2023年12月21日木曜日

陸軍省(War Office)

画面中央の建物が、旧陸軍省ビル(former Old War Office building)で、
陸軍省が1906年(ビル竣工年)から1964年まで使用した7階建ての建物で、
建物内部には、約1000室ある。
旧陸軍省ビルは、ホワイトホール通り(Whitehall → 2015年10月3日付ブログで紹介済)と
ホースガーズアベニュー(Horse Guards Avenue)の角に建っている。


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)作「スタイルズ荘の怪事件(The Mysterious Affairs at Styles → 2023年12月3日 / 12月6日付ブログで紹介済)」において、アーサー・ヘイスティングス大尉(Captain Arthur Hastings - 30歳)の旧友であるジョン・キャヴェンディッシュ(John Cavendish - 45歳)が、義母で、スタイルズ荘の持ち主である老婦人エミリー・イングルソープ(Emily Inglethrop - 70歳を超えている)をストリキニーネで毒殺した犯人として逮捕され、彼の裁判が、ロンドンの中央刑事裁判所(Central Criminal Cout → 2016年1月17日付ブログで紹介済)において行われることになった。

ジョン・キャヴェンディッシュの妻であるメアリー・キャヴェンディッシュ(Mary Cavendish)は、ケンジントン地区(Kensington → 2023年月日 / 月日付ブログで紹介済)に家を借りた。エルキュール・ポワロも、同じ家に滞在することになった。(September found us all in London. Mary took a house in Kensington, Poirot being included in the family party.)

一方、ヘイスティングス大尉は、陸軍省(War Office)に職を得たので、ロンドンで皆会えるようになった。(I myself had been given a job at the War Office, so was able to see them continually.)


ロンドンにおいて、アーサー・ヘイスティングス大尉が新たに勤務するようになった「陸軍省」は、1684年から1964年までの間、英国陸軍を統括した英国の行政機関である。

「陸軍省」は、「戦争省」/「軍務省」とも表記される。


当初、陸軍省は、陸軍卿(Secretary at War)を補佐する軍務所として発足。

陸軍卿は、当時、陸軍総司令官(Commander-in-Chief of the Forces)の下の職位だったが、1660年のイングランド王政復古(Restoration)後、その権限を拡大させ、18世紀に入ると、軍事面にかかる英国王への助言者 / 軍事財政にかかる議会の責任者となり、国務強(Secretary of State)に並ぶ権力を有するようになった。ただ、1794年に陸軍大臣(Secretary of State for War)が新設されると、陸軍卿の強大な権力は、陸軍大臣へと移行した。


1801年に、陸軍省と植民地省は、陸軍・植民地省に統合。

1853年にクリミア戦争(Crimean War:1853年ー1856年)が勃発した際、陸軍の非効率性が問題点となり、1854年に陸軍省と植民地省は切り離されて、陸軍大臣と植民地大臣が改めて設置された。

1863年に、陸軍卿の職位が廃止される効率化が実施された。


陸軍省における一定の改革は実施されたものの、陸軍行政については、陸軍省が統括する一方、軍令に関しては、王族が就任することが多い陸軍司令官が掌握すると言う非効率性は、引き続き、残された。


長年の間、陸軍司令官の職位にあり、陸軍省内の改革を拒み続けた王族の第2代ケンブリッジ公爵ジョージ・ウィリアム・フレデリック・チャールズ(2nd Duke of Cambridge, George William Frederick Charles:1819年ー1904年)が1895年に辞職した後、陸軍司令官の権限に対する制限が行われた。

この時点で、陸軍大臣の下に、軍政一般の助言を行う軍務評議会(War Office Council)が、また、陸軍総司令官の下には、軍令の助言を行う陸軍局(Army Board)が新設された。

1904年には、軍務評議会と陸軍局が陸軍本部(Army Council)に統合され、陸軍大臣の下に置かれた。更に、陸軍総司令官の職位は、陸軍参謀総長へと改組され、これを以って、陸軍省内の効率性への改革は、達成されたと言える。


1964年に、軍機構の大改革により、陸海空軍が統合されて、国防省(Ministry of Defence)が創設。

その結果、陸軍省、陸軍大臣および陸軍本部も廃止され、旧陸軍省は、国防省の陸軍委員会へと変わり、現在に至っている。 


2023年12月20日水曜日

チャールズ・ディケンズの世界<ジグソーパズル>(The World of Charles Dickens )- その9

画面中央下に建つ女性(水色の服を着て、茶色の煉瓦のの家の前に立つ女性)が、
チャールズ・ディケンズの晩年、彼と不倫関係にあった
舞台女優のエレン・ターナンである。


英国の Laurence King Publishing Group Ltd. より、2021年に発売されたジグソーパズル「チャールズ・ディケンズの世界(The World of Charles Dickens)」のイラスト内には、ヴィクトリア朝を代表する英国の小説家であるチャールズ・ジョン・ハファム・ディケンズ(Charles John Huffam Dickens:1812年ー1870年)や彼が生きた時代の人物、そして、彼の作品に登場するキャラクター等が散りばめられているので、次回以降、順番に紹介していきたい。


Alma Books Ltd. から
Alma Classics シリーズの一つとして2018年に出版されている
ウィルキー・コリンズ作「フローズンディープ」の表紙
(Cover design by nathanburtondesign.com) 


今回紹介するのは、英国の舞台女優であるエレン・ターナン(Ellen Ternan:1839年ー1914年)で、チャールズ・ディケンズと不倫関係にあった人物である。


1834年に「モーニングクロニクル(Morning Chronicle)」紙の報道記者となったチャールズ・ディケンズは、ジャーナリストとして、本格的に活動していく。

1835年1月、モーニングクロニクル紙は、朝刊に加えて、夕刊の発行を始め、同紙の音楽関係の評論家であるジョージ・ホガース(George Hogarth:1783年ー1870年)を夕刊紙の編集長に据えた。ジョージ・ホガースは、チャールズ・ディケンズに対して、夕刊紙への寄稿を依頼したことで、2人は友人となり、チャールズ・ディケンズは、フラム(Fulham)にあるジョージ・ホガースの自宅を訪れるようになった。そこで、チャールズ・ディケンズは、フラム(Fulham)にあるジョージ・ホガースの長女で、当時19歳のキャサリン・ホガース(Catherine Hogarth:1815年ー1879年)に出会う。

同年、チャールズ・ディケンズとキャサリン・ホガースは婚約し、1年後の1836年4月2日、2人は結婚した。


ナショナルポートレートギャラリーで販売されている
チャールズ・ジョン・ハファム・ディケンズの肖像画の葉書
(by Daniel Maclise / 1839年 / Oil on canvas /
914 mm x 714 mm)


チャールズ・ディケンズとキャサリン・ホガースは、10人の子供を儲けたが、お互いの性格の不一致のため、2人の結婚生活は、あまりうまくいかなかった。

実は、チャールズ・ディケンズは、キャサリン・ホガースよりも、彼女の妹であるメアリー・ホガース(Mary Hogarth)の方を愛していたが、メアリーはキャサリンよりも2歳年下だったこともあって、最終的には、キャサリンと結婚したのである。

チャールズ・ディケンズの結婚後も、メアリーは、ディケンズ夫妻の住まいに同居していたが、翌年の1837年、彼女は、病気のため、急死してしまう。その結果、チャールズ・ディケンズは、暫くの間、執筆活動を中断せざるを得なくなる程の精神的な打撃を受けた。


「フローズンディープ」は、
元々、ヴィクトリア朝時代を代表する英国の小説家である
チャールズ・ジョン・ハファム・ディケンズ
(Charles John Huffam Dickens:1812年ー1870年)による指導の下、
ウィルキー・コリンズが1857年に執筆した劇で、
後に、小説として、
「The Frozen Deep and Other Tales」(1874年)に収録された。

チャールズ・ディケンズによる指導の下、ヴィクトリア朝時代(1837年-1901年)に活躍した英国の小説家 / 推理作家 / 劇作家で、推理小説「月長石(The Monnstone → 2022年9月30日 / 10月13日付ブログで紹介済)」(1868年)の作者であるウィリアム・ウィルキー・コリンズ(William Wilkie Collins:1824年ー1889年 → 2022年9月2日 / 9月4日付ブログで紹介済)が1857年に執筆した劇「フローズンディープ(Frozen Deep)」の上演のために、同年9月、チャールズ・ディケンズは、舞台女優のエレン・ターナンを抜擢した。

これを契機にして、チャールズ・ディケンズとエレン・ターナンの不倫関係が始まったが、この時点で、チャールズ・ディケンズは45歳である一方、エレン・ターナンはまだ18歳で、チャールズ・ディケンズの一番下の娘より、6ヶ月だけ年上と言う若さだった。


1858年に、チャールズ・ディケンズは、妻キャサリンと別居するが、既にヴィクトリア朝を代表する小説家になっていた彼としては、スキャンダルを避ける上で、離婚と言う選択肢はなかった。

従って、チャールズ・ディケンズとエレン・ターナンの不倫関係は、彼の死後まで、公的には、秘密とされた。


1870年にチャールズ・ディケンズが亡くなった後の1876年、エレン・ターナンは、オックスフォード大学(Oxford University → 2015年11月21日付ブログで紹介済)の卒業生で、自分よりも12歳年下のジョージ・ワートン・ロビンスン(George Wharton Robinson)と結婚して、一男一女を儲けている。

夫婦で、マーゲート(Margate)において、男子校を経営。

1910年に夫が死去した後、エレン・ターナンは、1914年4月25日、フラムにおいて、癌で亡くなっている。そして、彼女は、不倫関係になったチャールズ・ディケンズの出生地であるポーツマス(Portsmouth → 2016年9月17日付ブログで紹介済)の墓地に埋葬された。


2023年12月19日火曜日

コナン・ドイル作「まだらの紐」<グラフィックノベル版>(The Speckled Band by Conan Doyle )- その10

米国の作家である Mr. Murray Shaw / Ms. M. J. Cosson が構成を、そして、フランスのイラストレーターである Ms. Sophie Rohrbach がイラストを担当したグラフィックノベル版「まだらの紐(The Speckled Band)」の場合、サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)の原作に比べると、物語の展開上、以下の違いが見受けられる。


(22)

<原作>

原作の場合、ヘレン・ストーナー(Helen Stoner)が現在使用している部屋(=双子の姉ジュリア・ストーナー(Julia Stoner)が使用していた部屋)に入り、寝ずの番を続けるシャーロック・ホームズとジョン・H・ワトスンの2人。

午前3時になると、突如、換気口の方、つまり、グリムズビー・ロイロット博士(Dr. Grimesby Roylott)の部屋に、微かな光が一瞬煌めいたが、直ぐに消えてしまった。続いて、燃える油と焼ける金属の臭いが漂ってきた。それに、人が動く気配も。

静寂の中、更に待つこと、30分。

沸騰するヤカンから蒸気が噴出するような、非常に微かな音が聞こえてきた。その瞬間、ベッドの端に腰掛けていたホームズが、ベッドから飛び起きると、マッチを擦った。そして、持っていた杖で、ベッドの横に垂れ下がっている呼び鈴用の太いロープを激しく打ち据える。(The instant that we heard it, Holmes sprang from the bed, struck a match and lashed furiously with his cane at the bell-pull.)


英国で出版された「ストランドマガジン」
1892年2月号に掲載された挿絵 -

シャーロック・ホームズは、持っていた杖で、
ベッドの横に垂れ下がっている呼び鈴用の太いロープを激しく打ち据えた。
挿絵:シドニー・エドワード・パジェット
(Sidney Edward Paget:1860年 - 1908年)


<グラフィックノベル版>

グラフィックノベル版の場合、文章では、原作と同様に、「The minute we heard it, Holmes struck a match and lashed savagely at the bell pull with his cane.」と記述されているが、絵的には、残念ながら、ホームズが杖で激しく打ち据えているようには見えない。




グラフィックノベル版の場合、
文章では、シャーロック・ホームズが、持っていた杖で、
ベッドの横に垂れ下がっている呼び鈴用の太いロープを激しく打ち据えたと言う表現になっているが、
絵的には、残念ながら、そのようにはあまり見えない。

(23)

<原作>

原作の場合、シャーロック・ホームズが換気口を見上げていると、グリムズビー・ロイロット博士の部屋から、非常に恐ろしい叫び声が上がった。

ホームズは、ジョン・H・ワトスンを伴って、グリムズビー・ロイロット博士の部屋へと向かった。

<グラフィックノベル版>

グラフィックノベル版の場合、ホームズは、ワトスンに加えて、元々の自分の部屋に戻っていたヘレン・ストーナーも同行させている。


原作の場合、シャーロック・ホームズとジョン・H・ワトスンの2人だけで、
グリムズビー・ロイロット博士の部屋の様子を見に行っているが、
グラフィックノベル版の場合、ホームズとワトスンは、
ヘレン・ストーナーも同行させている。

(24)

<原作>

原作の場合、シャーロック・ホームズとジョン・H・ワトスンがグリムズビー・ロイロット博士の部屋に入ると、テーブル脇の椅子に座っていた彼は、既に死んでいた。グリムズビー・ロイロット博士は、長い灰色のガウンを着て、足先には、赤いトルコスリッパ(踵なし)を履いていた。(Beside this table, on the wooden chair, sat Dr Grimesby Roylott clad in a long grey dressing-gown, his bare ankles protruding beneath and his feet thrust into red heel-less Turkish slippers.)


英国で出版された「ストランドマガジン」
1892年2月号に掲載された挿絵 -

シャーロック・ホームズとジョン・H・ワトスンが、
グリムズビー・ロイロット博士の部屋に入ると、
彼は沼マムシに噛まれて、既に死んでいた。
グリムズビー・ロイロット博士は、
長いガウンを着ているが、灰色かどうかは、白黒の挿絵のため、不明。
また、スリッパを履いているが、赤色かどうかは、
白黒の挿絵のため、同じく不明。
挿絵:シドニー・エドワード・パジェット
(1860年 - 1908年)


<グラフィックノベル版>

グラフィックノベル版の場合、グリムズビー・ロイロット博士は、原作とは異なり、長い灰色のガウンを着ておらず、寝間着だけの姿である。また、赤いトルコスリッパ(踵なし)ではなく、つま先から踵まである黒いスリッパを履いている。


原作の場合、部屋で死んでいたグリムズビー・ロイロット博士は、
長い灰色のガウンを羽織り、足には赤いトルコスリッパ(踵なし)を履いていたと記述されているが、
グラフィックノベル版の場合、グリムズビー・ロイロット博士は、
ガウンを羽織っておらず、また、つま先から踵まである黒いスリッパを履いている。

(25)

<原作>

原作の場合、事件の真相については、翌日、レザーヘッド駅(Leatherhead Station)経由、ストークモラン村(Stoke Moran)からロンドンへと戻る帰路に、ジョン・H・ワトスンは、シャーロック・ホームズから説明を受けている。(The little which I had yet to learn of the case was told me by Sherlock Holmes as we travelled back next day.)

<グラフィックノベル版>

グラフィックノベル版の場合、グリムズビー・ロイロット博士の部屋において、彼の死体を発見したホームズは、沼マムシ(swamp adder)を金庫に閉じ込めた後、ワトスンに対して、事件の真相を説明している。


原作の場合、翌日の帰路に、
シャーロック・ホームズは、ジョン・H・ワトスンに対して、
事件の真相を説明しているが、
グラフィックノベル版の場合、
グリムズビー・ロイロット博士の部屋で
彼の死体を発見した後に、
ホームズは、ワトスンへの説明を行なっている。

(26)

<原作>

原作の場合、グリムズビー・ロイロット博士の部屋において、彼の死体が発見された後の出来事は、時系列的には、以下の通り。

*朝の列車で、ヘレン・ストーナーをロンドンの北西部にあるハーロウ(Harrow)の叔母ホノリア・ウェストファイル(Honoria Westphail)の元へ送り届ける。もしかすると、シャーロック・ホームズとジョン・H・ワトスンのいずれか(ワトスンの可能性が高い)だけが、ハーロウへ同行したことはありえる。

*地元警察に対して、事件の報告を行う。もしかすると、ホームズとワトスンのいずれか(ホームズの可能性が高い)だけが、地元警察の対応を行ったことはありえる。

*ホームズとワトスンは、ストークモラン村で合流。

*2人は、レザーヘッド駅経由、ロンドンへの帰途へとつく。その際、ホームズは、ワトスンに対して、事件の真相を説明している。

*地元警察は、グリムズビー・ロイロット博士の死因について、彼が危険なペットを不用意に扱っている最中、死に至ったと言う結論で決着。

<グラフィックノベル版>

グラフィックノベル版の場合、グリムズビー・ロイロット博士の部屋において、彼の死体が発見された後の出来事は、時系列的には、以下の通り。

*グリムズビー・ロイロット博士の部屋において、ホームズは、ワトスンに対して、事件の真相を説明している(絵で描かれている)。

*ホームズとワトスンの2人で、ヘレン・ストーナーをハーロウの叔母の元へ送り届ける(文章で処理されている)。

*ヘレン・ストーナーは、婚約者であるパーシー・アーミテージ(Percy Armitage)と無事結婚する(文章で処理されている → 原作上、言及されていない)。

*地元警察は、グリムズビー・ロイロット博士の死因について、正式な捜査を行った結果、彼が危険なペットを不用意に扱っていて、死に至ったと言う結論を下した(文章で処理されている)。


グラフィックノベル版の場合、文章だけではあるものの、
ヘレン・ストーナーが婚約者であるパーシー・アーミテージと無事結婚したことを述べている。

2023年12月18日月曜日

エルキュール・ポワロシリーズのペーパーバック表紙コレクション(新装版)- その3


英国の HarperCollins Publishers 社から出版されているアガサ・クリスティー作エルキュール・ポワロシリーズのペーパーバック表紙が新装版に変わったので、前回に続き、紹介したい。


(17)長編「愛国殺人(→英国での原題は、「One, Two, Buckle My Shoe」(いち、にい、私の靴の留め金を締めて)であるが、日本でのタイトルは米国版「The Patriotic Murders」をベースにしている)」(1940年)

アガサ・クリスティーが執筆した長編としては、第28作目に該り、エルキュール・ポワロシリーズの長編のうち、第19作目に該っている。

物語の冒頭、クイーンシャーロットストリート58番地(58 Queen Charlotte Street)にある歯科医ヘンリー・モーリー(Henry Morley)での半年に一回の定期検診を終えて、建物の外に出たエルキュール・ポワロは、そこで女性の患者とすれ違った際、彼女が落とした靴の留め金(バックル)を拾って渡している。表紙が、その靴と留め金の形に切り取られている。


(18)長編「五匹の子豚(Five Little Pigs)」(1942年)

アガサ・クリスティーが執筆した長編としては、第32作目に該り、エルキュール・ポワロシリーズの長編のうち、第21作目に該っている。

英国の有名な画家で、事件の被害者となるアミアス・クレイル(Amyas Crale)を背景にした表紙が、彼が愛用している筆とパレットの形に切り取られている。


(19)長編「ホロー荘の殺人(The Hollow)」(1946年)

アガサ・クリスティーが執筆した長編としては、第37作目に該り、エルキュール・ポワロシリーズの長編のうち、第22作目に該っている。

女優のヴェロニカ・クレイ(Veronica Clay)がきらしたマッチを借りようとホロー荘へとやって来たことを契機にして、殺人事件が発生するが、表紙が、そのマッチの形に切り取られている。


(20)長編「スタイルズ荘の怪事件(The Mysterious Affairs at Styles)」(1920年)

アガサ・クリスティーの商業デビュー作であり、そして、エルキュール・ポワロシリーズの長編第1作目、かつ、ポワロの初登場作品に該る。

アーサー・ヘイスティングス大尉(Captain Arthur Hastings)の旧友ジョン・キャヴェンディッシュ(John Cavendish)の義母で、スタイルズ荘(Styles Court)の持ち主である老婦人エミリー・イングルソープ(Emily Inglethrop)がストリキニーネによって毒殺される事件が発生するが、スタイルズ荘を背景にした表紙が、そのストリキニーネが入った小瓶の形に切り取られている。


(21)長編「カーテン( Curtain)」(1975年)

アガサ・クリスティーが執筆した長編としては、第65作目に該り、エルキュール・ポワロシリーズの長編のうち、第33作目かつ最終作に該っている。

厳密に言うと、「カーテン」は1943年に執筆されているので、執筆順で言うと、長編「象は忘れない(Elephants Can Remember)」(1972年)が、実質的には、ポワロ最後の作品となる。

廃墟となった僧院へと至る階段を背景にした表紙が、ポワロシリーズの長編第1作目、かつ、ポワロの初登場作品に該る長編「スタイルズ荘の怪事件(The Mysterious Affairs at Styles)」(1920年)に倣って、ストリキニーネが入った小瓶の形に切り取られている。


(22)長編「三幕の悲劇(Three Act Tragedy)」(1934年)

アガサ・クリスティーが執筆した長編としては、第16作目に該り、エルキュール・ポワロシリーズの長編のうち、第9作目に該っている。

有名な舞台俳優であるサー・チャールズ・カートライト(Sir Charles Cartwright)は、コンウォール(Cornwall)の自宅において、晩餐会を開催した際、出席者の一人であるバビントン牧師(Reverend Babbington)が、出されたカクテルを口にして、急死してしまう事件が発生するが、表紙が、そのカクテルシェーカーの形に切り取られている。


(23)戯曲「ブラックコーヒー(Black Coffee)」(1934年)

英国のテキサタイルデザイナーであるウィリアム・モリス(William Morris:1834年ー1896年)風のデザイン画を背景にした表紙が、コーヒーが入ったカップの形に切り取られている。


(24)長編「死との約束(Appointment with Death)」(1938年)

アガサ・クリスティーが執筆した長編としては、第22作目に該り、エルキュール・ポワロシリーズの長編のうち、第16作目に該っている。

ボイントン一家がヨルダン(Jordan)の古都ペトラ(Petra)にある遺跡等の見物に出かけた際、彼らが滞在しているキャンプ地において、ボイントン夫人(Mrs. Boynton - 以前、刑務所の所長と言う役職に就いていたためか、非常にサディスティックで、支配的な人物)が、洞窟の入口近くで、多量のジギトキシンを皮下注射器で投与され、殺害される事件が発生するが、その皮下注射器を背景にした表紙が、毒蛇の形に切り取られている。


2023年12月17日日曜日

ロンドン ケンジントン地区(Kensington)- その2

ケンジントンハイストリートの反対側から見た
地下鉄ハイストリートケンジントン駅(High Street Kensington Tube Station
→ 2016年6月25日付ブログで紹介済)


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)作「スタイルズ荘の怪事件(The Mysterious Affairs at Styles → 2023年12月3日 / 12月6日付ブログで紹介済)」において、アーサー・ヘイスティングス大尉(Captain Arthur Hastings - 30歳)の旧友であるジョン・キャヴェンディッシュ(John Cavendish - 45歳)が、義母で、スタイルズ荘の持ち主である老婦人エミリー・イングルソープ(Emily Inglethrop - 70歳を超えている)をストリキニーネで毒殺した犯人として逮捕され、彼の裁判が、ロンドンの中央刑事裁判所(Central Criminal Cout → 2016年1月17日付ブログで紹介済)において行われることになった。

ジョン・キャヴェンディッシュの妻であるメアリー・キャヴェンディッシュ(Mary Cavendish)は、ケンジントン地区(Kensington)に家を借りた。エルキュール・ポワロも、同じ家に滞在することになった。(September found us all in London. Mary took a house in Kensington, Poirot being included in the family party.)


地下鉄ハイストリートケンジントン駅の入口


ケンジントン地区は、ロンドンの中心部に所在するロンドン特別区の一つのケンジントン&チェルシー王立区(Royal Borough of Kensington and Chelsea)に属する地区である。



地下鉄ハイストリートケンジントン駅のプラットフォーム


ケンジントン地区の場所は、ケンジントンガーデンズ(Kensington Gardens)の西側に位置しており、南側は、ナイツブリッジ地区(Knightsbridge)地区内にあるヴィクトリア&アルバート博物館(Victoria & Albert Museum)や自然史博物館(National History Museum)の前(南側)を通り、ハマースミス地区(Hammersmith)へと西に延びるクロムウェルロード(Cromwell Road)に、そして、北側は、ハイドパーク(Hyde Park → 2015年3月14日付ブログで紹介済)、ケンジントンガーデンズやホーランドパーク(Holland Park)の前(北側)を通り、シェファーズブッシュ地区(Shepherd’s Bush)へと西に延びるベイズウォーターロード(Bayswater Road)/ ノッティングヒルゲート通り(Notting Hill Gate)/ ホーランドパークアベニュー(Holland Park Avenue)に挟まれている。


地下鉄ハイストリートケンジントン駅の入口前から見たケンジントンハイストリート



また、ケンジントン地区は、


*北側:ベイズウォーター地区(Bayswater)/ ノッティングヒル地区(Notting Hill)

*東側:ケンジントンガーデンズ

*西側:ウェストケンジントン地区(West Kensington)

*南側:ナイツブリッジ地区 / サウスケンジントン地区(South Kensington)/ アールズコート地区(Earls Court)


に囲まれている。


画面中央にあるのは、地下鉄ハイストリートケンジントン駅。
画面左側の建物の屋上には、ケンジントンルーフガーデンズ
(Kensington Roof Gardens → 2016年2月28日付ブログで紹介済)が以前はあったものの、
残念ながら、現在はない。


ケンジントン地区における商業の中心地は、同地区の真ん中辺りを東西に横切るケンジントンハイストリート(Kensington High Street → 2016年7月9日付ブログで紹介済)の両側である。

東側は地下鉄ハイドパークコーナー駅(Hyde Park Corner Tube Station)から始まり、ハイドパークの南側では、ナイツブリッジ通り(Knightsbridge)、ケンジントンガーデンズの南側では、ケンジントンロード(Kensington Road)と名前を変えて、ケンジントン地区内に入ると、ケンジントンハイストリートとなり、更に西へ進み、ウェストケンジントン地区内に入ると、ハマースミスロード(Hammersmith Road)へと名前が変わり、地下鉄ハマースミス駅(Hammersmith Tube Station)へと至る。


ダチェス・オブ・ベッドフォーズ・ウォーク(Duchess of Bedford's Walk)沿いに建つ
キャンプデンヒルゲートと言う名前のフラット




基本的に、ケンジント地区は裕福な住宅地で、北側のベイズウォーター地区 / ノッティングヒル地区、南東側のナイツブリッジ地区 / ブロンプトン地区(Brompton)、また、南側のサウスケンジントン地区も、裕福な住宅地に属している。


アガサ・クリスティーが、1930年から1934年までの間、住んでいた
キャンプデンストリート47/48番地の建物


最初の夫アーチボルド・クリスティー(Archibald Christie:1889年ー1962年)の浮気が原因で、1928年に離婚したアガサ・クリスティーは、中東旅行の際に知り合った考古学者サー・マックス・エドガー・ルシアン・マローワン(Sir Max Edgar Lucien Mallowan:1904年-1978年)と1930年に再婚する。

再婚した2人が住んだ「キャンプデンストリート47/48番地(47 & 48 Campden Street → 2015年7月5日付ブログで紹介済)」の家(1930年ー1934年)と「シェフィールドテラス58番地(58 Sheffield Terrace → 2015年2月14日付ブログで紹介済)」の家(1934年ー1941年)も、ケンジント地区の裕福な住宅地内に所在している。


アガサ・クリスティーが、1934年から1941年までの間、住んでいた
シェフィールドテラス58番地の建物


アガサ・クリスティーが、1934年から1941年にかけて、
シェフィールドテラス58番地に住んでいたことを示すブループラーク


一方、西側のウェストケンジントン地区 / シェファーズブッシュ地区や南西側のアールズコート地区 / ハマースミス地区の場合、上記の地区に比べると、階層が下がっている。


2023年12月16日土曜日

コナン・ドイル作「まだらの紐」<グラフィックノベル版>(The Speckled Band by Conan Doyle )- その9

米国の作家である Mr. Murray Shaw / Ms. M. J. Cosson が構成を、そして、フランスのイラストレーターである Ms. Sophie Rohrbach がイラストを担当したグラフィックノベル版「まだらの紐(The Speckled Band)」の場合、サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)の原作に比べると、物語の展開上、以下の違いが見受けられる。


(15)

<原作>

原作の場合、シャーロック・ホームズとジョン・H・ワトスンは、ロンドンのウォータールー駅(Waterloo Station → 2014年10月19日付ブログで紹介済)から列車に乗り、レザーヘッド駅(Leatherhead Station)へと向かった。

レザーヘッド駅に到着した2人は、駅の宿屋で二輪馬車を手配して、ストークモラン村(Stoke Moran)へと進んだ。

ストークモラン村に着いたホームズとワトスンを待っていたヘレン・ストーナー(Helen Stoner)は、2人を屋敷へと案内する。

屋敷の建物は、背が高い中央部から、蟹のハサミが2本のように、湾曲した棟が両側に広がっていた。(The building was … with a high central portion and two curving wings, like the claws of a crab, thrown out on each side.)

<グラフィックノベル版>

グラフィックノベル版の場合、ヘレン・ストーナーがホームズとワトスンを案内した屋敷は、原作とは異なり、中央に高い建物があり、両側に湾曲した棟が広がっているようには、描かれていない。


原作の場合、グリムズビー・ロイロット博士達が住む屋敷は、
中央に高い建物があり、両側に湾曲した棟が広がっている設定になっているが、
グラフィックノベル版の場合、そのような建物構造にはなっていない。

(16)

<原作>

原作の場合、シャーロック・ホームズとジョン・H・ワトスンは、ヘレン・ストーナーが現在使用している部屋(=双子の姉ジュリア・ストーナー(Julia Stoner)が使用していた部屋)の中を調査した。

ホームズは、ベッドの横に垂れ下がっている呼び鈴用の太いロープに注意を向けた。そのロープの飾り房は、枕の上に乗っていた。(he asked at last pointing to a thick bell-rope which hung down beside the bed, the tassel actually lying upon the pillow.)

<グラフィックノベル版>

グラフィックノベル版の場合、ベッドの横に垂れ下がっている呼び鈴用の太いロープの飾り房は、枕の上に乗っていない。


原作の場合、ベッドの横に垂れ下がっている呼び鈴用の太いロープの飾り房は、
枕の上に乗っていると記述されているが、
グラフィックノベル版の場合、枕の上に乗っているようには、描かれていない。

(17)

<原作>

原作の場合、ヘレン・ストーナーが現在使用している部屋(=双子の姉ジュリア・ストーナー(Julia Stoner)が使用していた部屋)を調査した後、シャーロック・ホームズとジョン・H・ワトスンは、義父グリムズビー・ロイロット博士(Dr. Grimesby Roylott)の部屋も調べた。

その際、ホームズは、金庫の上に置かれたミルクの皿が気になった。(He took up a small saucer of milk which stood on the top of it.)


英国で出版された「ストランドマガジン」
1892年2月号に掲載された挿絵 -

シャーロック・ホームズが注意を向けたミルク皿は、金庫の上に置かれている。
挿絵:シドニー・エドワード・パジェット
(Sidney Edward Paget:1860年 - 1908年)


<グラフィックノベル版>

グラフィックノベル版の場合、ミルクの皿は、金庫の前の床の上に置かれている。


原作の場合、グリムズビー・ロイロット博士の部屋において、
ミルク皿は金庫の上に置かれていたが、
グラフィックノベル版の場合、
ミルク皿は金庫の前の床の上に置かれている。

(18)

<原作>

原作の場合、屋敷の近くに建つ宿屋「Crown Inn」において、シャーロック・ホームズとジョン・H・ワトスンは待機して、ヘレン・ストーナーによるランプの合図を待った。

椅子に座ったホームズは、ワトスンに対して、「今夜、君を連れて行っても良いかどうか、悩んでいる。非常に危険な要素があるんだ。(’I have really some scruples as to taking you tonight. There is a distinct element of danger.’)」と話し始めて、2人の間の会話が進む。

そして、暫くして、「午後9時頃、樹々の間の光は消えて、屋敷の方向は、完全な闇となった。(About nine o’clock the light among the trees was extinguished, and all was dark in the direction of the Manor House.)」と言う表現が入る。

<グラフィックノベル版>

グラフィックノベル版の場合、午後9時の時点で、椅子に座ったホームズは、ワトスンに対して、「ワトスン、今晩、君は僕と一緒に来るべきではない。非常に危険なんだ。(’Watson, I think you should not come with me this evening. There will be great danger.’)」と話し始めて、2人の間の会話が進む。


原作の場合、ストークモラン村の宿や「Crown Inn」で待機しつつ、
ヘレン・ストーナーによるランプの合図を待つ
シャーロック・ホームズとジョン・H・ワトスンが会話を交わした後、
暫くして、午後9時となるが、
グラフィックノベル版の場合、午後9時の時点で、
ホームズとワトスンは、会話を始めている。


(19)

<原作>

原作の場合、ヘレン・ストーナーからランプの合図を受けたシャーロック・ホームズとジョン・H・ワトスンは、屋敷の敷地内へと侵入した。

樹々の間を抜けて、更に、芝生を通り抜けた後、2人が窓から屋敷の中に入ろうとしたところ(Making our way among the trees, we reached the lawn, crossed it, and were about to enter through the window)、月桂樹の茂みの中から、ヒヒが飛び出して来る。

<グラフィックノベル版>

グラフィックノベル版の場合、ホームズとワトスンが屋敷に近付き、窓から屋敷の中に入ろうと言う動作を行う前の段階で、ヒヒが飛び出して来る。


原作の場合、シャーロック・ホームズとジョン・H・ワトスンが、
敷地内に侵入して、窓から屋敷の中に入ろうとしたところ、
月桂樹の茂みから、グリムズビー・ロイロット博士が飼っているヒヒが飛び出して来るが、
グラフィックノベル版の場合、
ホームズとワトスンの2人が屋敷に近付き、
窓から屋敷の中に入ろうとする動作を起こす前に、ヒヒが飛び出して来る。

(20)

<原作>

原作の場合、月桂樹の茂みの中から、ヒヒが飛び出して来た時、驚いたジョン・H・ワトスンは、シャーロック・ホームズに対して、「あれを見たか?」と囁いた。一方、ホームズの方が、ワトスンよりも驚いていたようで、ワトスンの手首を万力のように握り締めていたからである。

<グラフィックノベル版>

グラフィックノベル版の場合、ホームズよりもワトスンの方が驚いたようで、ワトスンは本能的に懐からピストルを取り出すが、ホームズに止められている。


グラフィックノベル版の場合、
突然飛び出して来たヒヒに驚いたジョン・H・ワトスンが、
思わず、懐からピストルを取り出したため、
シャーロック・ホームズに止められているが、
原作の場合、このような展開はない。


(21)

<原作>

原作の場合、シャーロック・ホームズとジョン・H・ワトスンは、ヘレン・ストーナーが現在使用している部屋(=双子の姉ジュリア・ストーナーが使用していた部屋)へ窓から入る際に、靴を脱いでいる。(I confess that I felt easier in my mind when, after following Holmes’s example and slipping off my shoes, I found myself inside the bedroom.)

靴を履いたままだと、ちょっとした動きでも、隣室に居るグリムズビー・ロイロット博士に、足音が聞こえてしまうことを、ホームズが警戒したためだと思われる。

<グラフィックノベル版>

グラフィックノベル版の場合、ホームズとワトスンは、ヘレン・ストーナーが現在使用している部屋へ窓から入る際に、特に靴を脱ぐようなことはしていない。


原作の場合、シャーロック・ホームズとジョン・H・ワトスンは、靴を脱いで、
窓から
ヘレン・ストーナーが現在使用している部屋
(=双子の姉ジュリア・ストーナーが使用していた部屋)の中に入るが、
グラフィックノベル版の場合、2人とも、土足のままである。