2021年3月9日火曜日

ロンドン チェスタースクエア24番地(24 Chester Square, Belgravia, London SW1W 9HS) - その1

フランケンシュタインの怪物を創造した英国の小説家である
メアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィン・シェリーが住んでいた家が、
シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)の
ベルグレーヴィア地区(Belgravia)内にある。


キャヴァン・スコット(Cavan Scott)作「シャーロック・ホームズ 継ぎ接ぎ細工の悪魔(Sherlock Holmes The Patchwork Devil)」(2016年)にも登場したフランケンシュタインの怪物を創造したのは、英国の小説家メアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィン・シェリー(Mary Wollstonecraft Godwin Shelley:1797年ー1851年)である。


メアリー・シェリーは、1797年8月30日、無神論者でアナーキズムの先駆者である父ウィリアム・ゴドウィンとフェミニズムの先駆者である母メアリー・ウルストンクラフトの元に出生したが、10日程後に母は産褥熱のため死去してしまった。


メアリー・シェリーが住んでいた家は、
チェスタースクエア24番地の建物である。


彼女(当時の名前は、まだメアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィン)は、1813年頃、英国のロマン派詩人であるパーシー・ビッシュ・シェリー(Percy Bysshe Shelley:1792年ー1822年)と出会い、付き合うようになる。ただ、当時、パーシー・シェリーは、妻帯者だったため、彼との恋愛に父親であるウィリアム・ゴドウィンは大反対をし、その結果、彼女は、パーシー・シェリーと一緒に、欧州大陸へ駆け落ちをするのであった。

チェスタースクエア24番地の建物は、
訪れた際、生憎と、改装工事中だった。


一旦、欧州大陸から英国に帰国するものの、パーシー・シェリーの友人で、英国のロマン派詩人である第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロン(George Gordon Byron, 6th Baron Byron:1788年ー1824年)に誘われて、1816年5月、バイロン卿、彼の愛人であるクレア・クレモント(Claire Clairmont:1798年−1879年 / メアリー・シェリーの義姉妹)、パーシー・シェリーと彼女の4人は、スイス / ジュネーヴ近郊のレマン湖畔にあるディオダディ荘(Villa Diodati)に滞在した。

ナショナルポートレートギャラリー
(National Portrait Gallery)で販売されている
第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロンの肖像画の葉書
(Richard Westall
 / 1813年 / Oil on canvas
914 mm x 711 mm) 

同年7月、長く降り続く雨のため、屋内に閉じ込められていた折、バイロン卿は、「皆で一つずつ怪奇譚を書こう。(We will write a ghost story.)」と、他の3人に提案した。このディオダディ荘での怪奇談議を切っ掛けに、彼女は、フランケンシュタインの怪物の着想を得て、小説の執筆に取りかかった。

チェスタースクエア24番地の建物の前にある庭園は、
周りの住民のみが使用可能。


同年9月、彼ら4人が英国に帰国した後、同年12月にパーシー・シェリーの妻ハリエット・シェリー(Harriet Shelley:1795年ー1816年)がハイドパーク(Hyde Park → 2015年3月14日付ブログで紹介済)のサーペンタイン湖(Serpentine → 2015年3月15日付ブログで紹介済)で入水自殺したため、メアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィンは、パーシー・シェリーと正式に結婚して、メアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィン・シェリーとなったのである。

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