago. Killer Evans released in 1901. Has been under police supervision since, but so far as known has led an honest life. Very dangerous man, usually carries arms and is prepared to use them. That is our bird, Watson - a sporting bird, as you must admit.'
ウォータールー駅の正面玄関 |
殺し屋エヴァンズが贋金造りのロジャー・プレスコットを射殺したナイトクラブがあるウォータールーロード(Waterloo Road)は、テムズ河(River Thames)の南岸にあり、ランベス地区(Lambeth)とサザーク地区(Southwark)に跨がっている。
ウォータールーロードの北側は、テムズ河を渡ってくるウォータールーブリッジ通り(Waterloo Bridge)が終わるウォータールー駅(Waterloo Stationー2014年10月19日付ブログを御参照)前のラウンドアバウトであるテニソンウェイ(Tenison Way)から始まり、南側はセントジョージズサーカス(St. George's Circus)まで続いている。
大きなラウンドアバウト内に建つロンドン・アイマックス映画館 |
ウォータールーロードが始まるテニソンウェイと呼ばれる大きなラウンドアバウト内には、英国映画協会(British Film Institute : BFI)のロンドン・アイマックス映画館(London IMAX Cinema)がその巨大な姿を鎮座している。
「ジェイムズ・クラーク・マックスウェル・ビルディング」の別名を有する キングスカレッジ・ロンドン |
ウォータールー駅を右手に南下すると、ロンドン・アイマックス映画館の近く(左手)には、キングスカレッジ・ロンドン(King's College London)の校舎が建っていて、1860年から当大学の教授を務めたスコットランド出身の物理学者ジェイムズ・クラーク・マックスウェル(James Clerk Maxwell:1831年ー1879年)の名を冠して、ジェイムズ・クラーク・マックスウェル・ビルディング(James Clerk Maxwell Building)と呼ばれている。
キングスカレッジ・ロンドンの隣りに建つ セントジョンズ・ウォータールー教会 |
その隣りには、セントジョンズ・ウォータールー教会(St. John's Waterloo Church)がある。この教会は、フランス皇帝ナポレオン1世との戦いの勝利を記念して、英国の建築家フランシス・オクタヴィウス・ベッドフォード(Francis Octavius Bedford:1784年ー1858年)が1823年から1824年にかけて建設したものである。
画面右手奥に建っているのが、 ユニオンジャッククラブが入っているビル |
もう少し南下すると、左手のウォータールーロードとサンデルストリート(Sandell Street)が交差した南東の角には、ユニオンジャッククラブ(Union Jack Club)という軍関係のプライベートクラブが建っている。
米国人の俳優ケヴィン・スペイシーが芸術監督を務めているザ・オールド・ヴィック劇場 |
更に南下して、ザ・カット通り(The Cut)と交差した南東の角には、ザ・オールド・ヴィック劇場(The Old Vic Theatre)があり、地元では非常に有名な劇場である。米国人の俳優や女優が英国内劇場へ進出する流れがあり、現在、米国人の俳優ケヴィン・スペイシー(Kevin Spacey:1959年ー)が同劇場の芸術監督を務めている。
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