2026年5月6日水曜日

ロンドン 大英博物館 / 円形閲覧室(British Museum / Round Reading Room)

大英博物館 / 円形閲覧室の内部(その1)
<筆者撮影>

大英博物館 / 円形閲覧室の内部(その2)
<筆者撮影>

サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle::1859年ー1930年)作「マスグレイヴ家の儀式書(The Musgrave Ritual)」の冒頭、シャーロック・ホームズは、ジョン・H・ワトスンに対して、次のように述べている。


「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の
1893年5月号「マスグレイヴ家の儀式書」に掲載された挿絵 -
ジョン・H・ワトスンが、
事件解決後の倦怠期に入ったシャーロック・ホームズに対して、
部屋の住み心地を良くするために、室内の整理を提案した。
すると、少し悲しそうな顔をしたホームズは、寝室へ姿を消すと、
大きなブリキの箱を引っ張り出して来た。
ホームズは、ブリキの箱を部屋の真ん中に置き、
丸椅子に座ると、箱の蓋を開けた。
ブリキの箱の中には、ホームズが解決した
初期の事件の記録が入っていたのである。
挿絵:シドニー・エドワード・パジェット
(Sidney Edward Paget:1860年 - 1908年)


‘When I first came up to London I had rooms in Montague Street, just round the corner from the British Museum, and there I waited, filling in my too abundant leisure time by studying all those branches of science which might make me more efficient.’


グレイトラッセルストリート(Great Russell Street)側から見たモンタギューストリート
<筆者撮影>

モンタギュープレイス(Montague Place)側から見たモンタギューストリート
<筆者撮影>


ホームズは、大学卒業後、ロンドンに移り、モンタギューストリート(Montague Street → 2014年5月25日付ブログで紹介済)に部屋を借りて、諮問探偵を開業したが、残念ながら、数ヶ月経過しても、1件の仕事依頼も持ち込まれなかった。そこで、ホームズは、この暇な時間を有効活用すべく、将来役に立ちそうな学問の勉強のために、近所にある大英博物館(British Museum → 2014年5月26日付ブログで紹介済)の図書室へ頻繁に通ったのである。


大英博物館の正面入口
<筆者撮影>


1823年に、ハノーヴァー朝(House of Hanover)第4代英国王のジョージ4世(George IV:1762年ー1830年 在位期間:1820年ー1830年)が、大英博物館に対て、父王ジョージ3世(George III:1738年ー1820年 在位期間:1760年ー1820年)の蔵書約8万5千冊を寄贈することになった。


ナショナルポートレートギャラリー(National Portrait Gallery)内で所蔵 / 展示されている
ハノーヴァー朝の第4代英国王であるジョージ4世の肖像画
(By Sir Thomas Lawrence / Oil on canvas / 1814年頃)
<筆者撮影>


17世紀後期の館であるモンタギューハウス(Montague House)をベースにして、1759年1月15日に開館した大英博物館は、開館当時から既に抱えていた問題ではあったが、モンタギューハウスでは博物館として手狭となってきたのである。

そこで、1824年にモンタギューハウスの北側に新しい建物を建設することが決定され、1840年代初めに、新しい建物の大部分が竣工すると、モンタギューハウスは取り壊され、1850年頃には、現在見ることができる外観となった。

残念ながら、それでもスペース不足の問題は解消されず、中庭に「円形閲覧室(Round Reading Room)」の建設が開始し、1857年にオープンした。この円形閲覧室に、ホームズは足繁く通ったものと思われる。


大英博物館 / 円形閲覧室内に置かれているシャーロック・ホームズの説明板(その1)
<筆者撮影>

大英博物館 / 円形閲覧室内に置かれているシャーロック・ホームズの説明板(その2)
<筆者撮影>


ホームズが足繁く通った大英博物館の円形閲覧室は、多くの学者や文化人等によって利用されてきた。


大英博物館 / 円形閲覧室の内部(その3)
<筆者撮影>

「共産党宣言(Manifest der Kommunistischen Partei)」(1848年 - プロイセン王国時代のドイツのの社会思想家 / 政治思想家 / ジャーナリスト / 実業家 / 軍事評論家 / 革命家であるフリードリヒ・エンゲルス(Friedrich Engels:1820年ー1895年)との共著)や「資本論(Das Kapital)」(1867年)で有名なプロイセン王国時代のドイツの哲学者 / 経済学者 / 革命家であるカール・ハインリヒ・マルクス(Karl Heinrich Marx:1818年~1883年)も、その中の一人である。


大英博物館 / 円形閲覧室内に置かれているカール・ハインリヒ・マルクスの説明板(その1)
<筆者撮影>

大英博物館 / 円形閲覧室内に置かれているカール・ハインリヒ・マルクスの説明板(その2)
<筆者撮影>


彼は1849年に妻子と一緒に、激動に揺れるヨーロッパ大陸からロンドンに移住して、ソーホー地区(Soho)のディーンストリート28番地(28 Dean Street → 2014年6月6日付ブログで紹介済)に間借りしていた。ロンドンに移住した当時、マルクスは貧乏のどん底で、友人のフリードリヒ・エンゲルスから生活費の援助を受けて、なんとか糊口をしのいでいた。


カール・ハインリヒ・マルクスが住んでいた
ディーンストリート28番地の建物
<筆者撮影>


ディーンストリート28番地の建物外壁には、
イングリッシュ・ヘリテージ(English Heritage)が管理するブループラークが掛けられており、
「1851年から1856年までの約5年間、カール・マルクスがここに住んでいた。
(KARL MARX 1818-1883 lived here 1851-1856)」と表示されている。
<筆者撮影>


そんな貧乏のどん底に居たマルクスにとって、入場無料で開放されていた大英博物館の円形閲覧室は願ってもない場所であり、また、格好の研究の場でもあった。よって、マルクスは、若きホームズと同様に、毎日のように大英博物館に通っては、円形閲覧室で研究に没頭したとのこと。その研究成果として、マルクスが発表したのが、あの有名な「資本論」だった訳である。20世紀以降の世界に大きな影響を与えた社会主義の理論は、大英博物館の円形閲覧室から誕生したと言っても過言ではない。


大英博物館 / 円形閲覧室の内部(その4)
<筆者撮影>


英国の小説家 / 評論家であるヴァージニア・ウルフ(Virginia Woolf:1882年ー1941年)は、大英博物館周辺に住み、1905年、姉で、英国の画家 / インテリアデザイナーであるヴァネッサ・ベル(Vanessa Bell:1879年ー1961年)達と一緒に、「ブルームズベリーグループ(Bloomsbury )」と呼ばれる著述家や芸術家の知的サークルを結成して、20世紀モダニズム文学の主要な作家の一人として、重要な役割を果たしている。


大英博物館 / 円形閲覧室内に置かれているヴァージニア・ウルフの説明板(その1)
<筆者撮影>

大英博物館 / 円形閲覧室内に置かれているヴァージニア・ウルフの説明板(その2)
<筆者撮影>


ヴァージニア・ウルフ達が結成した「ブルームズベリーグループ」のメンバー達も、大英博物館の円形閲覧室に通ったものと思われる。


大英図書館の入口
<筆者撮影>


大英博物館におけるスペース不足の問題は引き続き残ったため、その解消策として、図書部門が、他の管理部門から分離の上、1973年にロンドン国立中央図書館等と機能統合され、「大英図書館(British Library → 2014年5月31日付ブログで紹介済)」が新たに編成された。1997年秋に、セントパンクラス駅(St. Pancras Station)に隣接した場所に大英図書館の新館が完成し、書庫と図書館機能は大英博物館から移転。


大英図書館の全景
<筆者撮影>


それに伴って、旧大英博物館図書館は、円形閲覧室のみを残して、フォスター・アンド・パートナー事務所(Foster + Partners)を代表するテムズバンクのフォスター男爵ノーマン・ロバート・フォスター(Norman Robert Foster, Baron Foster of Thames Bank:1953年ー)がデザインした屋根付きの中庭「グレイトコート(Great Court)」に改築されたのである。 


テムズバンクのフォスター男爵ノーマン・ロバート・フォスターがデザインした
大英博物館内の屋根付き中庭「グレイトコート」
<筆者撮影>


           

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