ロイヤルアルバートホール全景 |
サー・アーサー・コナン・ドイル作「隠居絵具屋(The Retired Colourman)」では、ジョサイア・アンバリー(Josiah Amberley)がベーカーストリート221Bのシャーロック・ホームズの元を相談に訪れる。
彼は画材製造業ブリックホール&アンバリー(Brickhall & Amberley)の経営者の一人であったが、1896年に61歳になった時に引退し、ルイシャム(Lewisham)に家を購入した。そして、翌年の1897年初め、自分より20歳も年下の女性と結婚して、落ち着いた生活を送るはずだった。ところが、近所に住む彼のチェス仲間である若い医師レイ・アーネスト(Dr Ray Ernest)が自分の妻と親密になり、先週、二人は自分の財産を持って逃げ出した、と言うのだ。ジョサイア・アンバリーは、「二人の行方を見つけ出してほしい。」と、ホームズのところへ依頼に来たのであった。
生憎と、別の事件に謀殺されていたホームズは、ジョン・ワトスンに自分の代わりに事件の調査をするよう、頼むのあった。ルイシャムに出向いて調査を始めたワトスンであったが、ジョサイア・アンバリーの家の荒れ果てた様子に驚く。一方で、ジョサイア・アンバリーは古い家の修繕を始めたようで、廊下のペンキ塗りをしていた。
それを聞いたホームズは「こんな時にペンキ塗りとは妙だ。」と感じたが、ワトスンは「辛い気持ちは何かをして晴らすしかない。」と言うジョサイア・アンバリーの言葉通りに信じるのであった。ワトスンの調査報告を聞き終わると、ホームズは次の様に話を始めた。
ケンジントンロードからアルバート公記念碑を望む |
「電話とスコットランドヤードの助けのおかげで、僕はベーカーストリートの部屋を離れないで、必要不可欠な情報を入手できるさ。実際、僕の情報はあの男(ジョサイア・アンバリー)の話を裏付けているんだ。彼は、地元では、刺々しく、無理難題を言うのに加えて、ケチで守銭奴だという評判だ。彼が自宅の金庫室に多額のお金を保管していたのは間違いない。そして、未婚の若いアーネスト医師がアンバリーとチェスをしていたことも事実だ。多分、アーネスト医師が彼の妻にちょっかいを出したことも事実だろう。これは裏のない明白な話のように思えるが、それでもだ、まだ全てがしっくりこないのさ!」
「どこが問題なんだ?」
「多分、僕の想像力の中では、まだ全てが明瞭じゃないのさ。ワトスン、まあ、今日はこの位にしておこう。これから音楽の横道へそれて、この退屈な日常世界から逃げ出そうじゃないか?今夜、カリーナがロイヤルアルバートホールで歌うんだ。着替えをして、食事をした後でも、楽しむ時間はまだ充分あるよ。」
ケンジントンロードから見たロイヤルアルバートホール |
'Thanks to the telephone and the help of the Yard, I can usually get my essentials without leaving this room. As a matter of fact, my information confirms the man's story. He has the local repute of being a miser as well as a harsh and exacting husband. That he had a large sum of money in that strong-room of his is certain. So also is it that young Dr Ernest, an unmarried man, played chess with Amberley, and probably played the fool with his wife. All this seems plain sailing, and one would think that there was no more to be said - and yet - and yet!'
'Where lies the difficulty?'
'In my imagination, perhaps. Well, leave it there, Watson. Let us escape from this weavy workaday world by the side door of music. Carina sings tonight at the Albert Hall, and we still have time to dress, dine and enjoy.'
ケンジントンガーデンズから見たロイヤルアルバートホール |
ロイヤルアルバートホール(Royal Albert Hall)は、ヴィクトリア女王(Queen Victoria:1819年ー1901年 在位期間:1837年ー1901年)の夫君であるアルバート公(Albert, Prince Consort:1819年ー1861年)に捧げられた演劇場である。同演劇場は、ロンドン中心部のシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)内にあり、地下鉄ハイドパークコーナー駅(Hyde Park Corner Tube Station)から地下鉄ハイストリートケンジントン駅(High Street Kensington Tube Station)へ向かって西に延びるケンジントンロード(Kensington Road)を挟んで、ケンジントンガーデンズ(Kensington Gardens)の南側に建っている。
アルバート公記念碑に設置されているアルバート公像 |
1840年にヴィクトリア女王と結婚したアルバート公はドイツ出身だったため、今一つ英国民に受け入れられないでいた。1851年にロンドンのハイドパーク(Hyde Park)で開催された万国博覧会(Great Exhibitionsークリスタルパレス(水晶宮:Crystal Palace)も建設された)を指揮し、大成功に導いたことによって、アルバート公は遂に英国民に認められたが、1861年12月14日、腸チフスが原因で42歳の若さで死去してしまった。
アルバート公に捧げるため、ケンジントンガーデンズ内にアルバート公記念碑(Albert Memorial)を設置する計画が進んでいたが、それとは別に、その反対側の地に演劇場を建設する話が持ち上がった。万国博覧会で得た収益金を主に使用して、必要な土地が収用され、1867年4月、ヴィクトリア女王の承認の下、同年5月に建設工事が開始された。
地下鉄ハイドパークコーナー駅の地下道の壁に描かれている クリスタルパレス(水晶宮) |
設計者は王立兵団(Corps of the Royal Engineers)のフランシス・フォーク大尉(Captain Francis Fowke:1823年ー1865年 ヴィクトリア&アルバート博物館(Victoria and Albert Museum)やチズックハウス(Chiswick House)等の設計も担当)とヘンリー・ヤング・ダラコット・スコット少将(Major-General Henry Young Darracott Scott:1822年ー1883年)の二人で、建設自体はルーカスブラザーズ(Lucas Brothers)によって施工された。
ヴィクトリア女王出席の下、1871年3月29日に開場した。計画当初は、「Central Hall of Arts and Sciences」という名前であったが、アルバート公に因んで、「Royal Albert Hall of Arts and Sciences」と命名された。
ケンジントンガーデンズからロイヤルアルバートホールを望む |
以降、ロイヤルアルバートホールでは、多くの催し物(クラシックコンサート、ポップコンサート、バレエ公演、ボクシング、プロレスリングやテニス等)が開催されている。特に、1941年より毎年夏に開催される「BBCプロムナードコンサート(The Proms)」の会場として、非常に有名である。以前、日本の大相撲が英国公演を行った際、ロイヤルアルバートホールで開催されている。
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