2017年12月10日日曜日

ヴィクトリア女王(Queen Victoria)−その1

テムズ河(River Thames)に架かる
ブラックフライアーズ橋(Blackfriars Bridge)の北岸に設置されている
ヴィクトリア女王のブロンズ像

サー・アーサー・コナン・ドイル作「ブルース・パーティントン型設計図(The Bruce-Partington Plans)」では、1895年11月の第3週の木曜日、ベーカーストリート221Bのシャーロック・ホームズの元を、彼の兄であるマイクロフト・ホームズ(Mycroft Holmes)がスコットランドヤードのレストレード警部(Inspector Lestrade)を伴って緊急の要件で訪れるところから、物語が始まる。

ヴィクトリア女王の生誕200周年を記念して、
ロイヤルメール(Royal Mail)から2019年に発行された切手(その1)

マイクロフトによると、同じ週の火曜日の朝、ウールウィッチ兵器工場(Woolwich Arsenal)に勤めるアーサー・カドガン・ウェスト(Arthur Cadogan West)が地下鉄オルドゲート駅(Aldgate Tube Stationー2016年3月5付ブログで紹介済)の線路脇で死体となって発見された、とのことだった。前日の月曜日の夜、彼は婚約者のヴァイオレット・ウェストベリー(Violet Westbury)をその場に残したまま、突然霧の中を立ち去ってしまったと言う。そして、翌朝、死体となった彼のポケットから、英国政府の最高機密で、ウールウィッチ兵器工場の金庫室内に厳重に保管されていたはずの「ブルース・パーティントン型潜水艦」の設計図10枚のうちの7枚が出てきた。ところが、一番重要な残り3枚はどこにもなかったのである。

マイクロフトは、シャーロックに対して、(1)新型潜水艦の設計図が何故持ち出されたのか、(2)アーサー・カドガン・ウェストは本件にどのように関与しているのか、(3)彼はどのようにして殺されて、現場まで運ばれたのか、そして、(4)残りの3枚の設計図は一体どこへ消えたのかを早急に調べるよう、強く要請した。そこで、シャーロックは、ワトスンを連れて、地下鉄オルドゲート駅へと向かった。


マイクロフトの求めに応じて、事件の捜査を始めたシャーロックは、マイクロフトから提供された主な外国のスパイ情報を手掛かりに、ケンジントン(Kensington)のコールフィールドガーデンズ13番地(13 Caulfield Gardensー2016年4月16日付ブログで紹介済)に住むヒューゴ・オーバーシュタイン(Hugo Oberstein)が今回の事件の黒幕であることを突き止める。ディリー・テレグラフ新聞の私事広告欄に奇妙な広告を見つけたシャーロックは、偽の広告を利用して、設計図を盗み出した実行犯を誘き寄せた。なんと、実行犯は、設計図盗難事件後に急死した潜水艦局長サー・ジェイムズ・ウォルター(Sir James Walter, the head of the Submarine Department)の弟ヴァレンタイン・ウォルター大佐(Colonel Valentine Walter)であった。彼は株取引の失敗により多額の借金を負い、破産の危機に追い込まれていたのである。

ホームズが仕掛けた囮にヒューゴ・オーバーシュタインは喰いつき、英国の刑務所に15年間収監されることになった。また、彼の靴の中から残りの3枚の設計図が無事見つかった。ヒューゴ・オーバーシュタインは、欧州海軍首脳全員に対して、これらの設計図を競売にかけていたのである。

ヴィクトリア女王の生誕200周年を記念して、
ロイヤルメール(Royal Mail)から2019年に発行された切手(その2)

ウォルター大佐は、懲役2年目の終わり近くに、刑務所で死んだ。(中略)数週間後、ホームズが非常に見事なエメラルドのタイピンを付けて帰って来たことから、私は彼がウィンザーで一日を過ごしたことを偶然に知った。私が彼にそのタイピンを買ったのかと尋ねたところ、幸運にも、ある慈悲深い女性のために一度小さな使命を果たすことができたので、その女性からのプレゼントだと、彼は答えた。彼はそれ以上何も言わなかったが、私はその女性の尊い名前を言い当てることができると思う。そのエメラルドのタイピンを見ると、ブルース・パーティントン型潜水艦の設計図に関する冒険のことをホームズの記憶にいつも蘇らせるのは、まず間違いない。

Colonel Walter died in prison towards the end of the second year of his sentence. … Some weeks afterwards I learned incidentally that my friend spent a day at Windsor, whence he returned with a remarkably fine emerald tiepin. When I asked him if he had bought it, he answered that it was a present from a certain gracious lady in whose interests he had once been fortunate enough to carry out a small commission. He said no more; but I fancy that I could guess at that lady’s august name, and I have little doubt that the emerald pin will forever recall to my friend’s memory the adventure of the Bruce-Partington plans.


ジョン・H・ワトスンが言う「ある慈悲深い女性」とは、英国ハノーヴァー朝の第6代女王で、かつ、初代インド女帝であるヴィクトリア女王(Queen Victoria:1819年ー1901年 在位期間:1837年ー1901年)のことである。

ヴィクトリア女王の統治中、英国は世界各地を植民地化、もしくは、半植民地化して、大英帝国として繁栄を極めた。実際、大英帝国は、その領土を10倍以上に拡大させて、地球上の全陸地面積の約 1/4 を、また、世界全人口の約 1/4 (約4億人)を支配する史上最大の帝国となるに至った。 彼女は、大英帝国を象徴する存在として知られた。よって、彼女の治世は、ヴィクトリア朝として呼ばれている。

ヴィクトリア女王の生誕200周年を記念して、
ロイヤルメール(Royal Mail)から2019年に発行された切手(その3)

ヴィクトリア女王の在位期間は、63年7ヶ月(=1837年6月20日ー1901年1月22日)にも及び、歴代の英国王の中では、現国王であるエリザベス2世(Queen Elizabeth II:1926年ー 在位期間:1952年ー)に次ぐ2番目の長さである。昨年(2016年)、エリザベス2世に抜かれるまでの間、ヴィクトリア女王の在位期間が最長であった。

ヴィクトリア女王と彼女の政府は、大英帝国の維持/拡大のため、世界各地において戦争を頻繁に繰り広げ、63年7ヶ月に及ぶ彼女の治世中、英国が戦争を全く行なっていなかったのは、非常に稀で、合計すると約2年程度と言われている。

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