2016年3月19日土曜日

ロンドン ロンドンブリッジ駅(London Bridge Station)

テムズ河北岸から「ザ・シャード」ビルを望む

サー・アーサー・コナン・ドイル作「ブルース・パーティントン型設計図(The Bruce-Partington Plans)」では、1895年11月の第3週の木曜日、ある電報がベイカーストリート221B(221B Baker Street  → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)のシャーロック・ホームズの元に届けられるところから、物語が始まる。その電報は、シャーロックの兄であるマイクロフト・ホームズ(Mycroft Holmes)からで、「カドガン・ウェストの件で会う必要がある。直ぐにそちらへ行く。マイクロフト(Must see you over Cadogan West. Coming at once. Mycroft)」という文面だった。兄マイクロフトがやって来る前に事実関係を把握すべく、シャーロック・ホームズはジョン・ワトスンに対して、新聞に載っている記事を調べるよう、依頼する。
新聞によると、火曜日の朝、ウールウィッチ兵器工場(Woolwich Arsenal)に勤めるアーサー・カドガン・ウェスト(Arthur Cadogan West)が地下鉄オルドゲイト駅(Aldgate Tube Station)の線路脇で死体となって発見された、とのことだった。前日の月曜日の夜、彼は婚約者のヴァイオレット・ウェストベリー(Violet Westbury)をその場に残したまま、突然霧の中を立ち去ってしまったと言う。そして、翌朝、彼の死体が発見されるまでの消息は不明であった。

ホームズの元を訪れたマイクロフトによると、死体となった彼のポケットからは、英国政府の最高機密で、ウールウィッチ兵器工場の金庫室内に厳重に保管されていたはずの「ブルース・パーティントン型潜水艦」の設計図10枚のうちの7枚が出てきた。ところが、一番重要な残り3枚はどこにもなかったのである。
マイクロフトは、シャーロックに対して、(1)新型潜水艦の設計図が何故持ち出されたのか、(2)アーサー・カドガン・ウェストは本件にどのように関与しているのか、(3)彼はどのようにして殺されて、現場まで運ばれたのか、そして、(4)残りの3枚の設計図は一体どこへ消えたのかを早急に調べるよう、強く要請した。そこで、シャーロックは、ワトスンを連れて、地下鉄オルドゲイト駅へと向かった。

地下鉄オルドゲイト駅での調査を終えた後、ワトスンと一緒にウールウィッチへ向かう途中、ホームズはロンドンブリッジ駅(London Bridge Station)に立ち寄った。

ロンドンブリッジ駅の入口

ロンドンブリッジ駅で、ホームズは兄のマイクロフト宛に電報を打った。電報を打つ前に、彼は私に内容を見せてくれた。次のような文面であった。

暗闇の中に一筋の光明が見えたが、今にも消えてしまうかもしれない。それまでの間に、英国に居る外国のスパイや国際的なエージェントの完全な一覧表を、彼らの住所付きで、ベイカーストリートへ届けてくれ。
シャーロック

「ワトスン、これは役に立つに違いない。」と、私達がウールウィッチ行きの列車に乗った際、彼が言った。「間違いなく、僕達はマイクロフトに大きな借りができたな。何故なら、本当に注目すべき事件になりそうなヤマを、彼は僕達に紹介してくれたんだからね。」

ガラス張りの壁面に設置されているロンドンブリッジ駅名の表示

At London Bridge, Holmes wrote a telegram to his brother, which he handed to me before dispatching it. It ran thus:

See some light in the darkness, but it may possibly flicker out. Meanwhile, please send by messenger, to await return at Baker Street, a complete list of all foreign spies or international agents known to be in England, with full address.
SHERLOCK

'That should be helpful, Watson,' he remarked as we took our seats in the Woolwich train. 'We certainly owe brother Mycroft a debt for having introduced us to what promises to be a really very remarkable case.'

撮影時は帰宅時間帯(午後6時頃)だったため、
ロンドンブリッジ駅は帰宅客で混雑していた

ウールウィッチへと向かう前に、シャーロック・ホームズが兄のマイクロフト・ホームズ宛に電報を打ったロンドンブリッジ駅は、現在、ナショナルレールと地下鉄が乗り入れている駅で、ロンドン・サザーク区(London Borough of Southwark)内に所在している。
ナショナルレールについて言うと、テムズ河(River Thames)の南岸にある二大ターミナル駅の一つで、もう一つはウォータールー駅(Waterloo Station)である。地下鉄に関して、ジュビリーライン(Jubilee Line)とノーザンライン(Northern Line)の2線が乗り入れている。

ロンドンブリッジ駅の電光掲示板

ロンドンブリッジ駅が1836年12月14日に開業した後、1864年1月に通過型プラットフォームが導入されて、ロンドンブリッジ駅からウォータールーイースト駅(London Waterloo East Station)、チャリングクロス駅(Charing Cross Station)、ブラックフライアーズ駅(Blackfriars Station)やキャノンストリート駅(Cannon Street Station)の各駅まで路線が延長された。
ロンドンブリッジ駅からは、英国の南部と南東部へ向かう列車が発着している。

サザーク大聖堂(Southwark Cathedral)越しに見上げた
「ザ・シャード」ビル

利用客の大幅な増加に対応するため、現在、ロンドンブリッジ駅は数年間にわたる大改装工事中であるが、工事計画の策定が不十分だったことが要因となり、連日大混乱に陥っている。特に、朝の通勤時と夕方の帰宅時には、プラットフォーム内の大混雑を避けるべく、入場規制がかけられ、改札口には長蛇の列が伸びて、利用客からは大きな不満が寄せられている。ロンドン市長がロンドンブリッジ駅を管理するネットワークレール(Network Rail)に対して改善策の検討を強く要請しているが、今のところ、目立った進展は見られていない

真下から見上げた「ザ・シャード」ビル

ロンドンブリッジ駅の近く(南西側)には、現在、「硝子(ガラス)の破片」を意味する「ザ・シャード(The Shard)」、または、「シャード・ロンドンブリッジ(Shard London Bridge)」という超高層ビル(地上87階建ー尖塔の高さ:309.6m)が聳え建っている。外観が竣工した当時(2012年7月5日)、ヨーロッパ一の高さを誇るビルであったが、その後、ロシア/モスクワに建設された「マーキュリー・シティー・タワー(Mercury City Tower)」に抜かれたため、今は西ヨーロッパ一の高さとなっている。

イタリア人風景画家のカナレットが当時住んでいた
ビークストリート(Beak Street)沿いの建物ー
ビークストリートは、カーナビーストリート(Carnaby Street)の近く

設計者は、フランス/パリのポンピドゥーセンター(Pompidou Centre)や日本の関西国際空港旅客ターミナルビル等の設計で知られるイタリア人建築家のレンゾ・ピアノ(Renzo Piano)で、18世紀のイタリア人風景画家カナレット(Canaletto:1697年ー1768年 本名:ジョヴァンニ・アントニオ・カナール Giovanni Antonio Canal)がロンドンの風景画に描いた教会の尖塔や帆船のマストに着想を得た、とのこと。ビルは、「ザ・シャード」の名の通り、互いに接触しない8つのガラス張りの面から構成されている。

カナレットが住んでいたことを示す表示が
建物外壁に掛けられている

2016年3月13日日曜日

ロンドン アルバート公記念碑(Albert Memorial)

アルバート公記念碑の全景

アガサ・クリスティー作「ひらいたトランプ(Cards on the Table)」(1936年)は、エルキュール・ポワロが謎多き裕福な蒐集家であるシャイタナ氏(Mr Shaitana)からブリッジパーティーへの招待を受けるところから、物語が始まる。「まだ告発されていない殺人犯を招いた上でのパーティーだ。」と言うシャイタナ氏の趣旨に興味を覚えたポワロは、パーティーへの参加を決める。

アルバート公記念碑を囲む柵のアップ

シャイタナ氏の自宅で行われたパーティーに招待されたのは、以下の8人だった。
(1)探偵組
*エルキュール・ポワロ
*バトル警視(Superintendent Battle)ースコットランドヤードの警察官
*レイス大佐(Colonel Race)ー秘密情報局の情報部員
*アリアドニ・オリヴァー夫人(Mrs Ariadne Oliver)ー女流推理作家
(2)容疑者組
*ロバーツ医師(Dr Roberts)ー成功をおさめた中年の医師
*ロリマー夫人(Mrs Lorrimer)ーブリッジ好きな初老の女性
*デスパード少佐(Major Despard)ー未開地を探索する探検家
*アン・メレディス(Anne Meredith)ー内気で若く麗しい女性

アルバート公記念碑を見上げたところ

食事の最中、シャイタナ氏はパーティーの出席者に対して、謎めいた告発を行う。そして、食事が済むと、容疑者組の4人はメインルーム(客間)で、また、探偵組の4人は別の部屋でブリッジを始めることとなった。シャイタナ氏はメインルームの暖炉の側に置かれた椅子を自分の居場所として、ブリッジへの参加を辞退する。
ブリッジが終わり、ポワロとレイス大佐がシャイタナ氏に暇を告げようとした際、彼らはシャイタナ氏が彼の蒐集品であるナイフで胸を刺されて死んでいるのを発見する。
果たして、シャイタナ氏が謎めいた告発をした対象の人物は誰だったのか?そして、その人物がシャイタナ氏を刺殺したのだろうか?
名探偵、警察官や情報部員等が同席しているパーティーの最中、大胆にも行われた犯行を解き明かすべく、ポワロの灰色の脳細胞が、ブリッジの点数表の内容にその糸口を見いだすのであった。

金色に輝くアルバート公像

英国のTV会社ITV1で放映されたポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」の「ひらいたトランプ」(2006年)の回では、シャイタナ氏が住むピーコックハウス(Peacock House→外観はデベナムハウス<2016年2月21日付ブログ御参照>が、そして、内部はレイトンハウス博物館<2016年3月5日付ブログ御参照>が、撮影に使用されている)で、彼が刺し殺された翌朝、探偵役であるポワロ、アリアドニ・オリヴァー夫人、ジム・ウィラー警視(Superintendent Jim Wheelerーアガサ・クリスティーの原作では、バトル警視)とヒューズ大佐(Colonel Hughesーアガサ・クリスティーの原作では、レイス大佐)の4人が歩く場面の背景として、アルバート公記念碑(Albert Memorial)が使用されている。

横から見たアルバート公像

世界最大で最強の国を誇った大英帝国の黄金期を築いたヴィクトリア女王(Queen Victoria:1819年ー1901年 在位期間:1837年ー1901年)を支えた夫君がアルバート公(Albert Prince Consort:1819年ー1861年)で、アルバート公記念碑は彼の業績を記念する像である。
アルバート公は、元々、ドイツ出身だたこともあって、1840年にヴィクトリア女王と結婚した以降も、英国民になかなか受け入れられなかったが、1851年に彼が世界で最初の万国博覧会(Great Exhibition)であるロンドン万博を大成功に導いたことにより、やっと英国民に受け入れられることとなった。

ケンジントンロードを挟んで
反対側に建つロイヤルアルバートホール

大成功をおさめたロンドン万博の余剰金を使って、後に、シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のブロンプトン地区(Brompton)には、アルバート公の名を冠したヴィクトリア&アルバート博物館(Victoria and Albert Museum)やロイヤルアルバートホール(Royal Albert Hall)が建設された。

アルバート公像の四方に設置されている「農業」像
アルバート公像の四方に設置されている「商業」像

1861年12月14日、アルバート公が42歳の若さで腸チフスにより死去したため、彼の記念碑を建設する計画が1862年1月に始まり、記念碑の設計案は最終的に二つに絞り込まれて、1863年2月にヴィクトリア女王に渡された。そして、その2ヶ月後の同年4月に、ゴシック復興様式(Gothic Revival Style)をベースとする建築家サー・ジョージ・ギルバート・スコット(Sir George Gilbert Scott:1811年ー1878年)の設計案が承認された。
その後、アルバート公記念碑の建設が始まり、10年近くの歳月を要し、ヴィクトリア女王による除幕が行われたのは、1872年7月にあったが、金色に輝くアルバート公の像が設置されたのは、3年後の1875年である。
アルバート公記念碑の建設費用として、当時のお金で12万ポンドを要したと言われている。現在の貨幣価値で言うと、約1千万ポンド(約20億円)に相当するとのこと。

アルバート公像の四方に設置されている「工学/技術」像
アルバート公像の四方に設置されている「製造業」像

アルバート公記念碑は、地下鉄ナイツブリッジ駅(Knightsbridge Tube Station)から地下鉄ハイストリートケンジントン駅(High Street Kensington Tube Station)へ向かって西に延びるケンジントンロード(Kensington Road)を間に挟んで、ロイヤルアルバートホールとは反対のケンジントンガーデンズ(Kensington Gardens)の南端に建ち、ロイヤルアルバートホールを見守っている。

アルバート公記念碑の四隅に置かれている「アジア」像
アルバート公記念碑の四隅に置かれている「アフリカ」像

アルバート公の像の四方には、大英帝国の繁栄をモチーフにした以下の像が設置されている。
(1)農業(Agriculture)
(2)商業(Commerce)
(3)工学/技術(Engineering)
(4)製造業(Manufactures)

アルバート公記念碑の四隅に置かれている「アメリカ」像
アルバート公記念碑の四隅に置かれている「ヨーロッパ」像

また、記念碑の四隅には、大英帝国が支配した大陸をモチーフにした以下の像が置かれている。
(1)アジア(Asia)
(2)アフリカ(Africa)
(3)アメリカ(America)
(4)ヨーロッパ(Europe)

2016年3月12日土曜日

ロンドン ウールウィッチ(Woolwich)

ロンドン・ランベス区(London Borough of Lambeth)区内にある帝国戦争博物館(Imperial War Museum)―
ウールウィッチ内にある訳ではないので、誤解なきよう

サー・アーサー・コナン・ドイル作「ブルース・パーティントン型設計図(The Bruce-Partington Plans)」では、1895年11月の第3週の木曜日、ある電報がベイカーストリート221B(221B Baker Street  → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)のシャーロック・ホームズの元に届けられるところから、物語が始まる。その電報は、シャーロックの兄であるマイクロフト・ホームズ(Mycroft Holmes)からで、「カドガン・ウェストの件で会う必要がある。直ぐにそちらへ行く。マイクロフト(Must see you over Cadogan West. Coming at once. Mycroft)」という文面だった。兄マイクロフトがやって来る前に事実関係を把握すべく、シャーロック・ホームズはジョン・ワトスンに対して、新聞に載っている記事を調べるよう、依頼する。


新聞によると、火曜日の朝、ウールウィッチ兵器工場(Woolwich Arsenal)に勤めるアーサー・カドガン・ウェスト(Arthur Cadogan West)が地下鉄オルドゲイト駅(Aldgate Tube Station)の線路脇で死体となって発見された、とのことだった。前日の月曜日の夜、彼は婚約者のヴァイオレット・ウェストベリー(Violet Westbury)をその場に残したまま、突然霧の中を立ち去ってしまったと言う。そして、翌朝、彼の死体が発見されるまでの消息は不明であった。


「アーサー・カドガン・ウェストの死体が発見された現場脇の線路は、西側から東方面へ向かう列車が通過する場所で、メトロポリタン線の列車もあれば、ウィルスデンや郊外の駅から来る列車もある。この青年が死を迎えた際、夜遅い時間に、この方向(西→東)へ向かっていたことは確かだが、彼がどこから列車に乗ったのかが判らない。」
「(彼の)切符を調べれば、彼がどこから列車に乗ったのかが判る筈だ。」
「彼のポケットには、切符がなかったそうだ。」
「切符がない!ワトスン、どういうことだ。これは非常に奇妙だな。僕の経験によれば、切符を見せないで、メトロポリタン線のプラットフォームへ行くことはできない筈だ。ということは、おそらく、この青年は切符を所持していた。彼が乗った駅を判らなくするために、切符は奪われたのだろうか?その可能性はある。それとも、彼は列車内に切符を落としたのか?それもありうる。しかし、これは非常に興味深い点だ。物盗りの痕跡はなかったんだな?」
「全くなかったそうだ。ここに彼の所持品リストがある。彼の財布には、2ポンド15シリングが入っていた。また、彼はキャピタル&カウンティーズ銀行ウールウィッチ支店の小切手帳も身につけていた。この小切手帳があったため、彼の身元が判明したんだ。それに加えて、正にその晩のウールウィッチ劇場の特等席の切符が2枚あった。更に、技術的な書類の小さな束もあったと書かれている。」
ホームズは満足気な声をあげた。
「ワトスン、遂に辿り着いたな!英国政府ーウールウィッチ兵器工場ー技術的な書類ー兄マイクロフト、全てが繋がった。しかし、もし間違いでなければ、彼が来たようだから、自分で話してもらおう。」

帝国戦争博物館の正面全景

'The trains which traverse the lines of rail beside which the body was found are those which run from west to east, some being purely Metropolitan, and some from Willesden and outlying junctions. It can be stated for certain that this young man, when he met his death, was travelling in this direction at some late hour of the night, but at what point he entered the train it is impossible to state!'
'His ticket, of course, would show that.'
'There was no ticket in his pockets.'
'No ticket! Dear me, Watson, this is really very singular. According to my experience it is not possible to reach the platform of a Metropolitan train without exhibiting one's ticket. Presumably, then, the young man had one. Was it taken from him in order to conceal the station from which he came? It is possible. Or did he drop it in the carriage? That is also possible. But the point is of curious interest. I understand that there was no sign of robbery?'
'Apparently not. There is a list here of his possessions. His purse contained two pounds fifteen. He had also a chequebook on the Woolwich branch of the Capital and Counties Bank. Through this his identity was established. There were also two dress-circle tickets for the Woolwich Theatre, dated for that very evening. Also a small packet of technical papers.'
Holmes gave an exclamation of satisfaction.
'There we have it at last, Watson! British government - Woolwich Arsenal - technical papers - brother Mycroft, the chain is complete. But here he comes, if I am not mistaken, to speak for himself.'


アーサー・カドガン・ウェストが勤務していた兵器工場があるウールウィッチ(Woolwich)は、ロンドン南東にあるグリニッチ王立区(Royal Borough of Greenwich)内に所在している。
ウールウィッチには、鉄器時代から人が住んでいたと言われており、ローマ時代の要塞跡も残っている。ウールウィッチの語源は、アングロ・サクソン語の「羊毛を取引する場所」からきていると一般に理解されている。

Geraldine Mary Harmsworth Garden 内にある
チベット平和庭園(その1)

Geraldine Mary Harmsworth Garden 内にある
チベット平和庭園(その2)

ウールウィッチは小さな村であったが、
・ウールウィッチ造船所(Woolwich Dockyardー1512年)
・王立兵器工場(Royal Arsenalー1671年)
・王立砲兵隊(Royal Artilleyー1716年)  
・王立陸軍学校(Royal Military Academyー1741年)
等の設置/駐屯により、英国陸軍関係/軍需関係の街として発展した。


英国フットボールのプレミアリーグに属する強豪チームの一つであるアーセナルフットボールクラブ(Arsenal Football Club)は、元々、王立兵器工場に勤務する労働者によって、1886年にウールウィッチで設立された。フットボールクラブは、「Dial Square」、「Royal Arsenal」、そして、「Woolwich Arsenal」と名前を変えたが、1913年に北ロンドンのハイブリー(Highbury)へ移転しまい、チーム名から「ウールウィッチ」が外れてしまった。

Geraldine Mary Harmsworth Garden に春が訪れつつある

ウールウィッチは、19世紀までケント(Kent)に属しながら、ロンドンの郊外を形成していたが、1889年に正式にロンドンの一部となった。ウールウィッチは、1900年にエルサム(Eltham)等と共にウールウィッチ都市圏区(Metropolitan Borough of Woolwich)となり、1965年にグリニッチ区(Borough of Greenwich)へと変わり、現在のグリニッチ王立区となった。


1968年にドイツ企業のシーメンス社(Siemens)が工場を閉鎖した後、王立兵器工場が業容を縮小し、最終的には1994年に閉鎖になると、ウールウィッチは衰退の道を辿る。
王立兵器工場跡地の再開発プロジェクト(住宅化)が開始すると、ウールウィッチに今まで進出していなかった英国チェーン店舗が開店した。更に、ドックランド線(Docklands Light Railway)のロンドンシティー空港支線(London City Airport branch)のウールウィッチ兵器工場駅(Woolwich Arsenal Station)が2009年1月10日にオープンした。

2012年のロンドンオリンピック/パラリンピックにおいて、ウールウィッチでは射撃関係の競技が開催されている。

2016年3月6日日曜日

ロンドン レイトンハウス博物館(Leighton House Museum)

赤レンガの外観が映えるレイトンハウス博物館

アガサ・クリスティー作「ひらいたトランプ(Cards on the Table)」(1936年)は、エルキュール・ポワロが謎多き裕福な蒐集家であるシャイタナ氏(Mr Shaitana)からブリッジパーティーへの招待を受けるところから、物語が始まる。「まだ告発されていない殺人犯を招いた上でのパーティーだ。」と言うシャイタナ氏の趣旨に興味を覚えたポワロは、パーティーへの参加を決める。


シャイタナ氏の自宅で行われたパーティーに招待されたのは、以下の8人だった。
(1)探偵組
*エルキュール・ポワロ
*バトル警視(Superintendent Battle)ースコットランドヤードの警察官
*レイス大佐(Colonel Race)ー秘密情報局の情報部員
*アリアドニ・オリヴァー夫人(Mrs Ariadne Oliver)ー女流推理作家
(2)容疑者組
*ロバーツ医師(Dr Roberts)ー成功をおさめた中年の医師
*ロリマー夫人(Mrs Lorrimer)ーブリッジ好きな初老の女性
*デスパード少佐(Major Despard)ー未開地を探索する探検家
*アン・メレディス(Anne Meredith)ー内気で若く麗しい女性

ホーランドパークロードの東側から見た
レイトンハウス博物館全景

食事の最中、シャイタナ氏はパーティーの出席者に対して、謎めいた告発を行う。そして、食事が済むと、容疑者組の4人はメインルーム(客間)で、また、探偵組の4人は別の部屋でブリッジを始めることとなった。シャイタナ氏はメインルームの暖炉の側に置かれた椅子を自分の居場所として、ブリッジへの参加を辞退する。
ブリッジが終わり、ポワロとレイス大佐がシャイタナ氏に暇を告げようとした際、彼らはシャイタナ氏が彼の蒐集品であるナイフで胸を刺されて死んでいるのを発見する。
果たして、シャイタナ氏が謎めいた告発をした対象の人物は誰だったのか?そして、その人物がシャイタナ氏を刺殺したのだろうか?
名探偵、警察官や情報部員等が同席しているパーティーの最中、大胆にも行われた犯行を解き明かすべく、ポワロの灰色の脳細胞が、ブリッジの点数表の内容にその糸口を見いだすのであった。

レイトンハウス博物館の入口右側にある掲示板

英国のTV会社ITV1で放映されたポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」の「ひらいたトランプ」(2006年)の回では、シャイタナ氏が住む屋敷ピーコックハウス(Peacock House)の内部として、ケンジントン&チェルシー王立区(Royal Borough of Kensington and Chelsea)内にある「レイトンハウス博物館(Leighton House Museum)」が撮影に使用されている。

ホーランドパークロードの反対側から
レイトンハウス博物館の正面を見上げたところ

レイトンハウス博物館は、ピーコックハウスの外観として撮影に使用された「デベナムハウス(Debenham House)」の割合と近くに位置しており、地下鉄ハイストリートケンジントン駅(High Street Kensington Tube Station)の前を通って、地下鉄ハマースミス駅(Hammersmith Tube Station)へと西に延びるケンジントンハイストリート(Kensington High Street)を右折して、アディソンロード(Addison Road)を北上し、右手に現れる最初の通りであるホーランドパークロード(Holland Park Road)に入った左手にある。

レイトンハウス博物館の入口左側の外壁に
「フレデリック・レイトン(レイトン男爵)がここに住んでいた」ことを
示すブループラークが掲げられている

レイトンハウス博物館は、元々、ヴィクトリア朝時代の英国を代表する画家 / 彫刻家であるフレデリック・レイトン(Frederic Leighton:1830年ー1896年)の私邸だった建物である。

フレデリック・レイトンは、1830年12月3日に、ヨークシャー州(Yorkshire)のスカボロー(Scarborough)に出生。彼の父親と祖父は共に医師で、特に、祖父はロシア皇帝一家の主治医を務めており、裕福な家庭環境の中、彼は育ち、早くから美術の才能を開花させた。

フレデリック・レイトンは、彼の友人である建築家のジョージ・エイチソン(George Aitchison:1825年ー1910年)に委託し、4千5百ポンド(現在の価値に換算すると、約8千万円)を投じて、作品を制作するためのスタジオを有する邸宅を建設してもらった。
ホーランドパークロード2番地(2 Holland Park Roadーのちに、ホーランドパークロード12番地(12 Holland Park Road)に住所表記が変更される)の場所をベースにして、ジョージ・エイチソンによる設計が1864年に始まったが、フレデリック・レイトンが1866年4月まで土地を賃借出来なかったため、工事が開始したのは、それからであった。同年末には入居できるようになったものの、フレデリック・レイトンは、その後30年間にわたって、増改築を繰り返して、自分好みの邸宅をつくりあげていった。

レイトンハウス博物館の庭を遠くに望む
(前日の雨のため、保護の観点から、庭への入口が閉鎖されていた)

建物の外観は、赤レンガを使用して、古典的に建設されているが、建物の内部は、フレデリック・レイトンの小さくて簡素な寝室を除くと、豪華そのもので、各部屋が彼の美意識を具体化しており、建物全体が一つの見事な美術作品となっている。
特に、ポワロシリーズにも登場したアラブホール(Arab Hall)は、1877年から1879年に架けて増築された部分で、ジョージ・エイチソンによると、イタリアのパレルモ(Palermo)にあるラ・ジサ宮殿(Palace of La Zisa)を参考にした、とのこと。フレデリック・レイトンは、18年間にも及ぶ欧州滞在の際に出かけた中東旅行において、現地の文化に惹かれ、その中東への思いをこの部屋の装飾で表現している。部屋の中央には小さな噴水が設けられており、涼やかな水の音が人を圧倒する壮麗な雰囲気の内に癒しの色取りを加えている。また、アラブホールへと至る壁のタイルについては、彼の友人で、小説家/デザイナー/画家/陶芸家という多彩な顔を持つウィリアム・デ・モーガン(William de Morgan:1839年ー1917年)によるものである。博物館内は写真撮影が禁止されている関係上、アラブホールの写真をお見せできないのが残念である。

ホーランドパークロードの西側から見たレイトンハウス博物館

フレデリック・レイトンは、欧州滞在からロンドンに戻った後、ヴィクトリア朝時代の寵児となり、1878年には王立芸術院(Royal Academy of Arts)の会長に就任し、以後20年近く会長として君臨する。
そして、1896年1月24日、彼は初代レイトン男爵(1st Baron Leighton)となったが、翌日の1月25日、狭心症の発作を起こして、この世を去ってしまう。僅か1日だけではあったが、英国美術界において、男爵以上の爵位を与えられたのは、現在に至るまで、彼一人である。

レイトンハウス博物館の正面外壁

フレデリック・レイトンは生涯独身で過ごしたため、彼の死後、邸宅内にあった彼の作品を含む美術品や家財等はほとんど競売にかけられてしまった。それに加えて、小さな寝室が一つしかない邸宅を購入しようという希望者が現れなかったため、邸宅は博物館として管理されることになり、現在に至っている。

2016年3月5日土曜日

ロンドン 地下鉄オルドゲイト駅(Aldgate Tube Station)

オルドゲイトハイストリートから見た地下鉄オルドゲイト駅全景

サー・アーサー・コナン・ドイル作「ブルース・パーティントン型設計図(The Bruce-Partington Plans)」では、1895年11月の第3週の木曜日、ある電報がベイカーストリート221B(221B Baker Street  → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)のシャーロック・ホームズの元に届けられるところから、物語が始まる。その電報は、シャーロックの兄であるマイクロフト・ホームズ(Mycroft Holmes)からで、「カドガン・ウェストの件で会う必要がある。直ぐにそちらへ行く。マイクロフト(Must see you over Cadogan West. Coming at once. Mycroft)」という文面だった。兄マイクロフトがやって来る前に事実関係を把握すべく、シャーロック・ホームズはジョン・ワトスンに対して、新聞に載っている記事を調べるよう、依頼する。該当する新聞記事を見つけたワトスンは、次のように読み上げた。

地下鉄オルドゲイト駅のプラットフォーム

「男性の名前は、アーサー・カドガン・ウェスト。年齢は27歳、独身、ウールウィッチ兵器工場の事務員だ。」
「英国政府の役人と言う訳か。兄マイクロフトとの関係に注意しないといけないな。」
「月曜日の夜に、彼は突然ウールウィッチを去った。最後に彼を見たのは、彼の婚約者であるヴァイオレット・ウェストベリーで、その晩7時半頃、彼は彼女を残したまま、突然霧の中へ立ち去って行った、とある。彼らの間に何か口論があった訳ではなく、彼女としても、彼の急な行動の原因が全く判らないらしい。その後、ロンドン地下鉄のオルドゲイト駅をちょっと行った場所で、メイソンという名の保線員が彼の死体を発見するまでの間、彼女は彼の消息を全く知らないそうだ。」
「彼の死体が発見されたのは、何時だい?」
「彼の死体は、火曜日の朝6時に発見された。具体的に言うと、線路がトンネルから出てくる駅に近いポイントで、東へ延びる軌道の左側のレールの上に横たわっていた。頭部がひどく損傷しており、列車から転落した際にできた傷かもしれない。それ以外に、彼の死体をそこに運び込む方法はない。彼の死体が近隣の通りから運ばれてきたとすれば、駅の改札を必ず通り過ぎたはずで、改札にずっと立っていた集札係が見逃すことはありえない。この点については、絶対に確かなようだ。」
「結構。この事件は充分に明確だと言える。この男は死んでいたにしろ、生きたままにしろ、列車から転落したか、あるいは、突き落とされたんだ。ここまでは、僕には明白だ。続けてくれ。」

地下鉄オルドゲイト駅の周囲は再開発が行われ、
新しいオフィスビル群に取り囲まれている

'The man's name was Arthur Cadogan West. He was twenty-seven years of age, unmarried, and a clerk at Woolwich Arsenal.'
'Government employ. Behold the link with brother Mycroft!'
'He left Woolwich suddenly on Monday night. Was last seen by his fiancee, Miss Violet Westbury, whom he left abruptly in the fog about seven-thirty that evening. There was no quarrel between them and she can give no motive for his action. The next thing heard of him was when his dead body was discovered by a plate layer named Mason, just outside Aldgate Station on the Underground system in London.'
'When?'
'The body was found at six on Tuesday morning. It was lying wide of the metals upon the left hand of the trace as one goes eastward, at a point close to the station, where the line emerges from the tunnel in which it runs. The head was badly crushed - an injury which might well have caused by a fall from the train. The body could only have come on the line in that way. Had it been carried down from any neighboring street, it must have passed the station barriers, where a collector is always standing. This point seems absolutely certain.'
'Very good. The case is definite enough. The man, dead or alive, either fell or was precipitated from a train. So much is clear to me. Continue.'

地下鉄オルドゲイト駅の西側に建つセントボトルフ教会―
新しいオフィスビル群に睥睨されている

ウールウィッチ兵器工場の事務員アーサー・カドガン・ウェスト(Arthur Cadogan West)の死体が発見された地下鉄オルドゲイト駅(Aldgate Tube Station)は、ロンドンの経済活動の中心部シティー・オブ・ロンドン (City of London)内の東端にあり、セントボトルフストリート(St. Botolph Street)と呼ばれる周回道路に囲まれた浮島内に建っている。オルドゲイトハイストリート(Aldgate High Street)に面する南側に、駅の入口が開いている。

地下鉄オルドゲイト駅は、周囲に建つオフィス街に勤務する人達に利用されている

オルドゲイト駅は1876年11月18日にオープンし、1941年よりメトロポリタンライン(Metropolitan Line)が当駅を始発駅としている他、サークルライン(Circle Line)が当駅を通っている。なお、サークルラインの停車駅としては、オルドゲイト駅はリヴァプールストリート駅(Liverpool Street Tube Station)とタワーヒル駅(Tower Hill Tube Station)の間に位置している。

オルドゲイト駅の東側には、地下鉄オルドゲイトイースト駅(Aldgate East Tube Station)が8年後の1884年にオープンし、ハマースミス&シティーライン(Hammersmith and City Line)とディストリクトライン(District Line)がこちらの駅を利用している。