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ダリッジピクチャーギャラリーの館内(その1) <筆者撮影> |
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英国の肖像画家であるサー・トマス・ローレンス (Sir Thomas Lawrence:1769年ー1830年)が描いた 「サー・ジョン・ソーン(76歳)の肖像画 (Portrait of Sir John Soane, aged 76)」 (1828年ー1829年)の絵葉書 Oil on canvas <筆者がサー・ジョン・ソーンズ博物館で購入> |
ロンドンで画商として成功したスイス系英国人であるサー・ピーター・フランシス・ルイス・ブルジョワ(Sir Peter Francis Lewis Bourgeois:1753年ー1811年)と彼の共同経営者であるフランス人のノエル・ジョーゼフ・デザンファン(Noël Joseph Desenfans:1741年ー1807年)の2人は、1790年にポーランド・リトアニア共和国(Polish-Lithuanian Commonwealth)の(最後の)国王であるスタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキ / スタニスワフ2世アウグスト(Stanisław August Poniatowski / Stanisław II August:1732年ー1798年 在位期間:1764年-1795年)から、ポーランド王室の美術品の充実とポーランドにおける美術の発展を目的とした依頼を受ける。
スタニスワフ2世アウグストからの依頼を受けた彼ら2人は、1790年から5年をかけて欧州中を巡り、絵画を収集したが、1795年に第3次ポーランド分割が行われた結果、スタニスワフ2世アウグストを国王とするポーランド・リトアニア共和国は消滅することになり、彼らが収集した絵画コレクションの引き取り手が居なくなってしまった。
そこで、サー・ピーター・フランシス・ルイス・ブルジョワとノエル・ジョーゼフ・デザンファンの2人は、収集した絵画コレクションを他国へ売却しようとしたが、最終的にうまくいかず、重要な美術品の追加購入資金を確保するために、数点の絵画を売却するにとどめ、残りの絵画コレクションについては、ロンドンにあるノエル・ジョーゼフ・デザンファンの屋敷において保管することになった。
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ダリッジピクチャーギャラリーの絵画コレクションの基礎を築いた サー・ピーター・フランシス・ルイス・ブルジョワ(右上)、 ノエル・ジョーゼフ・デザンファン(左下)、 そして、マーガレット・モリス・デザンファン(左上)の肖像画 <筆者撮影> |
1807年に共同経営者であるノエル・ジョーゼフ・デザンファンが死去した後、2人で収集した絵画コレクションを引き継いだサー・ピーター・フランシス・ルイス・ブルジョワは、大英博物館(British Museum → 2014年5月26日付ブログで紹介済)に対して、「自分が死去した後、絵画コレクションを遺贈したい。」と持ち掛けたものの、大英博物館側の役員達の問題により、この話は流れてしまう。
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大英博物館の正面入口 - グレイトラッセルストリート(Great Russell Street → 2025年7月15日付ブログで紹介済)に面している。 <筆者撮影> |
最終的には、サー・ピーター・フランシス・ルイス・ブルジョワは、1811年に死去した際、イングランドとアイルランドの女王で、テューダー朝(House of Tudor)の第5代かつ最後の君主であるエリザベス1世(Elizabeth I:1533年ー1603年 在位期間:1558年-1603年)の統治時代に俳優として活躍し、その後、劇場経営主として成功したエドワード・アレン(Edward Alleyn:1566年ー1626年)が創設した「神の賜物カレッジ(College of God’s Gift)」から分化した「ダリッジカレッジ(Dulwich College)」に対して、ノエル・ジョーゼフ・デザンファンと一緒に収集した絵画コレクションを遺贈した。
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ダリッジ村内に設置されている エドワード・アレン記念碑(Memorial to Edward Alleyn) <筆者撮影> |
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ダリッジビレッジ通り(Dulwich Village)沿いに設置されている「神の賜物カレッジ」の説明板 <筆者撮影> |
その際、サー・ピーター・フランシス・ルイス・ブルジョワの遺言には、友人の建築家であるサー・ジョン・ソーンによる設計による新しいギャラリーを建設の上、絵画コレクションを収蔵し、大衆に公開することが条件として付されていた。そのための費用として、2千ポンドの遺産が残された。
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ダリッジピクチャーギャラリーの建物模型 <筆者撮影> |
こうして、サー・ピーター・フランシス・ルイス・ブルジョワが残した遺言に従って、彼とノエル・ジョーゼフ・デザンファンが収集した絵画コレクションを収蔵するためのダリッジピクチャーギャラリーが、サー・ジョン・ソーンによる設計により建設されることになったのである。
サー・ジョン・ソーンは、「天窓を通じて、自然光を取り入れた続き部屋の展示室」と言うシンプルで、かつ基本的なデザインを設計に採用した。彼によるこの設計は、その後の美術館建築に対して、大きな影響を与えた。
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ダリッジピクチャーギャラリーの天窓 <筆者撮影> |
また、サー・ジョン・ソーンは、サー・ピーター・フランシス・ルイス・ブルジョワ、ノエル・ジョーゼフ・デザンファン、そして、ノエル・ジョーゼフ・デザンファンの妻マーガレット・モリス・デザンファン(Margaret Morris Desenfans:1731年(?)/ 1737年(?)ー1814年)を埋葬するための霊廟(Mausoleum)を、ギャラリーの西棟中央に設計した。
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ダリッジピクチャーギャラリーの絵画コレクションの基礎を築いた サー・ピーター・フランシス・ルイス・ブルジョワ、 ノエル・ジョーゼフ・デザンファンと マーガレット・モリス・デザンファンの3人が埋葬されている霊廟 <筆者撮影> |
サー・ジョン・ソーンが設計したダリッジピクチャーギャラリー(当時は、ダリッジカレッジピクチャーギャラリー(The Dulwich College Picture Gallery)と呼ばれた)は、1815年に王立芸術院(Royal Academy of Arts)に対して公開。
同ギャラリーがイングランドにおいて最初に一般大衆に開かれた美術館(the oldest public art gallery in England)としてオープンしたのは、それから2年後の1817年だった。ギャラリーの正式な開館が2年も遅れたのは、美術館内に設置された暖房設備に問題が生じたためである。
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ダリッジピクチャーギャラリーの館内(その2) <筆者撮影> |
ギャラリーの西側に沿って、サー・ジョン・ソーンは救貧院を設計したが、英国の建築家であるチャールズ・バリー・ジュニア(Charles Barry Jr.:1823年ー1900年)が1880年に展示場所への改築を行った。
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ダリッジピクチャーギャラリーの館内(その3) <筆者撮影> |
ギャラリーの西棟と霊廟は、第二次世界大戦(1939年ー1945年)中の1994年7月12日、ドイツ軍のV1飛行爆弾(Germany V1 flying bomb)を受けて、甚大な損害を被り、霊廟に埋葬されていた3人の遺骨は、ギャラリー正面の芝生に散乱したと言われている。
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ダリッジピクチャーギャラリーの館内(その4) <筆者撮影> |
その後、ギャラリーの西棟と霊廟は、修復工事を経て、1953年4月27日、エリザベス王太后(HM Queen Elizabeth The Queen Mother:1900年ー2002年)来臨の下、再開館の運びとなった。
なお、エリザベス王太后は、ウィンザー朝(House of Winsor)第3代国王であるジョージ6世(George VI:1895年ー1952年 在位期間:1936年-1952年)の王妃で、ウィンザー朝第4代女王であるエリザベス2世(Elizabeth II:1926年ー2022年 在位期間:1952年ー2022年)の母である。
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ダリッジピクチャーギャラリーの館内(その5) <筆者撮影> |
ダリッジピクチャーギャラリーは、「ダリッジカレッジ」に属していたが、1994年に独立した美術館となった。
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ダリッジピクチャーギャラリーの館内(その6) <筆者撮影> |
1999年、米国の建築家であるリック・マザー(Rick Mather:1937年ー2013年)の設計により、カフェ、教育施設、階段式講堂、新しいエントランスやガラス張りの通路が増改築され、エリザベス2世来臨の下、2000年5月25日に公開された。
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ダリッジピクチャーギャラリーのエントランスホールの壁に描かれている Sinta Tantra 作「The Grand Tour, 2020 - Paint and gold leaf」(その1) <筆者撮影> |
ダリッジピクチャーギャラリーと霊廟は、現在、歴史的な建造物として、グレード II(Listed Grade II)に指定されている。
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ダリッジピクチャーギャラリーのエントランスホールの壁に描かれている Sinta Tantra 作「The Grand Tour, 2020 - Paint and gold leaf」(その2) <筆者撮影> |
ダリッジピクチャーギャラリーは、17世紀から18世紀を中心とした欧州のオールドマスター(Old Master)達による絵画を所蔵するイングランド有数の美術館として有名で、特に、オランダ、フランドル、イタリア、スペインやフランスの絵画とテューダー朝(House of Tudor)から19世紀にかけての英国の肖像画のコレクションで知られている。
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ダリッジピクチャーギャラリーの館内の壁に掛けられている ギャラリーの沿革をかかる説明板 <筆者撮影> |
ダリッジピクチャーギャラリーが所蔵する絵画コレクションについては、次回に紹介したい。

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