2018年6月17日日曜日

エドワード・コーリー・バーン=ジョーンズ(Edward Coley Burne-Jones)–その3

テイト・ブリテン美術館(Tate Britain)に所蔵されている
初代准男爵サー・エドワード・コーリー・バーン=ジョーンズ作
「Love and the Pilgrim」(1896年ー1897年)

後に初代准男爵(1st Baronet)となったエドワード・コーリー・バーン=ジョーンズ(Edward Coley Burne-Jones:1833年ー1898年)は、絵画に加えて、セラミックスのタイル、ジュエリーやタペストリー等の工芸品を制作したり、本の挿絵や舞台衣装のデザイン等も手掛けている。
彼は、オックスフォード大学エクセターカレッジ(Exeter College, Oxford)在学中に、トマス・マロリー(Thomas Malony:1399年ー1471年)の「アーサー王の死(Le Morte d’Arthur)」に出会って、大きな影響を受けており、1894年にライシアム劇場(Lyceum Theatre→2014年7月12日付ブログで紹介済)の監督で、俳優でもあったヘンリー・アーヴィング(Henry Arving:1838年ー1905年)からの依頼を受け、同劇場で上演する「アーサー王(King Arthur)」の舞台衣装に携わっている。

エドワード・コーリー・バーン=ジョーンズは、1880年にサセックス州(Sussex)のブライトン(Brighton)近郊にあるロッティングディーン(Rottingdean)に別荘を購入するとともに、ロンドンのフラム地区(Fulham)のノースエンドロード(North End Road)沿いにある本宅の隣理に建つコテージを手に入れて、ノースエンドハウス(North End House)を建設しようとした。

エドワード・コーリー・バーン=ジョーンズは、1881年にオックスフォード大学から名誉学位(honorary degree)を授与された後、翌年の1882年に特待校友(Honorary Fellow)となった。
彼は、1885年にバーミンガム芸術家協会(Birmingham Society of Arts)の会長(President)にも就任した。
また、彼は、1894年にナイトに叙せられ、それに伴い、「Burne Jones」から「ハイフン(hyphen)」付きの「Burne-Jones」へと改名した。

1896年、オックスフォード大学エクセターカレッジ以来の友人であるウィリアム・モリス(William Morris:1834年ー1896年)の死去に精神的な打撃を受けたエドワード・コーリー・バーン=ジョーンズは、次第に自身の健康を害していき、1898年、インフルエンザに罹患し、一旦回復したものの、その後急に再度悪化して、同年6月17日に永眠した。

当時、プリンス・オブ・ウェールズ(Prince of Wales:王太子)で、後にサクス=コバーグ・アンド・ゴータ朝の初代国王となるエドワード1世(Edward I:1841年-1910年 在位期間:1901年-1910年)の仲介により、エドワード・コーリー・バーン=ジョーンズの葬儀は、ウェストミンスター寺院(Westminster Abbey)で執り行われたが、芸術家がそのような光栄に浴したのは、初めてのことであった。なお、彼が埋葬されたのは、彼の別荘があったロッティングディーンのマーガレット教会(St. Margaret’s Church)の墓地である。

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