2015年7月5日日曜日

ロンドン キャンプデンストリート47/48番地(47 & 48 Campden Street)

キャンプデンストリート47/48番地の建物

最初の夫アーチボルド・クリスティー(Archibald Christie:1889年-1962年)の浮気が原因で、1928年に彼と離婚したアガサ・クリスティーは、1930年に中東旅行の際に知り合った考古学者のサー・マックス・エドガー・ルシアン・マローワン(Sir Max Edgar Lucien Mallowan:1904年ー1978年)と再婚する。その後、同年に二人は地下鉄ノッティングヒルゲート駅(Notting Hill Gate Tube Station)の近くにあるキャンプデンストリート47/48番地の家を購入した。

 
キャンプデンストリート47/48番地の
右隣の住居の窓辺に置かれた植栽

キャンプデンストリートについては、北側の地下鉄ノッティングヒルゲート駅の前を通るノッティングヒルゲート通り(Notthing Hill Gate)に、東側はケンジントンチャーチストリート(Kensington Church Street)やケンジントンガーデンズ(Kensington Gardens)に、南側は地下鉄ハイストリートケンジントン駅(High Street Kensington Tube Station)の前を通るケンジントンハイストリート(Kensington High Street)に、そして、西側はキャンプデンヒルロード(Campden Hill Road)やホーランドパーク(Holland Park)に囲まれた一帯の内にあり、閑静な高級住宅街の一つである。

キャンプデンストリート47/48番地の向かい側から
キャンプデンヒルロード方面を望む
キャンプデンストリート47/48番地の向かい側に建つ住居

アガサ・クリスティーが再婚したマックス・マローワンは、当時、ブルームズベリー地区(Bloomsbury)にある大英博物館(British Museum)において、考古学の研究を行っていたため、通勤の利便性を考慮して、彼らはキャンプデンストリートの物件を購入したものと思われる。何故ならば、地下鉄ノッティングヒルゲート駅から大英博物館の最寄駅であるトッテナムコートロード駅(Tottenham Court Road Tube Station)まで、セントラルライン(Central Line)一本で行くことができる上、両駅の間には5駅しかないため、非常に便利だったからである。

ケンジントンチャーチストリート側から見た
キャンプデンストリート

ただし、アガサ・クリスティー自身はキャンプデンストリート47/48番地の建物には100%満足していなかったようで、キャンプデンストリートの2本南にある通りシェフィールドテラスの58番地(58 Sheffield Terrace)により良い物件を見つけたため、1934年にこれを購入し、キャンプデンストリートの物件を売却してしまった。物件を売却する際、買い手が失礼な態度をとったことが、アガサ・クリスティーの秘書で友人のカーロ・フィッシャーをひどく立腹させてしまい、彼女が売却価格をつり上げたため、非常に条件の良い価格で売却された、とのこと。

キャンプデンストリートとケンジントンチャーチストリートの角に建つパブ
キャンプデンストリート側からケンジントンチャーチストリートを望む—
ケンジントンチャーチストリートの近くには、店舗が並んでいる

キャンプデンストリートは、今も、日中でもほとんど人通りがない閑静な住宅街のままである。シェフィールドテラスに比べると、
(1)道幅がやや狭いこと
(2)そのため、向かいの家との間隔があまりないこと
(3)シェフィールドテラス58番地の場合、歩道と建物の間に前庭があるが、キャンプデンストリート47/48番地の場合は、他の住居も全く同じように、歩道沿いに建物が建っていて、前庭がないこと
等から、プライベートをあまり確保できないと、アガサ・クリスティーは考えたのかもしれない。

2015年7月4日土曜日

ロンドン チャーチストリート(Church Street)

エッジウェアロード側にある
チャーチストリートの入口

シャーロック・ホームズが犯罪界のナポレオンと呼ばれるジェイムズ・モリアーティー教授(Professor James Moriarty)と一緒に、スイスにあるライヘンバッハの滝壺にその姿を消してから、既に3年が経過していた。サー・アーサー・コナン・ドイル作「空き家の冒険(The Empty House)」は、そこから始まるのである。


1894年の春、メイヌース伯爵(Earkl of Maynooth)の次男である青年貴族ロナルド・アデア(Ronald Adair)がパークレーン427番地(427 Park Lane)の自宅で殺害された事件のニュースで、ロンドンは大騒ぎだった。彼は内側から扉に鍵がかけられた部屋で撃たれて亡くなっていたのだが、部屋の内には拳銃の類いは発見されなかったため、これが事件最大の謎であった。
ある晩、ケンジントン地区(Kensington)の自宅からハイドパーク(Hyde Park)へ散策に出かけたジョン・ワトスンは、そのついでに事件現場に立ち寄った。人混みの中で、ワトスンは本蒐集家と思われる背中の曲がった老人にうっかりぶつかってしまい、老人が持っていた本を数冊地面に落としてしまった。ぶつかったことを謝ろうとしたワトスンであったが、老人が不服そうな声を上げ、背を向けると、野次馬の中に姿を消してしまう。
ケンジントンの自宅に帰ったワトスンの元を、先程パークレーンでぶつかった本蒐集家の老人が訪ねて来た。

チャーチストリートとリッソングローブ通りの角に建つ住居

「私が訪ねて来たので、さぞかしびっくりされたでしょう。」と、老人は奇妙なしわがれ声で言った。
私はその通りだと認めた。
「良心の呵責でして、あなたがこの家に入るのを空前目にしましたので、あなたの後をつけて来たんです。少しばかり家にあがらさせていただき、親切な紳士に会って、私がちょっとばかしつっけんどんな態度をとったとしても、全く他意はなく、本を拾ってもらって、逆に非常に感謝していると言おうと考えたのです。」
「あんな些細なことで感謝していただく必要はないですよ。」と、私は言った。「ところで、どうして私のことを知っていらっしゃるのですか?」
「こんなことを申し上げて失礼でなければよいのですが、私はあなたの近くに住んでいるのです。というのも、チャーチストリートの角で小さな本屋を営んでおります。あなたにお会いできて、非常に光栄です。あなたも本を収集されているとお見受けしました。「英国の鳥」、「カトゥルス(ガイウス・ヴァレリウス・カトゥルス:Gaius Valerius Catullusー共和政ローマ期の抒情詩人)」、そして、「聖戦」。どれも廉価版ですな。5冊あれば、2番目の棚の隙間をちょうど埋められますよ。少しばかり乱雑じゃないですか?」
私は後ろにある本棚を見るために振り返った。私がもう一度顔を前に戻した時、私の書斎テーブルの向こう側には、笑顔のシャーロック・ホームズが立っていたのである。思わず、私は立ち上がり、呆然自失の状態で数秒間彼を見つめた。そして、その後、私は生涯で後にも先にも一度きりの失神をしてしまったようである。

リッソングローブ通り側から見たチャーチストリート

'You're surprised to see me, sir,' said he, in a strange, croaking voice.
I acknowledged that I was.
'Well, I've a conscience, sir, and when I chanced to see you go into this house, as I came hobbling after you, I thought to myself, I'll just step in and see that kind gentleman, and tell him that if I was a bit gruff in my manner there was not any harm meant, and that I am much obliged to him for picking up my books.'
'You make too much of a trifle,' said I. 'May I ask how you knew who I was?'
'Well, sir, if it isn't too great a liberty, I am a neighbor of yours, for you'll find my little bookshop at the corner of Church Street, and very happy to see you, I am sure. Maybe you collect yourself, sir; here's British Birds and Catullus and the Holy War - a bargain every one of them. With five volumes you could just fill that gap on that second shelf. It looks untidy, does it not, sir?'
I moved my head to look at the cabinet behind me. When I turned again Sherlock Holmes was standing smiling at me across my study table. I rose to my feet, stared at him for some seconds in utter amazement, and then it appears that I must have fainted for the first and the last time in my life.

リッソングローブ通りの近くに建つ建物(その1)

リッソングローブ通りの近くに建つ建物(その2)

ワトスンの家を訪ねて来た本蒐集家の老人(実際は、ホームズによる変装)が本屋を営んでいると言ったチャーチストリート(Church Street)は、現在の表記上、マリルボーン地区(Marylebone)内にある。マーブルアーチ(Marble Arch)から始まり、北へ延びるエッジウェアロード(Edgware Road)を上がって行き、地下鉄ベイカーストリート(Baker Street Tube Station)前を通るマリルボーンロード(Marylebone Road)を横切って、少し進み、右へ折れたところに、チャーチストリートは位置している。マリルボーン駅(Marylebone Station)の西側で、マーブルアーチ方面とメイダヴェール(Maida Vale)方面を結ぶエッジウェアロードとマリルボーン方面とセントジョンズウッド(St. John's Wood)方面を結ぶリッソングローブ通り(Lisson Grove)の間にある通りが、チャーチストリートである。ちなみに、エッジウェアロードとリッソングローブ通りは、バスが通る幹線道路となっている。

チャーチストリートの中間辺りにある広場

チャーチストリートを含むエッジウェアロード周辺には、中東関係の店舗が数多く軒を連ねており、エッジウェアロードに入った瞬間、中東色が非常に強くなる。
チャーチストリートでは、連日、チャーチマーケット(Church Street Market)が開かれていて、朝から夕方まで買物客で賑わっている。ただ、マーケットが終わり、出店が閉店した後に残るゴミの量はかなりのもので、ロンドン清掃局による掃除が大変である。

エッジウェアロード側から見た
チャーチストリートマーケットが終わった後

出店の後片付け作業とロンドン清掃局による清掃作業が
慌ただしく行われている

本蒐集家の老人は、ワトスンに対して、「自分が住んでいるチャーチストリートは、ワトスンの家の近くだ。」と言っているが、「空き家の冒険」事件の頃、ワトスンはケンジントン地区に住んでいた訳なので、ハイドパークを間にして正反対のところであり、正直、とても近くとは言えない。「最後の事件(The Final Problem)」ホームズとワトスンが住んでいたベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)であれば、徒歩で10分位しか離れていないため、近くと言っても差し支えない。ホームズがその老人に変装した上で、話した戯言なので、実際にはチャーチストリートに住んでいた訳ではなく、結局のところ、あまり意味はないかもしれない。
ちなみに、ケンジントン地区内にチャーチストリートは実在していないが、ケンジントンチャーチストリート(Kensington Church Street)であれば、実在している。ケンジントンチャーチストリートは、北側の地下鉄ノッティグヒルゲート駅(Notting Hill Gate Tube Station)と南側の地下鉄ハイストリートケンジントン駅(High Street Kensington Tube Station)を南北につなぐ通りである。本蒐集家の老人が言ったチャーチストリートとは、本当はケンジントンチャーチストリートのことを指していた可能性がある。

2015年6月28日日曜日

ロンドン イングランド銀行(Bank of England)- その2

スレッドニードルストリートに面した
イングランド銀行本店建物の正面

イングランド銀行の正式名称は「Governor and Company of the Bank of England」で、英国の中央銀行である。イングランド銀行の本店は、英国の経済活動の中心地であるシティー(City)内にあり、スレッドニードルストリート(Threadneedle Street)に面していることから「スレッドニードルストリートの老婦人(The Old Lady of Threadneedle Street)」と呼ばれることがある。

イングランド銀行裏手角—
手前の通りがプリンシズストリート(Princes Street)で、
左手奥の通りがロスベリー通り(Lothbury)

名誉革命(Glorious Revolution:1688年)の後、ステュアート朝のウィリアム3世(William Ⅲ:1650年ー1702年 在位:1689年ー1702年)とメアリー2世(Mary Ⅱ:1662年ー1694年 在位:1689年ー1702年)の共同統治下にあったイングランドは、神聖ローマ帝国のプファルツ選定侯の継承戦争に端を発した大同盟戦争(War of the Grand Alliance:1688年ー1697年)に参戦していた。膨張政策を採るフランス国王ルイ14世対アウグスブルグ同盟に結集した欧州諸国の戦いであった。1690年、ビーチーヘッドの海戦(Battle of Beachy Head)において、フランス艦隊に敗北を喫したイングランドは、海軍増強のため、早急に軍事費を手当てする必要があった。名誉革命間もないため、市場から軍事費を調達することは不可能に近かった。そこで、スコットランド人のウィリアム・パターソン(William Paterson:1658年ー1719年)と財務長官で、初代ハリファックス伯爵チャールズ・モンタギュー(Charles Montagu, 1st Earl of Halifax:1661年ー1715年)によって、1694年にイングランド銀行が創設され、同年7月27日にウィリアム3世とメアリー2世により認可された。

イングランド銀行裏手全景—建物が増築されていることが判る

イングランド銀行は、当初シティー内のウォルブルック(Walbrook)に創設されたが、1734年に現在地に移転し、その後、次第に敷地を拡張して、現在に至っている。
英国の新古典主義を代表する建築家であるサー・ジョン・ソーン(Sir John Soane:1753年ー1837年)は、1788年にサー・ロバート・テイラー(Sir Robert Taylor:1714年ー1788年)の後を継いで、イングランド銀行の建築家に就任し、その後、1833年まで45年間にわたり、その任を務めた。

プリンシズストリート側からロスベリー通りを望む—
右手奥にサー・ジョン・ソーンの像が見える

その後、イングランド銀行が敷地を拡張する過程で、英国の建築家ハーバート・ベイカー(Herbert Baker:1862年ー1946年)によって、サー・ジョン・ソーンが設計したオリジナル部分はほとんど失われてしまい、「シティーにおける20世紀最大の建築上の罪(the greatest architectural crime, in the City of London, of the twentieth century)」と言われている。
その代わり、イングランド銀行の裏手ではあるが、ロスベリー通り(Lothbury)に面した建物の外壁内に、サー・ジョン・ソーンの像が彼の栄誉を称えるために設置されている。

サー・ジョン・ソーン像(その1)

サー・ジョン・ソーン像(その2)

1998年に制定されたイングランド銀行法(Bank of England Act 1998)により、イングランド銀行は、現在、以下の機能を有している。
(1)イングランドとウェールズにおける通貨発行権
(2)政府の銀行+「最後の貸し手」としての銀行のの銀行
(3)外国為替と金準備の管理
(4)政府の証券(国債)の登録
(5)政府統合基金の運営
イングランド銀行は、以前、銀行業界の規制・監督権も有していたが、同法に基づき、これは金融サービス機構(FSA)に移管されている。

プリンシズストリートからロスベリー通りへの
ショートカットの外壁にある装飾(その1)

プリンシズストリートからロスベリー通りへの
ショートカットの外壁にある装飾(その2)

アガサ・クリスティー作「百万ドル債券盗難事件(The Million Dollar Bond Robbery)」をベースにして、英国のTV会社 ITV1 が放映したポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」は、アガサ・クリスティーの原作に概ね沿っているが、以下のような差異や追加が行われている。
(1)TV版では、フィリップ・リッジウェイ(Philip Ridgeway)とヴァヴァソア氏(Mr Vavasour)の血縁関係(原作では、甥と伯父の関係)は特に言及されていない。また、フィリップはヴァヴァソア氏の秘書エズミー・ダルリーシュ(Esmess Dalgleish)と婚約している設定となっている上、ギャンブルにのめり込んで、借金で首がまわらない状況に陥っている。
(2)原作では、ショー氏(Mr Shaw)がロンドン&スコティッシュ銀行(London and Scottish Bank)の支店長で、ヴァヴァソア氏が副支店長であるが、TV版では、立場が逆転して、ヴァヴァソア氏の方がショー氏の上司のようになっている。
(3)TV版では、元々、ショー氏が1百万ドルの自由公債をニューヨークへ運搬する任に就く予定で、フィリップはショー氏がニューヨークへ行けなくなった場合の代替要員である。朝の通勤途上、ショー氏が謎の赤い車に轢き殺されそうになったり、オフィスで飲んだ紅茶にストリキニーネが入っていて重態になったため、運搬の任がフィリップに回ってきたという流れになっている。
(4)原作では、1百万ドルの自由公債が盗難された後に、ポワロは事件の相談を受けているが、TV版では、ポワロとヘイスティングス大尉は、フィリップの護衛と1百万ドルの自由公債の盗難防止のため、彼と一緒にニューヨーク行きの汽船に乗船している。
(5)原作では、フィリップが乗船した汽船はリヴァプール(Liverpool)発ニューヨーク行きのオリンピア(Olympia)であるが、TV版では、クイーンメアリー(RMS Queen Mary)の処女航海(サザンプトン(Southampton)発ニューヨーク行き:1936年5月27日)が舞台となっている。
(6)ストーリーの重要な部分に該るが、原作では、フィリップが乗船したオリンピアでは、隣のキャビンに、メガネをかけた中年の男性が居て、航海中一歩も外に出なかったことになっている。しかし、TV版では、フィリップの隣のキャビンには、ヘイスティングス大尉も心引かれたミランダ・ブルックス(Miranda Brooks)と呼ばれる謎の女性が滞在していた。

2015年6月27日土曜日

ロンドン パークレーン427番地(427 Park Lane)

マーブルアーチ側からパークレーンを望む

シャーロック・ホームズが、犯罪界のナポレオンと呼ばれるジェイムズ・モリアーティー教授(Professor James Moriarty)と一緒に、スイスにあるライヘンバッハの滝壺にその姿を消してから、既に3年が経過していた。サー・アーサー・コナン・ドイル作「空き家の冒険(The Empty House)」は、そこから始まるのである。
1894年の春、メイヌース伯爵(Earl of Maynooth)の次男である青年貴族ロナルド・アデア(Ronald Adair)がパークレーン427番地(427 Park Lane)の自宅で殺害された事件のニュースで、ロンドンは大騒ぎだった。


ロナルド・アデア閣下は、当時オーストラリア植民地の一つで知事をしていたメイヌース伯爵の次男であった。アデア閣下の母親は、白内障の手術を受けるために、オーストラリアから英国に帰国していて、息子のロナルドと娘のヒルダと一緒に、パークレーン427番地に住んでいた。アデア閣下は上流階級の集まりにも入っていたが、判っているところでは、敵はなく、また、特に悪癖もなかった。彼はカーステアーズのエディス・ウッドレー嬢と婚約したが、数ヶ月前に双方の合意の下、この婚約は解消された。ただし、婚約の解消によって、双方に感情的なしこりが残った形跡はなかった。彼は穏やかな気質で、かつ、落ち着いた性格だったので、上記を除くと、彼の生活は狭くて、かつ、因習的な人間関係の中にとどまっていた。1894年3月30日の午後10時から午後11時20分の間に、この悠々自適な青年貴族は、非常に奇妙で予期しない形で死を迎えたのであった。

パークレーンからハイドパークの
サウスキャリエッジドライブ(South Carriage Drive)への入口
ハイドパークコーナー寄りの
アキリーズウェイ(Achilles Way)内に設置されているオブジェ

The Honourable Ronald Adair was the second son of the Earl of Maynooth, at that time Governor of one of the Australian Colonies. Adair's mother had returned from Australia to undergo an operation for cataract, and she, her son Ronald, and her daughter Hilda were living together at 427 Park Lane. The youth moved in the best society, had, so far as was known, no enemies, and no particular vices. He had been engaged to Miss Edith Woodley, of Carstairs, but the engagement had been broken off by mutual consent some months before, and there was no sign that it had left any very profound feeling behind it. For the rest the man's life moved in a narrow and conventional circle, for his habits were quiet and his nature unemotional. Yet it was upon this easy-going young aristocrat that death came in more strange and unexpected form between the hours of ten and eleven-twenty on the night of March 30, 1894.

パークレーンの西側には、ハイドパークが広がる
ハイドパークの東側は、高級地区メイフェア—
パークレーンは、車の往来が非常に多い

パークレーン(Park Lane)はシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)内にあり、北側のマーブルアーチ(Marble Arch)と南側のハイドパークコーナー(Hyde Park Corner)を結ぶ約 1.2 Km の重要な幹線道路である。現在、真ん中に緑地帯が設けられており、左右4車線の道路がハイドパーク(Hyde Park)の東側を南北に延びている

ドーチェスターホテル
ロンドン ヒルトンホテル パークレーン
メトロポリタンホテル ロンドン

パークレーンの西側はハイドパークで、東側は高級地区メイフェア(Mayfair)で、道路沿いには、(1)ロンドン マリオットホテル パークレーン (London Marriott Hotel Park Lane)、(2)グローヴナーハウスホテル(Grosvenor House Hotel)、(3)ドーチェスターホテル(The Dorchester)、(4)ロンドン ヒルトンホテル パークレーン(London Hilton on Park Lane)、(5)メトロポリタンホテル ロンドン(Metropolitan Hotel London)やインターコンチネンタル ロンドンパークレーン(InterContinental London Park Lane)等の高級ホテルとスポーツカーのショールーム等が並んでいる。
ハイドパークが望めることから、18世紀以降、パークレーンの東側は上流階級の住居として非常に人気があった。ウェストミンスター伯爵(Duke of Westminster)の住居だったグローヴナーハウス(Grosvenor House)の跡地にグローヴナーホテルが、また、ホルフォード家(Holford family)の住居だったドーチェスターハウス(Dorchester House)の跡地にはドーチェスターホテルが建っている。

マーブルアーチ寄りの緑地帯には、
戦争に従軍した動物への慰霊碑が建てられている
近くには、赤いチューリップが咲き誇っている
動物への慰霊碑に、チューリップの赤色がうまくマッチしている
夕陽を背にした動物への慰霊碑

1960年度代にパークレーンを左右3車線に拡大した際に、区画整理が行われ、通り沿いにあった住居の大部分が撤収されたため、左右4車線となった現在、パークレーンの東側はほぼホテル街となっていて、住居のまま残っている場所は数える程しか残っていない。また、車の往来が非常に多く、ロンドンの中でも最も騒音が非常に激しい通りの一つである。

青年貴族ロナルド・アデアが住んでいた
パークレーン427番地と思われる建物(その1)
青年貴族ロナルド・アデアが住んでいた
パークレーン427番地と思われる建物(その2)

パークレーンの番地数は、ハイドパークコーナーからマーブルアーチへ向かって増えていくが、100番台前半で終わるため、青年貴族ロナルド・アデアが住んでいたパークレーン427番地は、現在の住所表記上は存在しておらず、架空の住所である。

2015年6月21日日曜日

ロンドン イングランド銀行(Bank of England)—その1

イングランド銀行の建物正面

アガサ・クリスティー作「百万ドル債券盗難事件(The Million Dollar Bond Robbery)」(1924年ー「ポワロ登場(Poirot Investigates)」に収録)は、フィリップ・リッジウェイ(Philip Ridgeway)の婚約者エズミー・ダルリーシュ(Esmee Dalgleish)がエルキュール・ポワロの元を事件の相談に訪れるところから始まる。

地下鉄バンク駅の出口手前にある踊り場—
右側へ上がると、スレッドニードルストリートやイングランド銀行へ、
左側へ上がると、プリンシズストリートやロスベリー通りへ行ける

彼女によると、フィリップは、ロンドン&スコティッシュ銀行(London and Scottish Bank)に勤務しており、同行の副支店長ヴァヴァソア氏(Mr Vavasour)の甥である。フィリップは、伯父で副支店長のヴァヴァソア氏と支店長のショー氏(Mr Shaw)の指示を受けて、米国における同行の信用枠を増額するため、1百万ドルの自由公債をニューヨークへ運搬する役目を請け負った。1百万ドルの自由公債は、フィリップの面前でカウントされ、封印された上で、特別な鍵でしか解錠できない革製の旅行鞄に入れられた。
ところが、フィリップが乗船した汽船オリンピア(Olympia)がニューヨークに着く数時間前に、鞄の中から自由公債が全て紛失していることが判明。ニューヨーク税関が船を封鎖して、船内を捜索するも、紛失した自由公債は発見できなかった。更に、紛失した自由公債は、汽船オリンピアがニューヨークに着く前に売却されていたことが、後で判ったのである。果たして、1百万ドルの自由公債はどのようにして盗難されたのか?
フィリップの婚約者エズミーの依頼を受けて、ポワロが捜査に乗り出す。


スレッドニードルストリート側に面した
地下鉄バンク駅の出口

英国TV会社ITV1が放送していたポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」の「百万ドル債券盗難事件」(1991年)は、強い雨が降るある朝、ショー氏とヴァヴァソア氏の2人が地下鉄バンク駅(Bank Tube Station)からスレッドニードルストリート(Threadneedle Street)側に面した出口から外に出て来る場面から始まる。
強い雨の中、傘をさして、プリンシズストリート(Princes Street)をロンドン&スコティッシュ銀行へと向かう2人、そして、彼らの後をつける謎の赤い車。プリンシズストリートとロスベリー通り(Lothbury)の角にある花屋スタンドに立ち寄るヴァヴァソア氏。ヴァヴァソア氏をその場に残して、ショー氏は独りロスベリー通りを横断しようとしたその瞬間、謎の赤い車が突然加速して、ショー氏へと向かって来る。それに気付いて、ショー氏の助けに入ろうとするヴァヴァソア氏と花屋の主人。間一髪のところで、ショー氏は謎の赤い車に轢き殺されるところだった。
元々、1百万ドルの自由公債をニューヨークへ運搬する役目には、ショー氏が選ばれていたのだが、何者かがそれを妨害しようと、ショー氏をつけ狙っているようである。果たして、誰がショー氏の命を奪おうとしているのか?謎の赤い車と同じ車を保有しているフィリップ・リッジウェイが疑われるが、彼は数週間前に自分の車を既に売却したと主張するのであった。

プリンシズストリート沿いにある
イングランド銀行建物の外壁の扉装飾

ショー氏とヴァヴァソア氏が出て来た地下鉄バンク駅の出口やヴァヴァソア氏が花を買おうとして立ち寄った花屋のスタンドがあった場所は、実際には、イングランド銀行(Bank of England)の建物の一部である。


プリンシズストリート側に面した
地下鉄バンク駅の出口

地下鉄バンク駅の出口は、今現在も、TVドラマとは全く変わらないまま存在している。本当は、もう一つ、プリンシズストリート側に面した出口があり、位置関係的には、こちらの方が近いが、こちらの出口の前の歩道はかなり狭いこと、また、出口の前には横断歩道用の信号機があること等から、ドラマの撮影上難しいということで、スレッドニードルストリート側に面した出口の方が、撮影場所として選ばれたものと思われる。

プリンシズストリート側から見た
ロスベリー通りへのショートカット

TVドラマでは、画面左手のところに
花屋のスタンドが営業していた

また、ヴァヴァソア氏が立ち寄った花屋のスタンドは、プリンシズストリートからロスベリー通りへのショートカットに該る場所で営業していたが、厳密には、イングランド銀行の敷地内であり、許可なく、ここでの営業はできないはずである。もちろん、ドラマの撮影時には、イングランド銀行から事前の許可を得たものと思うものの、ドラマの場面を観ていて、ちょっと気になった。ただし、ドラマの中では、ショー氏とヴァヴァソア氏がロンドン&スコティッシュ銀行へと向かう途中に横を通った建物がイングランド銀行であるという描写は、特になかった。


右側の通りがプリンシズストリートで、
左側の通りがロスベリー通り—
ショー氏は画面左手にある横断歩道の辺りで
謎の赤い車に轢き殺されそうになった

アガサ・クリスティーの原作(ポワロは、フィリップの婚約者エズミーから、1百万ドルの自由公債盗難後に、事件捜査の依頼を受けている)とは異なり、TVシリーズでは、ポワロは、ロンドン&スコティッシュ銀行から、1百万ドルの自由公債運搬前に、事件捜査の依頼をうけており、彼は、ヘイスティングス大尉を連れて、同行を訪問している。ロンドン&スコティッシュ銀行も、ドラマの場面に出てくるが、おそらく、ロンバードストリート(Lombard Street)で撮影されたものと思われる。ただし、ロンバードストリートは、実際には、地下鉄バンク駅からショー氏とヴァヴァソア氏が向かったプリンシズストリートやロスベリー通りとは全く正反対の場所にあり、位置関係的には、整合性がとれていない。