2015年5月9日土曜日

ロンドン ロウワーバークストリート13番地(13 Lower Burke Street)


サー・アーサー・コナン・ドイル作「瀕死の探偵(The Dying Detective)」では、ベイカーストリート221B(221B Baker Street  → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済の家主であるハドスン夫人がジョン・ワトスンの家を訪ねて来て、「シャーロック・ホームズが病にかかり、危篤状態だ。」と知らせるところから話が始まる。ワトスンが結婚して、ベイカーストリート221B でのホームズとの共同生活を解消してから、既に2年が経過していた。
ハドスン夫人から話を聞いたワトスンは、直ぐにベイカーストリート221B へと出向く。部屋のベッドに横たわるホームズはすっかり痩せ衰えており、手は痙攣する上に熱もあるようだった。ワトスンがベッドに近寄って診察しようとすると、自分には近寄らないよう、ホームズに激しく制止される。ホームズによると、イーストエンドの中国人船乗りから恐ろしい伝染病(スマトラ島のクーリー病)を移されて、接触感染すると言うのだ。そこで、ワトスンが熱帯病に詳しい医師を連れて来ようとホームズに進言するも、ホームズは後で自分が指名する人物を呼んでくるように言い張って、首を縦に振らなかったのである。そして、夕方の6時になった頃だった。


これは狂乱と言っても差し支えなかった。ホームズは身震いして、また咳と嗚咽の中間のような音をたてた。
「ワトスン、そろそろガス灯に火をつけてくれ。しかし、一瞬と言えども、半分以上は明るくしないように非常に慎重にやるんだ。ワトスン、注意深くやるように頼む。有り難う、それで充分だ。いや、ブラインドを下ろす必要はないよ。次に申し訳ないが、このテーブルの上に僕の手が届くように手紙や書類を置いてほしい。有り難う。それから、暖炉の上のゴミも少しだ。ワトスン、素晴らしい。そこに砂糖つかみがある。それを使って、あの小さな象牙の箱を持ち上げ、書類の間に置いてくれ。それでいい。それでは、ロウワーバークストリート13番地のカルバートン・スミス氏のところへ行って、彼を連れて来てほしい。」
実を言うと、医者を連れて来ようという私の気持ちは少しばかり弱まっていたのである。と言うのも、哀れなホームズは明らかに精神錯乱状態にあり、彼を残していくのは危険に思えたからなのだ。しかしながら、医者に診察してもらうことをそれまで頑固に拒んでいたのと同じように、彼は今度は指名した人物に熱心に相談したがっていた。


This was raring insanity. He shuddered, and again made a sound between a cough and a sob.
'You will now light the gas, Watson, but you will be very careful that not for one instant shall it be more than half on. I implore you to be careful, Watson. Thank you, that is excellent. No, you need not draw the blind. Now you will have the kindness to place some letters and papers upon this table with my reach. Thank you. Now some of that litter from the mantelpiece. Excellent, Watson! There is a sugar-tongs there. Kindly raise that small ivory box with its assistance. Place it here among the papers. Good! You can now go and fetch Mr Culverton Smith, of 13 Lower Burke Street.'
To tell the truth, my desire to fetch a doctor had somewhat weakened, for poor Holmes was so obviously delirious that it seemed dangerous to leave him. However, he was as eager now to consult the person named as he had been obstinate in refusing.


ホームズの執拗な依頼に根負けして、ワトスンはロウワーバークストリート13番地へと向かった。

ロウワーバークストリートは、ノッティングヒルとケンジントンの間のはっきりしない境界域にある。素晴らしい家並みの一つだった。御者が馬車を停めた家には、旧式の鉄製手すり、重厚な折戸やピカピカ輝く真鍮細工に洒落た、そして、しかめつらしい仕来りの雰囲気が漂っていた。全ては、ピンク色がかった電気の光を背にして、戸口に現れたまじめくさった執事と合致した。


Lower Burke Street proved to be a line of fine lying in the vague borderland between Notting Hill and Kensington. The particular one at which my cabman pulled up had an air of smug and demure respectability in its old-fashioned iron railings, its massive folding-door, and its shin ing brasswork. All was keeping with a solemn butler who appeared framed in the pink radiance of a tinted electrical light behind him.


コナン・ドイルによると、ロウワーバークストリート(Lower Burke Street)は、ノッティングヒルとケンジントンの間にあるようである。そうなると、ケンジントン地区(Kensington)内で、北側は地下鉄ノッティングヒルゲート駅(Notting Hill Gate Tube Station)/その前を通るノッティングヒルゲート通り(Notting Hill Gate)、東側はケンジントンガーデンズ(Kensington Gardens)、南側は地下鉄ハイストリートケンジントン駅(High Street Kensington Tube Station)/その前を通るケンジントンハイストリート(Kensington High Street)、そして、西側はホーランドパーク(Holland Park)に囲まれた一帯ということになるものの、残念ながら、現在の住所表記上、この一帯内にロウワーバークストリートは存在しておらず、ロウワーバークストリート13番地は架空の住所だったことになる。
よって、添付している写真は、この一帯で撮影したもののうち、コナン・ドイルの原作の雰囲気に近いのを選んでいる。

2015年5月3日日曜日

ロンドン マロードストリート13番地(13 Mallord Street)

画面右端の家が、A.A.ミルンが住んでいたマロードストリート13番地

「赤い館の秘密(The Red House Mystery)」では、英国のカントリーサイドにある「赤い館(The Red House)」と呼ばれる屋敷にて事件が発生する。
その「赤い館」には、主人のマーク・アブレット(Mark Ablett)やいとこのマシュー・ケイリー(Matthew Cayley)が住み、その日、屋敷内でハウスパーティーを催していた。その最中、マークの兄で、アブレット家の厄介者であるロバート・アブレット(Robert Ablett)が15年振りにオーストラリアから英国に戻り、マークを訪ねて来る。噂通り、ロバートは非常に粗暴なふるまいを見せる。
同じ頃、アントニー・ギリンガム(Antony Gillingham)が、彼の友人で、「赤い館」に宿泊しているビル・ベヴァリー(Bill Beveley)に会いにやって来る。屋敷内に入ったギリンガムは、事務室のドアを叩くケイリーに遭遇する。ケイリーは「伯父のロバートとマークの2人が事務室内に居るが、中から銃声のような音が聞こえた。」と話す。そこで、ギリンガムはケイリーと一緒に屋敷の外側に回り、窓から事務室を覗き込む。事務室内で人が倒れているのを発見した2人は窓から事務室内に入り込むと、ケイリーは「倒れている人はロバートで、既に死亡している。」とギリンガムに告げる。ただし、ロバートと一緒に事務所内に居たマークの姿がどこにもなかった。それでは、マークがロバートを殺害したのか?そして、マークは一体どこに姿を消したのか?
その後、警察が到着するが、事件の内容に違和感を覚えたギリンガムは、友人のべヴァリーにワトスン役を頼み、素人探偵として独自に事件の調査を進めていくのであった。果たして、事件の真相は如何に?


「赤い館の秘密」(1921年に発表+1922年に単行本化)を執筆したアラン・アレクサンダー・ミルン(Alan Alexander Milne:1882年ー1956年)は、ロンドンのキルバーン(Kilburn)生まれのスコットランド人で、児童文学作家、劇作家、そして、詩人として有名である。

マロードストリート13番地はセミデタッチ形式の家で、
通り沿いに同じような家が建ち並んでいる

彼の代表作は、以下の「クマのプーさん」シリーズで、これらは、彼の一人息子であるクリストファー・ロビン・ミルン(Christopher Robin Milne:1920年ー1996年)のために書かれたものである。

(1)「クマのプーさん(Winnie-the-Pooh)」(1926年)
(2)「プー横丁の家(The House at Pooh Corner)」(1928年)
(3)詩集「クリストファー・ロビンのうた(When We Were Very Young)」(1924年)
(4)詩集「クマのプーさんとぼく(Now We Are Six)」(1927年)

なお、上記のシリーズ作品には、挿絵画家のアーネスト・ハワード・シェパード(Ernest Howard Shepard:1879年ー1976年)がイラストを添えており、これらのイラストを含め、今日でも世界中で愛されている。
「赤い館の秘密」は、A.A.ミルンが執筆した唯一の推理長編であるが、当時としては衝撃的であったトリックから、古典的な名作の一つとして数えられている。

近くにあるロイヤルブロンプトン病院(Royal Brompton Hospital)に
面するブリテンストリート(Britten Street)沿いで花を咲かせる樹々

A.A.ミルンは、若かりし頃、アマチュアのクリケットチームでプレイしており、スコットランド人つながりで、同じチームには、シャーロック・ホームズシリーズの作者であるサー・アーサー・コナン・ドイルとピーターパン(Peter Pan)の生みの親で、児童文学作家で劇作家のサー・ジェイムズ・マシュー・バリー(Sir James Matthew Barrie:1860年ー1937年)も在籍していた。

A.A.ミルンがここに住んでいたことを示すブループラーク

A.A.ミルンがロンドンで住んでいた家がチェルシー地区(Chelsea)内にある。サークルライン(Circle Line)とディストリクトライン(District Line)が通る地下鉄スローンスクエア駅(Sloane Square Tube Station)からチェルシー地区へ向かって南西に延びるキングスロード(King's Road)の中間辺りを北側に入ったマロードストリート13番地(13 Mallord Street)がそれである。焦茶色をしたレンガ造りで、セミデタッチ形式の家がマロードストリート沿いに建ち並んでいるが、その一つにA.A.ミルンは住んでおり、それを示すイングリッシュヘリテージ(English Heritage)管理のブループラークが家の外壁に掛けられている。

キングスロード沿いにあるブランドショップの建物

近くにあるシドニーストリート(Sydney Street)沿いに建つ
セントルークス教会(St.  Luke's Church)と
セントルークスガーデンズ(St. Luke's Gardens)

マロードストリートが西側で突き当たるザ・ヴェール通り(The Vale)

キングスロード沿いには、地下鉄スローンスクエア駅の辺りからデパート、ブランドショップやレストラン等の各種店舗が軒を連ねており、特に週末は買い物客や観光客等で非常に賑わって、やや騒々しい位である。ただ、キングスロードからそれて一本内側に入ると、そこは非常に閑静な高級住宅街で、キングスロードに並行しているマロードストリート沿いもその一つである。日中でも通りを歩いている人をほとんど見かけない。マロードストリートの両側には、付近の住民が駐めている車で一杯で、車が行き交うには非常に難儀する位の狭さになっている。

ザ・ヴェール通り側から見たマロードストリート―
通りの両側に付近の住民の車が駐められており、
奥に行く程、車が行き交うのは非常に難しい

2015年5月2日土曜日

ロンドン リトルライダーストリート156番地(156 Little Ryder Street)

リトルライダーストリートの候補地のコノートプレイス

サー・アーサー・コナン・ドイル作「三人のガリデブ(The Three Garridebs)」は、1902年6月の終わり頃のある朝、ベイカーストリート221B(221B Baker Street(221B Baker Street  → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)で始まる。ここ数日間ベッドで過ごしていたシャーロック・ホームズであったが、この日の朝は起き上がって、ジョン・ワトスンに奇妙な話を始めたのであった。


「ワトスン、ちょっとした儲け話があるんだ。」と、ホームズは言った。「ガリデブという名前を聞いたことはあるかい?」
聞いたことはないと、私は答えた。
「もしガリデブという男を見つけることができれば、一儲けできるのさ。」
「何故だい?」
「ああ、それは長い話になる。ー少しばかり風変わりな話でもあるんだ。僕達がこれまで人間の複雑さを探究してきた中でも、これ程奇妙なものに出会ったことがあるとは思えない。その人物は間もなくここに相談にやって来るんだ。だから、彼がここに来るまで、この件についてはお預けとしよう。彼を待つ間、ガリデブの名前を探そうじゃないか。」
私の側のテーブルの上に電話帳があったので、私はそれ程期待もしないで、ページをめくった。しかし、驚いたことに、この奇妙な名前が該当ページに載っていたのだ。私は勝ち誇った声をあげた。「ホームズ、あったぞ!ここにあったぞ!」
ホームズは私の手から電話帳を取り上げた。
「『ガリデブ、N』」と、彼は電話帳の記載を読み上げた。「『西区リトルライダーストリート156番地』か。ワトスン、君をがっかりさせて申し訳ないが、それは、これから相談にやって来る彼自身だ。彼の手紙にこの住所が書かれている。僕達は彼とは別のガリデブを探さねばならない。」

エッジウェアロード側から見たコノートプレイス

'There is a chance for you to make some money, friend Watson,' said he. 'Have you ever heard the name of Garrideb?'
I admitted that I had not.
'Well, if you can lay your hands upon a Garrideb., there's money in it.'
'Why?'
'Ah, that's a long story - rather a whimsical one, too. I don't think in all our explanations of human complexities we have over come upon anything more singular. The fellow will be here presently for cross-examination, so I won't open the matter up till he comes. But meanwhile, that's the name we want.'
'The telephone directory lay on the table beside me, and I turned over the pages in a rather hopeless quest. But to my amazement there was this strange name in its due place. I gave a cry if triumph. 'Here you are, Holmes! Here it is!'
Holmes took the book from my hand.
' "Garrideb, N" ' he said, ' "156 Little Ryder Street, W" Sorry to disappoint you my dear Watson, but this is the man himself. That is the address upon his letter. We want another to match him.'

エッジウェアロード近くにあるオフィスビルの外壁―
通り名が外壁に刻まれている

その日は素晴らしい春の夕暮れだった。エッジウェアロードの脇道の一つで、かつてタイバーン絞首刑台があった不吉な場所から目と鼻の先にあるリトルライダーストリートでさえ、傾いた太陽からの斜めの日差しを受けて、金色に輝き、素敵な場所に見えた。私達が向かうべき家は、大きくて、古風なジョージ王朝初期様式の建物で、1階の奥行きがある2つの張り出し窓を除くと、のっぺりとしたレンガ造りの外観だった。私達の依頼人が住んでいるのは1階で、低い窓は彼が日中居間として使用している大きな部屋の正面の窓に該ることが判った。私達が建物の前を通り過ぎる際、ホームズはこの風変わりな名前が書かれている小さな真鍮の表札を指差した。

エッジウェアロードからハイドパーク方面を望む―
画面上の浮き島の辺りに、タイバーン絞首刑台があった

It was twilight of a lovely spring evening, and even Little Ryder Street, one of the smaller offshoots from the Edgware Road, within a stone-cast of old Tyburn Tree of evil memory, looked golden and wonderful in the slanting rays of the setting sun. The particular house to which we were directed was a large, old-fashioned, Early Georgian edifice with a flat brick face broken only by two deep bay windows on the ground floor. It was on the ground floor that our client lived, and, indeed, the low windows proved to be the front of the huge room in which he spent his waking hours. Holmes pointed as we passed to the small brass plate which bore the curious name.

タイバーン絞首刑台がここにあったことを示す標識

ネイサン・ガリデブ氏(Mr Nathan Garrideb)が住んでいたリトルライダーストリート156番地は、架空の住所である。
リトルライダーストリート156番地が実際にどこに該るのかを推理するベースとなるのが、タイバーン絞首刑台(Tyburn Tree)で、ハイドパーク(Hyde Park)の北東の角にあった。より具体的に言うと、ハイドパークの北東の角にある周回道路の北側マーブルアーチ(Marble Arch)の中間辺りから北西方向へエッジウェアロード(Edgware Road)が延びているが、このエッジウェアロードが始まるところに、タイバーン絞首刑台が設置されていた。タイバーンの名は、ロンドン北部のプリムローズヒル(Primrose Hill)を源とするタイバーン川(River Tyburn)に由来している。
タイバーン絞首刑台は、その脚部が三角形を成していたため、「三本足の悪魔(three-legged mare)」と呼ばれ、1571年に設置された以降、1783年に死刑執行がニューゲート監獄(Newgate Prison)で行われるようになるまで、ここで公開処刑が行われていた。死刑囚は、シティー(City)にあるニューゲート監獄から荷馬車で オックスフォードストリート(Oxford Street)経由、ここまで乗せられてくる。そして、荷馬車が絞首刑台の下まで来ると、死刑囚の首にロープの輪がかけられ、絞首刑執行人が鞭をいれて、荷馬車を走り出させると、死刑囚が絞首刑台にぶら下がるという仕組みである。
この地が公開処刑の地に選ばれたのは、(1)オックスフォードストリート、マーブルアーチ通り、そして、ベイズウォーターロード(Bayswater Road)と真っ直ぐに続くこの道がオックスフォード(Oxford)へ向かう主要な街道になっていたため、一般庶民に法を厳しく徹底させる目的があったことと(2)もう一つは、死刑という不吉な作業をシティーからかなり離れた場所で行う必要があったこと等からである。
もちろん、今、タイバーン絞首刑台は残っていないが、エッジウェアロードをハイドパーク側の歩道から地下鉄マーブルアーチ駅(Marble Arch Tube Station)側の歩道へ渡る際、エッジウェアロードの真ん中に信号待ちのための浮き島があるが、この浮き島の地面にタイバーン絞首刑台があった場所を示す標識が残っている。

コノートプレイスからエッジウェアロード方面を望む―
ドイルの原作通り、素晴らしい春の夕暮れである

リトルライダー通りは、このタイバーン絞首刑台があった場所から目と鼻の先にあったということなので、マーブルアーチ通り側からエッジウェアロードを見ると、左右を含め、最初に枝分かれする脇道が、左手に延びるコノートプレイス通り(Connaught Place)で、タイバーン絞首刑台の裏手に該り、リトルライダー通りの候補地として最適である。ただし、コノートプレイス通りはそれ程長い脇道ではないので、156番地は存在していない。現在、エッジウェアロード側のコノートプレイス通りは歩道があるため、行き止まりになっており、コノートプレイス通りから直接エッジウェアロードへ車で出ることができない。よって、日中でもかなり静かな通りである。通りの左右には、オフィスやプライベートクラブ等が入居している。

コノートプレイスの外壁に掛けられているブループラーク

2015年4月26日日曜日

ロンドン リージェントサーカス(Regent Circus)

南側のリージェントストリートから見たオックスフォードサーカス

サー・アーサー・コナン・ドイル作「チャールズ・オーガスタス・ミルヴァートン(Charles Augustus Milverton)」(出版社によっては、「犯人は二人」や「恐喝王ミルヴァートン」と訳しているケースあり)では、ドーヴァーコート伯爵(Earl of Dovercourt)との結婚式を2週間後に控えたレディー・エヴァ・ブラックウェル(Lady Eva Brackwell)からの依頼を受けて、シャーロック・ホームズとジョン・ワトスンは、彼女が昔出した手紙をロンドン一の悪党かつ恐喝王であるチャールズ・オーガスタス・ミルヴァートン(Charles Augustus Milverton)から取り戻そうしていた。
レディー・エヴァ・ブラックウェルを絶望的な状況から救い出すために、夜間、ミルヴァートンの屋敷に無事侵入したホームズとワトスンであったが、予期せぬ事態が彼らを待っていた。ミルヴァートンの部屋には別の来客、黒いヴェールを架けた貴婦人が既に居たのである。彼女は昔ミルヴァートンによって人生を破滅させられており、その復讐のためにやって来たのだった。彼女が取り出したレボルバーからミルヴァートンに向け、連続して発射される銃弾。屋敷内に響き渡る銃声。床に倒れ伏すミルヴァートンを尻目にして姿を消す謎の貴婦人。その混乱に乗じて、ホームズとワトスンはレディー・エヴァ・ブラックウェルの手紙を無事に処分すると、なんとか追跡者を振り切って、ベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)に戻って来た。
翌日、ホームズの元を訪れたスコットランドヤードのレストレイド警部(Inspector Lestrade)から、ミルヴァートンの屋敷での惨劇に関する捜査への助力を依頼されるが、ホームズは「被害者(=ミルヴァートン)よりも犯人達に共感するから、この事件は扱わない。」と言って、断ってしまうのであった。

地下鉄オックスフォードサーカス駅を示す電光掲示板(その1)

地下鉄オックスフォードサーカス駅を示す電光掲示板(その2

私達が目撃したミルヴァートンの屋敷での惨劇について、ホームズは私には一言も話さなかったが、私が観察したところ、午前中ずーっと彼は考え込んでいる様子だった。そして、ホームズのうつろな目とぼんやりした態度から、彼が何かを思い出そうと努力しているような印象を私は受けた。私達が昼食をとっている途中、ホームズは突然立ち上がったのだ。「ワトスン、なんとことだ。判ったぞ!」と、彼は叫んだ。「帽子をとって、僕と一緒に来てくれ!」彼は全速力でベイカーストリートを下り、オックスフォードストリートに沿って、リージェントサーカスへ達するところまでやって来た。左側には、当時の有名人や美女の写真が飾られた店のショーウィンドがあった。ホームズの視線がショーウィンドに飾られた写真の一つに釘付けとなった。彼の視線をたどると、高貴な頭に高いダイヤモンドのティアラをつけて、宮中礼服に身を包み、威厳があり、堂々としている女性の写真がそこにあった。繊細にカーブした鼻、際立った眉、真っ直ぐな口元、そして、その下にある強く小さな顎。その後、彼女の夫だった偉大な貴族で、かつ政治家でもあった人物の高貴な称号を見て、私は息を飲んだ。私はホームズと目を合わせた。そして、ホームズは唇に指をあてると、私達は店のショーウィンドから立ち去ったのであった。

オックスフォードサーカスの北西の角に建つ建物—
ミルヴァートンを射殺した貴婦人の写真を飾っていた店はここにあったと思われる

Holmes had not said one word to me about the tragedy which we had witnessed, but I observed all the morning that he was in his most thoughtful mood, and he gave me the impression, from his vacant eyes and his abstracted manner, of a man who is striving to recall something to his memory. We were in the middle of our lunch when he suddenly sprang to his feet. 'By Jove, Watson; I've got it!' he cried. 'Take your hat! Come with me!' He hurried at his top speed down Baker Street and along Oxford Street, until we had almost reached Regent Circus. Here on the left hand there stands a shop window filled with photographs of the celebrities and beauties of the day. Holmes's eyes fixed themselves upon one of them, and following his gaze I saw the picture of a regal and stately lady in court dress, with a high diamond tiara upon her noble head. I looked at that delicately-curved nose, at the marked eyebrows, at the straight mouth, and the strong little chin beneath it. Then I caught my breath as I read the time-honoured title of the great nobleman and statesman who wife she had been. My eyes met these of Holmes, and he put his finger to his lips as we turned away from the window.

バスの向こう側辺りに、
写真を飾っていたショーウィンドがあったものと思われる

ミルヴァートンを射殺した貴婦人の写真をホームズとワトスンが見た店があるリージェントサーカス(Regent Circus)は架空の住所で、実際に存在していない。
おそらく、東西に走るオックスフォードストリート(Oxford Streetートッテナムコードロード(Tottenham Court Road)とマーブルアーチ(Marble Arch)を結ぶ通り)と南北に走るリージェントストリート(Regent Streetーパル・マル通り(Pall Mall)とリージェンツパーク(Regents Park)を結ぶ通り)が交差する場所を指しているものと思われる。現在、その場所はオックスフォードサーカス(Oxford Circus)と呼ばれており、原作では、リージェントストリートからとった「リージェント」とオックスフォードサーカスからとった「サーカス」を組み合わせているものと思われる。
そういう訳で、オックスフォードサーカスの近くに、その店があったものと推測できる。ホームズとワトスンはベイカーストリート221B から南へ下って来た後、オックスフォードストリートを東方面へ進み、オックスフォードサーカス(原作では、リージェントサーカス)に至る手前の左手にその店は位置していたことになるので、その店の正確な場所は、オックスフォードサーカスの北西の角の近くという訳である。現在、オックスフォードサーカスの北西の角にある建物には、スウェーデンのファッションブランド「エイチ・アンド・エム(H&M)」が入居している。

オックスフォードサーカスの北西の角には、
現在、「H&M」が入居している

オックスフォードサーカス交差点の下には、地下鉄オックスフォードサーカス駅(Oxford Circus Tube Station)があり、セントラルライン(Central Line)、ベイカールーライン(Bakerloo Line)とヴィクトリアライン(Victoria Line)が通っている。

2015年4月25日土曜日

ロンドン ハムステッドヒース(Hampstead Heath)

ハムステッドヒース入口に立つ標識

サー・アーサー・コナン・ドイル作「チャールズ・オーガスタス・ミルヴァートン(Charles Augustus Milverton)」(出版社によっては、「犯人は二人」や「恐喝王ミルヴァートン」と訳しているケースあり)において、シャーロック・ホームズは、レディー・エヴァ・ブラックウェル(Lady Eva Brackwell)からの依頼を受けて、彼女が昔出した手紙をロンドン一の悪党かつ恐喝王であるチャールズ・オーガスタス・ミルヴァートン(Charles Augustus Milverton)から取り戻そうしていた。彼女は2週間後にドーヴァーコート伯爵(Earl of Dovercourt)との結婚式を控えていた。残念ながら、彼女には、ミルヴァートンによる恐喝に対処できるだけの金銭的な余裕はない上、彼女が昔出した手紙が表に出てスキャンダルになった場合、2週間後に予定されている結婚が破談になることは間違いなかった。

ウィローロード(Willow Road)とイーストヒースロード(East Heath Road)に
挟まれたハムステッドヒース手前の緑地帯

レディー・エヴァ・ブラックウェルを絶望的な状況から救い出すために、ホームズとジョン・ワトスンはミルヴァートンの屋敷に夜間侵入して、彼女の手紙を盗み出す計画を立てたのであった。事前にホームズが職人に変装し、メイドを口説いて入手した情報に基づき、ミルヴァートンの屋敷に無事侵入したホームズとワトスンであったが、予期せぬ事態が彼らを待っていた。ミルヴァートンの部屋には別の来客、黒いヴェールを架けた貴婦人が既に居たのである。彼女は昔ミルヴァートンによって人生を破滅させられており、その復讐のためにやって来たのだった。彼女が取り出したレボルバーからミルヴァートンに向け、連続して発射される銃弾。屋敷内に響き渡る銃声。床に倒れ伏すミルヴァートンを尻目にして姿を消す謎の貴婦人。その混乱の最中、ホームズとワトスンはレディー・エヴァ・ブラックウェルの手紙を暖炉の火の中へくべて、無事処分したのであった。

サウスエンドロード(South End Road)沿いのハムステッドヒース
この向こうにハムステッドヒース第一池(Hampstead No. 1 Pond)がある

警報がこれ程早く屋敷内に伝わるとは信じられなかった。振り返って見てみると、大きな屋敷内が煌々と灯りで照らされていた。表扉が開き、何人かが私設車道を駆け下りて行った。屋敷前の庭全体が人で一杯になっていて、私達がベランダから姿を現すと、誰かが「侵入者を見つけたぞ!」と言う声をあげ、私達の後を追いかけて来た。ホームズは敷地内を熟知しているようで、小さな樹々の植え込みの間を素早く縫うように駆け抜けた。私はホームズのすぐ後を追いかけ、そして、最初の追跡者が私達の後を息を切らしながらついて来た。私達の行く手を遮る壁は6フィートの高さがあったが、ホームズは壁の上に跳び上がり、乗り越えて行った。私もホームズと同じように壁の上に跳び上った際、私達を追跡していた男の手が私の足首をつかむのを感じた。しかし、私はその男を蹴り飛ばして振りほどくと、草の生えた笠石をよじ登るようにして越えた。私は下の茂みの中にうつ伏せに落下したが、直ぐにホームズが私を助け起こしてくれた。そして、私達は一緒に広大なハムステッドヒースを横切るように駆け抜けたのだ。遂にホームズが立ち止まって耳を澄ませるまでに、私達はゆうに2マイル(約3.2キロ)走ったようだ。私達の背後は静寂に包まれており、物音一つしなかった。私達は追跡者を完全に振り切って、危機を脱したのである。

ハムステッドヒースレーン(Hampstead Lane)から
ケンウッドハウスに至るノースウッド(North Wood)の森

I could not have believed that an alarm could have spread so swirly. Looking back, the huge house was one blaze of light. The front door was open, and figures were rushing down the drive. The whole garden was alive with people, and one fellow raised a view-halloa as we emerged from the veranda and followed hard at our heels. Holmes seemed to know the ground perfectly, and he threaded his way swiftly among a plantation of small trees, I close at his heels, and our foremost pursuer panting behind us. It was a six-foot wall which barred our path, but he sprang to the top and over. As I did the same I felt the hand of the man behind me grab at my ankle; but I kicked myself free and scrambled over a glass-strewn coping. I fell upon my face among some bushes; but Holmes had me on my feet in an instant, and together we dashed away across the huge expanse of Hampstead Heath. We had run two miles, I suppose, before Holmes at last halted and listened intently. All was absolute silence behind us. We had shaken off our pursuers and were safe.

ケンウッドハウス横にある小トンネル
奥に見えるのが、ハムステッドヒース
ハムステッドヒース側から見たケンウッドハウス横の小トンネル

ホームズとワトスンが駆け抜けたハムステッドヒース(Hampstead Heath)は、ハムステッド(Hampstead)の北側に広がる丘陵で、ヒース(Heath)と呼ばれる低木が一面に生い茂っていることから、その様に呼ばれている。丘陵のあちこちに18世紀のコテージ、ヴィクトリア朝様式の家や池が点在している。ハムステッドヒースの大部分はロンドン・カムデン区(London Borough of Camden)内にあるが、1989年以降、管理はコーポレーション・オブ・ロンドン(Corporation of London)によって行われている。
ハムステッドヒースの歴史は10世紀後半まで遡るが、当時は「Hempstede」と呼ばれていた。11世紀後半から12世紀前半にかけて、ウェストミンスター寺院(Westminster Abbey)が所有していたが、貴族等個人の所有を経て、19世紀から20世紀にかけて、ロンドン市当局が購入を徐々に進め、現在に至っている。

ケンウッドハウス側から見たハムステッドヒース
夏場には、ここで野外コンサートが開催される

ハムステッドヒースの北端には、ケンウッドハウス(Kenwood House)が建っている。現在は、イングリッシュヘリテージ(English Heritage)が管理する美術館となっているが、以前は貴族の館であった。

ケンウッドハウスの正面玄関と両脇にあるウィング

ケンウッドハウスの歴史は17世紀前半まで遡る。
英国で著名な判事であった初代マンスフィールド伯爵ウィリアム・マレー(William Murray, 1st Earl of Mansfield:1705年ー1793年)は、仕事の拠点をスコットランドからロンドンに移したため、1754年にケンウッドハウスと周辺の土地を購入し、彼と同じスコットランド出身の建築家ロバート・アダム(Robert Adam:1728年ー1792年)にケンウッドハウスの改修を依頼した。ロバート・アダムは、1764年から1779年までの16年の歳月をかけて、ケンウッドハウスの外観および内装の改修を終えた。北側に面している正面玄関は巨大なイオニア式石柱を備えた柱廊となり、南側に面している裏面は、既に存在していた西側の温室とバランスをとるため、東側に図書室を増築した上、真っ白なファサードを備えた、まさに「白亜の館」となっている。
その後、1793年から1796年にかけて、ジョージ・ソンダース(George Saunders)が正面玄関の両脇に2つのウィングを増築している。

「白亜の館」と呼ばれるケンウッドハウスの裏面

20世紀に入って、新たに法制化された相続税の関係で、マンスフィールド伯爵家による維持が困難となり、ケンウッドハウスの売却を決定。そして、1925年にギネスビール社会長の初代アイヴィー伯爵エドワード・セシル・ギネス(Edward Cecil Guinness, 1st Earl of Iveagh:1847年ー1927年)が購入した。その2年後の1927年、彼が死去した際、ケンウッドハウスは、彼が購入後に展示していた絵画コレクションと一緒に、国に遺贈されて、現在に至っている。

ケンウッドハウス内の図書室の天井装飾

現在、ケンウッドハウス内に展示されている絵画コレクションの中でも、
(1)オランダ人画家レンブラント・ハルメンス・ファン・レイン(Rembrandt Harmensz Van Rijn:1606年ー1669年)晩年の「自画像(Portrait of the Artist)」
(2)オランダ人画家ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer:1632年ー1675年)の「ギターを弾く女(The Guitar Player)」
(3)英国人画家トマス・ゲインズバラ(Thomas Gainsborough:1727年ー1788年)の「ハウ伯爵夫人メアリーの肖像(Mary, Countess of Howe)」
の3作品が特に有名である。

2015年4月19日日曜日

シャーロック・ホームズ / 死者の遺言書(Sherlock Holmes : The Will of the Dead)


シャーロック・ホームズ / 死者の遺言書
(Sherlock Holmes / The Will of the Dead)
(著者)   George Mann 2013年
(出版) Titan Books  2013年

1889年10月後半のある夜、ベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)に住むシャーロック・ホームズの元をピーター・モーハム(Peter Maugham)が相談に訪れる。ピーターの説明によると、2日前の夜中、彼の伯父であるセオバルド・モーハム卿(Sir Theobald Maugham)が自宅の階段から転落して、死亡したというのだ。モーハム卿の屋敷には、3人の甥ジョーゼフ(Joseph)、オズワルド(Oswald)とピーター、そして、姪アナベル(Annabel - ジョーゼフの妹)が同居していた。モーハム卿は、自分が死亡した場合、遺産を4人で均等に分配するよう定めた遺言書を作成していたのだが、彼の死後、彼の顧問弁護士であるトビアス・エドワード(Tobias Edward)がモーハム卿の部屋を探したにもかかわらず、肝心の遺言書が見当たらなかった。生憎と、モーハム卿の希望で、顧問弁護士のエドワードは、遺言書の写しを保管していなかったのである。このままの状況では、モーハム卿の遺言書は存在していないことになり、その場合、モーハム卿の血縁者の中で最年長であるジョーゼフがモーハム卿の遺産を一人で全て相続することになるのだ。
話の内容に興味を覚えたホームズは、ジョン・ワトスンを伴って、スコットランドヤードのバインブリッジ警部(Inspector Bainbridge)を訪ねて、事情を説明し、遺体安置所に保管されているモーハム卿の遺体を調べたところ、事故による転落ではなく、人為的な力が加わった転落である可能性が高まった。つまり、モーハム卿の転落死は他殺であ様相が強まったのである。
時をほぼ同じくして、ハンス・ゲルベル(Hans Gerber)と名乗る人物からの手紙がジョーゼフ、オズワルド、ピーターとアナベルの元に次々に届く。ハンス・ゲルベルの母親はモーハム卿の妹で、一族の意に沿わない相手(ドイツ人)と結婚したため、モーハム卿が彼女を勘当、つまり、遺産相続の対象者から除外してしまったのである。仮にハンス・ゲルベルが本人の言う通りだった場合、彼がモーハム家一族の最年長者となり、モーハム卿の遺産全てを一人で相続できる権利を有することになる。
モーハム卿の葬儀に参列したワトスンは、モーハム卿の埋葬時、参列者を見守る人々の中にハンス・ゲルベルらしき人物を見かけて、後を追うが、途中で彼を見失ってしまう。
本来であれば、モーハム卿の遺産の正当な相続人であるジョーゼフ、オズワルド、ピーターとアナベルの4人をハンス・ゲルベルの影が覆いつつある中、ピーターが自宅で何者かに殺害される。犯行現場に残されていたタバコ等の遺留品から、ハンス・ゲルベルが殺害犯として疑われるのであった。果たして、モーハム卿が作成した遺言書はどこに消えたのか?ピーターを殺害したのは、一体誰なのか?そして、ハンス・ゲルベルは、本当に本人の言う通りの人物なのか?
ロンドン市内では、もう一つの事件が進行していた。夜毎、金属の装甲をまとった自動機械人間の集団が市内に出没して、宝飾品や貴金属等の強奪を繰り返していたのである。果たして、ホームズの打つ手は如何に?


読後の私的評価(満点=5.0)

1)事件や背景の設定について ☆☆☆(3.0)
「四つの署名」事件(1888年9月発生)を経て、ワトスンがメアリー・モースタンと結婚した後で、1889年9月に発生した「技師の親指」事件/「背の曲がった男」事件と1890年3月に発生した「ウィステリア荘」事件の間に当事件が起きた設定となっている。事件の規模自体は、ドイル原作の短編で取り扱われている事件と同じ位で、わざわざ長編にするまでの内容ではないように思える。

2)物語の展開について ☆☆☆(3.0)
物語の展開自体はとてもスムーズで悪くない。ただ、本来であれば、中編程度で取り扱う事件に、別の事件(金品強奪)を絡ませることにより、長編に膨らませている。しかしながら、最終的には、2つの事件の間に特につながりはなく、途中まで関連性を期待して読み進めた分、やや肩すかしというか、物足りない感じが残る。

3)ホームズ/ワトスンの活躍について ☆☆半(2.5)
ホームズは、モーハム卿の殺害事件と彼の遺言書紛失事件を解決するために、つまり、犯人をあぶり出すために、やや禁じ手に近い手法を採っている。これが、ピーター・モーハムの殺害を引き起こす元となっていて、最終的には、ピーターにも責められる要因があったことが判明するものの、捜査手法としては適切ではなかったと思う。

4)総合 ☆☆☆(3.0)
ストーリー自体は非常に読みやすいが、長編として取り扱うには、事件がやや平凡で、当事件一つで中編でまとめた方が良かったのではないかと感じる。別の事件(金品強奪)を絡ませるのであれば、きちんと関連付けた話にしてもらえれば、もっと楽しめたかと思う。

2015年4月18日土曜日

ロンドン チャーチロウ(Church Row)

パリッシュ・チャーチ・オブ・セントジョン・アット・ハムステッドから東方面に見たチャーチロウ
通りの突き当たりがヒースストリートで、左に曲がると、地下鉄ハムステッド駅がある

サー・アーサー・コナン・ドイル作「チャールズ・オーガスタス・ミルヴァートン(Charles Augustus Milverton)」(出版社によっては、「犯人は二人」や「恐喝王ミルヴァートン」と訳しているケースあり)において、シャーロック・ホームズは、レディー・エヴァ・ブラックウェル(Lady Eva Brackwell)からの依頼を受けて、彼女が昔出した手紙をロンドン一の悪党かつ恐喝王であるチャールズ・オーガスタス・ミルヴァートン(Charles Augustus Milverton)から取り戻そうしていた。彼女は2週間後にドーヴァーコート伯爵(Earl of Dovercourt)との結婚式を控えていた。残念ながら、彼女には、ミルヴァートンによる恐喝に対処できるだけの金銭的な余裕はない上、彼女が昔出した手紙が表に出てスキャンダルになった場合、2週間後に予定されている結婚が破談になることは間違いなかった。
レディー・エヴァ・ブラックウェルを絶望的な状況から救い出すために、ホームズとジョン・ワトスンはミルヴァートンの屋敷に夜間侵入して、彼女の手紙を盗み出す計画を立てたのであった。そのため、ホームズは職人に変装して、ミルヴァートンの屋敷のメイドを口説き、屋敷に侵入するのに必要な情報を入手した。


「よし、ワトスン、そうしよう。僕達二人は長い間この同じ部屋に一緒に住んできた訳だし、同じ牢屋に一緒に住むことになるのも面白いかもしれない。ワトスン、君にだけは打ち明けるが、僕は非常に有能な犯罪者になっていたかもしれないと、ずーっと思ってきた。今回は、その才能を示す一生一代の機会だ。これを見てくれ!」と言って、ホームズは引き出しから小綺麗な革のケースを取り出すと、それを開いて、光り輝く道具の数々を私に披露した。「これは一級品の最新侵入キットだ。まず、ニッケルでメッキした組み立て鉄梃(かなてこ)、ダイヤモンドが先に付いたガラス切り、そして、万能鍵。どれもが、文明の進歩に呼応して、近代的な改良が加えられたものばかりだ。これが灯りを外に通さない手提げランプだ。どれも整備が出来ている。ワトスン、君が音がしない靴を持っているかい?」
「ゴム底のテニス靴なら持っているよ。」
「素晴らしい!それでは、マスクは?」
「黒い絹から2つ作ることができるが...」
「君もこの件にかなり乗り気になっているようだな。よし、そのマスクを準備してくれ。それでは、出かける前に、なにか夕食をとろう。今午後9時半だ。11時にチャーチロウまで馬車で行こう。そこからアップルドアタワーズまで歩いて15分だ。12時前には仕事に取り掛れるだろう。ミルヴァートンは眠りが深く、10時半きっかりに寝室へ下がる。運が良ければ、レディー・エヴァの手紙をポケットに入れて、午前2時までにここに戻って来られるさ。」

パリッシュ・チャーチ・オブ・セントジョン・アット・ハムステッドの正面

'Well, well, my dear fellow, be it so. We have shared the same room for some years, and it would be amusing if we ended by sharing the same cell. You know, Watson, I don't mind confessing to you that I have always had an idea that I would have made a highly efficient criminal, this is the chance of my lifetime in that direction. See here!' He took a neat little leather case out of a drawer, and opening it he exhibited a number of shining instruments. 'This is a first-class, up-to-date burgling kit, with nickel-plated jimmy, diamond-tipped glass-cutter, adaptable keys, and every modern improvement which the march of civilization demands. Here, too, is my dark lantern. Everything is in order. Have you a pair of silent shoes?'
'I have rubber-soled tennis shoes.'
'Excellent. And a mask?'
'I can make a couple out of black silk.'
'I can see that you have a strong natural turn for this sort of thing. Very good; do you make the masks. We shall have some cold supper before we start. It is now nine-thirty. At eleven we shall drive as far as Church Row. It is a quarter of an hour's walk from there to Appledore Towers. We shall beat work before midnight. Milverton is a heavy sleeper and retires punctually at ten-thirty. With any luck we should be back here by two, with the Lady Eva's letters in my pocket!'

教会前のチャーチロウの南側住宅棟
教会前のチャーチロウの北側住宅棟

地下鉄スイスコテージ駅(Swiss Cottage Tube Stationージュビリーライン(Jubilee Line)やメトロポリタンライン(Metropolitan Line)が停車)から地下鉄ハムステッド駅(Hampstead Tube Stationーノーザンライン(Northern Line)が停車)へ向かって坂道を上って行くと、通りはカレッジクレセント通り(College Crescent)、フィッツジョンズアヴェニュー(Fitzjohn's Avenue)、そして、ヒースストリート(Heath Street)へと名前を変えていく。地下鉄ハムステッド駅の少し手前の道を左手に入ると、そこがチャーチロウ(Church Row)である。

パリッシュ・チャーチ・オブ・セントジョン・アット・ハムステッドの側面
パリッシュ・チャーチ・オブ・セントジョン・アット・ハムステッドの裏面

チャーチロウの両側には、ジョージ王朝様式のテラスハウスが並んでいる。ジョージ王朝とは、英国王室ハノーヴァー朝のジョージ1世(George I)からジョージ4世(George IV)が在位した1714年から1830年までの時代を指す。地下鉄ハムステッド駅へと至るヒースストリートは車の往来が多いが、一歩チャーチロウに入ると、抜け道として使用するような通りではないこと、また、途中、車が通過するにはギリギリの幅の箇所があること等から、車の往来は少なく、ヒースストリートの喧騒が嘘のように感じられる位、閑静な場所である。

教会の反対側にある墓地入口
教会の反対側にある墓地内は、静謐な場所となっている

通りの途中、ヒースストリート側からみて左側に、パリッシュ・チャーチ・オブ・セントジョン・アット・ハムステッド(Parish Church of St. John-at-Hampstead)という教会が建っている。伝承によると、10世紀後半には既に教会があったようではあるが、教会が正式な記録上に出てくるのは14世紀前半である。現在の教会の尖塔は18世紀後半に建てられた模様。英国の風景画家ジョン・コンスタブル(John Constable:1776年ー1837年)は、妻マリアと一緒に、この教会前の墓地に埋葬されている。教会前の墓地、また、チャーチロウを間にして教会の反対側にある墓地は、日中でもひっそりしている。週末や休日等は、ハムステッドを訪れる観光客が墓地の散策をしていたりする。

ジョン・コンスタブルと妻マリアが埋葬されている墓

 チャーチローは、ヒースストリートとほぼ並行して走るフログナル通り(Frognal)に突き当たったところで終わる。ヒースストリート側から言うと、住宅街、教会と墓地、そして、また住宅街という構成になっている。

教会と墓地を抜けたところにある住宅街