2017年12月16日土曜日

ロンドン ケニントンレーン(Kennington Lane)

ケニントンレーンの西端の角に建つパブ「ロイヤル ヴォクスホール タヴァーン(Royal Vauxhall Tavern)」

サー・アーサー・コナン・ドイル作「四つの署名(The Sign of the Four)」(1890年)では、若い女性メアリー・モースタン(Mary Morstan)がベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)のシャーロック・ホームズの元を訪れて、風変わりな事件の調査依頼をする。

元英国陸軍インド派遣軍の大尉だった彼女の父親アーサー・モースタン(Captain Arthur Morstan)は、インドから英国に戻った10年前に、謎の失踪を遂げていた。彼はロンドンのランガムホテル(Langham Hotel → 2014年7月6日付ブログで紹介済)に滞在していたが、娘のモースタン嬢が彼を訪ねると、身の回り品や荷物等を残したまま、姿を消しており、その後の消息が判らなかった。そして、6年前から年に1回、「未知の友」を名乗る正体不明の人物から彼女宛に大粒の真珠が送られてくるようになり、今回、その人物から面会を求める手紙が届いたのである。

彼女の依頼に応じて、ホームズとジョン・H・ワトスンの二人は彼女に同行して、待ち合わせ場所のライシアム劇場(Lyceum Theatre → 2014年7月12日付ブログで紹介済)へ向かった。そして、ホームズ達一行は、そこで正体不明の人物によって手配された馬車に乗り込むのであった。


ホームズ、ワトスンとモースタン嬢の三人は、ロンドン郊外のある邸宅へと連れて行かれ、そこでサディアス・ショルト(Thaddeus Sholto)という小男に出迎えられる。彼が手紙の差出人で、ホームズ達一行は、彼からモースタン嬢の父親であるアーサー・モースタン大尉と彼の父親であるジョン・ショルト少佐(Major John Sholto)との間に起きたインド駐留時代の因縁話を聞かされるのであった。

サディアス・ショルトによると、父親のジョン・ショルト少佐が亡くなる際、上記の事情を聞いて責任を感じた兄のバーソロミュー・ショルト(Bartholomew Sholto)と彼が、モースタン嬢宛に毎年真珠を送っていたのである。アッパーノーウッド(Upper Norwood)にある屋敷の屋根裏部屋にジョン・ショルト少佐が隠していた財宝を発見した彼ら兄弟は、モースタン嬢に財宝を分配しようと決めた。

ケニントンレーンの西端から東方面を望む(その1)

しかし、ホームズ一行がサディアス・ショルトに連れられて、バーソロミュー・ショルトの屋敷を訪れると、バーソロミュー・ショルトはインド洋のアンダマン諸島の土着民が使う毒矢によって殺されているのを発見した。そして、問題の財宝は何者かによって奪い去られていたのである。

ホームズの依頼に応じて、ワトスンは、ランベス地区(Lambeth)の水辺近くにあるピンチンレーン3番地(No. 3 Pinchin Lane → 2017年10月28日付ブログで紹介済)に住む鳥の剥製屋シャーマン(Sherman)から、犬のトビー(Toby)を借り出す。そして、ホームズとワトスンの二人は、バーソロミュー・ショルトの殺害現場に残っていたクレオソートの臭いを手掛かりにして、トビーと一緒に、現場からロンドン市内を通り、犯人の逃走経路を追跡して行く。

ケニントンレーンの西端から東方面を望む(その2)

私達は、ストリーサム地区、ブリクストン地区やキャンバーウェル地区を横切り、オヴァールクリケット場の東側へ行く脇道を通り抜けて、ケニントンレーンへと達した。私達が追っている犯人の男達は、おそらく人目につかないようにと警戒して、奇妙なジグザクの経路を通っているようだった。並行した脇道がある場合には、彼らは決して幹線道路を通らないようにしていたのである。

We had traversed Streatham, Brixton, Camberwell, and now found ourselves in Kennington Lane, having borne away through the side-streets to the east of the Oval. The men whom we pursued seemed to have taken a curiously zig-zag road, with the idea probably of escaping observation. They had never kept to the main road if a parallel side-street would serve their turn.

ケニントンレーンの東側から西方面を望む

ホームズとワトスンの二人が、犬のトビーと一緒に、ストリーサム地区(Streatham → 2017年12月2日付ブログで紹介済)、ブリクストン地区(Brixton → 2017年12月3日付ブログで紹介済)、そして、キャンバーウェル地区(Camberwell → 2017年12月9日付ブログで紹介済)を横切り、オヴァールクリケット場(The Oval)の東側を通り抜けた後に達したのが、ケニントンレーン(Kennington Lane)で、テムズ河(River Thames)の南岸にあるロンドン・ランベス区(London Borough of Lambeth)内に所在している。

ケニントンレーンの西端の北側にある
ヴォクスホール プレジャー ガーデンズ(Vauxhall Pleasure Gardens)−
その入り口に設置されているオブジェ

ケニントンレーンの北側は、ベイカールーライン(Bakerloo Line)の南側の終点である地下鉄エレファント&キャッスル駅(Elephant and Castle Tube Station)付近から始まる。地下鉄エレファント&キャッスル駅から南西へ延びるニューイントンバッツ通り(Newington Butts)が、東側のケニントンパークロード(Kennington Park Road)と西側のケニントンレーンの2つに枝分かれする。

ケニントンレーンの南側は、南北に延びるケニントンロード(Kennington Road)と交差した後、ロンドン・ランベス区のヴォクスホール地区(Vauxhall)にある地下鉄ヴォクスホール駅(Vauxhall Tube Station)辺りまで延びている。

2017年12月10日日曜日

ヴィクトリア女王(Queen Victoria)−その1

テムズ河(River Thames)に架かる
ブラックフライアーズ橋(Blackfriars Bridge)の北岸に設置されている
ヴィクトリア女王のブロンズ像

サー・アーサー・コナン・ドイル作「ブルース・パーティントン型設計図(The Bruce-Partington Plans)」では、1895年11月の第3週の木曜日、ベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)のシャーロック・ホームズの元を、彼の兄であるマイクロフト・ホームズ(Mycroft Holmes)がスコットランドヤードのレストレイド警部(Inspector Lestrade)を伴って緊急の要件で訪れるところから、物語が始まる。

ヴィクトリア女王の生誕200周年を記念して、
ロイヤルメール(Royal Mail)から2019年に発行された切手(その1)

マイクロフトによると、同じ週の火曜日の朝、ウールウィッチ兵器工場(Woolwich Arsenal)に勤めるアーサー・カドガン・ウェスト(Arthur Cadogan West)が地下鉄オルドゲイト駅(Aldgate Tube Station → 2016年3月5付ブログで紹介済)の線路脇で死体となって発見された、とのことだった。前日の月曜日の夜、彼は婚約者のヴァイオレット・ウェストベリー(Violet Westbury)をその場に残したまま、突然霧の中を立ち去ってしまったと言う。そして、翌朝、死体となった彼のポケットから、英国政府の最高機密で、ウールウィッチ兵器工場の金庫室内に厳重に保管されていたはずの「ブルース・パーティントン型潜水艦」の設計図10枚のうちの7枚が出てきた。ところが、一番重要な残り3枚はどこにもなかったのである。

マイクロフトは、シャーロックに対して、(1)新型潜水艦の設計図が何故持ち出されたのか、(2)アーサー・カドガン・ウェストは本件にどのように関与しているのか、(3)彼はどのようにして殺されて、現場まで運ばれたのか、そして、(4)残りの3枚の設計図は一体どこへ消えたのかを早急に調べるよう、強く要請した。そこで、シャーロックは、ワトスンを連れて、地下鉄オルドゲイト駅へと向かった。


マイクロフトの求めに応じて、事件の捜査を始めたシャーロックは、マイクロフトから提供された主な外国のスパイ情報を手掛かりに、ケンジントン(Kensington)のコールフィールドガーデンズ13番地(13 Caulfield Gardens → 2016年4月16日付ブログで紹介済)に住むヒューゴ・オーバーシュタイン(Hugo Oberstein)が今回の事件の黒幕であることを突き止める。ディリー・テレグラフ新聞の私事広告欄に奇妙な広告を見つけたシャーロックは、偽の広告を利用して、設計図を盗み出した実行犯を誘き寄せた。なんと、実行犯は、設計図盗難事件後に急死した潜水艦局長サー・ジェイムズ・ウォルター(Sir James Walter, the head of the Submarine Department)の弟ヴァレンタイン・ウォルター大佐(Colonel Valentine Walter)であった。彼は株取引の失敗により多額の借金を負い、破産の危機に追い込まれていたのである。

ホームズが仕掛けた囮にヒューゴ・オーバーシュタインは喰いつき、英国の刑務所に15年間収監されることになった。また、彼の靴の中から残りの3枚の設計図が無事見つかった。ヒューゴ・オーバーシュタインは、欧州海軍首脳全員に対して、これらの設計図を競売にかけていたのである。

ヴィクトリア女王の生誕200周年を記念して、
ロイヤルメール(Royal Mail)から2019年に発行された切手(その2)

ウォルター大佐は、懲役2年目の終わり近くに、刑務所で死んだ。(中略)数週間後、ホームズが非常に見事なエメラルドのタイピンを付けて帰って来たことから、私は彼がウィンザーで一日を過ごしたことを偶然に知った。私が彼にそのタイピンを買ったのかと尋ねたところ、幸運にも、ある慈悲深い女性のために一度小さな使命を果たすことができたので、その女性からのプレゼントだと、彼は答えた。彼はそれ以上何も言わなかったが、私はその女性の尊い名前を言い当てることができると思う。そのエメラルドのタイピンを見ると、ブルース・パーティントン型潜水艦の設計図に関する冒険のことをホームズの記憶にいつも蘇らせるのは、まず間違いない。

Colonel Walter died in prison towards the end of the second year of his sentence. … Some weeks afterwards I learned incidentally that my friend spent a day at Windsor, whence he returned with a remarkably fine emerald tiepin. When I asked him if he had bought it, he answered that it was a present from a certain gracious lady in whose interests he had once been fortunate enough to carry out a small commission. He said no more; but I fancy that I could guess at that lady’s august name, and I have little doubt that the emerald pin will forever recall to my friend’s memory the adventure of the Bruce-Partington plans.


ジョン・H・ワトスンが言う「ある慈悲深い女性」とは、英国ハノーヴァー朝の第6代女王で、かつ、初代インド女帝であるヴィクトリア女王(Queen Victoria:1819年ー1901年 在位期間:1837年ー1901年)のことである。

ヴィクトリア女王の統治中、英国は世界各地を植民地化、もしくは、半植民地化して、大英帝国として繁栄を極めた。実際、大英帝国は、その領土を10倍以上に拡大させて、地球上の全陸地面積の約 1/4 を、また、世界全人口の約 1/4 (約4億人)を支配する史上最大の帝国となるに至った。 彼女は、大英帝国を象徴する存在として知られた。よって、彼女の治世は、ヴィクトリア朝として呼ばれている。

ヴィクトリア女王の生誕200周年を記念して、
ロイヤルメール(Royal Mail)から2019年に発行された切手(その3)

ヴィクトリア女王の在位期間は、63年7ヶ月(=1837年6月20日ー1901年1月22日)にも及び、歴代の英国王の中では、現国王であるエリザベス2世(Queen Elizabeth II:1926年ー 在位期間:1952年ー)に次ぐ2番目の長さである。昨年(2016年)、エリザベス2世に抜かれるまでの間、ヴィクトリア女王の在位期間が最長であった。

ヴィクトリア女王と彼女の政府は、大英帝国の維持/拡大のため、世界各地において戦争を頻繁に繰り広げ、63年7ヶ月に及ぶ彼女の治世中、英国が戦争を全く行なっていなかったのは、非常に稀で、合計すると約2年程度と言われている。

2017年12月9日土曜日

ロンドン キャンバーウェル地区(Camberwell)

ホームズとワトスンの二人は、犬のトビーと一緒に、
キャンバーウェル地区内のブリクストンロード(Brixton Road)を北上したものと思われる

サー・アーサー・コナン・ドイル作「四つの署名(The Sign of the Four)」(1890年)では、若い女性メアリー・モースタン(Mary Morstan)がベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)のシャーロック・ホームズの元を訪れて、風変わりな事件の調査依頼をする。


元英国陸軍インド派遣軍の大尉だった彼女の父親アーサー・モースタン(Captain Arthur Morstan)は、インドから英国に戻った10年前に、謎の失踪を遂げていた。彼はロンドンのランガムホテル(Langham Hotel → 2014年7月6日付ブログで紹介済)に滞在していたが、娘のモースタン嬢が彼を訪ねると、身の回り品や荷物等を残したまま、姿を消しており、その後の消息が判らなかった。そして、6年前から年に1回、「未知の友」を名乗る正体不明の人物から彼女宛に大粒の真珠が送られてくるようになり、今回、その人物から面会を求める手紙が届いたのである。


彼女の依頼に応じて、ホームズとジョン・H・ワトスンの二人は彼女に同行して、待ち合わせ場所のライシアム劇場(Lyceum Theatre → 2014年7月12日付ブログで紹介済)へ向かった。そして、ホームズ達一行は、そこで正体不明の人物によって手配された馬車に乗り込むのであった。


ホームズ、ワトスンとモースタン嬢の三人は、ロンドン郊外のある邸宅へと連れて行かれ、そこでサディアス・ショルト(Thaddeus Sholto)という小男に出迎えられる。彼が手紙の差出人で、ホームズ達一行は、彼からモースタン嬢の父親であるアーサー・モースタン大尉と彼の父親であるジョン・ショルト少佐(Major John Sholto)との間に起きたインド駐留時代の因縁話を聞かされるのであった。
サディアス・ショルトによると、父親のジョン・ショルト少佐が亡くなる際、上記の事情を聞いて責任を感じた兄のバーソロミュー・ショルト(Bartholomew Sholto)と彼が、モースタン嬢宛に毎年真珠を送っていたのである。アッパーノーウッド(Upper Norwood)にある屋敷の屋根裏部屋にジョン・ショルト少佐が隠していた財宝を発見した彼ら兄弟は、モースタン嬢に財宝を分配しようと決めた。


しかし、ホームズ一行がサディアス・ショルトに連れられて、バーソロミュー・ショルトの屋敷を訪れると、バーソロミュー・ショルトはインド洋のアンダマン諸島の土着民が使う毒矢によって殺されているのを発見した。そして、問題の財宝は何者かによって奪い去られていたのである。


ホームズの依頼に応じて、ワトスンは、ランベス地区(Lambeth)の水辺近くにあるピンチンレーン3番地(No. 3 Pinchin Lane → 2017年10月28日付ブログで紹介済)に住む鳥の剥製屋シャーマン(Sherman)から、犬のトビー(Toby)を借り出す。そして、ホームズとワトスンの二人は、バーソロミュー・ショルトの殺害現場に残っていたクレオソートの臭いを手掛かりにして、トビーと一緒に、現場からロンドン市内を通り、犯人の逃走経路を追跡して行く。


私達は、ストリーサム地区、ブリクストン地区やキャンバーウェル地区を横切り、オヴァールクリケット場の東側へ行く脇道を通り抜けて、ケニントンレーンへと達した。私達が追っている犯人の男達は、おそらく人目につかないようにと警戒して、奇妙なジグザクの経路を通っているようだった。並行した脇道がある場合には、彼らは決して幹線道路を通らないようにしていたのである。


We had traversed Streatham, Brixton, Camberwell, and now found ourselves in Kennington Lane, having borne away through the side-streets to the east of the Oval. The men whom we pursued seemed to have taken a curiously zig-zag road, with the idea probably of escaping observation. They had never kept to the main road if a parallel side-street would serve their turn.


ホームズとワトスンの二人が、犬のトビーと一緒に、ストリーサム地区(Streatham→2017年12月2日付ブログで紹介済)とブリクストン地区(Brixton → 2017年12月3日付ブログで紹介済)の次に通ったのが、キャンバーウェル地区(Camberwell)で、テムズ河(River Thames)の南岸にあるロンドン・サザーク地区(London Borough of Southwark)内に所在している。


キャンバーウェル地区は、1889年まではサリー州(Surrey)の一部で、と言うことは、「四つの署名」事件が発生した時点(1888年)では、キャンバーウェル地区はサリー州に属していたことになる。


そして、1900年にはロンドン・キャンバーウェル区(Metropolitan Borough of Camberwell)となり、1965年には大部分がロンドン・サザーク区に吸収された。ただし、ロンドン・キャンバーウェル区の一部は、ロンドン・ランベス区(London Borough of Lambeth)に編入されている。


なお、メアリー・モースタン嬢が住んでいるセシル・フォレスター夫人の家があるローワーキャンバーウェル(Lower Camberwell → 2017年10月21日付ブログで紹介済)も、キャンバーウェル地区内にある筈なので、ホームズとワトスンの二人は、トビーと一緒に、近くを通ったのかもしれない。

2017年12月3日日曜日

ロンドン ブリクストン地区(Brixton)

地下鉄ブリクストン駅(Brixton Tube Station)の入口

サー・アーサー・コナン・ドイル作「四つの署名(The Sign of the Four)」(1890年)では、若い女性メアリー・モースタン(Mary Morstan)がベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)のシャーロック・ホームズの元を訪れて、風変わりな事件の調査依頼をする。


元英国陸軍インド派遣軍の大尉だった彼女の父親アーサー・モースタン(Captain Arthur Morstan)は、インドから英国に戻った10年前に、謎の失踪を遂げていた。彼はロンドンのランガムホテル(Langham Hotel → 2014年7月6日付ブログで紹介済)に滞在していたが、娘のモースタン嬢が彼を訪ねると、身の回り品や荷物等を残したまま、姿を消しており、その後の消息が判らなかった。そして、6年前から年に1回、「未知の友」を名乗る正体不明の人物から彼女宛に大粒の真珠が送られてくるようになり、今回、その人物から面会を求める手紙が届いたのである。
彼女の依頼に応じて、ホームズとジョン・H・ワトスンの二人は彼女に同行して、待ち合わせ場所のライシアム劇場(Lyceum Theatre → 2014年7月12日付ブログで紹介済)へ向かった。そして、ホームズ達一行は、そこで正体不明の人物によって手配された馬車に乗り込むのであった。


ホームズ、ワトスンとモースタン嬢の三人は、ロンドン郊外のある邸宅へと連れて行かれ、そこでサディアス・ショルト(Thaddeus Sholto)という小男に出迎えられる。彼が手紙の差出人で、ホームズ達一行は、彼からモースタン嬢の父親であるアーサー・モースタン大尉と彼の父親であるジョン・ショルト少佐(Major John Sholto)との間に起きたインド駐留時代の因縁話を聞かされるのであった。
サディアス・ショルトによると、父親のジョン・ショルト少佐が亡くなる際、上記の事情を聞いて責任を感じた兄のバーソロミュー・ショルト(Bartholomew Sholto)と彼が、モースタン嬢宛に毎年真珠を送っていたのである。アッパーノーウッド(Upper Norwood)にある屋敷の屋根裏部屋にジョン・ショルト少佐が隠していた財宝を発見した彼ら兄弟は、モースタン嬢に財宝を分配しようと決めた。


しかし、ホームズ一行がサディアス・ショルトに連れられて、バーソロミュー・ショルトの屋敷を訪れると、バーソロミュー・ショルトはインド洋のアンダマン諸島の土着民が使う毒矢によって殺されているのを発見した。そして、問題の財宝は何者かによって奪い去られていたのである。

ブリクストンヒル通り(Brixton Hill)を北上する

ホームズの依頼に応じて、ワトスンは、ランベス地区(Lambeth)の水辺近くにあるピンチンレーン3番地(No. 3 Pinchin Lane → 2017年10月28日付ブログで紹介済)に住む鳥の剥製屋シャーマン(Sherman)から、犬のトビー(Toby)を借り出す。そして、ホームズとワトスンの二人は、バーソロミュー・ショルトの殺害現場に残っていたクレオソートの臭いを手掛かりにして、トビーと一緒に、現場からロンドン市内を通り、犯人の逃走経路を追跡して行く。

ブリクストンヒル通りの西側に
ランベスタウンホール(Lambeth Town Hall)が見える

私達は、ストリーサム地区、ブリクストン地区やキャンバーウェル地区を横切り、オヴァールクリケット場の東側へ行く脇道を通り抜けて、ケニントンレーンへと達した。私達が追っている犯人の男達は、おそらく人目につかないようにと警戒して、奇妙なジグザクの経路を通っているようだった。並行した脇道がある場合には、彼らは決して幹線道路を通らないようにしていたのである。

ランベスタウンホール(その1)

We had traversed Streatham, Brixton, Camberwell, and now found ourselves in Kennington Lane, having borne away through the side-streets to the east of the Oval. The men whom we pursued seemed to have taken a curiously zig-zag road, with the idea probably of escaping observation. They had never kept to the main road if a parallel side-street would serve their turn.

ランベスタウンホール(その2)

ホームズとワトスンの二人が、犬のトビーと一緒に、ストリーサム地区(Streatham → 2017年12月2日付ブログで紹介済)の次に通ったのが、ブリクストン地区(Brixton)で、テムズ河(River Thames)の南岸にあるロンドン・ランベス地区(London Borough of Lambeth)内に所在している。

ブリクストンヒル通りの東側に建つ St. Matthew's Church

「ブリクストン(Brixton)」の名前は、「サクソン人の領主ブリックスィの石(the stone of Brixi, a Saxon lord)」をその起源としている。

ブリクストンヒル通りの東側に建つ映画館 Ritzy Picturehouse

ブリクストン地区は、ロンドン市内から英国南岸にある夏場の保養地ブライトン(Brighton)へと至る幹線道路沿いに位置している。ローマ時代よりロンディニウム(Londinium)と呼ばれたロンドン市内から英国南岸にある港町へと向かう幹線道路として発展して、現在、この道路がそのまま「A23」という主要道路となっている。

ここで、ブリクストンヒル通りから
ブリクストンロード(Brixton Road)へと名前が変わる−
ブリクストンロードの東側に地下鉄ブリクストン駅がある

ホームズとワトスンの二人は、犬のトビーの嗅覚を頼りに、バーソロミュー・ショルトの屋敷を出発して、彼を殺害した犯人達を追跡しつつ、ストリーサム地区、そして、ブリクストン地区へと北上し、テムズ河方面に向かっているのである。

ブリクストンロードの上を
高架鉄道の線路が横切っている

ブリクストン地区には、有名なストリートマーケットがあるが、主に住宅街で、様々な人種が住んでおり、カリブ海出身の人がその大部分を占めている。

2017年12月2日土曜日

ロンドン ストリーサム地区(Streatham)


サー・アーサー・コナン・ドイル作「四つの署名(The Sign of the Four)」(1890年)では、若い女性メアリー・モースタン(Mary Morstan)がベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)のシャーロック・ホームズの元を訪れて、風変わりな事件の調査依頼をする。


元英国陸軍インド派遣軍の大尉だった彼女の父親アーサー・モースタン(Captain Arthur Morstan)は、インドから英国に戻った10年前に、謎の失踪を遂げていた。彼はロンドンのランガムホテル(Langham Hotel → 2014年7月6日付ブログで紹介済)に滞在していたが、娘のモースタン嬢が彼を訪ねると、身の回り品や荷物等を残したまま、姿を消しており、その後の消息が判らなかった。そして、6年前から年に1回、「未知の友」を名乗る正体不明の人物から彼女宛に大粒の真珠が送られてくるようになり、今回、その人物から面会を求める手紙が届いたのである。


彼女の依頼に応じて、ホームズとジョン・H・ワトスンの二人は彼女に同行して、待ち合わせ場所のライシアム劇場(Lyceum Theatre → 2014年7月12日付ブログで紹介済)へ向かった。そして、ホームズ達一行は、そこで正体不明の人物によって手配された馬車に乗り込むのであった。


ホームズ、ワトスンとモースタン嬢の三人は、ロンドン郊外のある邸宅へと連れて行かれ、そこでサディアス・ショルト(Thaddeus Sholto)という小男に出迎えられる。彼が手紙の差出人で、ホームズ達一行は、彼からモースタン嬢の父親であるアーサー・モースタン大尉と彼の父親であるジョン・ショルト少佐(Major John Sholto)との間に起きたインド駐留時代の因縁話を聞かされるのであった。
サディアス・ショルトによると、父親のジョン・ショルト少佐が亡くなる際、上記の事情を聞いて責任を感じた兄のバーソロミュー・ショルト(Bartholomew Sholto)と彼が、モースタン嬢宛に毎年真珠を送っていたのである。アッパーノーウッド(Upper Norwood)にある屋敷の屋根裏部屋にジョン・ショルト少佐が隠していた財宝を発見した彼ら兄弟は、モースタン嬢に財宝を分配しようと決めた。


しかし、ホームズ一行がサディアス・ショルトに連れられて、バーソロミュー・ショルトの屋敷を訪れると、バーソロミュー・ショルトはインド洋のアンダマン諸島の土着民が使う毒矢によって殺されているのを発見した。そして、問題の財宝は何者かによって奪い去られていたのである。


ホームズの依頼に応じて、ワトスンは、ランベス地区(Lambeth)の水辺近くにあるピンチンレーン3番地(No. 3 Pinchin Lane → 2017年10月28日付ブログで紹介済)に住む鳥の剥製屋シャーマン(Sherman)から、犬のトビー(Toby)を借り出す。そして、ホームズとワトスンの二人は、バーソロミュー・ショルトの殺害現場に残っていたクレオソートの臭いを手掛かりにして、トビーと一緒に、現場からロンドン市内を通り、犯人の逃走経路を追跡して行く。


私達は、ストリーサム地区、ブリクストン地区やキャンバーウェル地区を横切り、オヴァールクリケット場の東側へ行く脇道を通り抜けて、ケニントンレーンへと達した。私達が追っている犯人の男達は、おそらく人目につかないようにと警戒して、奇妙なジグザクの経路を通っているようだった。並行した脇道がある場合には、彼らは決して幹線道路を通らないようにしていたのである。


We had traversed Streatham, Brixton, Camberwell, and now found ourselves in Kennington Lane, having borne away through the side-streets to the east of the Oval. The men whom we pursued seemed to have taken a curiously zig-zag road, with the idea probably of escaping observation. They had never kept to the main road if a parallel side-street would serve their turn.


ホームズとワトスンの二人が、犬のトビーと一緒に、最初に横切ったストリーサム地区(Streatham)は、テムズ河(River Thames)の南岸にあるロンドン・ランベス地区(London Borough of Lambeth)内に所在している。


「ストリーサム(Streatham)」は、「道沿いの村(the hamlet on the street)」を意味し、実際、ストリーサム地区は、ロンドン市内から英国南岸にある夏場の保養地ブライトン(Brighton)へと至る幹線道路沿いに位置している。
ローマ時代よりロンディニウム(Londinium)と呼ばれたロンドン市内から英国南岸にある港町へと向かう幹線道路として発展して、現在、この道路がそのまま「A23」という主要道路となっている。


1950年代、ストリーサム地区はロンドン南部で一番発展している商業地域で、1951年に英国で一番最初のスーパーマーケットが開店し、続いて、1955年にウェイトローズ(Waitorose)も同社最初の店舗を開いている(ただし、ウエイトローズの店舗は、1963年に閉店)。


その後、1970年代や1980年代を通じて、人口が他の場所へ移るのに伴って、ストリーサム地区のハイストリートは次第に衰退していく。そのため、2011年以降、公的資金等が投入されて、ストリーサム地区のハイストリートやハイストリート沿いの建物等の大改修工事が実施されている。