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| タヴィストックスクエアガーデンズの中央に設置されている マハトマ・ガンディーのブロンズ像を正面から見たところ <筆者撮影> |
1912年8月10日に結婚した英国の小説家 / 評論家であるヴァージニア・ウルフ(Virginia Woolf / 本名:アデリーン・ヴァージニア・スティーヴン(Adeline Virginia Stephen):1882年ー1941年)と英国の作家 / 出版業者 / 公務員であるレナード・シドニー・ウルフ(Leonard Sidney Woolf:1880年ー1969年)の2人は、1914年の秋から約10年間を過ごしたリッチモンド(Richmond → 2018年3月17日 / 3月24日付ブログで紹介済)を離れ、ロンドンの中心部へと戻り、1924年3月、タヴィストックスクエア52番地(52 Tavistock Square → 2026年8月11日 / 8月17日付ブログで紹介済)に居を構えた。
2人がパラダイスロード34番地 / ホガースハウス(Hogarth House, 34 Paradise Road → 2026年7月31日 / 8月5日付ブログで紹介済)の居間に設立した出版社「ホガースプレス(Hogarth Press)」は、タヴィストックスクエア52番地の建物の地下に設置された。
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| ナショナルポートレイトギャラリー (National Portrait Gallery)で販売されている ヴァージニア・ウルフの肖像写真の絵葉書 (by George Charles Beresford / 1902年7月 / platinum print / 152 mm x 108 mm) |
ヴァージニア・ウルフとレナード・シドニー・ウルフの2人は、1924年から第二次世界大戦(1939年-1945年)が始まった1939年までの間、タヴィストックスクエア52番地に住むことになる。
現在、タヴィストックスクエア52番地の跡地には、タヴィストックホテル(Tavistock Hotel)が建っている。
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| 画面奥に見える建物は、 ヴァージニア・ウルフとレナード・シドニー・ウルフの2人が 約10年間を過ごしたリッチモンドを離れ、ロンドンの中心部へと戻り、 1924年3月に移ったタヴィストックスクエア52番地の跡地に建つタヴィストックホテル - 手前に見える庭園は、タヴィストックスクエアガーデンズ。 <筆者撮影> |
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| タヴィストックホテルの玄関左側の外壁に掛けられている 英国ヴァージニア・ウルフ協会のプラークには、 ヴァージニア・ウルフとレナード・ウルフの2人が、1924年から1939年までの間、 タヴィストックスクエア52番地の建物に住んでいたことが記されている。 <筆者撮影> |
タヴィストックスクエア52番地の建物が面するタヴィストックスクエア(Tavistock Square)の中央に設けられたタヴィストックスクエアガーデンズ(Tavistock Square Gardens)の南西の角に、英国ヴァージニア・ウルフ協会(Virginia Woolf Society of Great Britain)により、ヴァージニア・ウルフのブロンズ胸像が設置されている。
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| タヴィストックスクエアガーデンズの南西の角に設置されている ヴァージニア・ウルフのブロンズ胸像のアップ <筆者撮影> |
タヴィストックスクエアガーデンズ内には、ヴァージニア・ウルフのブロンズ胸像以外に、以下のブロンズ像が設置されている。
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| 「Nicholson - Super Scale - London Atlas」から ブルームズベリー地区近辺の地図を抜粋。 |
(1)マハトマ・ガンディー(Mahatma Gandhi:1869年ー1948年)
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| タヴィストックスクエアガーデンズの中央に設置されている マハトマ・ガンディーのブロンズ像を背面から見たところ <筆者撮影> |
マハトマ・ガンディーは、インドの宗教家 / 政治指導者で、本名はモーハンダース・カラムチャンど・ガンディー(Mohandas Karamchand Gandhi)。
彼は、1869年10月2日、英国領インド帝国、現在のグジャラート州の港町ポールバンダルに、当時のポールバンダル藩王国の宰相であるカラムチャンド・ガンディーと夫人のプラリーバーイーの四男として出生。
南アフリカにおいて、弁護士として働く一方で、公民権運動に参加。
帰国後、民衆暴動やゲリラ戦ではなく、「非暴力不服従」を提唱の上、インドの英国からの独立運動を指揮して、1947年8月、独立を勝ち取ったことにより、「インド独立の父」として知られている。
その半年後の1948年1月30日、民族義勇団(RSS)の活動家によって暗殺された。
マハトマ・ガンディーのブロンズ像は、ポーランドの彫刻家 / 女優であるフレッダ・ブリリアント(Fredda Brilliant:1903年ー1999年)によって制作され、1968年にタヴィストックスクエアガーデンズの中央に設置された。
| ユニヴァーシティー・カレッジ・ロンドンの入口から見た 主要校舎ウィルキンスビル(Wilkins Building) <筆者撮影> |
マハトマ・ガンディーは、18歳の時、ロンドンへ来て、ユニヴァーシティー・カレッジ・ロンドン(University College London → 2015年8月16日付ブログで紹介済)で学んでおり、タヴィストックスクエアガーデンズがユニヴァーシティー・カレッジ・ロンドンの近くにあることから、同ガーデンズが設置場所として選定されたものと思われる。
(2)ルイーザ・ブランドレス・アルドリッヒ=ブレイク(Louisa Brandreth Aldrich-Blake:1865年ー1925年)
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| タヴィストックスクエアガーデンズの南東の角に設置されている ルイーザ・ブランドレス・アルドリッヒ=ブレイクのブロンズ胸像の全体 <筆者撮影> |
ルイーザ・ブランドレス・アルドリッヒ=ブレイクは、英国の外科医で、英国において、直腸癌(rectal cancer) / 子宮頸管部癌(cervical cancer)の外科手術を行った女性の一人である。
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| タヴィストックスクエアガーデンズの南東の角に設置されている ルイーザ・ブランドレス・アルドリッヒ=ブレイクのブロンズ胸像のアップ <筆者撮影> |
ルイーザ・ブランドレス・アルドリッヒ=ブレイクのブロンズ像の場合、胸像は、英国の彫刻家 / 画家であるアーサー・ジョージ・ウォーカー(Arthur George Walker :1861年ー1939年)によって制作され、また、台座は、英国の建築家であるサー・エドウィン・ランドシーア・ルトイェンツ(Sir Edwin Landseer Lutyens :1869年ー1944年)によって制作され、1927年にタヴィストックスクエアガーデンズの南東の角に設置された。
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| ロンドン大学の本部が置かれているセナトハウス (Senate House → 2017年1月15日付ブログで紹介済) <筆者撮影> |
ルイーザ・ブランドレス・アルドリッヒ=ブレイクは、ロンドン大学(University of London → 2016年8月6日付ブログで紹介済)で学んでおり、タヴィストックスクエアガーデンズがロンドン大学の近くにあることから、同ガーデンズが設置場所として選定されたものと思われる。














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