2016年8月27日土曜日

ロンドン クリミア戦争碑(Crimean War Memorial):フローレンス・ナイチンゲールーロンドンでの所縁の地(その2)

夕闇に浮かぶクリミア戦争碑

(2)クリミア戦争碑(Crimean War Memorial)
   住所: ウォーターループレイス(Waterloo Place)


トラファルガースクエア(Trafalgar Square)からセントジェイムズ宮殿(St. James's Palace)方面へ向かって西に延びるパル・マル通り(Pall Mallー2016年4月30日付ブログで紹介済)の途中にウォーターループレイスと呼ばれる広場があり、ここにクリミア戦争碑が建っている。

昼間のクリミア戦争碑

パル・マル通り側から見て、中央にクリミア戦争碑が、左側にフローレンス・ナイチンゲール像が、そして、右側にシドニー・ハーバート像が建っている。

クリミア戦争碑の正面

クリミア戦争碑の裏面

クリミア戦争碑は、セヴァストポールの戦い(Siege of Sevastopol)で使用された大砲からとったブロンズで、英国の彫刻家であるジョン・ベル(John Bell:1811年ー1895年)により制作され、1861年に除幕された。

古い英国10ポンド紙幣に描かれているフローレンス・ナイチンゲール

フローレンス・ナイチンゲール像

フローレンス・ナイチンゲール像の台座正面

フローレンス・ナイチンゲール像の台座左面

フローレンス・ナイチンゲール像の台座右面

フローレンス・ナイチンゲール像の台座裏面

フローレンス・ナイチンゲール像は、英国の彫刻家アーサー・ジョージ・ウォーカー(Arthur George Walker:1861年ー1939年)によって制作されている。

初代ハーバート・オブ・リー男爵
シドニー・ハーバート像

ちなみに、右側に建つブロンズ像のモデルになった初代ハーバート・オブ・リー男爵シドニー・ハーバート(Sidney Herbert, 1st Baron Herbert of Lea:1810年ー1861年)は、ピール派(Peelite)とホイッグ党(Whig Party)によって組閣された第4代アバディーン伯爵ジョージ・ハミルトンーゴードン(George Hamilton-Gordon, 4th Earl of Aberdeen)率いる連立政権(1852年12月ー1855年1月)に、ピール派から閣僚の一人として戦時大臣として入閣した。

シドニー・ハーバート像の台座正面

シドニー・ハーバート像の台座左面

シドニー・ハーバート像の台座右面

クリミア戦争(Crimean War:1853年ー1856年)をめぐって、彼は他のピール派閣僚と一緒に平和派に属して、参戦に反対したが、ホイッグ党閣僚に押し切られる形となり、英国はクリミア戦争に参戦することになった。そういった経緯に基づいて、クリミア戦争碑の右側にシドニー・ハーバート像が設置されたものと思われる。

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